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『空飛ぶバイダルカ』 短編小説 [短編小説]

2010419日 月曜日 『空飛ぶバイダルカ-続き』 

暫く沈黙した後、バイダルカ野郎はさも自慢そうに続けた。「浮石を採取に行く時が結構大変だったんだ。浮石にはその生成が途中のものもある訳だ。石の生成だから厖大な時間が掛かると思うだろうが、浮石は毬藻と同じくらいで適当な大きさに出来上がるのさ。せいぜい千年単位、或いは数百年単位の場合もある。成熟していないものは当然ながら、浮力が十分で無いので、地面に転がっているわけだけれども、それでも重さが感じられないので、小さいものであればちょっと蹴飛ばしただけでも、それこそサッカーボールのように飛んで行ってしまう。地面にある浮石も、宙に浮いている奴も、天井にへばりついているのも、どれも魅力的だ。あらゆる用途が考えられるからね。勿論、オブジェとしてもいい。

a plan for a flying baidarka 2010-5-4.JPGと言っても、アリババの兄貴のように欲張りすぎてもいけないからね。俺は採取に出かける前にあれこれ考えた。先ずは、浮石の存在が確認できたので、仮の設計図を描くことにした。そうしなければどれだけの分量を採取すればよいか分からないからね。バイダルカの自重と俺の体重、食料、防寒具、寝具など一切の重さを量る。それと同じだけの浮力を持つ数の浮石を集めるためだ。概算であるが、150キロ分の浮石を集めることにした。

鍾乳洞へは軽トラックで行った。幾つもの木箱を用意してね。この木箱には頑丈な蓋を取り付けておいた。この木箱の蓋には合計8箇所に鎖がついていると言う特殊な構造のものだ。夫々には採取する浮石の重量の重りが入っているから、結構重量はある。それとターポリンの防水シート。大工道具一式も。

人目を避けるために、夜中に鍾乳洞へ行くわけだから、実に怪しい限りさ。カンテラで洞窟の中を照らして、浮石を選び始めた。バイダルカの設計図に基づいて、浮力が前後左右対称になるように、偶数個選ぶ訳だ。これは大仕事だった。予めバネばかりを二つ用意して来た。それと厚地の木綿布に二箇所輪をつけたものも。これは、形は言ってみれば、マスクのような形の物だ。天井にへばり付いている浮石にこの布を鞍のように石に掛け、両側からたれている輪を一箇所にまとめて、そこにバネばかりの鉤をつける。そして、下に引っ張って浮力を調べるのさ。一つの石で3キロから5キロの浮力があるものを揃えることにした。それだけで、30から50個の石を量って探しださなければならない。これはと思う候補があると、その浮石にマジックで番号と浮力を書いてゆく。これはと思う石を探し出すだけで、数時間掛かってしまった。 

それが済んだら、今度は梱包だ。木箱入れるのだが、これがまた大仕事だった。喩えてみれば、水中で大きな空気の塊を容器にいれるような感じさ。バネばかりで大体3キロや5キロくらいの大きさの浮石を見つけると、木箱の蓋の下に入れる。そうすると蓋が持ち上げられる。この時に例の鎖が役に立つのだ。蓋だけが上に持ち上げられないように、重りの入った箱で繋ぎとめてくれるわけだ。

石が、箱の重さ分だけ入ると、俺は蓋を閉じるのだが、これも四隅についている鍵を掛けるまでは油断なら無い。先ず、俺が蓋に乗って、蓋を箱の縁まで沈めるのさ。そして、鍵をしっかりと掛ける。掛けてしまえばこっちのものさ。箱は、殆ど重さを感じない。

こんな風にして、俺は箱を五箱荷造りした。そして、軽トラックの荷台に運び、積んだ。後は、防水シートをかけて、荷崩れしないようにしっかりと固定さ。来る時には荷台には150キロの荷物が載っていたが、浮石をいれた箱は重さがないので、空で走っているようなものだから、軽快だったね。

flying baidarka 2010-5-4.JPG家に帰って来たらもうすっかり次の日の昼過ぎさ。俺は早速、荷物を降ろして、作業場に持ってゆく。そう言えば、食事をするのもすっかり忘れていた。荷物の移動が全て終わった時、もう夕方だったね、突然恐ろしい空腹感に襲われ、コンビに行って、握り飯を10個、それとインスタントラーメンを5つ、アンパンを2つ、ジャムパンを2つ、ジャガイモサラダを一つ、アイスクリーム3つ、バナナを一房、オレンジ5つ買ってきてすっかり平らげた。この位じゃ、本当の意味の空腹からは解放されないのだけれどな。」誰かが「食べすぎでしょう?!」と言った。「何を言ってるんだぁ。体が、仕事が食べるのであって、俺の肉体が食べているわけじゃない。本当は、もっと食いたかった位だ。」

 

すっかり疲れ切ってしまったので、眠った。よく眠ったね。翌日起きてから、作業を始めたのだが。

空飛ぶバイダルカの製作には、時間が掛かったよ。半年も。設計図を少しずつ手直ししながら、作ってゆくのさ。カタマランではなくアウトリガー型さ。やはり、バイダルカだけで平衡を保つ自信が俺にはなかったから。俺はあんまり運動神経が好い方ではないからね。ぱっと見には自転車の補助輪みたいで恰好は必ずしも好くないかもしれないが、安全第一さ。操縦のしやすさ優先さ。

バイダルカの底部やアウトリガーに浮石を取り付けると、バイダルカが少しずつ浮くんだ、当たり前だが。バイダルカに乗って作業していると、何だか水に浮かんだ小船みたいな感覚がするのさ。にも拘らず、水は全くなく、透明な空気の上に浮いているんだよ。ハンモックのようでもあるね。皆、それぞれの飛行法を確立しているので、自分のものが最高と思うだろうが、やっぱり俺にとっては、このバイダルカが最高だぜ。

俺は馬を繋ぐように、バイダルカに重りの付いた紐を付けておく。完成の暁には、必需品を積み込むので、重りは不用になる計算だ。」(2010年5月4日火曜日)


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『鳥の町』(短編小説) [短編小説]

20091112日木曜日

短編小説 鳥の町 

 どんな風にそこに辿り着いたのかが分からないのだが、私はその入り口に「鳥の町」と言う看板のある町に、ある日の夜到着した。その看板を目にした時、私は萩原朔太郎の『猫の町』やら『定本青猫』を思い出していたことは述べておかねばならない。

 道路沿いには、どこでも目にする商店がある。一点を除いてである。どこの店の入り口にも鳥籠がぶら下がっていて、インコや鸚鵡、十姉妹、紅雀、文鳥、鶺鴒、目白、ヤマガラ、ヒレンジャクなどが飼われているのだった。

 一日中、骨董品店やら民芸品やら土蔵やら酒蔵などを探してあちこち歩き回っていたため、すっかり空腹になり、脚も膝が笑う位疲労を感じていた。夕食をとるため暖簾を潜って食堂へ入るや、店の一番奥の席に私は倒れこむように坐る。いらっしゃいの声も掛からない。「水を下さい!」私は薄暗い厨房の方に向かって怒るように言った。「へーい。」と女のしわがれた気の無い声がする。厨房の中には老夫婦が見えた。夫が料理を作り、妻が給仕するようである。薄暗い部屋の中で、厨房は更に少し薄暗い。並んだ夫婦を横目に見ると、なんだか二羽の梟に見えてくる。客は私以外にいないので、不必要な緊張感があった。『注文の多い料理店』に入ってしまったかのような不安が頭を過ぎる。それでも、この店の内装が、どうにも土壁だったり、藁を使ったりしていて居心地が好かったので、私の足は外へ出ることを拒んだ。覚悟を決めてここで食事することにする。

bird town.JPG少ししてからタンブラーに入った水が目の前に置かれた。テーブルの上には年季の入った箸立てがあり、漆の剥げかけた箸が無造作に差さっている。木製の献立が卓の上に立っている。品数は多くはない。麦酒、日本酒、牛丼、豚肉丼、トンカツ、カレー、天丼、味噌汁、お新香、握り飯各種、自分時特製丼。最後の一品が気になったが、肝心の値段が書いてない。酒があるのに、撮みがない。そう言えば親子丼がない。

