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後悔をしないために [随想]

 NHKの職員の多くは良識的で、本来の公共放送の存在意義を充分に理解していると信じている。そして、12月20日に放送された『新・映像の世紀第3集時代は独裁者を求めた』については、それがはっきりと表現されたと感じた。彼らが危機感を持ち、必死に伝えようとしているもの、それを私も共有できた。ニーメラーの次の詩も紹介された。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 今更ながら、12月上旬に私は朝日新聞から東京新聞へ切り替えるための連絡を朝日新聞取扱店に連絡した。若そうな男性の声が残念そうな声で言った。「分かりました。理由を教えて頂けますか?」
「私は30年以上朝日新聞を購読してきました。朝日新聞の社員の殆どは、真のジャーナリズムを理解している、良心を持った人々だと考えています。しかし、何ですか。昨年の特定秘密保護法以降の報道姿勢は。まるで、政府の公報機関に堕してしまているではないですか。」
「実は、昨年以来、購読停止が何件もあるんです。」
「私は、多くの社員は信用しているんです。政治的圧力に屈している経営陣が許せないのです。朝日新聞は戦後、戦前に戦争協力する一方的な情報に基づく報道を行い、国民を間違った道に導いてしまったことを痛切に反省し再出発を誓った、そうではありませんか。それがなんですか、今は。『公平』と言う都合の好い言葉に尻込みして、圧力を受けたまま、当らず触らずの報道ばかりしているではないですか。」
「・・・」
「その事への抗議として、一読者の意思表示として、朝日新聞の購読を止めます。」
「分かりました。同じように言われる人は多いのです。しっかりと、報告しておきます。」
このようなやりとりがあった。彼の対応には、誠実さが感じられたので、少しほっとした。もし、新聞取次ぎ店の人々までが妙な対応をしたとなれば、政府の言論に対する圧力が会社を通じてそこまで及んでいることになるからである。

 それにしても公平や中立を求めるのが、政府側の人間であるとは。それらを求めるのは弱者であろうに。
 そう言えば、現違憲状態首相の大叔父も、辞任に当って報道陣を退け、話題になった。

  ALL ANIMALS ARE EAQUAL
 BUT SOME ANIMALS ARE MORE
  EAQUAL THAN THE OTHERS

 George Orwellが”Animal Farm”で書いたように、権力者は言葉の意味を自分の都合に合わせて変更させる。

 Speech is gold, however, silence is lead.20151216DSCN2999.JPG
 
 この絵は、昨年来の日本の政治、政治家達の発言などを一つの型に入れて描いたものである。愛想笑いする男の黒子なのか、はたまた監視カメラのようなものなのか、解釈は自由である。
 杞憂であることをどれだけ望んでいることだろう。しかし、物事は彼らが計画した方向に、現段階では近付いている。8年も前に、斎藤貴男氏は『報道されない重大事』(ちくま文庫)のはしがきで、「前年の十月に発表された自民党の新憲法草案は、国の交戦権を否定した九条二項の全面的な書き換えや、国家権力の暴走を抑えるための憲法という近代立憲主義の原理原則を覆して国民の生き方規範にするとても言いたげな強権的法体系へのコペルニクス的転回が図られていることに照らして、あまりに危険な情勢であると強調せざるを得ない。」と述べている。
 沈黙は決して金ではない。訥弁でもよい、自由、博愛、平等、正義を求めて発信してゆけば、それが金である。そのように強く感じている。




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忘却は悪である [随想]

