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映画感想および猫の放屁丸の話 [随想]

 

2010-11-13 土曜日

今日は、DVDを二本見る。木下恵介監督の『女の園』と『お嬢さん乾杯!』である。前者はしっかりとした構成で描かれていて、社会背景も歴史も思想も非常によく分かり、奥の深い作品である。高峰三枝子は厳格過ぎる女を、浪花千栄子は人情味のある女を見事に演じていた。社会、文化、歴史、因習などから自由になれない人間達が巧みに描かれていたが、これは過去ばかりではなく現在でも進行中の現象なのである。緊張感があり、つい見てしまう映画である。また、久我美子の顔が、何だかロベスピエールのように見えたのも不思議である。原作は阿部知二の小説『人工庭園』だそうで、見た後に、この文章を書くためにウィキペディアで調べ知って納得した。

 朝食後にこの作品を見たので、別段もDVDは見る心算はなかったのだが、女房殿に夕食後『お嬢さん乾杯!』見ないなら、明日返却しちゃうよ、と言われ90分という長さにも引かれ、見た。これはほのぼのしている作品で、原節子の姿にすっかり魅了されてしまった。見とれてしまう。こういう風に映画を撮られると、女優の印象はそれなりに作られてしまうものなのだろう。白黒映画の滋味が十分に出ている。勿論昭和二十四年(1949年)三月完成となっているのであるが、銀座の服部時計店の建物の回りも殆ど高いビルがなく、のどかである。都電が走り、自動車も少なく、六十年前の日本を見ているのに、まるで別の国のようで、時間の経過による自国文化への異国情緒が高まる。ユーモアのセンスも好い。(バレエやピアノの水準が随分低いが、こういうものの積み重ねがあって初めて、現在の水準になっているのであろう。)新藤兼人が脚本を書いている。流石に見事な出来栄えである。娯楽映画として、二度三度見ても飽きないだろうと思う。 

@M or hohi-maru 2010-11-13.JPGさて、今日は我が家の猫の新顔の紹介。アトム(@M)と言う。額にMの字があるので、最初雌だと思いMちゃんと呼び、その後雄であると知りM太郎とか呼んでいた。M太郎では何だか何かを省略しているようなので、女房殿が@Mアットエムでアトムにしようとつけたのである。

そのアトムの幼名が11月11日木曜日に決まった。体は比較的雄にしては小さいのに、お腹が馬鹿に大きい。どうやらガスが溜まるようで、オナラを頻発するので、私が屁こき丸と呼んだところ、女房殿が放屁丸が好いと言うので、これで決まりである。元服後の字はアトム、幼名放屁丸である。ー和主義者であるゆえ、彼の得物は(におい)(かぜ)である。この臭風は大んな威力を持っているので、耳が千切れた方とか、片目が傷でふさがれていつ方とか、どんなに恐いお兄さん風の野良が来てもー気のー左である。

今でこそ、このへー法を身につけて、天下泰へーを楽しんでいる放屁丸先生も、若かりし頃、このへー法を体得するまでの道程はへー坦ではなかったのである。この臭風と言うものは、なかなか自分の意志で放つことができるものではないのである。江戸時代に、まるで口と同じように自由自在に音程を出して口笛のような演奏をしたり、蝋燭の火をひり消したりすることが出来る男がいて、見世物小屋を賑わしていたようである。この男にしても、生来持った特技とは言うものの、不断の訓練があったればこそ人様の前で臭風の妙技を披露することができたのであろう。放屁丸先生も乳離れをしてからは、一匹猫となり、周りは敵ばかりになった。この生き馬の目を抜く世の中で生き残ってゆくためには、武芸百般に通じていればよいがそうもゆかず、一つの護身術を身につける必要性を痛感したのであった。そして、弘法大師よろしく遊行して苦行を修す。求聞持(くもんぢ)観念明星飛び込部分下腹部黄金一瞬雲散霧消一陣涼風って下半身であった。時、涼風薫風気絶た。覚醒った有効武器を。流血ないへーへー主義者っての、素敵へーであ

それ以来、放屁丸は、このへー器を、世界へー和のために役立てることを誓ったのである。


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JOGMEC独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構のこと [随想]

 職場の仕事でなければ、知ることもなく名前くらいは聞いてもそのままになってしまっていたことは幾つもある。それも人生に於ける出会いなのだと思う。標記のJOGMEC(独立法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)のことも、最近事業仕分けで話題になっていたが、仕事の関係がなければ、新聞記事を見るくらいで無駄の多い組織なのだろう、と考えていただろう。

 たまたまご縁があって、川崎駅近くにあるJOGMECを訪問することがあった。入り口に設置してある小冊子が気になって、担当者の方が出てこられるまで視線はそちらに行っていた。結局、打ち合わせの後、その小冊子やらレビューやらを全て頂戴できることになった。

 その特集記事の見出しを列挙してゆくと、13号「国産のGTLの最前線に迫る」14号「レアメタルの現在」15号「石油開発の技術力向上への支援」16号「都市鉱山~廃棄物の山を資源に変えられるか?」17号「CO2を地中貯留するエネルギーと環境の両立を目指す技術『CCS』」18号「石油・天然ガス開発のフロンティア『東シベリア』を拓く」19号「豊富なレアメタルが眠る資源フロンティア南部アフリカ諸国との関係強化へ」20号「JOGMEC活動レポート 石油・天然ガス探鉱・開発プロジェクト支援とその成果」。それ以外は「石油・天然ガスレビュー2010.5 Vol.44 No.3」、「海の資源・エネルギー」(内容:1.海洋資源の基礎知識、2.海洋資源の探査、3.海洋資源の開発・生産)JOGMEC2010-6-13.JPG