注文を決めた。「すみませんが、注文いいですか。」商売気の全く感じられない老女の給仕が緩慢な動作でやってくる。「麦酒。それと・・・お撮み無いんですかね何か?」「お撮み?(「くーくくくくく・・」と言ったように聞こえた。)」「えぇ、例えば枝豆とか焼き鳥とか?」何か勘に触ったのだろうか女は「ないね。(「クワーッカカ」)」と答えた。私は慌てて言う。「じゃぁ、お新香。」「かしこまりました。」と言うと、厨房に向かって「麦酒とお新香、一丁!」とまるで少女のように溌剌とした声で伝える。

大根と白菜のお新香を食べながら麦酒を飲むと、直ぐにアルコールが回ってしまった。この漬物はしっかりと漬け込まれていて、甘味、辛味、酸味、塩加減、そのどれもが調和していて、旨かった。

続いてカレーと味噌汁を注文する。疲れている時、私は味噌汁を飲むのが好きだ。舌に心地よい塩分、軽い酸味、体を温めてくれる熱さ、それが好きなのだ。この店では山菜をふんだんに使っているのだが、それがとても美味だった。カレーには山芋なども入っていて、福神漬けの代わりに蕨や筍の漬物が付けられていた。今まで味わったことのないカレーだった。

ゆったりとした食事が終わると、木製の茶碗に入れた飲み物が出てきた。これは茶ではない野草を煎じたもののようだったが、この店の雰囲気によく合っていた。

「この辺によい旅館はありますか?」勘定を済ませながら尋ねる。「(「くーくくくくっ」)四十雀旅館がよいかと思います。」道順も何度も教えて貰いながら、私はこの食堂を出る。暖簾を潜って外へ出る時、羽音を聞いたような気がした。

薦めてくれた旅館は直ぐに見つかった。それにしてもこの町には大きな庭のある家が多く、竹藪もあちこちに見られる。竹藪からは、雀達の喧しいほどの囀りが聞こえ、何事か相談しているように感じられた。

旅館で二階の部屋に案内してもらうと、私は硝子戸から外を眺めた。いつ吹き始めたのか、風が庭の松や楓の枝を揺らしている。

夜、布団に入ってから、私はバートン版の『千夜一夜物語』を読み始めた。小旅行を計画していた時に、本棚にあるこの本が矢鱈に私の目を引きつけたのである。こんな風に、私はいつも思いつきで携行する本を選ぶ。序でに言っておくと、鞄の中に一冊の本も入れずには外出できない人間である。読む読まないは別にして。

有名なシンドバットの冒険の入っている一冊だった。ロック鳥と言うのは、何の象徴なのだろうと思いつつ、『荘子』の鵬の喩え話も思い出していた。人間は人智や経験を大きく超越するものに大いに興味をもつ生き物である、などと考えてうつらうつらしていると、大きな鈍い音がして、締め付けるような音が続き、建物がミシミシと音を立てながら揺れ始めた。とうとうロック鳥に屋根を鷲掴みにされたのだな、と観念した。しかしながら、こんな時にうろたえては男が廃ると堂々と振舞っているように見えるように努めた。

布団を出ると、階段を踏み外しながら階下に下りると仲居がいたので、「今の音は何ですか?」と極力冷静を装って聞いてみる。「ちょっと、突風が吹いたようです。」と彼女はいかにも冷静沈着である。「あぁ、突風ですか。」「この地方では、突風が吹くのですよ。」肩透かしを喰らったような淋しさを抱いて、階上に戻る。今のが只の突風に過ぎない?彼女は何か秘密を隠してはいまいか?と思いつつ、私はロック鳥の妄想に取りつかれていたのかもしれないと思い直す。先ほどはあれほど建物全体が揺れているような気がしたのだったが、気のせいだったようである。外ではゴロスケホッホなどと鳴いているお気楽な奴がいる。確かに、巨大なロック鳥がいたら、コノハズクが鳴くこともないだろう。なんだか馬鹿らしくなって、寝てしまった。

翌朝、雀たちの囀る声で目が覚める。浴衣を脱いでいる時、昨晩階段を急いで下りた際に階段の踏み板の角にぶつけたようで、あちこち痣になっているのに気づく。大の大人がみっともない話だ。

旅館を出た。この鳥の町を少しだけ散歩しておくことにする。旅館を出て直ぐに、竹薮があり、チョットコイ、チョットコイという声が聞こえる。折角呼んでくれているので近付いてゆくと、バサバサバサと言う足音がして、声の主はいなくなってしまう。「ちぇっ!人のことを呼んでおきながら、馬鹿にしてやがら。」とちょっと太宰治のような口吻を真似してみる。

日向の中を後ろ手で、ゆっくり歩く。少し行くと、蔦に半分以上覆われた一軒独立した喫茶店が見える。大きな硝子窓から薄暗い中が見える。失礼ながらちょっと覗いて見ると、大鷲がテーブルの前に坐っている。やはり猛禽は恐ろしい顔をしているものだな、ともう一度見ると、白髪で眼光の鋭い老人が大学ノートに何か書いていたのであった。彼は何故だろうか、今時珍しい大きな砂時計を側に置いている。私はその姿が気になったので、喉も渇いていないのに、この喫茶店「鸚鵡」に入る。入り口には鳥籠があったが、そこは空で、店の中には大きな黄緑色のインコが止まり木にいる。「ィラッシャイマッセー、ィラッシャイマッセー!」と大きな声で怒鳴る。私は大鷲の老人がよく見える位置に席を取った。不思議な人だ。彼のテーブルの上には分厚い黴の生えていそうな古本が二十冊以上も積まれているのだ。店主らしい男が「先生、いつ頃出版されるんでしょうか?」と老人に声を掛ける。「まだまだぁ。」と返事をする。「それにしても、『テウクロイ人の研究』面白そうですね。」「まぁね、ギリシアは君ぃ、実に面白いのだよ。年を加えれば加えただけ、彼の地は儂を魅了して已まない。」と大鷲は嘴の先端を翼で撫でながら、天井を見ながら言う。私は彼の姿を写生しておこうと、ポケットから手帳と鉛筆を取り出した。少しだけ描き始めると、鋭い視線をこちらに感じる。目だけ動かしてそちらをみると、老人が私の方を見ている。人間は他者の視線を感じ取ってしまうものなのである。慌てて手帳をしまう。それでも時々こちらを見ているようなので、私は珈琲だけ半分ほど飲むと、急いで勘定をすませて出てくる。「ィラッシャイマッセー。」とインコが繰り返す。