 忘却は悪である。悪事をした場合には、常に思い出さなければならない。忘却は臭い物には蓋をするのと同じである。過去に向き合わず、直視せず目を背ける者は勇なきものなり、と信ずる。過去に犯した罪に眼をつぶる人間は、臆病者であり卑怯者である。そして、彼らがどでだけ威勢のいい発言をしようが、彼らの本質は惰弱な臆病者に過ぎないと言う事実は変わらない。
SSCN2933.JPG 今日の絵は、そんな人の代表であるある人物を描いたものである。しかし、肖像画ではない。彼の言動を象徴的に、少し抽象的に描いてみたのだ。特定は出来ないだろうが、絵の中に幾つかの鍵が入っているかもしれない。それらが鍵として認識されなければ鍵の役を果たすことができないのだが。そんなことは多い。馬耳東風。
 弱い人間は、同類を求め、自分を批判する人間を遠ざける。どの分野、世界に於いても当てはまる。自分を説得してしまう人間を忌避する。自己批判、反省の出来ない人間、その人物から助言者、賢者を遠ざけるとどのようなことになるか。暴走列車が自走して衝突すべき対象の出現まで走り続けるか、脱線して止まるか。いずれにせよその機関車に引き摺られる人々はたまったものではない。When will they ever learn?
 ハロウィーンの仮装に興じている場合ではないのかもしれない。
 心が病んでいる人間は、型にはまっていることがお好き、彼自身が予測できることだけが起こる事を望む。予想外のことが起こることが嫌い。彼が理解したとおりに行動しないと、腹が立つ。なんとなれば、彼は他者の痛みを考えたことがないから、弱者の立場になって考えることができないから。金を儲けることはよいこと、たとえ他者を犠牲にしても、他者が犠牲になっても、なぜならこの他者たちには自助努力が足りないだけだから。自らを助けることの出来ない人々は、その存在自体が正しくないから。
 今日の絵はB4判。水彩絵具、色鉛筆、黒のマジックインキ。

 


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2014年と言う年 [随想]

 2014年と言う年は、しっかりと記憶しておかなければならない。これから日本や世界が変な方向に向かってゆかなければ単なる杞憂に終わるわけである。そして、杞憂であることを信じたい。日本は戦争ばかりしているアメリカとは異なるのだと。しかし、楽観的にそのようなことは言っていられない状況になりつつある気がして、心が穏やかではない。そのせいか、12月にはB5判ではあるが、12枚以上の絵を描いた。11月には8枚、10月には6枚、9月には5枚。目標があるわけではないので、何枚くらいこれから描くのかは分からない。
Year 2014.JPG そして、今日の絵はB4判に、いつも通り、クーピーペンシル、水彩絵具、色鉛筆、赤と黒のボールペン、修正液、そして今回は発色をよくするためにショッキングピンクと黄色のマーカーを使っている。ゲオルゲ・グロッスではないが、風刺画風になってしまった。線を引いて色を塗って一旦11月に完成した後に、昨日12/29にアルファベット文字を描きいれて完成とした。どうしても、2014と書き入れたくなったのである。SDSとRCSDは形としては完了形になっているが、TPPは進行形である。
 実は、10月や12月のB5判の絵の中には、それらを考えたために心が落ち着かずに描いたものがいくつもある。今年2月にB5判の大学ノートに描いた飛行機や軍服姿の男達の顔の漫画風の絵もある。いつか紹介する機会があるかもしれない。ないかもしれない。
 仕上げなければならないもっと寸法の大きな絵が、画架の上で待っている。完成させることができないままになっている。
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T叔父の思い出 [随想]

2014-11-24 月曜日 T叔父の思い出

 その知らせを聞いた時、私は驚きはしなかった。今年に入ってから、既に、大分悪くなっていると聞いており、このような事態は予想できたからである。

T叔父は父の一番下の弟である。戦後の混乱の中を生きてきたのは父と同じであるが、父が北海道で十六年居たのに対して叔父はずっと世田谷にいた。亡くなるまでには仕事上のことなどで確執やいろいろなことがあったが、最終的にはそれなりに幸せな死を迎えることができたのではないかと感じている。

Uncle T 2014-11-24.JPG父方の祖母は神戸で『死線を越えて』の賀川豊彦に傾倒し、キリスト教徒になったが、曹洞宗の祖父と結婚し、その後信じている宗教が曖昧になっていた。結局祖母の葬儀は仏教で執り行われた。しかし、その祖母の影響があったのだろう、叔父はキリスト教に大いなる影響を受けていた。そして、数年前に洗礼を受け、クリスチャンになった。

叔父のためには牧師によるお別れの会が催された。皆で賛美歌を歌ったり、聖書からの引用文が読まれたり、牧師の話があったりした。友人による故人の思い出話があったのもとても好かった。火葬の際も、荼毘に付される前に焼却炉の扉の前で牧師の誘いで、皆で賛美歌を歌って送った。私は、何と心の籠もったお別れの会だろう、叔父もきっと喜んでいるだろうと思った。この牧師は私の義理の甥である。