 どれ一つとっても日本の将来の役に立たないものは無いように見える。基礎研究、探査などには一定の資金が必要であり、個人は言うまでもなく、一企業で国家の必要とする情報や技術を開発できるものではない。私は、たまたま職場での業務上で訪れたのではあるが、このような従来の日本が得意としてこなかった分野の職務を担う機構があることを知り、誇りに思い、ご活躍を大いに期待している。

 尚、JOGMECの活動は、出資、技術開発・技術支援、情報収集および提供、地質構造調査、資源備蓄、鉱害防止技術支援・融資事業(JOGMECHPより)となっている。

 *本当のところは、海底熱水鉱床、マンガン団塊、コバルト・リッチ・クラストや三次元物理探査船「資源」などの写真をこの冊子の写真を撮って公開したかったのだが、それは著作権の問題もあるので、やめたほうがよいとの話であった。


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夢の話と永山則夫『無知の涙』 [随想]

201047日 水曜日

 私は珍しく、見た夢を覚えていた。そして、記憶しているうちに絵にした。

2010-4-7 dream.JPGそれは不思議な光景だった。私は山奥にいる。そこは仏師たちの工房のようであった。空中に吊られた作業台の上に、大きな仏の頭が三つか四つ並んでいる。その前には仏師が見えない天井からブランコのように吊られた丸太に腰を掛けて、盛んに仕事をしている。しかし、なぜか音が聞こえない。足元にも丸太があるのだが、これは足で縦に回転させると、仏の頭の乗っている回転台が回る仕組みになっているのだ。丸太がウォームギアで回転台に歯車がついているのだと思う。

彼らの下、つまり作業台のはるか下方には作られた頭がいくつも転がっている。暗がりの中ににんまりとした顔が浮かび上がってくる。「あぁ、そうか。完成すると、回転台の支えを外して下に落とす仕組みになっているんだな。」と私は感心している。

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ところで、永山則夫『無知の涙』を読んだ。最初は文章が拙く、正直読むのが苦痛だっ

たが、後半になり、更にノート910辺りになってすっかり文章が完成されてゆくのが分かり、不思議な感動に打たれた。たった一年の間に、これだけ変化できるのだ、と。訴えたい気持ちも整理して表現できない一人の若者が、見事に難しい言葉や哲学を咀嚼して自家薬籠中の物にしている。マルクス『資本論』、カント『実践理性批判』、ドストエフスキー『罪と罰』、『白痴』などを読みこなし、自分なりにしっかりと解釈している。まともに学校に行っていない人物とは思えない。

 彼の書いた詩を紹介しておきたい。ここで永山氏がこの文字に籠めている感情が強く感じられるのである。取り返しのつかない行為への後悔、自分の生い立ちについての怒り、そんな環境から自分を救ってくれなかった社会への恨み、自分の存在を自ら否定せざるをえなかった社会からの疎外感、絶望感、孤立感、そして恐らくは本心で希求しつづけていたであろう一角の人物になろうという夢、それらの縺れた感情が表現されていると思った。

 

 『春の雪』

このふる雪に足跡を残したい

足跡で雪の上に文字を綴ろう

想い出を書こう

白かった頃の想い出を

 

愛なんて淡いもの 消えるもの

この春の雪のよに

永遠の人よ

私はここに眠りたい

(pp257-258


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尾崎翠作品集『アップルパイの午後』 [随想]

  尾崎翠作品集『アップルパイの午後』を読む

2010130日土曜日

ナカムラさんのブログで尾崎翠と言う女流作家を知り、図書館から借りてきた。借りてきたのは『アップルパイの午後』(薔薇十字社)と河出書房新社の道の手帳『尾崎翠』(モダンガアルの偏愛)である。

『アップルパイの午後』を読み終わって暫くしてから、著者略歴を見る。それで「やはり」或いは「なるほど」と合点が行った。それはこの件である。

・・・大谷小学校、鳥取県立高女を卒業。在学中は成績きわめて優秀で殊に理数系にすぐれていた。・・・・友人松下文子と下落合に借家(後の「第七官界彷徨」の舞台となる)住まいをするが、生活苦しく校正などの仕事をしながら、井伏鱒二、林芙美子、高橋新吉らと親しく交わり創作を続ける。 modern girl.JPG

 『アップルパイの午後』に収められているのは『歩行』、『地下室アントンの一夜』、『第七官界彷徨』、『アップルパイの午後』(戯曲)、『嗜好帳の二、三ページ』、『木犀』の6作品である。最初の4作品が面白く、特に『第七官界彷徨』は最も長く、私が一番気に入った作品である。

 『第七官界彷徨』で惹きつけられた部分はいくつもあるが、敢て一言で言えば、時代の空気である。アトラス社『文学党員』1931年2月号に原稿が初めて出されたようだが、尾崎翠は正にダダ、シュルレアリズム、モガ、モボの時代の人であり、その時代の一つの典型が反映されている。そこに描かれたものが二十世紀の二十年代、三十年代であり、異国情緒的な魅力すらもって訴えるのである。ダダイストだった高橋新吉とも親しく交わったと言う解説を見て、納得した。

