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屋根戦争 [短編小説]

屋根戦争 2009113日火曜日

 

 俺は自他共に認めるところの平和主義者である。平和的であるべき宗教の対立など、言うまでもなく、文化の衝突だって避けねばならないと考えている位だ。甲虫たちが橡の木の洞で樹液を舐めようと争っていたので、喧嘩両成敗だとばかり、両方とも地面に落としてやったこともある。バーゲン会場で女達がワゴンに群がっていた時も、醜い争いをなくしてやろうとワゴンを横倒しにしてやったら、店員に追いかけられてつかまりそうになった。やっとのことで逃げおおせた。あの時は、マサイ族の神聖な儀式を冒涜して追いかけられる悪夢のように、肝を冷やした。

 ボクシングやラグビーと言った野蛮なスポーツは大嫌いで、テレビで試合が放送されていると、ハンマーでテレビを壊したくなるほどだ。しかし、残念ながら俺がこれほどの平和主義者であることは、理解してもらえないのだ。

 ところで、俺には一つの能力があり、これは誰でもが持っているものではないようである。体は地上にありながら魂が空中にあり、魂が下界の景色を俯瞰することが出来るのだ。そんなことを自慢したところで、誰も俺に文化勲章をくれはしないのだが。尤も、欲しいなどとも金輪際思わない。

 そう言えば、一年前にこんなことがあった。上野動物園へ遊びに行った時のことだ。(大の大人が動物園に?などと余計な茶茶は入れないように。)俺は河馬が好きなので、河馬のいるところへ行った。奴さん暢気に水に浸かっている。思うに、河馬の好きな人間は、暢気な性格なのだ。あの汚らしい水の中にいて、鼻腔と目と耳を出して周囲を見回している姿は、実に和むではないか。奴さんがあの巨大な口を開けて歯石だらけの牙を見せた時、俺の背後で何か軋むような音がした。あぁ、しかし時既に遅しだったのさ。宣戦布告が一方的になされていたのだから、どうにも仕方がない。俺にとってのパールハーバーさ。つまり、俺の頭目がけて屋根が崩れ落ちてきたのだ。どうして屋根がとは、ここでは問うてくれるな、おつっつぁん。

 anger.JPG屋根と言う奴は、頗る凶暴である。その凶暴さは、あの猛きベンガル虎やサーベルタイガー、タスマニアンデビルにも匹敵すると言う。強かに後頭部を殴られた俺は、実は相手が屋根だったのか、はたまたヤドリギの種の入った椋鳥の糞だったか、咄嗟には判断できなかった。しかし、その一撃でうつ伏せに倒された俺が見たのは、確かに屋根の影だった。法隆寺とか東大寺とかの、あんな立派な瓦屋根じゃない。もっと安っぽいシングル葺きの屋根さ。してやったりの顔をして笑っているのが、その歪んで揺れている影から見て取れた。

 向こうが攻撃してきたので、黙っている訳にもゆかず、反撃開始さ。こういう時に、例の俺の特技が役に立つっていう訳よ。俺は自分の日本国東京都に於ける絶対的な地理上の位置を確認して、屋根の後頭部に狙いを定めて、ハンマーで思いっきり殴りつけてやった。奴さん驚いたのなんのって、眼窩からそれこそ、滝のように冷や汗と火花を飛ばしてね。土台人間が屋根に対して反撃しうると言うことを想定していないのだから。彼の自尊心は痛く傷つけられただろうから、百年後に瓦の葺き替えが行われる時まで、しっかりとトラウマとして残っていることは請け合いさ。読んでいて変だと感じた諸君は、俺の話をしっかり追いかけてくれている証拠だ。なにしろ俺は瓦葺ではなく、安っぽいシングル葺きの屋根だと明言しているのだからな。はっはっは!と笑っていたら、次の瞬間、何か強烈な爆風のようなものを正面から受けて気を失ってしまった。惨めなもんよ。あいつが、ダイナマイトを俺の目の前で爆発させたのだった。汚ぇぞ!武器を使うたぁ。