叔父についての思い出を、友人達が語っていた中で、一つ特に印象に残ったものがある。友人Hさんの話によると、叔父としては大学の文学部に進学を希望していたが、祖父の意向で、大学へ行かずに祖父が起した会社で一緒に働くことになった。そして後年、会社の経営を任されることになった叔父ではあったが、実のところ本人は経営は好きではなく料理人になりたかった。定年後、中学校時代の仲間が自宅に来ると叔父は厨房に入り、料理を作った。叔父が料理を出すと仲間が「一緒に食べようや。」と言うが、叔父はあまり一緒には食べなかったようだ。仲間が旨い、旨いと言って食べているのを見るのが好きだった。叔父の料理はとても美味しかった、と代表で挨拶をされた友人の方が話していた。Hさんは、アメリカに行った際にテンガロンハットを購入し、叔父への土産にしたそうだ。

叔父の娘、私の従妹Sの話では、子供達にとても優しかった。Sによると、小さかった頃彼女が自動車のドアを勢いよく閉めた時、叔父の指が挟まってしまった、しかし叔父はSが決して心配することがないように大丈夫、大丈夫と言った。が、実は骨折していた、と言う話。自分に当てはめて考えることのできない話である。

私の叔父の思い出は、アメリカのウエスタン音楽を仲間と楽しんでいたこと、バイオリンを弾いていたこと、祖父の車ヒルマンを運転していたこと、冗談が好きな人だったこと、軽妙な話し方でその場を明るくする人だったこと、賛美歌の一つを関西弁で歌った(イエッさんわてらを好いてはる、イエッさん強いさかい、わてら弱くとも、恐れることあらへん、わてらがイエッさん、わてらがイエッさん、わてらがイエッさん、わてらを好いてはる(うろ覚えです))こと、などである。叔父にはどこかアメリカを感じさせる雰囲気があった。残念ながら、随分離れていたのでこれくらいしか覚えていないが、書き留めておく。

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話はまるで変わるが、堤未果『沈みゆく大国 アメリカ』(集英社新書)2014-11-14発売を読む。この書はアメリカ発皆保険制度オバマケアの実態と諸問題について扱っている。「無知は弱さになる。」は事実だと思う。1214日の投票に行く前に、一人でも多くの人々に読んでもらいたいと思う本である。

http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%88%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8F%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%A0%A4-%E6%9C%AA%E6%9E%9C/dp/4087207633


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Arto estas longa, vivo mallonga.エスペラント語 [随想]

20140621.JPG 私はエスペラント語の勉強を再開している。大学書林の『エスペラント語4週間』を購入したのが2011年9月15日、神田の三省堂書店である。エスペラント語と言えば、第一に宮澤賢治、第二に祖父の起した会社のエスペラント名Kurba Gravoである。小学生の時代から馴染みのある世界共通言語である。中学2年生の時、世田谷の砧図書館へ本を借りに友人のK君と行った。その時、エスペラント語の本を探していたのは私だったが、K君が見知らぬ中学生から「君、エスペラント語に興味があるんだ?」と声を掛けられ沈黙していた。私が「宮沢賢治なども使ったらしいので興味があるんだよね?」とK君に助け舟を出した。そんな思い出がある。
 さて、2011年大地震のあった年の9月に、私はとうとうエスペラント語の学習を始めたのだった。中学校時代は英語が全く苦手だったので、エスペラント語どころではなかったのが実情である。更に、私は当時『ルトリア8国物語』を構想し、書き始めていた。だらか、英語も満足にできないのにルトリア語なるものを勝手に創造していた。尤も単語だけであったが。親友が「英語以外にこんな物も覚えなくっちゃならないの?」と嘆いたのが印象的に記憶に残っている。例えば、貨幣単位オリバコルとかルトリアの妖精たちの名前など。
 今回の写真は、昨年か一昨年か連休に作り始めたバッタの看板を、本日やっと完成させることが出来たので、それを撮ったものである。貫板を二枚裏で留めた板に彫刻し、彩色したものである。昨年にも色を塗っていたのだったが、その色が気に入らないので完成させずに放置しておいた。こんな風にして放置されている物はいくつもある。河童小僧の看板も放置して既に何年も経過してしまっている。水飲みの虎の小屏風も中断してから4年位以上経ってしまっている。完成させることができないのは、その作品の中に私にとって克服しなければならない阻害要素が入っているということなのだ。気持ちよく完成まで進めることの出来ない、ちぐはぐ感が残っている。それが何かを捉まえることが出来なければ、或いは線を引いたり色を付加することで打開策が見つからなければ、完成することが許されない。
 だから、今回一応ながら、完成させたという気分になっていることは嬉しいことである。Arto estas longa,vivomallonga芸術は長く人生は短い。この諺は父方の祖父が時々口にしていたと祖母が言っていた。この祖父は発明家だったが、若い頃は情熱的で、詩集なども読んでいて、気に入ったところには傍線や丸が書いてあったそうである。
 本当は、先週観にいったバルテュスに刺激を受けたので、昨年末から描き始めている題未定の少女の絵を完成して発表しておきたかったのだが、腕の角度を少し変え、髪の毛を少し丁寧に描き足した位で、先に進めることができない。この絵はもっと後になるのかもしれない。