 この作品には、病院に勤めている長兄小野一助、肥しを土鍋で煮て悪臭を放ちながらも肥料の研究をし卒業論文の準備をする次兄二助、炊事係りに任命された町子、音程の狂ったピアノで練習しながら音大受験準備をしている従兄弟佐田三五郎の4人が登場する。二十世紀初頭の田舎と東京の差なども、上京してくる時の町子祖母との会話で描かれている。

 感覚的に気に入っている文章は「私はひとつ、人間の第七官にひびくやうな詩を書いてやりませう。そして部厚なノオトが一冊たまったときには、ああ、そのときには、細かい字でいっぱい詩の詰まつたこのノオトを書留小包につくり、誰かいちばん第七官の発達した先生のところに郵便で送らう。」(p2)「・・・玄関をしめに行った三五郎は、私の草履をとつてきて窓から放りだし、つづいて私を窓から放りだした。」(p10)「『ともかくいちばん熱いこやしが、いちばん早く蘚の恋情をそそることを二助は発見したんだ。熱くないこやしと、ぬるいこやしと、つめたいこやしとをもらつてゐるあとの三つの鉢は、まだなかなか恋をする様子がないと二助は言つてゐたよ。町子は二助の論文をよんだことがあるか。・・・』」(p22)「・・・接吻といふももは、こんなに、空気を吸ふほどにあたりまへな気もちしかしないものであらうか。ほんとの接吻といふものはこんなものではなくて、あとでも何か鮮かな、たのしかつたり苦しかつたりする気もちをのこすものではないであらうか。」(p24)(以上河出書房新書)

 『地下室アントンの一夜』(19328月)には次のような文章がある。

 動物学者を殴りに行くことは僕の運動不足の救いになるし、新しい動物心理界の開拓にもあたいするであろう。(p44 これはおお、何ということだ。土田九作は、余の学説をことごとく拒否している。何という世紀末だこれは。実物のおたまじゃくしを見ていては、おたまじゃくしの詩が書けないと書いている。観念の虫め。女の子に恋をしてしまって、恋をしたから接吻ができないと書いている。何という植物だ。余を殴りに来ると書いている。・・・余はこれから引き返して行って、妄想詩人をいやというほど殴りつけてやる。(p51)(以上引用は 薔薇十字社『アップルパイの午後』)

 ここで出てくる「殴る」と言う表現に、私は稲垣足穂(19001977)の『一千一秒物語』(1923)の影響を感じた。当時、最先端を行こうとしていた芸術家達は、ダダやシュルレアリスムから自由であることはできなかったのだろうと。

 いずれにせよ、私の好きな時代であり、強く惹かれる空気である。


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The Heidi Syndrome ハイジシンドローム [随想]

backdrop for Heidi.JPG 左の絵は、劇団木馬座の新作『アルプスの少女ハイジ』を作る時に登場した、長嶋武彦社長のお嬢さん(チェリーさん)の描いたバックドロップに刺激されて、私も自分なりに描いてみようと思い当時下書きをしたものに、本日2009年7月18日土曜日夕方、手を加えたものである。チェリーさんの原画は色も明るく、楽しい背景になっていたが、構図や図柄は思い出せない。この絵とは全く異なる。(私は太陽やら月、風、海などが図柄として大好きなので、意味もなく使う。)
 さて、今日の主題は"The Heidi Syndrome"である。3週間ほど前だったろうか、通勤途中の電車の中でふとひらめいたのである。自分は、ハイジシンドロームが出ているのではないか、と。そしてこれは新しい症候群としてブログに書いておかねばなるまい、と。
 念のために、私と同様の考えを持った人間がいるかどうか、ウェブで検索してみた。すると、Yahooでは「猫神様の屋代」と言うHNで書いている人がいた。早速、引用してみると「噂によるとハイジは町へ行くと病気になるのである。小生も田舎の空気でないと生きられないに違いない。この病気『後天性都会刺激過多免疫不全症』略してハイジシンドロームと名づけようと思う。(2007年5月2日水曜日ーブログ題名:90月ですねぇ)」あぁ、既に同じようなことを考える人物がいたのである。彼は大学院生のようである。
 こんな記事もあった。ひぐまのひるねと言うブログ名である。「2002年5月30日木曜日 あるあるスパスパ ・・・・もう一つ『ハイジシンドローム』ってのもあるんだってさ~。きゃあ~♪」
 Googleで英語でも調べてみる。New Jersey在住のEleanore Whitakerと言うアメリカ人女性がNovember's Childと言うブログ名で、2004年10月14日木曜日に"The Heidi Syndrome"と言う記事を書いている。
 既に記事があるにも拘らず、私は敢えてハイジシンドロームについて書いて置きたい。なぜなら、ブログに書かれていた内容は、必ずしも明確な定義があるようには思われなかったからである。そこで、私の、自分なりのハイジシンドロームを定義してみることにする。通勤途中に電車の中で考えていたのは次のような症状である。
 人ごみを見ると落ち込む、気が滅入る。アスファルトやコンクリートや石畳を見ると呼吸が困難になるような気がする。ビルだらけの空間にいると圧迫感を感じる。都会の高層ビルから外見下ろしていて、自分が墓石に取り囲まれている、或いは墓石が自分に迫ってくると錯覚することがある。視界を遮るものがあると苛々する。電車の中で他者が触れると、気分が悪くなる。満員電車を見ると逃げ出したくなる。バーゲン会場で押し寄せる人の波を見ると、津波が押し寄せてくるような錯覚に襲われる。鳩に石を投げつける人間をみると腹が立つ。
 生垣を見ると深呼吸をしたくなる。街路樹や石垣に苔が生えているのをみると心が安らぐ。鳩に食べ残しをやっている路上生活者を見ると和む。高所を好む。ビルが見えない場所にいると心が落ち着く。自動車や人間の声の聞えない場所を探す。突然、人ごみから走り出したくなる。
 上記は、私が日々感じていることである。これらの症状に名前をつけるとしたらハイジ症候群しか無いであろうと思ったのである。ハイジ症候群は、自身の中に於ける、自然派的な要素が強い人びとに見られる。自然に憧れる、惹かれると言う傾向、反対に自然に対して人間の手を加えたものにより惹かれる傾向、この二つのうちどちらが強いかである。
 そして、このハイジ症候群は、絵画や文章、詩、音楽、政治、経済など、自分に関わりのある全ての物に当てはめて見ることができるだろうと考えている。
 