 あれが俺と屋根との間の戦争の始まりだったね。平和主義者でおっとり者の俺だったのに、この戦争だけは面白くって止められねぇ。

(今回はどうしても挿絵が描けなかったので、8年前に描いた絵にしておきます。)


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稲垣足穂風に - その1「噂を縛り上げた男の話」 [短編小説]

噂を縛り上げた男の話 二〇〇九年十一月一日 日曜日

 

 先日、銀ブラをしていたら、俺が銀ブラなどと言う死語に近い言葉を使ってみるのは宇宙の膨張に対するささやかな歯軋りに過ぎない抵抗ではあるが、今時本当に金輪際流行らない山高帽を被って、ステッキをついて歩道を闊歩している背高ノッポがいた。あの手の人間にはよくあることだが、件の山高帽の天辺の縁から長く伸びた吾亦紅がぴーんと飛び出している。随分気障な奴だと思っていたら、足を止めて俺の方を振り返った。案の定、噂だった。俺はいそいで、奴から目を逸らした。さもなければ、奴は俺に近付いてきて言ったに違いない。「君は、ビールと葡萄酒とどちらの方が悪酔いをするのかね?」と。俺は歩道の石畳の隙間に躓いたような演技で誤魔化した。我ながら、この臭い演技は情けなかった。

 噂は俺の存在に気が付かなかったようで、口笛を吹きながら歩き始めた。

 

噂には面白い性質があるので、俺はそれが事実か、或いは単なる事実無根の揣摩臆測に過ぎないのか、奴さんを尾行して行動を観察して確認することにした。

 実に滑稽至極だったのだよ。噂の奴は噂に違わず、ウィンドウショッピングするような振りをしながら、次々と万引きをしているのだった。白昼堂々と。誰が言ったか、「堂々と付く嘘は本物になってしまう」、その言葉通りだった。正々堂々としていると、万引きには見えない。偽善も本物だといい続けて行えば、慈善活動になるのだ。どんどん着膨れてゆくのだ。どこから見ても最初に見た、背高ノッポの姿ではなく、戯画化された独占資本、例の鉄鋼材トラスト、石油トラスト、精銅トラスト、あいつ等の姿そっくりだ。ぱんぱんに張った腹。ご馳走を飽きるほど食べて、高価な酒を浴びるほど飲み続けた人間の姿をしていた。

噂を縛り上げた男の話2009-11-1日曜日.JPG 俺はもう我慢がならなかったので、カーニバルだったかパレードだかで、行進してくる若い女が履いていたハイヒールを拝借した。その踵でもって噂の頭をしたたかに打ち据えた。しかし、君、驚いちゃいけない。噂と言うのは、そりゃぁ、呆れるほど実体がないのさ。糠に釘、暖簾に腕押したぁ、こういう事を言うんだな。あの山高帽だって、ハイヒールを掠りもしないんだぜ。蜃気楼みたいなものと言うべきか。仕方がないので、俺はロデオをやっていた青年団から、ラリアットlariatを拝借した。青年団の蝸牛野郎が俺に拳を振り上げたが、それはお門違いであることを知らしめるために、あっかんべーをして見せた。そうしたら、地面を転げ回って笑っている。陽気なアルパカよりよっぽどお人よしだ。

 それは別として、俺はラリアットを俺の頭上五メートル位のところで、ヘリコプターの翼宜しく回転させて勢いをつけた。勿論、噂だって俺のこんな行動を黙視しているだけのお人よしでも、意気地なしでもない。俺に向かって、瀬戸物専門店のカップやら皿だのをぶん投げてよこす。俺もその皿やらカップの描く所の放物線を感心して眺めながら、機は熟したりと考えて、ラリアットを放つ。そうしたら見事に、あの太りに太った噂の奴を捉えることができた。奴さん、空気デブなので、ロープを引っ張っても、ちっとも手ごたえがない。と言いつつも、噂の奴は俺の近くに来る。そして、乳母車を避けようとして、すっ転んだ。乳母車を避けようとしたところは見直したが、転ぶ様は、決して孫子には見せてはならない。あまりに無様で、人間の尊厳が問われそうな位だった。