あの大鷲は何の研究をしているのだろう?『テウクロイ人の研究』なんだろう。まぁ、ギリシアと言っていたので、ギリシアに関連する人々のことのようだが、と考えながら歩いていると、小さな公園が目の前にある。bird skeleton.JPG子供達が遊んでいる。あぁ、そうだった。今日は日曜日なのだった。地面には1.5メートルほどの円、その外側に目玉焼きの白身のような不規則な凸凹の線が引いてある。これは小学校の頃放課後によく遊んだ目玉焼きと言う遊びである。向日葵と言う呼び方をする場所もあった。黄身の部分に鬼がいて、白身の部分にいる子供達が白身だけを通って回るのを妨害する。狭隘な部分が最大の難所であり、鬼にとっては恰好の場所である。突き飛ばされて白身の外に出たり、線を踏んだりしたら鬼の仲間に入らねばならない。アメリカにはローラーゲームと言うスポーツがあるが、子供がやろうが大人がやろうが、似たようなルールである。ローラースケートを履いて、傾斜したベニヤのトラックをぐるぐる回り、対戦相手を一周追い越すと得点になる。こちらは大人だけにかなり荒っぽい。こういうゲームと言うのは、人間の闘争本能を擽るのですぐに真剣になったり興奮してしまったりする。案の定子供達も、頬を紅潮させながら必死に遊んでいる。私も子供の頃を思い出しながら、鬼になっている少年を見た。首の長い、背の高い子供だった。オデュッセウスたちの乗った舟に岩を引きちぎっては投げつける、怒り狂ったキュクロープスのようだった。その仕草は余りに闘争心に満ちていてまるで軍鶏のようだ。「あっ!シャモだ。」と私が呟いた瞬間、少年の目がきらりと光った。と思ったら、もう大きな軍鶏そのものが、私に向かってくるではないか。恐怖そのものになった私は、走りに走った。こういう時程、体が重く感じることはない。普段の運動不足を露呈してしまう。頭の中ではそれこそ機関車の車輪のように足が高速回転しているのだが、体自体はスローモーションのようにもどかしい動きしかしていない。背中に鋭い痛みを感じる。軍鶏の飛び蹴りを喰らったようだ。私は只ひたすら走る。目の前に土手がある。必死で這い登る。振り返って見ると、軍鶏は来た方へ走ってゆく。どうしたのだろうと思って回りを見ると、黒い影が地面を通り過ぎた。見上げるとロック鳥がゆっくりと旋回しているではないか。

一難去ってまた一難か。私は再び走り始める。しかし、足はもう棒のようになって、思うように太腿が上がらない。呼吸困難に陥る。意識がなくなる。

 

暖かい日射しを頬に感じる。恐る恐る目をあけると私は、自分が近所の風景の中を歩いているのが分かる。夏椿、正木、柿、山帽子、ミズキ、欅などの若葉が輝いている。道路際にはスギナ、花ニラ、花大根、二輪草、菜の花などが溢れている。あぁ、私は駅から我が家に向かって歩いている。

 

家について、着替えをする時シャツを見ると、やはり血が滲んでいた。そして、蹴爪のような尖ったものの穴も開いている。やはり、私は鳥の町へ行っていたのだった。

201051日土曜日)


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小説 『飛行倶楽部 空飛ぶバイダルカ』  [短編小説]

2010328日(日曜日)&44火(日曜日)

空飛ぶバイダルカ

 飛行倶楽部の会員の飛行方法には、既に述べたように種々の方法がある。アラビアンナイトに出てくる空飛ぶ絨毯、空飛ぶ木馬などは勿論かなり立派で優れた乗り物であることは議論を待たない。残念ならが、我々の飛行倶楽部には空飛ぶ木馬を持っている人物はいない。空飛ぶ絨毯を持っている男はいるが、彼が自慢の絨毯を披露してくれた時、会員の多くは失望してしまった。絨毯の柄が、あのペルシャ絨毯のような美しいものではなく、安っぽかったのと、毛がかなりぼろぼろになっていて、年取った犬の毛のようだったからである。それでも彼が胡坐をかいて愛用の絨毯に乗ると、ふわりと浮き上がり、念ずると前後左右、上下斜め左右、自由自在にゆっくりと動いてくれる。何か火急の時の役に立つような動きはできなそうだったけれども。

 ところで、飛行倶楽部には、会合があると必ず顔をだすバイダルカ野郎と言う男がいる。彼は立派な体躯をした男で、普段からも筋肉は鍛えているようだった。彼が自分が如何にしてその空飛ぶバイダルカを作ったのかをある日話してくれたことがある。

 

 「俺はさぁ、前にも話したかもしれないが、冒険が大好きさ。それと子供の頃から空飛ぶ夢をずっと持っていた訳。そりゃぁみんなと同じだね。

 みんなも知ってると思うけど、例の本に浮遊石、飛び石のことが書いてあるじゃない。それがどこにあるか、俺探したよ。あちこちね。洞窟写真家と言うのを職業にしているから、その特権を生かして、あちこち行って来たさぁ。鍾乳洞や古墳らしきものの羨道、旧陸軍の作ったトーチカだとか秘密の地下通路だとか、工事の半ばで中止された地下鉄らしきもののあと、とか、本当にあちこち行っては写真に撮ってくるんだ。

 あれは9年前の秋だったが、例の浮遊石がある可能性がと書いてある高い白神山地にある洞窟の写真を撮っている時のことでした。面白い形の石筍があるので、どんどん奥へ入っていったんですよ。不思議の国のアリスよろしく、俺も突然、足元を掬われたような感じがして、結構深い穴を転がり落ちてしまったんです。アリスのように優雅に、お気楽に落下なんて、現実問題できないもんですな。

どうやら暫く気を失っていたようです。辺りが真っ暗で、何も見えませんから、蝋燭とマッチを取り出しました。懐中電灯は落下の際に、どこかへ飛んで行ってしまったようで、手探りしましたが、近くにないようでしたから。まさかのために常備している蝋燭とマッチが役に立つんですな、これが。

flying baidarke 2.JPGマッチで蝋燭に火をつけて、俺は驚いたね。目を疑った。石が目の前に、いくつも浮いているんだから。手を伸ばして、触ってみたけれど、やっぱり硬くて石に違いないんだ。でも、浮いている。浮沈子のように、何もしなければ空中に静止しているものもある。軽く指で押してみると、ゆっくり上昇する。かなり浮揚力が強くなっていて、鍾乳洞の天井にへばりついているものも無数にある。凸凹した床にある浮遊石も、殆ど垂直方向への重さを感じない。横に押すとしっかりと抵抗感があるのだけれど。ちょっと指で触ると、ゆっくりと移動してゆく。水中で丸太を押すような感覚というのだろうか。

この洞窟の知られざる場所を発見した俺は、ツタンカーメンの王墓を発掘したハワード・カーターのように狂喜したさ。落下した時の痛みなんかまるで忘れてね。俺が長年探していた浮遊石がこんなに沢山あったのだから。

この時は写真機以外には何も持って来ていなかったので、俺は自分の発見が夢に過ぎなかったと言うことがないように、確認のために上着のポケットに出来るだけ沢山の小さな浮遊石を詰め込んだ。そして、落ちた洞窟内の崖を慎重に登って行った。勿論、この場所が分かるように、しっかりと自分だけに分かるように目印をつけてね。

洞窟の外に出て、町に行くと、皆が俺のことをじろじろ見るのさ。どうしたのかと思ったら、あちこちから血が出ていた訳さ。傷だらけになっているのに、自分では全く気づかないのね、こんな時。『いえ、なに。洞窟の中に落とし穴ような穴があって、そこに落っこちてしまいましたよ。危険ですから、分からない場所には入っていかないようにしますよ、今後は。』などと言って、誤魔化しておいた。」


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短編小説ー飛行倶楽部 その2 [短編小説]

 2010/2/17 水曜日&3/7日曜日

飛行倶楽部 その2

 飛行倶楽部の会則には無いが、飛行そのものについての会長が説明してくれた定義がある。「諸君、飛行が飛行であるためには、私はこのように定義したいのである。諸君は既に飛行者であることを前提に話させてもらいたいのだが、まず諸君は、キリスト教の信者がキリスト者であるのと同様に、飛行できるが故に飛行者なのである。その飛行者たちに向かって、私はこう言いたい。飛行は人類の憧れであった。そして、以前憧れであるし、将来も憧れであり続けるであろう。飛行の何が人類に憧れを抱かしめるか、それを考えてみて欲しい。私の考えによれば、人間は自分で目撃したもので、自分の能力によって獲得されえないものを欲しがる、これを憧れと呼べるのではないか。(彼は形容詞が多く、寄り道が多いので一部省略)・・・掴もうとしても手が届かない、この悔しさは、即憧れになるのであるんである。それゆえ、飛行である為の条件は、人間の手の届かない高さまで浮揚することが出来ることである。これはその人間の身長、健康状態によって変わるのは言うまでも無い。一般的には手を伸ばして届かない二メートル四十センチくらいの高さがあれば、浮遊力があると認められよう。

