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佐藤 慶紀監督『Her Mother』 [日記・雑感]


DSCN3509.JPGHER MOTHER 佐藤 慶紀監督作品

娘を殺した死刑囚との対話

娘を殺害した加害者の死刑を止めようとする母。一体なぜ・・・

期間:9/9(土)~10/6(金)ロードショー 連日10:30~
場所:新宿K's cinema
<その他注意>※K's cinemaのHPより
 ・当劇場は84席の 定員・入替・整理番号制 となっております。
 ・3階入口のカウンターにてチケットをご購入の上、入場番号付き整理券を  お受け取りください。
 ・特別鑑賞券、招待券をお持ちのお客様も一度受付カ ウンターにて入場  番号付き整理券にお引き換えください。
 ・上映開始時刻の10分前(作品により5分前)より、10名様ずつ整理番号  順でのご入場となります。
 ・当劇場は消防法により、お立ち見席をご用意しておりません。満席の際  にはご入場をお断りする場合がございます。あらかじめご了承下さい。

 


 以下、この映画を見ての感想を述べたい。
 
 この映画は「半倒叙」方式で作られており、刑の確定後、この事件に関わる人々がどのように考え行動するかが描かれている。それは答えられることのない、投げ掛けられただけの疑問集のようでもある。

注)倒叙:inverted detective story 『刑事コロンボ』では最初に犯行現場の状況が見せられてから、その後容疑者に質問を投げ掛けながらコロンボ刑事が追い詰めて行くという展開になるが、これを倒叙と呼ぶ。半倒叙は、その後の展開で、全ては明らかにならないものをそのように呼ぶ(ウィキペディアによれば)そうである。
 
 娘を殺された母晴美は、娘みちよが殺されたという事実のみしか考えようとしない。自分たちは被害者側にあるのだということしか考えようとしない。現実には何があったのか、事実そのものを直視しようとしない。知ることを回避し続ける。事実に向き合おうとさえしなければ、その事実そのものを否定できるだろうという、安易な自己防衛である。この自己防衛本能は普遍性が高い。(ついでながら、往生際の悪い政治家は全員これが当てはまる。)
 娘を殺害した孝司は、裁判では娘側にも原因があったことを主張するが、刑が確定しまった後は考え方が反転する。殺してもよい人間がいる、と考えていたが、それは間違っていたと確信するようになる。彼になぜこのような心境の変化が訪れたのかは好く分からない。自分の犯した殺人罪のみを考え、それを償うことのみが自分にとっての救いなのだと考えたのかもしれない。孝司はこの信念を自分の死の時まで変えようとしない。自分の犯した殺人の罪も娘達の罪も、自分がこれ以上何も弁明しないことで背負い、これ以上の憎しみの連鎖を断ち切ってしまおうとするかのように。
DSCN3510.JPG この死刑囚の息子孝司の心境の変化は、最初晴美の元夫に、そして続いて頑なな晴美自身の考え方に変化を齎す。

 そして、晴美は知りたくはなかったが、知らねばならない事実に向き合わなければならないと考え始める。ソフォクレスのオイディプスのように、知るべきではない、知れば自分が不幸になってしまう事実を知らねばならない状況に追い込まれてゆく。
 しかしながら、運命の悪戯によって悲劇に追い込まれてゆくオイディプス王と異なり、晴美は利己的であり、自己中心的な考え方をする人間であるように思われる。それゆえにこの心理はより一般性を持っているかもしれない。 
 この晴美という自我の強い利己的な女性を西山諒が好演している。その演技により、死刑執行されてしまう孝司の母親の悲しみが、より一層強調される。
 また、怒りに任せて殺人を犯してしまった孝司。彼は深く愛していたからこそ、裏切られてみちよとその恋人を殺した。過去の過ちは全面的に受け入れ、言い訳はしない。殺しても良い人間がいるという考えそのものが間違っていたのだから。無言を貫いて死んでゆく、そこには孝司という「男の美学」があるようにも思える。よい表現かどうかは別にして、暴走族のリーダーが配下の者全員の責任を取って、自分ひとりが実刑を受ける姿を想像してしまう。「悪いのは俺一人で、俺が全部悪かった。あいつらぁ、関係ねえ。俺がやったこと。」荒川泰次郎が孤独、その寂しさ、悲しさを真剣に演じている。
 殺人者であるからには有罪ではあるけれど、たった一人の愛しい息子が、終身刑にならず処刑され自分よりも先に死んでしまうという苦しみ、悲しみ。この心理を終始一貫て演技したのが栗の里の愉快な女房殿。それを全身全霊で演技したことが
Mention spécialeに繋がったのかもしれない。


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majyo

K's cinemaですが、最近では蟹工船の作家
「小林多喜二の母」という映画を観てきました。
良いシアターですね。朝早い時間でしたが満席でした。
ストーリー拝見すると、吉田修一さんの「悪人」を思い出しました。
上手く書けませんが、なぜか殺した側にも美学があるのですね

by majyo (2017-08-11 18:47) 

森田惠子

死刑廃止運動をされている被害者家族原田正治さんのインタビュー中心の作品をお手伝いしたことがあります。
弟を殺された原田さんは、最初は犯人からの手紙をすべて捨てていたそうですが、ある時、ふと読んでみようと思ったことから心の変化が始まります・・・。
大変考えさせられた作品でした。
『弟を殺した彼と、僕。』という著書もあります。
by 森田惠子 (2017-08-11 19:29) 

アヨアン・イゴカー

鉄腕原子様、@ミック様、carotte様、mimimomo様、Mitch様、majyo様、森田恵子様、ビタースイート様、めもてる様、ChinchikoPapa様、うめむす様、かずのこ様、シラネアオイ様、りんこう様、月夜のうずのしゅげ様、扶侶夢様、yam様、doudesyo様、トックリヤシ様、チョコシナモン様、kohtyan様
皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2017-08-16 08:05) 

アヨアン・イゴカー

majyo様
「小林多喜二の母」観ていませんが、面白そうですね。

この映画の殺人者に美学があるかどうか・・・
既に東京での第一回目の試写会もあり、第二回目も今月末に予定されているようですが、どんな評価になるのか、気になります。

森田恵子様
原田さんの本『弟を殺した彼と、僕』は、早速図書館に予約しました。心境の変化が興味深いです。
私は、人間も機械のようなものだと考えていますが、殺人者は人間的であると期待されている行動をとる為の部品が壊れていたり、欠損していたりするのだと思います。脳科学とip細胞の研究が更に進化すれば、この欠如している部品を補い、「まっとうな」人間になることも期待できると思います。
部品が欠落している人間にいくら悔悟を求めても、そもそもの理解力がなければ非を認めることは物理的にできないのだと思います。そんな人の悔悟の言葉を、言葉だけを聞いて納得する被害者の関係者はいないと思います。
万物には存在している意味があるので、あえて言えば、基本的には私は死刑には反対です。野生の虎が放たれたとして、人を食ったからといって殺してよいのか・・・
by アヨアン・イゴカー (2017-08-16 09:15) 

momotaro

難しい心理変化をよく言葉にされました。
納得しつつ拝読しました。
「半倒叙」勉強になりました。
栗の里の愉快な女房殿、観る機会があったら是非見てみたい
by momotaro (2017-08-18 03:56) 

アヨアン・イゴカー

momotaro様
コメント有難うございます。
監督の制作意図は十分分からないので、意図していないことを少し深読みしているのかもしれませんが、自分で感想に書いたように解釈して見れば私は納得できるのです。
by アヨアン・イゴカー (2017-08-19 23:19) 

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