「どうだ、参ったか!」俺は噂に言ってやったのさ。そしたら、次の瞬間、奴は俺の鳩尾を嫌と言うほど拳骨で殴りつけた。その痛いのなんのって、正直言って、声が出ない。呼吸が一生できなくなってしまうのかと、半ば死とはこのようなものかと考えながら俺は蹲った。しかし面白いもんで、実体のあるものに触れるのは噂には苦手のようで、殴った拳骨が痛かったようだ。噂は下唇を噛みしめて、痛みを堪えているように見えた。

 そうこうしている内に、警官がやってきた。誰かが喧嘩していると通報したのだろう。しかし、権力では何も解決しないんだ。俺は知っている。俺は警官の方を向いて自己弁護を懸命にした。しかし警官はこう言う。「君は、何を寝ぼけているのか」と。「俺は寝ぼけてなんかいないぜ。ちゃんと顔も洗って来たし。」警官は面倒臭そうに言う。「人騒がせは止めて下さいね。大の大人が鬼ごっこですか?もう少しまともなものを選んで下さい。なんですか、あれは?」と言うので、ラリアットで仕留めた噂の方を見ると、何とラリアットの中には吾亦紅が一本あるばかりだった。


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雄鶏がやってきた日 [短編小説]

November 16, 2007 23:52:08
雄鶏がやってきた日テーマ:短編小説

 

  朝起きてガラス戸を開けると、いきなり逃げ込むように何か白い生き物が飛び込んできた。それは白色レグホンの雄鶏だった。あの垂れた鶏冠をした奴だ。
 当時、まだ一人暮らしだった私は、まだ寝巻きのままだった。今だったら普段着に着替えてから戸を開けたところだが。呆れてこいつに言った。「おいおい。失礼なやつだ。人の家に土足ではいる奴があるか。」するとこのレグホンは言った。「俺は今逃亡中の身なのだ。追われている。」
「追われている!?鶏肉屋からか?」
「こけっ!馬鹿め。そんな水準の存在では、俺は、ないのだ。コケッ!」と肩で息をしながらレグホンは言う。
「ほう。お前さんは、じゃぁ、革命の志士か、それともテロリストの一味か?それとも・・」
「聞いて驚くない、コケッ。」と一息ついてから「俺は、実は、鶏王国の王子なのだ。」
「鶏王国?ほほう。聞いたこともないがね。」
「自分の無知を棚に上げて、偉そうな口を利くな!」
「確かに。」私は自分の無知を認めざるをえなかった。確かに鶏王国などと言う国の存在を聞いたことがなかったし、新聞で読んだことも、テレビのニュースでみた事も、インターネットでも見た記憶がなかった。
「良いかね。俺は、鶏王国の王子だ。それだけで十分だ。必要十分条件だろう。腹が減って死にそうなんだ。食事を用意しろ!」
「しかし、王子様。我が家は人間の家で、鶏王国の食事は準備しておりませんが。」
「馬鹿者。米粒だって、パンくずだって、穀物ならなんだっていいんだ。鶏が何を食べるか、それくらい小学校で習ったんじゃないのか?」と偉そうにふんぞり返って言う。あの頭の悪そうな目で、そう言われると、言うことを聞いてやろうという気になるのが不思議だ。何がそう思わしめるのか、私は、考えながら台所へ行く。一人暮らしだから、自炊である。料理位は何でもできるさ。私は茶碗に飯をよそい、王子様を食卓へお招きする。
「馬鹿!床に撒け、床に。」
「はい。撒けば宜しいでしょうか。はい。」米粒がべとつくのがいやなのだが、そもそもこの人間の言葉をしゃべる奇妙な鶏王子に興味を抱いた私は、炊いた米をばら撒いた。
 王子は嬉しそうにこっこっこっ・・・と言いながら床の米粒を啄ばんでいる。その必死に食べる姿が愛しくなってきて、つい後ろから撫でると、きっと振り向いて
「無礼者!余に何をする!」
「すみません。つい、余りに項が可愛かったので、撫でたくなりました。」
「皆、そのように申すのじゃ。」いつの間にか、この鶏王子は爺臭いしゃべり方をしていた。
「あっ、爺臭いしゃべり方。ひょっとして、王子様ではなくて、王様でしょうか?」
「まぁな、わしも団塊の世代でな。昔王子様じゃった。」そう言った後、王様は脱糞した。なにしろ、鳥類はこうやって身軽に動くように身体が作られているのだから仕方がない。
「あのう、王様。申し訳ございませんが、下の方は、外でお願いします。」
 この依頼には、レグホンもにやりと笑って「許せ。 余は我慢ができぬのじゃぁ。」と言う。

