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尾崎翠作品集『アップルパイの午後』 [随想]

  尾崎翠作品集『アップルパイの午後』を読む

2010130日土曜日

ナカムラさんのブログで尾崎翠と言う女流作家を知り、図書館から借りてきた。借りてきたのは『アップルパイの午後』(薔薇十字社)と河出書房新社の道の手帳『尾崎翠』(モダンガアルの偏愛)である。

『アップルパイの午後』を読み終わって暫くしてから、著者略歴を見る。それで「やはり」或いは「なるほど」と合点が行った。それはこの件である。

・・・大谷小学校、鳥取県立高女を卒業。在学中は成績きわめて優秀で殊に理数系にすぐれていた。・・・・友人松下文子と下落合に借家(後の「第七官界彷徨」の舞台となる)住まいをするが、生活苦しく校正などの仕事をしながら、井伏鱒二、林芙美子、高橋新吉らと親しく交わり創作を続ける。 modern girl.JPG

 『アップルパイの午後』に収められているのは『歩行』、『地下室アントンの一夜』、『第七官界彷徨』、『アップルパイの午後』(戯曲)、『嗜好帳の二、三ページ』、『木犀』の6作品である。最初の4作品が面白く、特に『第七官界彷徨』は最も長く、私が一番気に入った作品である。

 『第七官界彷徨』で惹きつけられた部分はいくつもあるが、敢て一言で言えば、時代の空気である。アトラス社『文学党員』1931年2月号に原稿が初めて出されたようだが、尾崎翠は正にダダ、シュルレアリズム、モガ、モボの時代の人であり、その時代の一つの典型が反映されている。そこに描かれたものが二十世紀の二十年代、三十年代であり、異国情緒的な魅力すらもって訴えるのである。ダダイストだった高橋新吉とも親しく交わったと言う解説を見て、納得した。

 この作品には、病院に勤めている長兄小野一助、肥しを土鍋で煮て悪臭を放ちながらも肥料の研究をし卒業論文の準備をする次兄二助、炊事係りに任命された町子、音程の狂ったピアノで練習しながら音大受験準備をしている従兄弟佐田三五郎の4人が登場する。二十世紀初頭の田舎と東京の差なども、上京してくる時の町子祖母との会話で描かれている。

 感覚的に気に入っている文章は「私はひとつ、人間の第七官にひびくやうな詩を書いてやりませう。そして部厚なノオトが一冊たまったときには、ああ、そのときには、細かい字でいっぱい詩の詰まつたこのノオトを書留小包につくり、誰かいちばん第七官の発達した先生のところに郵便で送らう。」(p2)「・・・玄関をしめに行った三五郎は、私の草履をとつてきて窓から放りだし、つづいて私を窓から放りだした。」(p10)「『ともかくいちばん熱いこやしが、いちばん早く蘚の恋情をそそることを二助は発見したんだ。熱くないこやしと、ぬるいこやしと、つめたいこやしとをもらつてゐるあとの三つの鉢は、まだなかなか恋をする様子がないと二助は言つてゐたよ。町子は二助の論文をよんだことがあるか。・・・』」(p22)「・・・接吻といふももは、こんなに、空気を吸ふほどにあたりまへな気もちしかしないものであらうか。ほんとの接吻といふものはこんなものではなくて、あとでも何か鮮かな、たのしかつたり苦しかつたりする気もちをのこすものではないであらうか。」(p24)(以上河出書房新書)

 『地下室アントンの一夜』(19328月)には次のような文章がある。

 動物学者を殴りに行くことは僕の運動不足の救いになるし、新しい動物心理界の開拓にもあたいするであろう。(p44 これはおお、何ということだ。土田九作は、余の学説をことごとく拒否している。何という世紀末だこれは。実物のおたまじゃくしを見ていては、おたまじゃくしの詩が書けないと書いている。観念の虫め。女の子に恋をしてしまって、恋をしたから接吻ができないと書いている。何という植物だ。余を殴りに来ると書いている。・・・余はこれから引き返して行って、妄想詩人をいやというほど殴りつけてやる。(p51)(以上引用は 薔薇十字社『アップルパイの午後』)

 ここで出てくる「殴る」と言う表現に、私は稲垣足穂(19001977)の『一千一秒物語』(1923)の影響を感じた。当時、最先端を行こうとしていた芸術家達は、ダダやシュルレアリスムから自由であることはできなかったのだろうと。

 いずれにせよ、私の好きな時代であり、強く惹かれる空気である。


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コメント 10

sig

こんばんは。
このモガの肖像画、いい雰囲気ですね。
彼女の性格まで(それは知りませんが)表されているようです。
by sig (2010-01-31 01:15) 

mimimomo

おはようございます^^
文体や文章がいかにも明治・大正を彷彿とさせますね。
勿論生きていたわけではありませんが、懐かしさを感じます。
by mimimomo (2010-01-31 09:04) 

雉虎堂

私もナカムラさんのブログで
尾崎翠さんを知り、今図書館で
ちくま文庫の尾崎翠集成(上)を
借りて読み始めたところです(^^ゞ
by 雉虎堂 (2010-01-31 09:44) 