しかし、飛行者たちよ、浮いているだけなら、それはゴム風船にすぎないんであるんである。飛行者が飛行者たる所以は、その可動性にある。誰でも最低限、飛行船でなければならない。プロペラのついた風船、それはれっきとした飛行物体なのである。・・・

また、滞空時間も重要な要素である。飛行者であるためには、引力に対する反発力を有していなければならないからである。・・・そして私の認定する最低の滞空時間であるが、まぁ、一分位あればいいかな。だって、通常は飛行しないと言われているあの鶏の飛行時間だって、十秒もないでしょ。私が見た時は、ものの五秒位だったもの。六十秒間もてば、上出来じゃん!(以下省略)」

こんなことを言うのだから、飛行倶楽部の会長は、最も美しい、それこそ幾何学的にも完全な、黄金比に満ちた芸術的にも完璧な、物理的にも非の打ち所の無い飛行姿を披露してくれるのである。さぁ、皆さん、それがどのような飛行方法であるかご紹介しましょう。と言いたいところであるが、実のところ、会員の中で唯一飛行能力がないらしいのだった。発想だけはしばしば「飛んで」いたのだが。だからこの会則は、会長自身が会員でいられるための抜け道を作ってあるのだ。

 ところで、妻や私がなぜこのような高名な学者の倶楽部に参加できたのかと言うと、それは彼が私の従兄弟だからである。さもなければ、こんな変人を誰が相手にするものか。

 

閑話休題。我々のパレードについてご紹介することにしよう。

ある日の会合で、暴走族あるいは別名雷族ならぬ飛行族の、夜のパレードをやろうと言うことになった。敢て喩えるならば、リオのカーニバル、いいですか、町おこしの何々サンバ祭とはちがいますよ、のようなものだから、会員たちの盛り上がりは尋常ではない。カスタネットやマリンバやらタンバリン、大太鼓や銅鑼を打ち鳴らす者、足踏みする者、警笛を吹き鳴らす者、指笛を鳴らすもの、金切り声を上げる者、書斎は暫しの間人間たちの集会とは思われない狂騒の場になった。

walpurgisnacht.JPGそして、430日の深夜が、そのパレードに決められた。まるで曲馬団ご一行様のような出で立ち、装備をした会員たちが、ワルプルギスの夜Walpurgisnachtのように、ぞろぞろと、廃校になった山の上の分教所の校庭に集結したのである。トランポリンを運び込む者、愛用の手拭を持つ者、これは私である、風船を持つ者、団扇を持つ者、縄跳びを持った者、絨毯を担いだ者、大きな車輪付き旅行鞄を引いている者、それ以外にも色々な道具を運び込んでいたが、思い出せない。そんな中、最高級と讃えられる無装備飛行者たちが、周囲を睥睨するかのごとくゆっくりと行進してゆく。件の座禅と私の妻である。

この分教場には小さな禿山があり、その頂上に、皆の飛行が始まる前に、会長がパンくずを儀式として蒔いた。ブロッケンBrocken山を成就せんがためである。

そして、会長の飛行開始宣言があった。「ま、硬いこと言いません。飛び方、始め!」

その宣言の後、もう古びた分教場の校庭と山には、飛行野郎と若干名の飛行女たちが所狭しと動き回っていた。ある者は走り、ある者は鉄棒の大車輪を始め、縄跳びを始め、私は手拭を廻し始め、妻は助走を始める。ある者は羽ばたきを始め、ある者は絨毯を地面に置いて愛情たっぷりに撫でている。そんな中、俗世間から隔絶した修行僧のような顔をして瞑目しているのは座禅である。そして、一人だけ疎外感を感じているのは会長のようであるが、それでも飛行方法の研究なのだと称して、彼は一眼レフやビデオカメラを持って走り回って、殆どカメラ小僧のように興奮している。

暫くすると、校庭や分教場の建物の上には、飛行野郎達が歓声を上げながら気もち良さそうに飛び回っているのである。


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小説 『飛行倶楽部 その1』 [短編小説]

2010216日 火曜日

短編小説 - 飛行倶楽部 その1 

 私の通っている飛行倶楽部の話をしよう。その倶楽部は航空工学の先生の書斎である。先生の家は住宅地を見下ろす丘の北側斜面にある。家の周りには常緑樹が茂っていて、敷地内に入ると、少し気温が低いように感じられる。自分がどこに居るのかを忘れてしまうような空間である。もともとこの家は農家が物置にしていた場所を買い取ったもので、東からの太陽は拝めるため、朝日が眩しい。私なども変人の類なので、こういう一風変わった、怪しい秘密基地のようなところは大好きである。彼の友人の美術大学建築科の卒業生に設計を依頼したため、機能性よりも見た目、芸術性があきらかに優先されている。家は鉄筋コンクリートと硝子で造られていて、一見したところ美術館か博物館か図書館のように見える。二階建てであるが、半地下にもなっている。

 倶楽部の会合がある彼の書斎は半地下にあり、広さが20畳ほどである。そこにはまるで男の子の部屋のように、プラモデルの飛行機、飛行船、ロケット、鉄人28号、ゴム動力のプロペラ飛行機、ラジコンの小型ヘリコプター、ぺノーのプラノフォアの模型、レオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプター、グライダー、ペットボトルのロケット、オートジャイロ、地球儀、天球儀、星座表、羅針盤、ライト兄弟の複葉機、羽衣を付けて舞う天女、トンボや蝶々の模型などが天井から吊ってあったり、棚の上に置いてあったり、机の上にあったりするのである。男の子ならばきっと目を輝かせるものが溢れている。蔵書の数はそれほどでものなく、三千冊ほどであろうか。

 部屋の真中に大きな作業台のような机があり、肘掛付き回転椅子が一つある。置時計がこの部屋には五つある。壁掛け時計は二つ東西の壁にある。

flying baidarka.JPG 飛行倶楽部の会員であるが、飛び方には制限がない。後ほど紹介する会則に同意した者は大抵の人が会員になれるのである。飛び方によって、会員の呼称が異なる。私の場合は妻と二人で会員になっているのであるが、妻が勢いを付けて走りながらやがて離陸する方式なので「助走」、私は手拭をヘリコプターのプロペラのように腹這いになった腹の下で回転させる方式なので「腹這いチョッパー」と呼ばれている。妻に言わせれば「ダサい」飛行方法なのであるが、飛べればいいではないか。私と同じように腹這いで飛ぶのだが左右両手に手拭を持って回転させる方式は「外輪船」あるいは「パドラー」。立位の頭上で推進羽を回転させるものを「垂直チョッパー」。瞑想しながら浮遊するものは「座禅」あるいは「瞑想」である。念力で浮揚するものは「念力」。浮き袋の付いている特異体質の人間は「浮き袋」である。他にも、トランポリンで勢いを付けて浮き上がるもの「トランポリン」。平らな丘の斜面を走りながら降りてきて浮揚するもの、これは装備をなにも付けていない場合でも「パラグライダー」と呼ばれる。リヤカーのようなものに自転車を付けて牽引して舞い上がる方法「牽引」、校庭のような広い場所で側転を五十回ほど繰り返しながら舞いあがる方法「側転」もあるが、これは見ている方が目が回る。ブランコを漕いで空に飛び出すものは「ブランコ」、鉄棒の大車輪をするのは「大車輪」。

 会員達は夫々、自分の飛び方が最高であり、最も美しいことを信じて疑わないのではあるが、やはり念力や瞑想で飛行する美しさは別格であることは誰しもが認めている。やはり、道具を使うことに対しての抵抗感があるからである。鳥や昆虫と飛行機の飛行を比べるようなものである。ちなみに、妻は助走という方式で、補助具を何も使わないので、最高級の飛行方法だと主張している。

 会合はいつも夕方から始まる。そして朝になって散会となる。何のために集まるのか。会長が定めた会則があるが、それが全てを語っている、訳でもない。それでも少しは参考になるかもしれないので紹介しておこう。