 先日、SILENTさんが紹介された坂村真民の随筆集『念ずれば花ひらく』と『愛の道しるべ』を図書館から借りてきた。その中の一つの詩を紹介しておきたい。(サンマーク出版『念ずれば花ひらく』p112-113)

 足の裏の美
 
尊いのは足の裏である。
 尊いのは
 頭でなく
 手でなく
 足の裏である
 
 一生人に知られず
 一生きたない処と接し
 黙々として
 その務めを果たしてゆく
 その足が教えるもの
 しんみんよ
 足の裏的な仕事をし
 足の裏的な人間になれ
 


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禅林句集-岩波文庫 [随想]

 今日はやっと図書館へ行って『世界銀行は地球を救えるか』(朝日選書)を返してきた。この本は、5月22日にdukeさんが書評を書いていたので借りて来て読み始めた。グローバリズムについても考えることの出来る本で、エリート集団の無能さについて非常に考えさせられる内容だった。恐らく世界銀行のエリート達は、貧しい生活のなんたるか、痩せた土地、資源がないと言うことが体験的に分かっていない為に、机上の空論をどんどん押し進めてしまうのだ。それでも、その中には異端とされていながらも真摯に問題に取り組んでいる学者もいる。それはHerman E Dalyである。彼が行った"Farewell Lecture to the World Bank"(14 Jan, 1994)が要約されていたので、備忘録として書いておく。
 (1)自然資本(=希少資源)の消費を所得と看做すのはやめよう
 (2)労働と所得には減税し、課税源泉(=汚染・廃棄物・資源の消耗等)を拡大させよう
 (3)短期的には自然資源の生産性を極大化し、長期的には供給拡大のための投資を増やそう
 (4)自由貿易と輸出主導成長による世界経済への統合というイデオロギーと訣別し、明らかに効率的である時のみ国際貿易に依存するとし、国内市場向けの国民的生産を第一の優先順位として発展させることを追求する国民志向型に転換しよう(p259)
 他にもいくつも興味深いところがあったが、もう一つメモを取ったのが<人類が環境に与えるストレスの方程式>である。これは次の通り。
 影響=人口×消費×技術
 
 この公式はすぐにでもつかえそうである。私は理系でもないのだが、このような方程式をみるをつい使ってみたくなってしまう。作りたくなってしまう。他にもいろいろな現象が方程式で表すことが出来そうである。
 ちなみにHerman E. Daly教授の見解はUniversity of Marylandのホームページにいくつも掲載されている。私も幾つか印刷してみているが、大いに示唆に富んでいると思う。
 河童小僧.JPG今日は、一冊の本を買ってきた。予定では湯浅誠「反貧困」(岩波新書)を買うことになっていたのだが、書店に置いていなかったので、他の本で買いたいと思うものがあるかどうか見てみた。目に飛び込んできたのが岩波文庫の『禅林句集』である。禅宗には一時期興味をもったが、最近は近付かないようにしている。禅宗には自己愛しかなく、他者への愛がないように感じられるからである。自分の考え方と異なると感じるからである。しかし、自分の思考力を少しでも鍛えるために、この本を手に取ってみる。面白そうである。序にはこのように書いてある。「「不立文字」を標榜する禅に、典籍が最も多いのは奇妙である。/他の宗門では、その宗祖の言行が教綱であり、そこに教理が立てられ、教化が行われる。まるで一本の傘下に帰するが如きである。/一方、禅門では・・・接化の方便たるや、仏典・祖録は言うまでもなく、『四書五経』を始め、中国のあらゆる文辞を用い、さらに方言・俚語をも駆使し、実に奔放なものである。まさに、千人の祖師あらば千本の傘の観をなした。そこに禅の本領がある。/・・・現代語訳と訳註もと求めらたが、先師のお叱りもいまだ耳底にあり、割愛した。pp3-4」
 一例を挙げれば、相識相不識 共語不知名(相おうて相しらず、共に語って名を知らず)、草作青青色 春風任短長(草は青々たつ色をなし、春風短長に任す)これらの禅で使われた言葉は、何の解説もなくただ並べられている。いかに解釈するかは、読み手にすべて依存しているのである。このいい加減さが実に面白い。
 6月25日の木曜日には別の目的で河童の絵を描いていたのだが、今後は禅画のようなものを描いて『禅林句集』から画賛を書くのも一興かもしれないと思った。 


