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稲垣足穂風に - その1「噂を縛り上げた男の話」 [短編小説]

噂を縛り上げた男の話 二〇〇九年十一月一日 日曜日

 

 先日、銀ブラをしていたら、俺が銀ブラなどと言う死語に近い言葉を使ってみるのは宇宙の膨張に対するささやかな歯軋りに過ぎない抵抗ではあるが、今時本当に金輪際流行らない山高帽を被って、ステッキをついて歩道を闊歩している背高ノッポがいた。あの手の人間にはよくあることだが、件の山高帽の天辺の縁から長く伸びた吾亦紅がぴーんと飛び出している。随分気障な奴だと思っていたら、足を止めて俺の方を振り返った。案の定、噂だった。俺はいそいで、奴から目を逸らした。さもなければ、奴は俺に近付いてきて言ったに違いない。「君は、ビールと葡萄酒とどちらの方が悪酔いをするのかね?」と。俺は歩道の石畳の隙間に躓いたような演技で誤魔化した。我ながら、この臭い演技は情けなかった。

 噂は俺の存在に気が付かなかったようで、口笛を吹きながら歩き始めた。

 

噂には面白い性質があるので、俺はそれが事実か、或いは単なる事実無根の揣摩臆測に過ぎないのか、奴さんを尾行して行動を観察して確認することにした。

 実に滑稽至極だったのだよ。噂の奴は噂に違わず、ウィンドウショッピングするような振りをしながら、次々と万引きをしているのだった。白昼堂々と。誰が言ったか、「堂々と付く嘘は本物になってしまう」、その言葉通りだった。正々堂々としていると、万引きには見えない。偽善も本物だといい続けて行えば、慈善活動になるのだ。どんどん着膨れてゆくのだ。どこから見ても最初に見た、背高ノッポの姿ではなく、戯画化された独占資本、例の鉄鋼材トラスト、石油トラスト、精銅トラスト、あいつ等の姿そっくりだ。ぱんぱんに張った腹。ご馳走を飽きるほど食べて、高価な酒を浴びるほど飲み続けた人間の姿をしていた。

噂を縛り上げた男の話2009-11-1日曜日.JPG 俺はもう我慢がならなかったので、カーニバルだったかパレードだかで、行進してくる若い女が履いていたハイヒールを拝借した。その踵でもって噂の頭をしたたかに打ち据えた。しかし、君、驚いちゃいけない。噂と言うのは、そりゃぁ、呆れるほど実体がないのさ。糠に釘、暖簾に腕押したぁ、こういう事を言うんだな。あの山高帽だって、ハイヒールを掠りもしないんだぜ。蜃気楼みたいなものと言うべきか。仕方がないので、俺はロデオをやっていた青年団から、ラリアットlariatを拝借した。青年団の蝸牛野郎が俺に拳を振り上げたが、それはお門違いであることを知らしめるために、あっかんべーをして見せた。そうしたら、地面を転げ回って笑っている。陽気なアルパカよりよっぽどお人よしだ。

 それは別として、俺はラリアットを俺の頭上五メートル位のところで、ヘリコプターの翼宜しく回転させて勢いをつけた。勿論、噂だって俺のこんな行動を黙視しているだけのお人よしでも、意気地なしでもない。俺に向かって、瀬戸物専門店のカップやら皿だのをぶん投げてよこす。俺もその皿やらカップの描く所の放物線を感心して眺めながら、機は熟したりと考えて、ラリアットを放つ。そうしたら見事に、あの太りに太った噂の奴を捉えることができた。奴さん、空気デブなので、ロープを引っ張っても、ちっとも手ごたえがない。と言いつつも、噂の奴は俺の近くに来る。そして、乳母車を避けようとして、すっ転んだ。乳母車を避けようとしたところは見直したが、転ぶ様は、決して孫子には見せてはならない。あまりに無様で、人間の尊厳が問われそうな位だった。