 この日以来、我が家には玄関の軒下に住んでいるヤモリと、ガラス窓にへばりつくアマガエルに、この白色レグホンが住人として加わった。ヤモリや蛙に比べて、なんと賑やかな住人だったろう。朝になると、頼みもしないのに、大声で朝を告げてくれるのだ。しかも、最近は、なかなか街の明かりが消えないので、朝が何時かわからず、山勘を働かして鳴くので、当然それが外れまくり、いやはや、近所迷惑も甚だしい。隣のうるさい小母さんが「あんたのうちに、鶏飼っていない?」と嫌らしい目をして、舐めるように、清潔極まりない我が家の中を覗くので、私は「いえ、なに、最近、江戸家犬八のテープを聞いて、声帯模写の練習してんのよ。コケコッコー、ぱたぱたぱた、っぽん!!・・・なんちゃってね。へへへへ・・」と照れ笑い。
出目金のような目をした小さな小母さんは、胡散臭そうな顔で、
「近所迷惑だよ。声帯模写ってぇのは。あんまり夜遅くやったり、早朝にやらないで下さい。安眠妨害ですからね。」
「気をつけます。でもさぁ、空軍の夜間演習よりはましでしょう。あれは、低音の轟音で、それこそ大地を揺さぶりますからねぇ。」
「そりゃぁそうさ。・・・・・・でもね、気をつけて下さいよ。騒音が元で殺人事件も発生している世の中なんですから。」と既に鋭い眼光で、私を突き殺していた。小母さんは、言いたいことをとりあえず言ったので、清々した気分になったのか、大きな尻を振り回しながら戻っていった。やれやれ。

かくして、我が家には鶏王国が誕生し、私はその臣下となり、団塊世代の鶏王子のお世話をすることに相成ったと言うお話でございました。

(次回はもっとまともなお話を書きます、多分。)


犬と散歩 [短編小説]