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グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』 [随想]

 グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』を初めて母にして読んでもらったのは、多分四歳か五歳の頃だったのではないかと思う。私の童話好きは、母の影響が強いようである。その後母は、高橋健二訳岩波書店のグリム童話を買った。その挿絵は茂田井武で、その絵の魅力と物語の魅力の両方で、すっかり私は夢見る人間になってしまった。SSCN0265.JPG(ここに掲載している写真はReclam版のBrüder Grimm Kinder-und Hausmärchenの挿絵。p59)
 
さて、『ヘンゼルとグレーテル』であるが、金曜日通勤途中私はふと思った。これは、姥捨て物語なのだと、リストラの物語なのだと。私を引きつけて止まないこの童話の魅力はどこにあるのだろうかと、考えてみると、単純な物語ではない奥深さにその理由があるようである。頼りにしている両親の裏切り行為。食べるものが無いという理由で、子供達を捨てる、と言う決意をしてしまう。それに対して、子供達も、できる限りの抵抗をする。両親の裏切りの計画を知った時、ヘンゼルは両親が寝静まってから、外へ行き小石を拾ってくる。そして、森の奥へ誘い込まれても、要所要所に小石を置いて、目印にしておく。一度目はこの方法で、何とか家に戻ることが出来る。しかし、二回目は扉には鍵が掛かっており外に出られず、目印にはパンを千切って置いておくが、森の小鳥達が啄ばんでしまう。(グリム兄弟がおばあさんたちから聴き取ったこういう物語の進め方は、いかにも女性らしく自然である。)
 この童話では、継母が悪者になっている。優しい母親が亡くなって、気の強い後妻が来ると、環境が激変する。危機に際しては、彼女が率先して子供を捨てることを提案する。弱気の父親は、彼女の発言に押され、言う事を聞いてしまう。言うまでもなく、このようなことは社会で頻繁に見られる出来事である。経済が悪化し会社の経営が上手く行かなくなった時、経営陣はリストラを考える。力の弱いものに先ず手をつけるのが基本だ。組合に加入したりしていて、抵抗する人間は次の候補になる。最初に子供や老婆、老人のように力のないものを対象にするのだ。弱肉強食とは呼ばず、能力主義と呼ぶのである。そしてこのようなことは、姥捨て、間引きと言う慣習として行われてきた。ネイティブアメリカンたちにも同様の風習があり、一定の年齢に達した老人は、村から出て一人で暮らし、やがて死んでゆくのである。
 私にとって、人間が人間らしいと思える瞬間は、こういう生物的な、本能的な行動を乗り越えた時である。
 ところで、信頼している相手から裏切られたら人間はどのようになるのだろう。私はこの問題を考えていて、『ヨブ記』を思い出した。神を恐れ、悪に遠ざかっているヨブ、幸福の絶頂にあるかに思われたヨブに不幸が突然訪れる。敵が来襲して若者を殺し、驢馬たちを奪われる。神の火が天から下って、羊とやわ者達を焼き滅ぼす、など。しかし、ヨブは信仰を捨てない。次の不幸が彼自身に訪れる。ヨブの足の裏から頭の天辺まで悪い腫れ物が出来る。陶器のかけらを取って体をかきむしり、灰の上に坐っていた。三人の友人がヨブを訪問したが、あまりの変わりように、嘆き悲しむのみで、七日七夜一緒に居たが、一言も話しかけるものがいなかった。そして、ヨブは己の日を呪い始める。
 そして、もう一つは新約聖書のイエスの言葉である。"Eli, Eli, lama sabachthani?"(Matthew 27-46)"Eloi, Eloi, lama sabachthani?"(Mark 15-34)(わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。)(日本国際ギデオン協会)
 人間が生きていられるのは、何か分からない絶対者に対して
、或いは自身が全能と信ずる対象に対する、漠然とした、或いは明確な信頼感があるからであろう。それがなくなった時、大地が泥濘と化し、足場がなくなり、拠るべがなくなり、生きている価値が見出せなくなってしまう。自己を確立するための努力をすることができなくなる。
 『ヘンゼルとグレーテル』では、信頼している対象からの裏切りと言う問題は語られることがない。お菓子の家が出てきて、継母以上に恐ろしい魔女が登場して、二人を食べてしまおうとする。こののっぴきならない状況の中で、子供達は何と魔女を竈の中に押し込んで焼き殺す、と言う非常手段を取ることになる。危機を脱した二人は、白いアヒルに乗って、父のいる家にたどり着く。そして、めでたしめでたしとなる。意地悪な継母は死んでしまっている。童話ゆえに根本的な問題は解決されないままなのである。次の飢饉が訪れた時、この父親はどのように困難を乗り切るのであろう。世界のあちこちで飢餓があり、『ヘンゼルとグレーテル』の問題が進行中である。
 子供時代、空腹な時を送ることの多かった私は、この童話がどうしても気になるのである。そして、後日談をふと考えてみたい。