「どうだ、参ったか!」俺は噂に言ってやったのさ。そしたら、次の瞬間、奴は俺の鳩尾を嫌と言うほど拳骨で殴りつけた。その痛いのなんのって、正直言って、声が出ない。呼吸が一生できなくなってしまうのかと、半ば死とはこのようなものかと考えながら俺は蹲った。しかし面白いもんで、実体のあるものに触れるのは噂には苦手のようで、殴った拳骨が痛かったようだ。噂は下唇を噛みしめて、痛みを堪えているように見えた。

 そうこうしている内に、警官がやってきた。誰かが喧嘩していると通報したのだろう。しかし、権力では何も解決しないんだ。俺は知っている。俺は警官の方を向いて自己弁護を懸命にした。しかし警官はこう言う。「君は、何を寝ぼけているのか」と。「俺は寝ぼけてなんかいないぜ。ちゃんと顔も洗って来たし。」警官は面倒臭そうに言う。「人騒がせは止めて下さいね。大の大人が鬼ごっこですか?もう少しまともなものを選んで下さい。なんですか、あれは?」と言うので、ラリアットで仕留めた噂の方を見ると、何とラリアットの中には吾亦紅が一本あるばかりだった。


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mimimomo

こんにちは^^
なんと申したらよいのか・・・
一瞬夢のお話かとも~
by mimimomo (2009-11-02 13:31) 

ナカムラ

まさに足穂風ですね。なんていっていたら、窓の外にコメットがマフラーまいて、こちらをのぞきこんでいました。
by ナカムラ (2009-11-02 19:05) 

sig

こんにちは。
まさにアヨアン・イゴカーさんの世界、という感じの寓話ですね。
by sig (2009-11-03 10:31) 

青い鳥

考えながらも楽しく読ませて頂きました。
最後の落ち、効いていますね。
nice!を100個程押したい気持ちです。
by 青い鳥 (2009-11-03 17:28) 

YUYA

いつも、発想が本当にすごいなあと思って
読ませていただいています。
次回も楽しみにしています!!
by YUYA (2009-11-03 22:21) 

アマデウス

楽しみながらも考えさせられる作品ですね。
アヨアン・イゴカーさんならではの短編だと思います。
稲垣足穂のごとく短編作品集楽しみにしています。
by アマデウス (2009-11-06 10:28) 

SAKANAKANE

稲垣足穂は知りませんでしたが、こういうのも面白いですね。
噂の挿絵も、良い感じです。
by SAKANAKANE (2009-11-07 13:06) 

アヨアン・イゴカー

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yoku様、ララアント様、アマデウス様、お茶屋様、SAKANAKANE様、lamer様 皆様 nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2009-11-07 23:03) 

アヨアン・イゴカー

mimimomo様
思いつくままに書いていますので、夢のような話かもしれません。

ナカムラ様
稲垣足穂の星や流星や月は、なぜか乱暴ものですね。
彼の描いた世界は世紀末の雰囲気と20世紀初頭の世界の空気を反映しているように思います。

sig様
実は、足穂の作品は、以前から名前だけ知っていたのですが、つい最近まで読んだことがありませんでした。大崎ゲートシティーにある書店で買って読んだのです。そうしたら、自分の書く作品の一部がこの作家の描く世界に近いと言うことが分かりました。

青い鳥様
思いつくままに書いているので、あまり落ちについては考えていませんでした。噂は玉ねぎのようで、剥いても結局何もないこともあります。

YUYA様
私は発作的にちょっとした文章や詩を書き始めたりします。考えないでいればいるほど、後で読み直しても納得できる場合が多いようです。これが私のやり方なのです。

アマデウス様
>考えさせられる作品
これは嬉しいコメントを有難うございます。そういうものを書きたいと思っています。

SAKANAKANE様
挿絵、お気に召していただけたようで、嬉しいです。文章を書いていたら、なんだか19世紀末の独占資本主義のカリカチュアを思い出したのです。そして、そのカリカチュアを、ちょっと変えて描いてみました。
by アヨアン・イゴカー (2009-11-07 23:34) 

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