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HARLEY-DAVIDSONの話 [随想]

 昨日は稲城市にあるいつもの床屋へ行った。大分髪が伸びて気になっていたのだったが、やっと昨日行くことができた。清々しい天気だったが、黒雲も西の方に見えていたので、天気が変わるのではないかと気になり、少し早足で歩く。到着した時は少し汗ばんでいるくらいだった。
 洗髪などしてもらっているうちにすっかり眠くなってしまい、「後ろもこんな風にしておきましたよ。」と声を掛けられた時直ぐに返事ができなかったのも一寸気恥ずかしかった。まぁ、それも、腕がよいから眠くなるのよ、と思っておく。
 8月からは予約制になるという。理由を尋ねると、店で床を掃いたり、洗髪をしたりして手伝っていたお嬢さんが、理容師美容師試験を受験しなければならないからだそうである。8月に実技試験、9月に筆記試験があるようだ。HPの説明によると、関係法規・制度、公衆衛生、環境衛生、感染症、衛生管理技術、人体の構造および機能、皮膚科学、理容の物理・化学、理容理論の知識が問われる。確かに、ここに書かれている内容はどれも理容・美容に直接関係のある事項ばかりであり、大切な項目だと思う。是非、合格して欲しいと思う。
 支払いを済ませて水槽を置いてあった場所をみると、水槽の変わりに自動二輪が置いてある。
「あれ、水槽なくなっちゃったんですね。」
「えぇ、バイク買っちゃいました。」
「あ、これはナナハンですか?」
HARLEY-DAVIDSON 20140518.JPG「いえ、883ccあります。」
「そんなにあるんですね。これもHARLEYですか?」
「そうです。」
 ここの若旦那はHARLEYの愛好家である。既に1500ccで2002年の物を所有している。仲間とたまにツーリングにゆくが、イージーライダーのような派手なことは全く興味のない人々の集まりである。HARLEYの音を楽しむそうである。
「音を楽しむんですか?」
「HARLEYは二気筒だから、本当は音は偶数になるんですけど、チューニングによって馬のようにパカパッパカパッというリズムに聞こえるようになるんです。だから、HARLEYは鉄の馬とも呼ばれているんです。」
「なるほど。ここにSCREAMIN' EAGLEと書いてあるのは何ですか?」
「それがチューニングのパーツ屋さんですよ。HARLEYはエンジンが胴体に直についているので、振動が直接身体に伝わってくるんですよ。だから、尻は痛くなるし、ハンドルを握っていると痺れてくるので、時々片手にするんですよ。あんまり、長距離はきついかもしれません。」
その話を聞いて私は直ぐにチェーンソーを使って痺れが来る白蝋病を思い出したが、その時は言わなかった。
「お尻が痛くなると言うのは、鞍をしないで裸馬に乗るようなものでしょうね。馬の背骨って、痛いですからね。」
「そうかもしれませんね。」
「ところで、私の義兄は昔陸王に乗っていたんですよ。今は売ってしまって持っていませんが。」
「陸王ですか。持っていれば、かなり高く売れるでしょうね。」
やはり、希少価値なのか、陸王はバイク乗りの中では有名な自動二輪らしいことが改めて分かった。
「こちらにあるバイクは2002年のFatboyでそっちのは883(はちはちさん)でSportsterで2003年製。お義兄さんに聞いてみられるといいですよ。きっと知っていると思います。」
「えぇ、聞いて見ます。今日も勉強になりました。有難うございました。」そういってから私は店をでた。