November 18, 2007 19:02:02
犬と散歩テーマ:随想

 今日、外の風景は少し晩秋らしくなっていた。空は、画家が粗い筆致でキャンバスに描きなぐったような雲に覆われていた。それでも風はそれほど冷たくもなく、夕方は丁度よい散歩向きの気温になっていた。
 隣には、弟が住んでいる。彼はビーグル犬を飼っているのだが、その名前は花太郎と言う。花太郎は余り散歩に頻繁には連れて行ってもらえず、大分肥満気味である。私は、気が向くとこの花太郎の散歩に出かける。
 花太郎はまるで躾がされてない。私が散歩用の紐を首に掛けに行くと、もう予定された散歩に興奮状態で、私に飛びついてくる。それは実に嬉しく、感激せねばならないのであるが、鎖につながれた彼が、自分の糞も時々その足で踏みつけていることを知っている身としては、一緒になって喜んで訳にもゆかない。首に紐をつけるだけでも、ちょっと用心しなければならない。
 さて、いざ出発。私は彼が途中で必ず用足しをするので、回収袋と小さなスコップを持っている。だから、彼ほど身軽ではないのだ。しかし、喜びは彼をして、犬ぞりの犬にしてしまう。躾のされている犬ならば、主人の指示を待って、主人の望む方向へ歩いて、それも紐を綱引き状態にしないで、注連縄位の余裕をもって、歩いてゆくものである。花太郎は、まず、全速力で庭を飛び出す。私の腕と身体はぐいと引っ張られる。先ず一本目の電信柱へやってくるや、早速、軽く放尿。臭いをかぎ回る。誰がここを通過したのか、確認している。油断していると大変だ。突然、方向転換し、私は坂を下ろうと思っていたのに、登り始めようとする。冗談ではない。
 あぁ、この馬鹿犬。私はこの花太郎と週末気が向くと散歩しているが、既に数年の間柄である。しかし、ベクトルは双方正反対側を向いている。その度に、私は、この馬鹿犬!と罵ってしまっていた。何しろ、画帳でも持って、景色を写生したいと思っても、彼が絶対金輪際そんなことを許してはくれないのだ。私は、散歩の友を、彼の中に見出していたのだったが、それはとんでもないことである。彼は散歩が生きがいなのである。
 今日は、遅すぎるのだが、私はやっと納得した。これが本来の犬の生き方なのだ。躾をされていると言うことは、ベルトコンベヤーの上に載せられている皿の上の寿司として出されると言うことではないのか。無人駅の前にもあるフランチャイズのコンビにストア、どこにでもあるファーストフード、喫茶店、ディスカウントショップ、個性の破壊、個の疎外。花太郎は躾をされていないからこそ、実に犬としての本来の個性を発揮していたのであった。油断をすれば、すぐに、自分が主人面をする、小憎らしい、しかし、素晴らしい奴なのである。彼が行きたいこ所まで一緒に付いてゆきたいのだが、残念ながら私は動物学者ではないので、人間の歩く歩道しか歩くことはできない。
 キニク派、犬儒学派。簡素な自然に近い生活をし、文明社会のしきたりや制度を無視して、乞食生活も厭わない。GNPやGDPを尺度とせず、GNHを尺度とする生き方。乞食生活は頂けませんが、文明社会のしきたりや制度は、ある程度無視して生きないと、人間性が破壊されてしまう。個の確立、それは犬の生活をすることであった。
 火星人がまだ蛸の八ちゃんみたいな存在だった頃、ドラキュラやフランケンシュタインが現実感を持っていた頃、人間は悪を他の存在に帰することができた。しかし、科学の発展した現在、一番凶悪な存在は人間であることが証明されてしまった。結局今のところ人間を一番殺しているのは、細菌や隕石や地震ではなく、人間自体である。殺人を平然とやってのけるテロリストは悪人であると洗脳しようとする向きもあるが、テロリストを作り出してしまう社会制度が本当の悪なのだ。他の価値観を受け付けない制度が悪なのだ。
 ここで登場するのが、アナーキストならぬキニク派である。十九世紀であれば無政府主義者が登場して、政府や王政の転覆を図ったことであろう。しかし、今や二十一世紀であり、暴力は避けられなければならない。怪我したり、投獄されたりするのやだもん。キニク派に倣って、しきたりや制度を否定せず、無視するのがいいのだ。な、花太郎!
 犬は実に哲学的である。哲学は実に犬的である。呵呵。


河童 [短編小説]

November 23, 2007 23:28:05
河童テーマ:短編小説

 河童の親子がいた。河童だから、河の中に住んでいた。しかし、最近開発が酷くて、碌な河がないので、セメントで護岸工事されてしまった、開放感のない河だった。

子河童に、母河童が言った。「頭の皿だけは、乾かしてはいけないよ、これが乾いた時、お前は河童でなくなるんだからね。」

子河童は細い首を縦に振って言った。「分かったよ、お母さん。」

母河童は実にさばさばと言った。「さぁ、息子よ。今日からお前は一人で生活して行くのよ。頭のお皿だけは湿らしておく、これが人生のコツなの。さぁ、お行き!」

子河童。「えっ!?母さん。僕、どこへ行けばいいの?僕、何にも悪いことしていないのに、もう一人で暮らさなければならないの。」

「そうよ。だって、この辺の河じゃぁ、魚も少なくなってきてしまったし、人間ばかり増えてしまって、物騒だからね。」と、母河童は煙管を吹かしながら腕を組んで突き放すように言い放った。

