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映像『ペン画物語』進捗状況 [日記・雑感]

 映像作品『ペン画物語』は、結構時間が掛かりそうな予感がしてきた。試験的に5分ほど纏めてみたが、とても見ていて面白い映像ではない。
 この状況を打開するために、NHKで以前に放送された『ムットーニ』(作品と作者紹介映像作品。インタビュー、子供時代の再現、作品の映像で構成されている)を公開しているYouTubeを見ながら、構成など基本的なところを調べてみることにした。
 ざっくりではあるが、『ムットーニ』(45分)はクレジットロールまでで98カット。ディズニーのアニメーション作品『Destino』(6.3分)は66ある。1カット平均27秒。一方、『Destino』は5.8秒。尤も、これは切り方をどのようにするかという基準が明確になっていないので、飽くまでも目安にすぎない。南カリフォルニア大学のドリュー・キャスパー教授によれば昔は平均500~600ショット、それをヒチコックが1300とし、当時としては以上に多いショット数になった。現在では平均2000~3000位になっている、ようである。映画の長さが120分(7200秒)あるとして、これをショット数で割ると、昔は12~14.4秒、現在は平均2.4~3.6秒/ショットとなっていることになる。随分落ち着きのない画面が作られていることになる。
 
※キャスパー教授のこの数値はハリウッド映画についての話に限定されています。

 改めて、『ペン画物語』(25分)を見ると、30ショット、50秒/ショットとなっていて、かなりゆっくりしていることがわかる。栗の里の愉快な女房殿にも脚本・構成について相談してみた所、やはり画家の隠された部分などをしっかり描かないと面白みがない、多少誇張があってもいいのでいれるべきだ、との助言があった。再現するのが難しいと思って、最初から諦めて省略していた話題もいれることにした。彼女が今回から参加してくれそうなので、心強い。
 第二稿ではショット数は42に増えた。25分(1500秒)なので35.7秒。飽くまでも案の段階なので、実際には更に24以上のカットが必要になる。とすると、22.7秒。
 このような机上の計算をやっていると、少し先に進んでいるような気分になってくる。

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※今日の写真は、悪夢に魘される場面の、背景と巨大鳥の頭。変更の可能性はあるが、とりあえず数週間前に作ったものを掲載。
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第17回 風景を描くペン画展 [日記・雑感]

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 昨日10月27日の土曜日は、国立駅前コートギャラリー国立で実施中の『第17回 風景を描くペン画展』に行く。長く教室に通っている受講生の方の作品は、それぞれ個性が出ている。黒インクのみの絵と彩色したものとある。
 ブリューゲルの『バベルの塔』の模写があったが、あれなどは基が有名な作品だけに大変だったろうと興味深く見た。ペン画は建物などは比較的直線的で描きやすいように思われるが、雲のような気体は表現が難しい、その部分に苦労の跡が見られた。
 既に、自分自身の揺ぎ無い線が確立している方々もいるので、面白い時間を過ごすことができると思う。10月30日火曜日(11:00~18:00 ※10/30は~17:00)まで国立のコートギャラリー国立で開催中なので、風景画、ペン画にご興味のある方はお立ち寄り下さい。中央線国立駅下車、徒歩2分