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 すっかり大人になったヘンゼルとグレーテルが、祭の日、村まで父親と出かけ、酒場で葡萄酒をしたたかに飲んで酔っ払って父親を問い詰める。
「お父さん。あの時、僕達を森に置き去りにしたけど、もし、僕達が戻ってこなかったら、どうしてたの?」
「あぁ、あのことだけは触れないでくれ、ヘンゼル。今更、もういいじゃないか!・・・私が悪かった。子供を捨てるなんて!つい、かぁさんの言いなりになって・・」
「お父さんは、すぐにかあさんがって言うけど。自分の行動に責任をもってくれなくっちゃこまりますよ。僕達は、死んでいたのですよ、下手をしていれば。下手をしなくたって。よく生き延びたと思いますよ。なんせ、森には狼だっているし、熊だっているのだから。それに、魔法使いの婆さんがいて、僕達を捕まえて、食べようとしていたんだ。グレーテルが勇気を出して、魔法使いを殺していなければ、二人とも食べられていたのですよ。僕たちは危機を乗り切って生き延びてきたのです。それは父さんと母さんが考えていなかった結果だった訳です。あなた達お二人は、僕達が死ぬことを前提にして、森に連れて行った訳でしょう?そうすれば子供の分の食事で少しは食いつなぐことができるから。そうでしょう?その行動を、そういう卑劣な行動を、お母さんだけのせいにするのはどうでしょう?父さんにも責任はあると思います。あの日、家に戻ってから、僕たちのぶんもパンを食べたのでしょう?」
「うぅ・・・あぁ、そんなことを言って苦しめないでおくれ。私だって、苦しかったんだ。本当は、皆で飢え死にしてしまえばいいと思っていたのだ、私だって。」
「あぁ、おとうさん、後から、口ではなんとでも言えるのですよ。自分には罪はなかったのだと。人を殺しておいて、本当は殺したくなかったのだと。でも、殺してしまったと言う事実は変えることはできないのです。殺した罪は、償わなければならないのですよ。他者の命令でやったことなら許されると言うことになると、その命令が正しいものであるかどうか、と言う自分自身の判断が入っていません。他者の判断をそのまま受け入れる人間は、人間らしい人間と言えるのでしょうか?正しくないと判断できれば、拒絶するのが人間的な生き方なのではないでしょうか?」と、ヘンゼルは父親の顔を、上目遣いで睨みながら、軽蔑したような顔つきで言う。
ここで父親は髪の毛を掻き毟りながら、ジョッキの麦酒をぐいっと呷ってから、居直って吐き出すように言う。「じゃぁ、おまえならどうしていたのだ?答えてくれ。」
「僕ならば、まずこのような状況にならないように、前もって、計画的に行動するでしょう。でも、もし、とうさんと同じ状況にあったなら、僕は一緒に餓死することを選ぶでしょう。それは確かに綺麗ごとに聞えるでしょうね。今現在、空腹ではない状況で、仮定で話していることですから。・・・でも、その前に、この家にじっとしているのではなく、食べられそうな場所に、一家で旅に出たでしょう。場合によっては乞食をしながら。この森で生活することが難しいのだったら、別の場所に移動するでしょう。」
「なるほど、そういう手もあったか。しかし、当時は、食べ物がなくなったら子供を捨てに行くのも、村の習慣だったからなぁ。」と父親。
「とうとう、本音を言ったわね。酷い話。皆がやっていることなら、悪いことでも正しいことなのね!選択肢のない子供達を犠牲にするのは、正しいやり方なのかしら。弱いものを犠牲にして、強いものが生き残ってゆく、と言う考え方は正しいのかしら?」とグレーテル。
「いや、とんでもない。強きを挫き、弱きを助ける、それが騎士道でもあり、人間の生きるべき道だと私は思う。」と父親。
「矛盾した人ですね!父さんは。全く一貫性がない。」
「そうよ。父さん。私達が、愛する保護者から見捨てられて絶望して、ならず者にならなかったのは幸いなことだと思っていただかなけりゃいけないわ。」とグレーテルもヘンゼルに加勢する。父親は自分の頭を何度も固い酒場のテーブルに打ち付ける。額には血がにじむ。

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とうことで、大人のヘンゼルとグレーテル対父親の議論は果てしなく続くのであります。この問題は、改めて話題にしてみたいと考えています。
 
 

 


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ラムネ☆天色堂 企画・製作Vo.5『屑星』を観に行く [随想]

 日曜日には、中野駅南口から5分ほどのところにある中野劇場MOMOへ、『屑星』を観に行く。
 よりによって今日は今年一番の暑さだった。だから、熱中症になっても面白くないので、帽子と扇子を持って出かける。

 劇は午後二時開演だったのだが、私は一時四十分頃到着した。職場のSさんが来てくれていたので、彼女の側へ行く。彼女の友人であるという男性がその前に坐って、新聞を広げている。一風変わった人だ。私のすぐ後ろからK氏が入ってきて私の隣に坐る。Sさんは私たちに彼女の友人を紹介してくれたのだったが、その男性は極端に寡黙だった。結局何を仕事にしているのか、Sさんが小声で教えてくれた。数学の先生だと言うことだったが、そんなに小声で言うほどの秘密でもないと思うのだが。