SILENT

尾崎翠さんゆかりの地
鳥取県の岩美を訪ねたのは数年前です。
故郷の山並みを「骨の様な」と形容した作品が印象に残ってます。
by SILENT (2010-01-31 19:31) 

doudesyo

今晩は。
認識間違いをおそれず書きますが、当時の前衛的な芸術家たちがそのイデオロギーというか潮流に巻き込まれていることに対して、純粋な自由を求めていたのかどうか、ダダイズムでさえ参加者たちはどうなんだろうとあらためて気付かされた感じがします。単純ではないでしょうけど、そんな当時の空気がとても新鮮に思います。
by doudesyo (2010-01-31 22:10) 

ナカムラ

尾崎翠を初めて読んだのは30年以上前、大学1年生のときでした。様々な捉え方があると思いますが、私には感覚や文体が古く感じられず、現代の作家だと思ったのでした。ちょっととがった少女漫画の世界にも共通するものを感じました。もちろん、表現者である以上は、当時の世界的なモダニズムやアヴァンギャルドな表現に自由にいられるはずもありませんが、そこからは離れて存在しようとしたのも事実であろうと考えます。そして、リアリティーを感じさせるために臭覚を文学に導入もしています。彼女は宮沢賢治と同じ年生まれです。
by ナカムラ (2010-02-01 00:49) 

duke

この時代にしてこのタイトル、大変にモダンだったに違いありません。
読んでみたいです。
by duke (2010-02-02 18:26) 

SAKANAKANE

尾崎翠も、その時代の文学についても、ほとんど何も知りませんが、「理数系にすぐれていた」人の作品は面白そうですね。
by SAKANAKANE (2010-02-06 14:41) 

アヨアン・イゴカー

ひろきん様、sig様、flutist様、takemovies様、kurakichi様、さとふみ様、yakko様、mitu様、mouse1948様、mimimomo様、Krause様、雉虎堂様、むねきち様、ムク様、青い鳥様、アヤメセブン様、スー様、てんとうむし様、be-sun様、よっちゃん様、アリスとテレス様、えれあ様、SILENT様、doudesyo様、チョコシナモン様、Chinchiko-papa様、ナカムラ様、yoku様、toraneko-tora様、kakasisannpo様、旅爺さん様、kaoru様、もめてる様、rebecca様、pace様、yann様、野うさぎ様、くらま様、+k様、Mineosaurus様、ムーミン様、兎座様、duke様、sak様、いっぷく様、めりっさ様、olive様、しまどっち様、shin様、lamer様、choro様、genpati様、ハギマシコ様、SAKANAKANE様、ほりけん様、サチ様
皆様 nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2010-02-07 12:38) 

アヨアン・イゴカー

sig様
この絵、実は尾崎翠のぼやけた写真を見ながら描きました。写真のせいか、私の目がよくないのか、彼女の目が正面を向いているのか俯いているのかがよく分かりませんでした。最初、俯いているのだと思って描いていたのですが、どうも正面を見ているように見えたので、必殺ホワイトを使って訂正してしまいました。そのため、目の部分のみ光沢が出てしまいちょっと違和感があるかもしれません。

mimimomo様
二十世紀初頭には、独特の味がありますね。私もナカムラさんやChinchiko-Papaさんに刺激されてもっと、よく知らなければと思っています。

雉虎堂様
筑摩書房の「ちくま日本文学」の4冊目に尾崎翠がありますね。手元に置いておく為に、そのうち買ってみようと思います。

SILENT様
「骨の様な」と表現しているのですか。
その人の使う形容詞は、その人の考え方、感性そのものの反映だと思います。「背骨のような」と言う意味でしょうか。

doudesyo様
芸術家には大きく二つに分かれると思います。最先端の芸術に対して敏感である革新的、革命的な人々、新しいものに対して否定的で、価値の定まっているものを守り、発展させようとする保守的な人々。
尾崎翠は前者に属していたのだと思います。doudesyoさんの仰るように、純粋な自由を求めていたかと言うと、疑問符が付きます。純粋な自由を求める為には、かなり確立した自己主張がなければなりません。確立した自己と呼べるものを持つのは、40代、50代になって初めて可能になるのではないでしょうか。
そう考えると、尾崎翠は、新芸術の時流に流されて、その中を漂っていたと言えるのではないでしょうか。しかし、それは彼女だけではなく、価値が定着するまでは、若い芸術家はみな同じように漂うのだと思います。

ナカムラ様
優れたものは、どんなに古いものであっても常に現代的なのだと思います。古典が面白いのは、人間心理の不変の事実、真実が描かれているからではないでしょうか。

duke様
きっとお気に召すと思います。

SAKANAKANE様
理数系というところで反応されるのは、面白いですね。
確かに、『第七官界彷徨』に登場する兄弟は兄が病院勤務、弟が肥料の研究者ですから、彼女の理系に対する憧れ、嗜好などが感じられます。
by アヨアン・イゴカー (2010-02-07 13:13) 

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