 飛行倶楽部会則

一、会員であるためには何らかの飛行技術あるいは能力を持っていなければならない。その技術がどんなに卑劣なものでも幼稚なものでも、或いは剽窃であっても構わない。研究中、特訓中の未完成品であっても構わない。飛びたいと夢想しているだけだって、結局のところ構わない。

一、会員は飛行技術、知識を有している証拠を他の会員たちに提示せねばならない。その証拠がどんなに胡散臭かろうが、合成写真であろうが委細は問わないし、追求する勇気もない。

一、会員であるためには、他者を超える情熱がなければならない。ここに言う他者とは、特定の他者ではなく、自己自身の解釈による他者であることを必要かつ十分条件とする。


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短編小説『管制官』 [短編小説]

2009年12月13日の日曜日に、神宮前にあるKNさんとYGさんのところで、木馬座の集まりがあり、久々に参加。また、私の知らなかった木馬座のことが分かり、幾つかメモをとる。しかし、まだ『劇団木馬座の思い出 補遺』に取り掛かるだけの分量がないので、もう少し時間がかかりそうである。今日も引き続き短編を紹介させて頂く。

2009-11-24 火曜日

管制官

 私の知人には変な奴ばかりなのは先刻承知のこととは思うが、やっぱり今回もその変人の話である。なんだ、また変人かい、などと茶茶を入れてもらっちゃ困っちゃう訳である。シャーロック・ホームズだって、ポアロだって、殺人事件偏執狂なんだから。そういう小説を好きで読むなんて、余程物好きにちがいあるまい。

 電車に乗っていると、たまにではあるが面白い人間を見かけることがある。駅員から少しだけ離れて、白線を指し、入って来る電車と待っている乗客とを見ながら「危険ですから、白線の内側にお下がり下さい!」などと叫んでいるボランティア駅員である。下がらない不届き者がいると「オ、サ、ガ、リ、下さい!」と怒った駅員の声も真似してみせる九官鳥君である。旅行客の訪れる神社仏閣や名所で、ボランティアの案内人がいて、少しでも困った顔をした観光客がいると嬉しそうな顔をして近付いてきた「お困りですか?私でお役に立つことがあれば。」などと声を掛けてくるようなものである。すべからく、こういうボランティアと言うものは他者から必要とされる必要があるのである。誰かが「東京駅では京葉線にどうやって乗り換えるのですか?」などと聞こうものなら、ボランティア駅員は、横で苦い顔をしている駅員が見ていようがそんなことはお構いなく、それこそ鼻の穴を満月のように大きく開けて深呼吸して、喜色満面で、丁寧に馬鹿が三つほどつくほど丁寧に教えてくれることだろう。「あれは、乗換駅と言われて油断してはいけません。一駅分近く歩くんですからね。十分な乗り換え時間を、そう10分くらいを見込んでおかなければいけませんね・・・・」

 どうも脱線ばかりしているようだが、私の話は天動説よろしく、皆一つの話題を地球として、中心として回っているのだ。ご心配無用である。

 さて、私の知人について話をすることにしよう。彼は自慢そうに「煙と何とかは高けえ所がお好き!」と言いながら火の見櫓に登ったり、高層ビルの最上階へ行ったり、海辺では子供達がやっと拵えた砂の城の尖塔の上に立ったり、兎に角自分の重量を以ってその位置エネルギーを最大にしようと常に努めずにはいられない種類の人間だった。どこか高いところはないかと、いつも空ばかり見上げているような奴だったから、人様に頭を下げるなどとは以っての外、子供の頃から社会に出てからも謝ったことが無いのが自慢と言う御馬鹿さんだった。そして一言付言しておかなければならないのは、彼は私の知人であって、友人ではないと言うことだ。この辺の定義は恐ろしく重要である。

 ある夜、私は彼とその友人たちと五人で飲みに行った。行きつけの店なので、付けがきく。私達の一番の酒の肴は議論である。何について議論をするかと言えば、深刻な内容は少なく、大体たわいも無いことが多いのである。この時は一人ずつ自分が他者に対して遥かに凌駕していると思える特技について語ることになった。私が一番目だった。こう答えた。「そんなものがあったら、こんなところで飲んだくれてはいないさ!」すると彼がこう言った。「他者を凌駕する能力と言うものは、誰にでもあると思う。他者と言うのは厳密に全ての他者と言う意味ではなく、最低限複数の他者と言う意味でいいんだよ。誰でも、いずれかの分野では、少しは複数の他者よりも優れた能力を持っているものだと思うよ。」「何を言っているんだ。全てに於いて、自分は劣等だと思っている人間だっているんだ、この俺のように。」と私。「全てに於いて劣等だと思えること自体が、すでに他者と大きく異なり、その異なっていると言う事実が一つの優越性なのだよ。それにだよ、本当にどんな他者よりも劣等であるとしたら、すべての他者に優越感を与えうることになる。それは、非常に稀有な優れた才能、能力だと思うが。大体の人間は、自分が最低だと思うことが出来ず、どっかで変な優越感や選民意識があるものだと思うよ。だから無になることもできず、自己自身を捨てることができない。何も持たないものの力は、真の力だと思う。」と彼。どうも私は、中途半端な優越感を持った、偏見に満ちた人間であることが分かってしまったようだ。

 彼にそのように言われて私は自分の特技について話した。「私が他人に多少自慢できることと言えば、レオナルドのように逆さ文字が書ける事くらいかな?それも比較的速く。」ここで変人会の参加者たちは、やれ逆さ文字が書けるのは人に簡単に読まれなくて便利で凄い、素晴らしい、とか、実に下らない、そんなものが何になるのか、とか両極の議論で盛り上がる。続いて次の人間が特技について話す。誰が何を自慢しても、少しも感動する様子も見せないのが彼だった。

 そして彼の番が来た。「僕はね、実のところ鳥たちの航空管制官なのさ。」「鳥たちの航空管制官?!」私達は異口同音に、半信半疑でそう繰り返した。「まぁ、僕の言うことが本当かどうか、見せてやるから。」随分自信満々だったので、私達は疑うことをやめて、彼のお手並みを見てみることにした。「勘定は次回まとめて一括払いね!じゃぁ、また来ますね。」と肉じゃがの鍋をつついているおいちゃんに言った。

 bird controller.JPGすっかり酔いの回った五人は、ふらつきながら外へ出ると、星が輝き、月も出ている。暫く歩くと人通りが少なくなる。彼は彼方の空を指した。「ほら、あっちの空を見て。雁が編隊を組んで飛んでいる。」酔っ払いたちは、目を擦りながら、その指された方角を見る。鳥の種類は識別できないが、確かに雁行に見えた。「いいかい。僕がこれから空の交通整理をしよう。」と言うと彼は、両手を高く上げて手旗信号を送る要領で手招きをした。すると右手から左手に飛んでいた鳥たちが、私達の方に向かって羽ばたき始めた。彼らが私達の真上に近付いてくると彼は両手を広げた。そうするとなんと鳥たちが左右に別れ、その後は大きく円を別々に描きながら左右で飛んでいる。全く自分の目が信じられない。彼は続いて両手を地面に水平の位置に保った。すると、鳥たちは再び、矩尺の形をして飛び去って行った。私は彼に尋ねる。「これは、雁に対して、どんな雁に対しても同じことが出来るの?」「別に、雁に限ったことじゃない。空を飛んでいる鳥だったらなんだって一緒さ。雀だって、椋鳥だって、鴉だって同じさ。」

 翌日、素面になって思い出してみたが、私はどうしてもあの空で起こった光景が夢のようで信じられなかった。思い出してみると、天動説の説明図にあるような空の書割が、ぱっくり割れて描かれた景色がそのまま方向転換したような、そんな像が浮かんでくるのである。

 彼がボランティア駅員とは異なる水準の持ち主であることは認めざるをえないのである。人間には誰にでも、他者とは異なった傑出した能力が備わっているものなのだと痛感させられる経験だった。


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短編小説『傘の反乱』 [短編小説]