 さて、物語を芝居の案内に従って紹介してみる。場所は、都内の小さなライブハウスの楽屋。29歳の女子4名で編成されたバンドのライブが行われる予定。結成10周年記念の初ワンマンライブがもうじき始まるのだが、ボーカルの百合が姿を見せない。バンドのメンバーたちはやきもきする。この百合の不在を軸にして、登場人物たちが、バンドについての思い、自分達の過去・未来についての考えを語る。
 一人の不在の人物を話題に物語が展開するのは『ゴドーを待ちながら』を始め、幾つもの作品が書かれている。寺山修司の『奴婢訓』や『青髭公の城』がある。また、私の観た作品では中島淳彦の『キリキリマイガール』(劇団ハートランド)など。他にも沢山あるのだろうとは思う。不在の人物を登場人物が語ることによって、不在の人物像を描きつつ、登場人物たちも自ずと自画像を描いていることになる。私の好きな手法の一つである。
 今回観た作品は、不在者である百合を描くのではなく、登場人物たちが百合と言う不在者を介在させて描く彼らの自画像に重心があった。特によく描けていたと感じたのは、バンドメンバーの一人ピーチが他のメンバーに向けて語る台詞である。最近の若者は、自分の意見を強く主張して他者に嫌われることを恐れ、曖昧な言葉遣いをする傾向があるようだ。自分が当事者ではなく、第三者的な立場にあるかのように振舞うのだ。或いは、自分の行動は他者によって規定されいるだけで、別段そこには自分の意志が働いていないかのような、面倒は出来る限り回避しておこうと言う姿勢である。しかしながら、「通り抜け無用で通り抜けが知れ」と言う川柳よろしく、否定によってその存在が明らかになる。ピーチと呼ばれる女性は「私はYOSHIKIが私の音楽を変奏したのは悪いとは思わないよ、でも・・・」と自分の本懐を表現せずにはいられない。バンドのリーダーであるYOSHIKIは何でも自分の思ったとおり押し通そうとする人間である。彼女の独裁的なやり方に対して、ピーチは「・・・怒ってなんかいないよ、でも」「・・・なんかじゃないよ。でも・・・」と「でも」を連発する。これは上手に若者の気持ちを巧みに描いていると感心した。
 結局、ライブが始まる時に、百合は間に合わず、駅から走ってライブハウスに向かって来る。それを映像で再現して見せた。この演出については、k氏が言ったのだが、舞台を走らせてもよかったのかも知れない。或いは、客席から登場するのでもよかったかもしれない。尤もそうする為には、劇場が今の倍位の広さが必要ではあるが。

 ラムネ☆天色堂の作品では、Vol.3『チュチュ!』を観たが、こちらの方が今回の作品よりまとまりもあり好かったと思う。

花見 [随想]

 先週の日曜日3月30日は雨の中、妻と夕暮れの中、花見に出かけた。予想していたよりも雨脚も強かったので、殆ど人のいない川沿いを傘を差して歩いた。新百合ヶ丘で旭川ラーメンを食べた。味がこってりしていて、美味しかった。
 今、You-tubeでAnne Akiko Meyersが弾くメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を聴きながら書いている。簡単に雰囲気を味わえるのがいいが、簡便すぎるのが問題でもある。
 
 今日は、午後3時頃、私一人で花見に行った。先週は満開だったが、夜桜でその美しさが楽しめなかったからだ。今週は気温が低く、桜の花もまだ付いていると期待したのだった。が、実際には、先週と同じ道を辿ってゆくと、麻生川の川面にも、地面にも桜の花弁が無数に散っており、どこもかしこも桜色に染まっている。恐らく三割位は散ってしまったのではないだろうか。それゆえと言った方がいいかもしれないが、花見客も少ない。川沿いの日当たりの良い場所に、若者達、家族、或いは老人たち、或いは恋人たち、美大の学生仲間などがビニールシートを敷いて、少し肌寒い春の日の散り行く桜の下で食べたり、飲んだり、喋ったりしている。私のように、只歩いている人も見かける。川の向こう側の道路沿いには数件屋台も出ている。その美味しそうな匂いもこちら側には漂ってこず、炒めたりする音も聞えない。子供を連れた父親がいた。彼の子供たちは、ビニール袋一杯、はち切れるほど桜の花弁を詰めていた。確かに、桜の花弁の絨毯は余りに贅沢で、そのまま無くなってしまうのが惜しいと考えたのだろう。子供があの美しさに感動し、ビニール袋に集める気持ちがよく分かる。この桜並木の横をロマンスカーがゆっくりと通過してゆく。運転手の配慮だろうか。だとすれば粋な計らいである。
 そのまま歩いて、新百合ヶ丘に向かった。もうじき桜の並木の終わるところで、使い捨てカメラを持った老人から声を掛けられた。「シャッター押してもらえますか。」勿論快諾。「これを押せばいいんですね。」と一応訊いているのに、彼はさっさと自分の仲間のところへ戻り、人生経験豊かな仲間たちをまとめている。白髪頭の一群がこちらを向いてにこにこしている。「ぼく達平成生まれで~す。」などと言ってふざけている。写真を撮るときに少しは気の効いたことを言おうと思ったが、それも出ず、「せーの。はい。」などと言って、シャッターを押してしまう。「一足す一は二~」と言うところを、何故か「一足す二は三~」しか思い出せず、これでは馬鹿口を開けてしまうぞ、変だなと思っていた。一足す二は、と言わなくて正解だった。このほろ酔い加減の老人達の仲良し集団のためにシャッターを二回押した。私が写真機を戻して、歩き始めると、婦人の誰かが「あら、知り合いじゃぁなかったの?」と尋ねている。「あぁ、知り合いじゃぁないよ。」足早に先を急ぐ私の後方から「有難うございます。」と言う声が聞える。私も振り返ってお辞儀をする。
 今日の花見は静かだった。20年以上も前に、千鳥ヶ淵だったか、会社で花見に行った時に経験した喧騒も、賑わいもなかった。また、10年ほど前に、この同じ麻生川の花見に自転車で来た時に感じた「花見らしさ」も全くなかった。