 こんな会話して私は楽しんだのだった。帰宅後義兄にこの日の会話のことを話したら「ずいぶん詳しいひとだねぇ。」と行っていた。勿論、会話の内容は全部知っていることのようだった。何事も奥が深く、興味深いものだと思う。

※絵のSportster(883)は赤だが、実際のバイクは座席シートも取り外してあり、色も真っ黒に改造してあった。


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今日の夢 [随想]

 今日は珍しくちょっと変わった夢をみたので、ここに記録しておきたい。これは私の心象スケッチである。

 どこにいるのか分からないが、
 どうやら崖のある川の附近を歩いているようだった。
 まったく人家のない、
 それでいて解放感のある空間を歩いていたのだった。
 誰が一緒なのかはどうしても思い出せない。
 私は突然「閣下!」と叫んでみる。すると、
 彼方からアカショウビンが飛来する。
 私は更に「かくかく!」と言う。
 アカショウビンは崖の岩か木か何か堅いものの前に止まる。
 私は続けて叫ぶ「しかじか!」。
 するとアカショウビンは、啄木鳥宜しくその堅い壁をつつくのである。
 そして、飛び去る。
 彼が同じ行動を取るかどうか試してみる。
アカショウビン20150517.JPG 「閣下!」
 やはり、彼は飛んで来る。
 「かくかく!」
 彼は壁の前で止まる。
 「しかじか!」
 壁を突く。
 あぁ、面白い。と思っていると、隣にいる少年が「閣下!」と叫ぶ。
 アカショウビン登場。
 「かくかく!」
 彼は位置に付く。
 「しかじか!」
 突き始める。
 少年は面白くって、何度もそれを繰り返す。
 私は慌てる。アカショウビンは翡翠の仲間であって、啄木鳥ではない。
 だから、あんなに頻繁に堅い物を突いていたら、嘴が壊れてしまう。
 「もう、およしよ!」と心の中で少年に向かって言った。
 その時私の枕元で、fat catのアトム君が香箱坐りをして、
 ごろごろ喉を鳴らし始めた。
 それで私は目が覚めたのだった。

 栗の里の愉快な女房殿にアカショウビンの話したところ、大変羨ましがられた。「あぁ、馬鹿みたいに明るい夢!いいな。どうやって生きていたらそういう能天気な夢を見られるものかいな。あたしも少しあやかりたいよ!」
「そうね、君は最近、空を飛ぶ夢をみなくなってしまっているからね。」
「見る夢と言ったら、現実的な悪夢ばかり。あぁ、いやんなっちゃう。」

ところで、短い滑稽な映像作品をつくることを今日思いついた。絵コンテでも描いてみようかな、などと考えている。やはり、私は能天気なのかもしれない。

 

 

 


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おもしろ床屋 [随想]