傘の反乱                  2009/11/17火曜日-11/19木曜日

 あの日私は、少しだけ朝寝坊をした。前日に海外のブログやらホームページを見ていたりしたためである。何を検索していたかと言うと、宇宙筏を作ろうと思って、その概念に近いものを誰かが先駆けて研究していないかどうか、もし既に存在しているのであれば、材料費を知ることができるかどうか。宇宙筏は宇宙空間を漂うことのできる優れものなのだ。自分で作図しているだけでも興奮してしまう。

 私の寝室は二階にある。なんだか外が騒々しい。カタカタ、カタカタあるいはバサバサ、バサバサあるいはトントントントンと言う音が聞こえてくる。カラスたちが集会でも開いているのだろうか。私は急いで洗面所へ行き顔を洗うと窓の方へ行く。

 umbrellas.JPGカーテンを開けて私が窓外に見たものは奇妙なものだった。そこいら一面に傘がいるのだった。これは、物としての傘が放置されている、置いてあるのではなく、明らかに傘たちがいるのである。それらはどうみてもバスティーユの監獄に集まったフランスの人民達あるいは市民軍と言った様子である。或いはミロシェビッチ大統領の退陣を求めてベオグラードに集結したユーゴスラビア民衆を思い出させずにはいられなかった。傘の種類はそれこそ千差万別で、折りたたみもあれば。ワンタッチもあれば、安っぽいビニール傘、ビーチパラソル、日傘、唐傘。どさくさに紛れてヤブレガサやら蕗の葉までもが、傘たちと一緒になって家の周りや道路に溢れている。開いたり閉じたりしているのもあれば、ピルエットをしているものもある。タップダンスしているものもあれば、リンボウダンスをしているものもある。ブレークダンスをしているものがあれば日本舞踊を舞っているようなものもいる。空中を飛んでいる奴がいれば、走り回っているものもいる。綱渡りをしているもの、逆立ちをしているもの、トンボを切っているもの。同じ柄の十本が合唱しているかと思えば、ヨガの行者よろしく瞑想しているものもある。香具師のように啖呵を切っているものがあれば、ハイドパークで演説するバーナードショーのように、蜜柑箱の上に立って皆を見下ろして何かを訴えるかのように演説しているものもいる。それらの傘の群集の中を、一列縦隊になって偉そうに威儀を正して行進している赤い傘も見える。

 これだけの傘を見たのは初めてだった。私はふと私の折り畳み傘が鞄の中に入っているかどうか気になった。急いで鞄の所へ行き開けてみると、彼は何事もなかったかのようにしっかりと鞄の底で眠っている。玄関の傘立を調べてみるが、やはり何の変化もない。

 再び窓のところに戻る。やっぱり、これが傘たちの暴動なのか、或いはカーニバルなのかさっぱり分からない。傘たちの興奮は収まる気配か見えない。傘同士はぶつかったり、或いは壁や電柱やらに柄や切先をぶつけている。彼らの意図がまるで推測できない。ふざけあっているのか、小競り合いしているのか。

 

 暫く見ていたが、大きな変化もなさそうなので、私は一旦窓から離れて台所へ行き湯を沸かして、新聞受けに朝刊を取りに行く。外から投函すると内側から取れる型なのだが、扉の外では例のカタカタ、コトコト、バサバサと言う音がしている。

 新聞の一面に目をやると、傘の反乱と言う文字が見出しになっている。と言うことは傘の反乱は私の幻覚ではなかったことになる。私は最早新聞をまともに読んでいる気分にはならなかった。生き物ではない筈の傘たちが、生き物として反乱を起しているのだった。猿や猫やカラスなどを出し抜いて、傘たちが先に人間に対して牙を向いているのだった。

 こんな時にこそ冷静にならなければならない。私はピーっと音を立て始めた薬缶の所へ行き、珈琲を淹れた。深呼吸をしてみる。頬を抓ってみる。やっぱり痛い。すると大分落ち着いてきた。インターネットで調べてみようと電源を入れてみるが、ネットには繋がらない。必要なものが肝心要の時に使えないのが、マーフィーの法則で知ってはいたのだが。まさかの時に使えないのが非常用品なのだ。テレビは持っていないので、こうなったら友人に電話を掛けてみよう、と電話するが、留守電。警察に電話をしてみるが、私が傘が踊ったり飛んだりしていると言う状況を説明し始めると「今、忙しいので!」と言って切られてしまった。人間は自分の知っていること、体験したこと以外のことについては、見事に無知を誇ることができるものなのだ。ある現象が現前していても、言下に否定して、自身の愚昧さを高らかに宣言できるのだ。「俺の知る限り、そんなことは起こった例がないし、未来永劫起こる筈がない!」と言って。

 腹を立てているだけでも面白いこともなかろうと、私は朝食を食べることにした。トースト二枚、マーガリンとマーマレードをたっぷり塗る。ゆで卵、トマトサラダ、それにインスタントのコーンポタージュだ。

 食べ終わると気持ちが大分落ち着いてきた。もう一度窓際へ行って外を見ると、傘たちは先ほどの狂乱ぶりはどこへやら、なんだか大人しくなっている。

 私は階下へ行き、扉をゆっくりと開けてみる。傘たちはまるでゴキブリの集団のように、カサカサと茂みや物陰に隠れる。私は静かに外へ出てみる。傘の姿が見えない。あれだけ集まっていた傘たちが、私という人間の出現に恐れをなしたのか、蜘蛛の子を散らしたようにいなくなり、私は何もいない空間を眺めているばかりである。

 食卓の上に放り投げておいた朝刊の文字をもう一度見ると「陣笠の反乱」と書いてあった。何だ、政治の話題か、と思う。すっかり寛いでしまった。ソファーに身を投げ出して、あの緊張感は何だったのかと考えたりした。きっと、ルイ十六世なども、民衆の怒りを前に、私が今日体験したことを味わったに違いない。

 umbrellas in revolt.JPG二階から何かが降りて来る。歩き方は人間ではない。なんだろうと階段の方を見ると、私の鞄が体を引き摺るように降りて来る。それはあたかも目的地があるように、どんどん玄関の方へ進んでゆく。傘ではなく、今度は鞄の反乱なのか?傘置き場のワンタッチ傘の動きがなんだか怪しい。動き出そうともがいているように見える。先ほどまでは動いていなかったのに。鞄のチャックが無理やりに開けられるように、音を立てて開いた。怒気に満ちた折り畳み傘が飛び出してきた。そしてワンタッチ傘に少し触れた。そうするとまるでエネルギーを補給されたロボットのように、ワンタッチ傘も踊り始め、大きく左右に揺れながら玄関の方へ行く。カチャカチャ、ゴツンゴツンと、何かをしようとしている。どうも扉を開けようとしているようである。

 と次の瞬間、扉が開けられ、狂った傘たちが家の中へ飛び込んできた。その数は夥しく、とても私一人では防げるものではなかった。彼らは私を目がけて飛んでくるやら、転がってくるやら。喩えて言えば、五十匹の野犬に囲まれたような恐怖である。傘たちは吠えたりはしないが、開いたり閉じたり、くるくる回転したり、切先が私の目を突こうとしたりしたので、頭を左に傾けた。そうしたら後頭部を思いっきり柄で殴られた。

 私が倒れるとその上に次々に傘たちが覆いかぶさった。彼らは口々に叫んでいるようだった。「天は暗く、大地は明るい!」私の上に傘の地層が出来上がっていった。私は諦めて、最下層の地層になる覚悟をした。重さが加わって、呼吸が出来ないほどになった時、気を失った。

 あれからどれだけの時間が流れたのだろう。私の意識が戻った時、手や腕や脚や腹は、痣だらけになっていた。その痕が傘たちの反乱の証拠であるのだが、未だに私の話を信じてくれる御仁が現れないのである。
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短編小説『帆立貝牧場』 [短編小説]