「だけど、僕、僕、まだ、お魚の取り方分からないのに。」

「何言ってるのよ。父さんだって、私を捨てて行っちまったのよ。お前だけ自分の不幸をかこつんじゃぁないよ。これからはみんな独立してやってゆかなきゃ、河童の国は崩壊してしまう、ってさ。おとっつぁん言ってたよ。 ・・・・・・でも、あたしゃぁ知ってんのよ。父さんには、若い女が出来たってことくらい。かぁさんくらい、長く女やってるとさぁ、その辺の勘は抜群よ。あのほっそりした、引き締まった尻をした若い女の河童と、新しい人生切り開くんでしょうよ!そんな嘘には、飽き飽きさぁ。振られたって、捨てられたって、そんなの屁の河童!っぺっ!」と母親は唾を吐く。こんな鬼のような顔をした河童は、ミイラでもみたことがない。ミイラと言うと、人魚だの天女だの、何だのかんだのと、手先の器用な輩が、胡散臭い掘り出し物を作るものだが。

 かくして、この子河童は旅に出ることになった。自給自足の乞食旅行である。

 本の五十メートルほども旅をすると、この小僧すっかりへたって歩けない。たった五十メートルと言ってはいけない。河童はそも、旅をする生き物ではないのだから。ほんの五十メートル先の狭苦しい河原には、何故か、この現代なのに茅屋がある。その前には、ディオゲネスよろしくの顔をした、それこそ薄汚い爺さんが、嬉しそうに、より正確に言うと、馬鹿みたいににやにやしている。そして岩波文庫を片手にこんなことを独りごちている。

「三伏のひざかりの暑さにたえがたくて、
 蝉あつし 松きらばやと おもうふまで
 と口ずさびし日数も程なく立ちかはりて、やや秋風に其の声のヘリ行くほど、さすがに哀れに思いかへして、
 死のこれ 一ッばかりは 秋の蝉
 『うつら衣』のこの段は、実に人間の自己中心、慢心、中華思想が如実に現れておるわいわい。カカカ・・・」