 ※10月にマール社より『はじめてでも描けるペン風景画』(師岡正典)出版。会場に見本展示。台湾や香港でも販売する話が進行中とのこと。

 今回のもう一つの目的は、映像作品『ペン画物語』の為の、主役の撮影であった。シナリオ(15ページ)を書いて、構成(1枚)事前に送付しておいたが、いざ撮影してみようと話をし始めると、どうにも撮り始めることができない。モロさんの思い描いている映像と私が書いたものとが所々異なる。一人ですべてを作る場合と、他者と協力しがなた作り上げるのとでは、そのやり方がまるで違う。調整、方向性の統一から始めなければならない。人間は「生もの」なので、これが面白みでもある。
 元々小説として書き上げた『ペン画物語』(超100ページ)を25分くらいに纏めようとするのだから、相当に端折らなければならない。短編映像作品として考えているのだから、フランスに行って撮影するなどと言うことは全く想定していない。が、モロさんの夢はどんどん広がってゆく。25分と言わず、もっと長大なドラマにできないか、と言う。「無理です。」と返事。愉快愉快。
 1時間以上の打ち合わせ、あれこれやり取りした後、撮影開始。最終的に16:30まで行い、18ショット撮る。インタビューなので、編集しやすいようにいくつか切れ目をいれた。ギャラリー外の中庭のベンチに掛け、そこでモロさんの思うように語ってもらった。勿論、シナリオに沿った項目についてではあるが。時々、脱線する。その内容も聞いた事はあるが記録できていなかったこと、および聞いたことのないこともあり、新たな材料となる可能性がある。 
 帰宅後、PCに取り込み、MP4に変換。24:00に変換作業終了。その後、試験的にMovie Studioに映像を取り込み再生してみると、危惧していたように、音量が小さかった。戸外であるため声が拡散してしまうこと、背景に中央線の通過音、自動車の往来の音が入ってしまうこと、モロさんの声がよく通らない小声であること、など。野外で撮影するばあいには、声だけを拾う為のマイクが別途必要になるかもしれない。
 なんとか音量を最大限にすることで乗り切りたいが、難しいようであれば、撮り直し。その場合は、奥多摩にあるモロさんのアトリエにお邪魔したほうがよいかもしれない。

注)ペン画作品は師岡正典『林を抜けてすすきの野へ』
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もろもろ準備中 [日記・雑感]

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5年前に手帖に描いておいた小さな絵二つ。
映像作品『ペン画物語(仮称)』のために紙人形、小道具、背景、景色の撮影など、少しずつ準備中。気楽に始めたが、時間はかなり掛かる見通し。紙人形を作るのはよいが、撮影と操作が同時にできないので、もう一人操作をしてくれる助手が必要になっている。助手がいないという制約の中で、何か工夫をしながら撮ってゆくのも一つだとは思うのだが。

一つ目の絵。
樹上に住んでみたいと思うことがあるが、やはり猿だった頃の記憶がそうさせるのだろうか。樹上には、安心感がある一方、落下という危険もある。
二つ目の絵。
森の中で生活するという願望もある。この絵は、森の時計屋。森に住むのだったら、時計は不要かもしれないけれど。
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ちょっと気分転換 [日記・雑感]

DSCN4124.JPG最近、一寸した小物作りをしている。七月頭に公開した相模原市緑区千木良78-1にある異国の香りのするカフェmana harreeまなはれ のために、勝手に看板かオブジェを作ると言った。その約束を守るためにオブジェの下書きまでしておいた。が、甥っ子にあった時、あのビデオ「mana harreeにて」のために名刺の絵を基に描いた絵を彼の奥さんが欲しがっていると言われた。短時間で描いた絵だったので気が引けた。そこで、オブジェの代わりに直径17.5センチほどのベニヤ板の円盤に紙粘土を貼り付けて、mana harreeの小さな看板を作ることにした。

この作業が存外面白かったので、少し悪戯半分で紙粘土でレリーフを作ってみることにした。最初に取り掛かったメトロノーム。振り子の錘の部分と外側に付けてみる。(軽い素材であるし、滅多に使わないので問題ないと考えDSCN4143.JPGて。)

20180930DSCN4140.JPGその他にも、階段の踏み面の側面に兎を猫を貼り付けて、色塗りしてみる。こんなことは、パソコンばかり使っていると目にも頭にも悪いので、時々やってみる気分転換の一つだ。
DSCN4141.JPG小さな本棚(木枠)も作ってみようと思っているが、雨が続いているため、材料は雨ざらしになっている。
こんな風にレリーフを作っていると、なんだかノートルダム寺院のガーゴイルのようなものも作りたくなってしまう、が、気持ち悪いといわれるだろうし、まあ、そんな時間は勿体無いから使わないかもしれない。
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私は平和な国で、安心して馬鹿なことをしていたい [日記・雑感]