今日も昨日に引き続いて短編小説の公開。私は文章を書くと絵が止まり、絵を描いている時は文章は書かないようである。但し、詩は別で、詩は絵を描きながらでも作曲をしながらでも書く。いずれにせよ、文章モードになっている私であるが、流石に連休となると心も落ち着き、挿絵を描く気になってくる。

2009-11-4水曜日

帆立貝牧場

 ある港町の安酒場に行った時のことだ。昼間っから私はウィスキーとウォッカを呷っていた。何しろ、突然吹き始めた北風が襟から袖口からズボンの裾から入り込んで来たので、体中がまるで冷蔵庫のジャガイモのように芯から冷え切ってしまったからだ。同じように思った輩がこの狭い場所に犇いていた。中には勿論、牛男、馬男、それに魚人間もいる。その中で最も胡散臭い奴の隣に坐った。

 彼の姿は吹き出したくなるようだった。道化帽、あの人手の先っぽに鈴を付けた奴さ、を被っている。ゴムの長靴、それだって膝上までの長い奴、を履いて、その長靴には大きすぎるほどの拍車が付いているのだった。ダブダブのチョッキには、ブリキ製の星形バッジ。どうみても、僕は保安官です、と宣言しているような出で立ちだった。

shellfishboy.JPG「寒いですな、突然。」

まるで笑いながら喋っているように、あるいは海月が喋るような声で「寒いやね、全く。」と彼は答えた。愛想は別段悪くはないことが分かった。

「見るからに、カーボーイですな。」と私が言うと、そのカワハギのような顔を皺だらけにして喜んで「やはり、お分かりですな。御目が高い!まぁ、一杯ぐっといきやしょう!」などと言う。私は無論冷やかしでそう言ったのだったが。「ということは、牛を追って屠殺所まで連れて行くんですね。途中、痩せさせたり怪我をさせない様に細心の注意を払いながら。」私はテレビで昔見たことのなる『ローハイド』を思い出しながら聞いてみる。

「うんにゃ、そうじゃねぇ!おいらのやっているのは、帆立貝牧場の貝ボーイさ。」

この答えで、彼が磯の臭いがする理由が分かった。「貝ボーイ?!貝ボーイね。貝をどこかへ移動するんですか?」

「まぁ、そんなもんさ。」

 結局、私はこの日彼と夕方まで話し込んだ。彼が是非にと言うので、翌日彼が仕事をする姿を見せて貰うことになった。

 

 次の日は、まるで打って変わって、快晴となった。太陽が煌いていて、汗ばむくらいである。私は彼について牧場へ行った。火成岩の塊があちこちにある、水の透明な場所だった。私は、潜水服を借りての見物である。彼は流石に慣れていて素晴らしく、アクアラングを付けずに、巨大な帆立貝を追い回している。その姿はいかにも海のカウボーイだった。彼は大きなタツノオトシゴに跨って動き回るのだ。帆立貝には例の大きな拍車を近づけると、貝は慌てて水を勢い好く噴射して逃げ回るのである。拍車と思ったのは、ご想像通り人手(下記注)だったのだ。

「それ、やれ!もっと帆立貝を追い込め!」と私は調子に乗って、掛け声を連発する。奴さんもいよいよ得意そうに、貝たちを別の放牧場へ追い立てる。実にその姿は力強い。あいつのどこにあんな力が潜んでいたのだろう。人間と言うものは外見で判断してはならないなぁ、とつくづく思う。私は、岩に腰掛け海中に降り注いでくる緑色の太陽の光を見上げていた。なんと美しい世界だろう。そして、なんと雄雄しい仕事だろう、と。

 次の瞬間、私は何かが私の体に巻きつくのを感じた。柔らかく私を包み込むような。その触手のようなものの先を見ると、あの貝ボーイがどこから出してきたか、彼の体から手を伸ばしている。口からは涎を流しながら。私は慌てて近くにあった磯巾着をもぎ取ってあいつのアノマロカリスのような口の中に押し込んでやった。そうしたら、相当に不味かったらしく、舌を捩って出して苦しがっている。私はあいつの汚らしい触手を振りほどいて、海上に出た。だから、多分命からがら逃げたことになるのだろう。

 しかし、今もって、私は彼が単に私に好意を持っただけなのか、それとも食料として摂取しようとしていたのかが分からないのである。

注)この人手が帆立貝の天敵であることを教えて下さったのが、SAKANAKANEさんのブログでした。SAKANAKANE様、有難うございました。早速、このネタを使わせて頂きました。


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短編小説『運河』 [短編小説]

 短編小説は書き上げているのに、挿絵がないので苦労している。やっと、『運河』の挿絵を描いた。本当は小樽の運河などの風景と虎或いは女の絵を描きたかったのだが、じっくりと構想を練る気分にならない。(「運河」の挿絵をあまり急いで描いたので、今日11/23少しだけ着色し、線を追加。)

2009-11-3(火)~2009-11-10(火)

運河

 その運河近くには、シベリア虎が棲んでいるらしいと言う話は、水面下で日々燎原の火のように広がりつつあった。何でもこの虎は夜な夜な美しい婦人に成りすまして、酔漢たちと夜を共にし、朝には食い残された体をそのままにして姿を消す、と言う。子供の頃に読んだインドだったかペルシアだったかの物語のようで、この虎に憧れを抱いた私は、早速みすぼらしい姿に身をやつし、赤提灯で体からアルコールの臭いが発散するほど飲んで、運河沿いの暗い道を歩いてみた。やはりこういう話が巷間で囁かれるというと、人通りはまばらになるものだ。私以外には人影がない。心細い街灯がひたすら空しく明かりを放射しているばかりだった。

 知らずに私が空き缶を蹴飛ばしてしまったらしく、空洞の鉄の缶が転がる音が聞こえた。鼓膜をつんざくような静けさの中でのこの不用意な物音は、ピアニシッシモに於けるフォルティティッシモのように、事件を暗示する効果音となる筈であった。

 しかし、何事も起こらず、霧の漂う水面にも何の変化も無く、朧月もそのままである。

 予備知識というものは、人の目を鋭くすることがあるかもしれないが、往々にして曇らせてしまったり、不必要な偏見の虜にしてしまうことが多い。知識がなければ、何らかの知識を得ようと、真剣になることが出来る。そして、思いもかけぬ視点で、既成概念を覆すこともある。

 私は自宅近くの雑木林を愛犬のホグホグと散歩したことを思い出していた。あの雑木林は古代生物も沢山いて、崖などにはアンモナイトや筆石やウミユリの化石が露出しているのだった。私とホグホグの前を始祖鳥が横切ったり、巨大なメガネウラがカラスを追い回したりしていた。

 虎女.JPG「女嫌いさん!」と後ろから聞き覚えのある声がした。振り向くと、何と高校時代の私達のマドンナではないか。当時、私は女子を意識しすぎる少年だったので、女嫌いと言う渾名を同級生たちから頂戴していた。

「こんなところで何をしているの?Mさん、ちっとも変わっていないじゃない。」

「ちょと、旅がしたくなって来てしまったの。女嫌いさんにここで会えるとは思っていなかったわ。」

「不思議なもんですね。高校を卒業して、全く顔を見ることがなくなってしまってから、二十五年以上も経つのに、Mさんの印象は少しも変わっていない。」

「お互い様よ。私だって、女嫌いさんの後姿を見てすぐに分かったのよ。」

「いやぁ、懐かしいなぁ。もう、二人とも十分に年を取っているので、何も起こらないでしょうから、一杯飲みながら昔話でもしませんか?」

「それはいい考えね。」とMさんも少女の頃と同様の魅力を振り撒きながらで同意してくれる。

「あそこに一軒、店がある。明るいし、いいんじゃない?」

どの家も門灯だけで通りは薄暗かったが、一軒だけ煌々と明かりが点いている飲み屋があった。扉を開けて入ると、何故かこの店だけは空気がむんむんしていて多くの人々がいて、楽しそうに飲んだり食べたり喋ったりしている。何を話しているかは聞き取れない。