 子河童はこの頭のおかしいかもしれない爺さんに声を掛けた。
「お腹すいた。なんか頂戴。」そう言われて老人は別段怒りもしないで、頭陀袋から、ゴミ箱で漁ってきたらしい余り弁当を出す。
「これでも食え。小僧。」
子河童は、少し腐りかけた弁当をがつがつと食べながら言った。
「あのさぁ、僕さぁ、お母さんに捨てられたんだよ。可哀想でしょう?」
「なんで?可哀想?あほらしっ!」
「ねぇ、ねぇ、汚い爺さん、同情してよ。」
「馬鹿野郎。わしなんか、国に捨てられたんだぞ、国民に捨てられたんだぞ。おっかぁ一人位に捨てられて、何が同情しろだ。一昨日きやがれってんだぁ!べらぼうめぇ。」
「国ってなぁに?」
「国かぁ。国の定義たぁ、こりゃぁ、政治学者でも定義は一言ではできんだろうな。まずもって、国として認めるかどうか、その前提があるからなぁ。国の定義をしてしまうと、国を一旦は認めることになる、国家と言うものが存在することをなぁ。しかし、もし定義をしないとなると、国家を認めないと言う意思表示、それも頗る強い意思表示をしていることになる可能性が残されている。」と爺さん、大分、興奮してしゃべっている。
「何言ってるのかちんぷんかん。」
「そうか、悪かったな。国っていうものはな、選ぶことの出来ない入れ物さぁ。生まれた時に、いる場所、それが、平たく言えば、お前の国じゃぁ。」
「・・・・・????あのさ、僕ね、ほんとは、人間じゃぁないんだよ。」
「確かに、お前、へんな顔しているな。可愛いんだが、嘴みたいな口だし、フランシスコザビエルの禿頭みたいな・・・でも、それって、最近の若い奴らの間で結構流行っているファッションじゃぁねぇの?」
「僕、僕、これファッションじゃぁ・・・」
「まぁ、似合っているからいいじゃねぇか。」
「国って、いいものなの、それとも悪いものなの?」
「人生二者択一、あれかこれかしかないからな。・・・そういう風に言われてしまえば、両方だ、と言いたいところだが、現状は悪いものだ、としか言えないな。」
「悪いものなの?」
「よくない国は悪いんだ。」
「けけけ・・・おじいさん、僕だって知ってるよ、そんな言い方なら。美味しいご飯は不味くないって。」
「な、生意気な小僧だ。その通りさ。」
「どうして、悪いの。」
「だって、考えてもみろよ。わしみたいに真面目に人生を送ってきたものがさ、老後、安心して生活できず、結局会社が潰れたら誰も助けてくれない。こんな国がいい国か?」
「僕、僕分かんない!」
「じゃぁ、さっきお前は自分がおっかさんに捨てられたと言っていたが、おっかさんは悪いやつか?」
「おっかさんはいい奴に決まっていらぁ。」
「どうしてだ。」
「だって、僕を生んでくれたんだもの。」
「現在不幸な状況にある自分を生んだおっかさんを、お前は許せるのか?ほら、川下を見てみろ。お前のおっかさんが日向で甲羅を干している。何かを食いながら。・・・あんなおっかさんを、お前は許せるのか?」
「わかんないや。許せるかもしれない。だって、今僕はちょっとお腹が一杯になったから、不幸ではないもん。」
「衣食足りて栄辱を知る。もう少し、深く考えて見なければならん。・・・しかし、確かに、腹が満ちて、眠るところがあれば、生き物は、とりあえず平和で、幸福感をもつことができる。これは大切なことだ。それすらない人間が世界には溢れているのだからな。」
この老人は、突然、裸になって踊り始めた。「うきゃきゃい、うきゃきゃい、うきゃきゃきゃう~!」あんまり楽しそうなので、子河童も一緒に踊る。うきゃきゃい、うきゃきゃい、うきゃきゃいう~!

 結局、この子河童はこの老人の茅屋に一緒に住むことになった。そして、ある年、台風が来て、彼らの茅屋を押し流してしまった時、この薄汚い老人は、拾ってきては食べている腐った弁当のために、酷い下痢になり、それが原因でかどうかは分からないが、死亡した。子河童は、この老人の死体を河に流した。丁度、増水していて流すには丁度良かった。老人がいつも言っていたので、彼の希望をかなえることにしたのだった。「わしが死んだら、河に流してくれ。そうすれば、魚どもがわしを食べるだろう。そして、その魚はより大きな魚に食われるだろう。その魚は鳥に食べられたり、猫や熊やいろいろな動物に食べられるだろう。こうやって、わしは輪廻していたいのだ、永遠に!」この老人の言葉は十分にはこの河童には理解されなかったけれど、希望だけはかなえてやることができた。

 老人の死後、河童は一人ぽっちになってしまった。そして、分かった。生きているのは、実は一人だけの問題だと言うことが。それは、誰かと一緒にいることによって、少しも解決されないのだと言うことを。誰かと一緒にいることで、現実から回避していても、結局、最後は一人になるのだから。

 そして、河童は、老人に教えてもらった馬鹿踊りをしては、それを大道芸として披露して、投げ銭を貰って生活するようになった。

 (この物語の続きは、後日語られることになるかもしれない。)2007年11月23日 金曜日 勤労感謝の日に記す。


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