 今日は稲城市にある行き付けの床屋へ行く。Hey, you!.JPGたまたま洗髪用の流しのメーカー名が目に入ったので「タカラ美容製なんですね。」と言うと、「よくご存知ですね。」と言う。何故知っているかを説明する。その後で、床屋さんでどれだけ鋏を使っているのか疑問に思い質問する。「鋏は何種類位、使われるんですか。3種類位ですか?」「最低でも6種類は使いますよ。柔らかい髪か硬い髪かで、使い分けるんですよ。」なるほどと納得する。「ところで、髪の硬さは人種によって異なるんですよね?」と尋ねる。「そうですね。」と言ってから、コーカサス系の人種の髪について、アフリカ系人種の髪の硬さについて説明してくれる。コーカソイドは柔らかい。また、アフリカ系も、硬いのかと思いきや実は柔らかいそうである。アフリカ系の人の髪は巻いているので、指間(しかん)刈り※が出来ず、櫛で巻いている髪を伸ばしながら鋏をいれるので、散髪は難しいとのこと。この髪の切り方はお父様より直接教えて貰ったそうだ。
 「鋏はゾーリンゲンや新潟などが有名ですね。」「そうですね。これヘンケルですよ。」と鋏を見せてくれる。ツヴィリングの双子の商標が挟みに刻印されている。日本製を使っていると思っていたので、ゾーリンゲンのヘンケルスを使っているので感動する。(昔、祖父が、刃物で有名なゾーリンゲンの鋏をドイツからの土産で買ってきたからである。)「面白い鋏がありますよ。普通は研いではいけないところを研いで削ってしまった鋏があるんですよ。これは挟み込んで押し切るのではなく、言ってみれば、二本の刃物を一つにしたような鋏なんです。よく切れますよ。コツコツ音がします。今度、使ってみましょうか。」嬉しい話である。次回は、この鋏で切るようお願いしてみようかと思う。
 鋏の研ぎについて教えてもらう。床屋のご主人は、動物用の鋏の研ぎをやったことがあるそうだ。犬や猫の毛は、和毛なので、人間用の鋏と同じ角度で研ぐと鋏に毛が巻き込まれてちっとも切れない。人間用の場合研ぎの角度は45度くらいであるが、犬猫用の場合にはもっと角度を付けなければいけないそうである。これで私は研いでも切れない鋏がある原因が今頃になって分かった。ただ研げばよいのではなく、切る対象の厚さを考慮して鋏の刃の角度を変えなければならないということが分かった。
 他にも、床屋さんには符牒があることも教えて頂く。客の前では金額について分かってしまうような会話はできないので、床屋さん独特の符牒があり、傍目に何をしているのか分からない。実際に、手でその符牒を見せてもらうが何のことが分からない。ちなみみ、こういう符牒はやや古い床屋さんでないと通じないらしい。最近の美容室では使わない。符牒については、また、次の機会に教えて頂こうと思う。

※指間刈り(しかんがり)とは、二本(人差し指と中指)の指で髪の毛を挟み、指の間から出た部分を鋏で刈る方法。

今日の絵は「おい!こら!烏」


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シナリオ『傘の反乱』を書く [随想]

umbrellas in revolt.JPG 2009年11月19日に書き上げた短編『傘の反乱』をシナリオにした。映像作品を作りたいという思いが、日に日に強くなっている。映像作品を作れば、その中に音楽も絵も使うことができるからだ。昨日書き上げたのだが、20×20の設定で、11枚。ペラ一枚30秒と言う計算では、6分ほどの極短い映像作品になるのだろうが、私の予定では7から8分くらいの長さになるのではないかと思う。台詞は殆どなく、ト書きが多い。
 果たして、これをどうやって映像作品にするのか、全く決めていない。ヒチコックの『鳥』のようなサスペンスタッチの作品になる筈なのだが。描いているのは、自分の理解を超えた、自分が立ち入ることを許されていない不可解な存在による、不当な包囲、束縛、自由の剥奪に対する恐怖である。