虎女.JPG私達はその店の隅に席をとり、ウォッカを飲みながら昔話に、思い出話に花を咲かせた。高校三年の時の運動会の話しになった。

「Mさんは足が速かったね。リレーの選手でさ。クラスでも一二番の俊足だったでしょう、女子では?」

「まぁ、そうだったかしらね。」

「そうですよ。僕なんかあのMさんが黒豹のように走る姿を見て、憧れたもんですよ。それにスタイルがいいでしょう。いつも、いっつも意識していましたよ、Mさんの存在を。あなたを眺めている男子がいましたよ、僕以外にも何人か。」そう言ったら、彼女は嬉しくって仕方がないと言う風にころころ笑った。話題は、次は文化祭に移った。

「そう言えば、文化祭と言う目的のよく分からない行事がありましたね。殆どの学生が第三者で、当事者であると言う自覚がない行事。皆白けていて、ごく一部の学生だけが、仕方なく、一生懸命に参加していましたね。実際のところ、教師が白けていましたね、一番。」

「私も客観的、と言うよりも他人事のような態度で見ているだけだった。でも、その皆の無責任さも、今では懐かしいわ。あの、微妙に大人になりかけた時代の精神状態。大人に反抗するような、それでいて自分達は大人ではないのだと主張するような。」

「文化祭の最終日、キャンプファイヤーを焚いて、皆でフォークダンスを踊ったの知ってますか。」

「知らないわ。私、他の高校の文化祭を覗きに行っていたんですもん。」

「僕は、当時、Mさんに焦がれていましたから、フォークダンスで手を握ることが出来るかもしれないという妄想を抱いて、Mさんの姿を探しましたよ、ずっと。でも、見つけられなかった。」

「あら、嫌だわ、今頃そんなことを言われても。でも、嬉しいわ。Merci!

「Mさんにはフランス語が似合う!」

「じゃぁ、あなたは何語が似合うの?」

「僕?自分で言うのもなんですが、ロシア語?かな。喋れないけれど、憧れているからそういう権利があるかもしれませんね。」

「昔っから変わった人ね。そういえば、昼ごはん食べなかったでしょう?」

「覚えて頂いて、光栄至極に存じます。」

 こんな具合に会話が続いた。こういう恋愛に発展することのない会話は、この年になってみると楽しいものである。

 声がした。「そろそろ閉店です。」

 私達は久しぶりの再会によって青春の思い出を語り合うことが出来たことを喜んだ。しかし、二人のどちらも決してもう一度どこかで会おうとは言い出さなかった。それぞれが進んでいる道に対して敬意を表せるだけ、二人とも十分に大人になっていた。

 

 翌日、ニュースではある男の変死体が運河で発見されたと報じた。虎に食い殺されたような傷跡が数箇所ついていた。これで三件目だそうである。私はその時、自分の死を初めて知ったのである。


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響け、土の歌声 [短編小説]

このところ極短い短編小説を連続して5、6つほど書いている。書きかけの物も三つある。『栗の里の愉快な女房』の短編も既に書いてあるが、不条理ものの作品を先に公開しているので、もう少ししたら公開することになると思う。

響け、土の歌声   2009-11-11 水曜日

 私の知り合いに指揮者がいる。彼は頭の天辺の髪が薄く、その円形の空地から暖簾のような長めの髪が垂れている。彼は私にいつも自慢気に言うのだった。

「僕にはねぇ、大地のオーケストラ、合唱団がいるのさ。」

「大地のオーケストラ?」

「そうさ。大地のオーケストラと言っても、土笛とか石笛とか、カリンバとかディジュリドゥとかではないんだ。」

「民族音楽では無い訳だね。」

「そう。ミミズとか団子虫とかゲジゲジ、蟻、百足、そう言った地面の上や地中を這い回っている方々の歌声なのだ。」

全く見当がつかなかったので、私は新聞記者よろしく聞いてみた。

「それで、どうやってオーケストラにするの?」

「付いてきてご覧。」と言って彼は、彼の家の庭の片隅にあるコンサートホールに案内してくれた。薄暗い茂みの近くに柵がしてある。その柵はその演奏家達の種類ごとに分けてある。ミミズは第一バイオリンと第二バイオリンの括りに入れられている。団子虫たちはビオラ、百足はチェロ、蟻達は木管楽器、ゲジゲジたちは金管楽器、など。

「このオーケストラはどうやって音楽を作るの?」

Armadillidium vulgare.JPG「実はね、この虫達には、一匹ずつに対応したカメラが用意されていて、その動きを追うんだ。独奏楽器はちょっと別だが、その動きを合成して一つの音型、音色を作り出すようになっているんだ。」

「とすると、音は彼らに任せている訳?」

「そうではなくて、僕が音程は作り出しているんだ。速度もね。まぁ、指揮者兼作曲家だからね。ちょっとやってみせよう。」

 彼はどう見ても決して清潔感はない。着古しの上着は袖口や襟の糸がほつれているし、革靴の踵も磨り減っている。柄シャツもアイロンがかかっていないので皺だらけだし、髭だって剃り残しがあるし、兎に角、電車の座席では隣に坐って欲しくない姿をしている。

 彼は、折れた木の枝で作った指揮棒を手にすると、指揮者がオーケストラを前にしてやるように柵の縁を軽く叩いて、開始の合図を送る。彼はじっとミミズの一匹を見ていた。そして突然音楽が始まった。それは本物のオーケストラのようだった。しかし、一度も聞いたことの無い音楽であり、何がその響きを作り出しているかは分からなかった。指揮棒を振っている彼は実に輝いて見えた。まるでフォン・カラヤンかカルロス・クライバーかのように。

 暫くして音が止まり、静寂が訪れた時、私は尋ねた。

「一匹のミミズを見ていたでしょう?」

「あぁ、彼が今宵のコンサートマスターなのさ。人間のオーケストラと違って、どんな音楽にするかで、その曲のコンサートマスターを決めるんだ。」

「と言うことは、即興曲なんだね?」

「そう。しかし、あらかじめプログラミングして調整してあるので、そんなに予測できない音楽でもないんだ。この音楽は即興七割、作曲三割位だろうか。僕は、単なる即興はあまり好きではない。」

「それにしても、低音の響き、打楽器の音、木管、金管、どれもそれなりの音がしていたね。」

「生音源をデータ化したものを音源にして、虫達の動きに合わせて再生させている訳さ。口で言うほど単純ではないけれど。」

「難しそうだね。」

「まぁね。」得意そうに彼は言った。「今日はコンチェルトをやらなかったけれど、特別の奏者として、月並みだけど蝶々とかキリギリスとかを招待することもあるんだ。」

「どんな曲になるの?」

「奴さんたちの気分で、気分があるとすればだがね、随分変化に富んだ音楽になる。予想をしばしば裏切ってくれる。偶成音楽のような類の物とは大分違った、ちゃんと魂のある音楽だ。」

 私はアンコールを所望した。彼は迷惑そうな、それでいてやはり嬉しそうな顔をして、

「アンコール?!仕方ないな。じゃ、ちょっと軽めの奴を。」と言って、今度は蟻の一匹を見つめていた。暫くの静けさの後、軽快な音楽が始まった。Allegro giocosoとでも呼びたいような音である。愉快、愉快。そして直ぐにクライマックスになり、最後はティンパニの連打で終わった。

「ブラボーっ!ブラブラブラボーッ!それにしても実に愉快だねぇ、痛快だねぇ。どうやったらこんな音楽になるのやら。題名は?」

「君が愉快に感じたのだから『愉快な新聞配達』でいいんじゃない?」

「そんなにいい加減につけちゃうの、題名?」

「君、土台即興曲に一々名前なんかつけなくたっていいんだよ。でも『愉快な新聞配達』って悪くない題名だよ。」

 

 この時から、私は彼の大地のオーケストラの常連客となった。定期演奏会は年に数回しかない。だから興味のある方は私のところまで手紙を送って下されば、招待状をお送りしましょう。


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