 世の中にたえて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし

 散ってしまうのが悲しい、しかし、満開の桜のあの溢れる美しさは見ないではいられない。私は桜と言う花が大好きである。
あぁ、明日は平尾団地にある桜のトンネル潜りに行こう。もう、殆ど散ってしまっているかもしれないが。 



ベニヤ板の強度 [随想]

 今日は、昨日に引き続いてベニヤ板を30センチ以下に解体した。このようにしないと、粗大ごみ扱いになるためだ。解体しているのは25年以上も前に作られたのエレクトーンと、拾ってきたステレオセット、これも25年以上前に作られたもの、である。前者は中古品を、ピアノの調律師が「エレクトーンが中古であるんですが、只で引き取りませんか?」と言うので、頂いたのである。得をしたような気になって喜んでいたが、暫くして使えなくなってしまった。電気回路のどこかが故障してしまったのである。蓋を開けてみたら、電気系統の部品は埃だらけで、とても修理して使おうとは思えなかった。音の出ないエレクトーンは、鍵盤を外し、粗大ごみとして出して、外枠はYAMAHAのシンセサイザーV50を置いて使うことにした。鍵盤楽器の台としてはうってつけの高さ、大きさだった。しかし、シンセサイザーも2000年頃にXG WORKSとMU2000を購入してからは全く使わなくなってしまった。無用の長物になってしまった。
 件のステレオセットは、姉が勿体無いからと言って拾ってきたものを、「取っておけばいいよ。」と言って、我が家へ持って来た。あの時いらないと言っておけば、今回処分する手間は省けたのであったが。後悔先に立たずで、家の空間に余裕がある時は、後でどれほど邪魔になるかなど、想像だにできないのだ。現在は、書物以外は、基本的に貰わないことにしている。
 さて、そのエレクトーンの外枠とステレオセットの解体であるが、これは存外日数のかかる作業になってしまった。解体する空間も、ベランダしかないし、舞台用のなぐり(金槌)と小鍛冶(こかじ、と呼んでいたが、こう表記するのではないか)、それと家を建てる時に購入した掛矢(かけや)しかない。ゆっくりと、自分が逆襲にあって解体されないように注意しながら、分解してゆく。開始して、既に1ヶ月半は過ぎている。
 今日もベニヤ板を小さく分解していた。そしてふと気付いたのは、ベニヤ板の強度の差である。通常コンパネと呼ばれる10ミリメートル以上の板は、小鍛冶となぐりで比較的簡単に剥離させることができる。このエレクトーンの外枠も厚手のラワン材も使用しつつ、その外には厚手のベニヤ板を使用している。それを掛矢で叩いて外す。そして、厚いベニヤ板に小鍛冶の切っ先(これは鑿のように楔状になっている)を立て、反対側をなぐりで叩き、隙間を作る。一部が剥離したラワン材の薄板は、面白いように剥がれてゆく。雨水がトタン屋根を伝わるくらいの勢いである。
 ところが、ステレオセットのベニヤ板は8ミリメートル位の厚さしかないのに、なんと強固に接着されていることだろう。ラワンの薄板が、ボンドでしっかりと固定されていて、まるであたかも縦横交互に張り合わされた薄板が、天然の素材であるかのような強さである。こんな強度のあるベニヤ板にはお目に掛かったことがない。普通はこの程度の厚さのものであれば、すぐに折れるものである。しかし、この板は違った。私の全体重(多分60キロ位)を掛けてみるが、曲がるだけで折れない。この板を分解するのに、結局5分位かかってしまった。ほんの50センチ×70センチほどの板であるが。
 このベニヤ板を見て思った。以前の日本人は、好い仕事をしていたのだなぁ、と。職場では、安い文房具を購入している。注文するとすぐにくるのが特色だ。腹が立って仕方がないのが、ホッチキスの針とセロファンテープである。安いホッチキスの針は角度が悪いとすぐに針が曲がる、折れる。また、セロファンテープは、使おうと引っ張ると斜めに裂ける。このような不良品は今まで見たことがない。折れるホッチキスの針は裂けて使い物にならないテープ?!一体、企業はどこでこのような不良品を大量生産させて値段を落としているのだろう。情けなくなる。安ければ多少品質に難点があっても良いと言う発想になっているのだろうか。
 
 人間は、いつ、どこで、どのような仕事をしていても、誇りとこだわりは亡くしてはならない。