 さて、それにしてもこのところ新聞やニュースを見て、その彼らが担うべき本来の仕事ができていないことに危機感を持っている。facebookでは多くの重大な問題に警鐘をならす人々がいるのに、新聞やニュースではそれらが充分に報道されないからだ。秘密保全法案と言う使い方によっては実に危険な法案があり、その法案についてのパブリックコメントの受付が明日9/17に締め切られる。私がこの事実を知ったのはつい最近である。日弁連の人々が危険性を訴えていることをfacebookの利用者が教えてくれたのである。藤原紀香さんもそのブログでその危険性を訴え、自分でもパブリックコメントを送ったと述べていた。
 最近、私はfacebookやYoutubeによる情報の発信の方が、自分達の利益を守ろうとする人々の影響を受けない情報が入ってくるので、面白いと感じている。全面的に信用しているわけではないが、それでも知るべきことなのに知らされていないことを知ることができる、そう思っている。
 話は飛ぶが、日本はGMOそのものは輸入しないが、遺伝子組み換えによって作られた「原料」を輸入している。しかも、その量は多いようである。(まだ調べていないので具体的に書くことができない。)納豆であれば「遺伝子組み換えでない」と言う表示や、「純国産大豆」などと表示されているが、醤油であれば原料には大豆とのみ表示される。この辺は、実に怪しい。一旦加工されてしまう(コーンスターチ、油など)と、その前の状態について言及しなくて好いことになっているようなのだ。驚いたのは、安価なマーガリンの材料を見たところ、「遺伝子組み換え原料が入っている可能性がある」と書いてあった。アメリカではGMO使用についてラベルを貼るよう求める運動がある。アメリカの消費者は遺伝子組み換え食品かどうかを区別する自由すらないのである。ラベルを貼ることに対してGMOの供給者達は、商品価格が上がると言ったりして反対している。やはり日本の食品は、まだまだ安全なのだと強く思う。断固この安全性は守りたいと思う。
 遺伝子組み換え作物の問題については、Youtubeでいくつかドキュメンタリーを見た。本来、玉蜀黍の原産国であるメキシコでは、NAFTA締結以来GMOの玉蜀黍種子の輸入国になってしまっている。原種を栽培している地域に於いてすら、風媒花である玉蜀黍の遺伝子組み換えされた花粉が飛んできて、奇形が出始めていると言う。メキシコのある村の集会で、絶望的な顔をした村人達が映っていた。
 自己の利益の為には、世界中の多くの人々の健康すら犠牲にして平然としている人間がいることに呆然とし、暗澹たる気持ちになる。大切なのは、一人でも多くの人間が倫理観を持つことである。
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『陸軍登戸研究所』2012年作品・長編ドキュメンタリー映画を観ようと思ったのだが [随想]

 DSCN2208.JPG今回の連休はこの長編ドキュメンタリー映画を観に行くことを楽しみにしていた。川崎市アートセンターで上映されるので、近いから、長編で少し疲れても構わないと思っていたのだった。しかし、本日午前中、電話してみると、既に午前中に全席完売したとのこと。チラシ表には「殺人光線、電波兵器、生体実験への道、毒物・爆薬の研究、風船爆弾、生物・化学兵器、ニセ札製造、対支経済謀略」裏面には「戦争は誰のために続けたのか。登戸研究所の闇を辿る本作から、図らずも原発ムラと相似する構図が浮かぶ」と書いてある。このような記録映画はきっとそれほど人気がないだろうと高を括っていたのが大間違いだった。
 電話で対応した女性は申訳なさそうに話した。そして8月17日から渋谷のユーロスペースで再度上映される予定だ、と教えてくれた。それまで待つしかない。
 この楽しみが、冷凍保存されてしまったので、この連休中に何かを作ろうと計画していたその計画が頭を擡げてきた。いつも通り色々あるが、とりあえず、貫で看板を拵えることにした。女房殿は、それもいいけど、郵便箱が小さくなってきてしまったので、新しいのを作ってよ、と言う。それもそうだな、と思いつつ、やはり看板に精を出す。私が日向で前掛けを掛けて彫刻刀を使っていると、姉の家に遊びに来ている娘の子供達が「何を作っているの!」と声を掛けてくる。「ひ、み、つ!」と、にやりとしながら答える。そんなに簡単に教えてやるものか。子供は秘密が大好きなのだから、後で知ったほうが面白かろうて。
 今日は2時間ほど、看板を作っていたのだが、そう簡単にはできない。明日以降に持越しである。大分前に作りかけて放置してある河童の看板の二の舞にならないように、何とか完成させたいとは思っている。しかし、明日は恐らく郵便受けも作ることになるのではないかと言う予感がある。自分のことなのに、予感でしかない。自分がどんな気分になるか分からないから、こんな風な表現になるのである。
 こんなことをしている場合ではない、と思いつつ、あれもやらねばこれもやらねば、と焦る。いつものことだ。DSCN2207.JPG
 ところで、4月29日に描いた、いつものわけの分からない絵。塵取りのようなものに足とプロペラが付いている。一応、犬よろしく金属製の尻尾もついているのだ。それでいて頭についているのは角であり、耳ではない。説明するのも面倒だ。他にも2枚描いたので、改めて掲載したい。
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