Her Mother 佐藤 慶紀監督 続報 [日記・雑感]
そして、もしかするとその中には報知新聞の記者の方がいらっしゃったのかもしれません。本日8/31のスポーツ報知の14面に大きく取り上げてありました。今日ご紹介するのはこの記事です。
最も大きく取り上げられているのは、殺人者の役を演じた荒川泰次郎さんですが、大学時代には九州のチャンピョンですから、彼が中心になるのはスポーツ紙としては当然の扱いだと思います。身体も引き締まっていて、栗の里の愉快な女房殿も盛んに「恰好好い!」と申しておりました。ポスターの写真は私も好きです。ポスターとしても仕上がりがとても良いと思います。
既に感想の中でも述べましたが、殺した妻の秘密も自分の中に秘めながら死刑判決を受け入れてゆくその姿は、好感の持てる良い演技だったと思います。
元ボクサーですから、身体の切れもありますので、これから本当に期待できる俳優さんではないかと思います。
序でながら、紙面左側にすこし記事が載っていますが、栗の里の愉快な女房殿も、”怪演”と言う表現で紹介されています。
相手の心を見透かしたような怖さ、怪しさ、独特の雰囲気を漂わせ、リアルに”怪演”、と非常に的確な評言を書いて頂いています。
実際に、彼女は台詞の一つずつを読み込み、全て暗記して納得しないと演技ができないタイプなのです。今回は、台詞に含みの多い脚本だったので、かなり苦労したようです。実際に、この映画の撮影が終わってからも暫くは疲れ切っていました。それだけ彼女にとっては重い役だったのです。
記事にしていただいたことで、今日はすっかり大喜びしていることと思います。
Youtube 『シンデレラ』より『ガラスのくつ』 [劇団木馬座の思い出]
『シンデレラ』の中で最も大切な小道具はガラスのくつ。その小さなくつを履いていたお姫様を探して、大臣と従者達は国中を巡ります。
『空中ブランコ』YouTube [youtube]
佐藤 慶紀監督『Her Mother』 [日記・雑感]
娘を殺した死刑囚との対話
娘を殺害した加害者の死刑を止めようとする母。一体なぜ・・・
期間:9/9(土)~10/6(金)ロードショー 連日10:30~
場所:新宿K's cinema
<その他注意>※K's cinemaのHPより
・当劇場は84席の 定員・入替・整理番号制 となっております。
・3階入口のカウンターにてチケットをご購入の上、入場番号付き整理券を お受け取りください。
・特別鑑賞券、招待券をお持ちのお客様も一度受付カ ウンターにて入場 番号付き整理券にお引き換えください。
・上映開始時刻の10分前(作品により5分前)より、10名様ずつ整理番号 順でのご入場となります。
・当劇場は消防法により、お立ち見席をご用意しておりません。満席の際 にはご入場をお断りする場合がございます。あらかじめご了承下さい。
以下、この映画を見ての感想を述べたい。
この映画は「半倒叙」方式で作られており、刑の確定後、この事件に関わる人々がどのように考え行動するかが描かれている。それは答えられることのない、投げ掛けられただけの疑問集のようでもある。
注)倒叙:inverted detective story 『刑事コロンボ』では最初に犯行現場の状況が見せられてから、その後容疑者に質問を投げ掛けながらコロンボ刑事が追い詰めて行くという展開になるが、これを倒叙と呼ぶ。半倒叙は、その後の展開で、全ては明らかにならないものをそのように呼ぶ(ウィキペディアによれば)そうである。
娘を殺された母晴美は、娘みちよが殺されたという事実のみしか考えようとしない。自分たちは被害者側にあるのだということしか考えようとしない。現実には何があったのか、事実そのものを直視しようとしない。知ることを回避し続ける。事実に向き合おうとさえしなければ、その事実そのものを否定できるだろうという、安易な自己防衛である。この自己防衛本能は普遍性が高い。(ついでながら、往生際の悪い政治家は全員これが当てはまる。)
娘を殺害した孝司は、裁判では娘側にも原因があったことを主張するが、刑が確定しまった後は考え方が反転する。殺してもよい人間がいる、と考えていたが、それは間違っていたと確信するようになる。彼になぜこのような心境の変化が訪れたのかは好く分からない。自分の犯した殺人罪のみを考え、それを償うことのみが自分にとっての救いなのだと考えたのかもしれない。孝司はこの信念を自分の死の時まで変えようとしない。自分の犯した殺人の罪も娘達の罪も、自分がこれ以上何も弁明しないことで背負い、これ以上の憎しみの連鎖を断ち切ってしまおうとするかのように。
この死刑囚の息子孝司の心境の変化は、最初晴美の元夫に、そして続いて頑なな晴美自身の考え方に変化を齎す。
そして、晴美は知りたくはなかったが、知らねばならない事実に向き合わなければならないと考え始める。ソフォクレスのオイディプスのように、知るべきではない、知れば自分が不幸になってしまう事実を知らねばならない状況に追い込まれてゆく。
しかしながら、運命の悪戯によって悲劇に追い込まれてゆくオイディプス王と異なり、晴美は利己的であり、自己中心的な考え方をする人間であるように思われる。それゆえにこの心理はより一般性を持っているかもしれない。
この晴美という自我の強い利己的な女性を西山諒が好演している。その演技により、死刑執行されてしまう孝司の母親の悲しみが、より一層強調される。
また、怒りに任せて殺人を犯してしまった孝司。彼は深く愛していたからこそ、裏切られてみちよとその恋人を殺した。過去の過ちは全面的に受け入れ、言い訳はしない。殺しても良い人間がいるという考えそのものが間違っていたのだから。無言を貫いて死んでゆく、そこには孝司という「男の美学」があるようにも思える。よい表現かどうかは別にして、暴走族のリーダーが配下の者全員の責任を取って、自分ひとりが実刑を受ける姿を想像してしまう。「悪いのは俺一人で、俺が全部悪かった。あいつらぁ、関係ねえ。俺がやったこと。」荒川泰次郎が孤独、その寂しさ、悲しさを真剣に演じている。
殺人者であるからには有罪ではあるけれど、たった一人の愛しい息子が、終身刑にならず処刑され自分よりも先に死んでしまうという苦しみ、悲しみ。この心理を終始一貫て演技したのが栗の里の愉快な女房殿。それを全身全霊で演技したことがMention spécialeに繋がったのかもしれない。