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手の動くまま、気の向くまま絵を描いていたら、突然このような方向に。
題名は『嘘は吐き通せ-或いは質問には頓珍漢戦法が効果的?』
この絵の主人公、あちこちで、地雷を踏んでいるようだが、鉄の無神経さを持っていれば、無痛症であれば恐れるに足らず。
もっと、平和的で美的な絵を描いている積りだったのだが。
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9月15日土曜日近況 [日記・雑感]

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 先週の土曜日(9月8日)には両親の誕生会があり、子供や孫、曾孫などが集まった。全員ではなかったけれども、合わせて19人の人数になり、部屋には人が溢れるような状況。私は撮影を買って出て、殆どビデオカメラを回し続けた。
 翌日の日曜日は撮った動画を編集ソフトが対応している形式に変換。その作業が、30ショットあったのだが、7~8時間は優に掛かり、一日作業になる。兎に角、眼が疲れた。
 その翌日月曜日には、編集を行った。MOVIE STUDIO 14は、腹立たしいほどエラーの連続。編集している最中に、それこそ1,2分経過するとエラーが表示されることもある。エラー状況を送信する/送信しない、というメッセージがポップアップされ、保存しておかないと、ジェネレーターでいろいろ付け加えたものはすべて消えている。数回これが表示されるようになって、予防のためにこまめに保存を繰り返すが、それでもそれが反映されていない場合がある。暫く使っていて感じているのは、もっとよいものに買い換えなければならないのかもしれないということだ。ちなみみ、MOVIE STUDIO 14はそのマニュアル(¥1,980+税)もお粗末で、本当に困った時に参考にする程度でしかない。
 そして、DVDを作成する時にも、レンダリングの途中でエラー。予想データサイズが2.95GBだったので、大きすぎることが原因かと、暗い気分にになる。たった38分程度の映像で、レンダリングで・・・何度か、5回ほど繰り返して上手くゆかないので、YouTube用の変換に切り替える。よし少ないデータの方がエラーがでないのではないかと考えた。しかし、最初はいい調子だったが、こちらも先に進まない。執拗に5回ほど繰り返す。失敗。
 気分転換にPCを一度切る。暫くして再度DVD作成挑戦。50%を超えた、これは上手くゆくかも・・・しかし、またしてもエラー。もう一度。今度は15%ほどでエラー。こうなったら意地でも・・・50%を超える・・・これはもしやして、60%を超える・・・もうだめか・・・70%を超える・・・80%・・90%・・・99%あと一息だ、ここでだけはエラーがでないように!そして、DVDは作成できた。感極まって涙(嘘)。こんなことで感動している場合ではなかった。土台、これを作るために買ったソフトが、自らの不具合を克服した、ただそれだけの物語ではないか。しっかりしろよ、MOVIE STUDIO14!
 午後15:00頃には完成を予定していたDVDは、結局一枚目を焼くことができたのは、18:00過ぎとなる。
 ということで、こちらも一日作業になってしまった。
 今回は38分というそこそこの長さの映像になったので、これでちょっとした映画も撮ることができそうな気になってきた。いままでソニーのビデオカメラで撮ってきたのは、少し長めのものは3つで、20分、20分、38分となっている。もう一つ撮ったものは、法事の様子なのだが、一つの映像作品として纏めきれていないので、データのみになっている。
 次の作品として考えているのはドキュメンタリー(仮題”HOW I BECAME A CHRISTIAN”)で、30分を予定している。昨日はドキュメンタリーを撮る上でので注意事項のようなものをネットで調べて読んでみた。私が大学ノートに構想を練りながらショットの項目を書きとめたながら、あれこれ考えていたことが殆ど重複して挙げられていたので、非常に勇気付けられた。ショットの配置、ショット数、ロケーション、誰がインタビューするか、ナレーションをいれるか、何を伝えたいのか・・・全体の構想。
 同時にヒットした、観察映画(想田和弘監督:『選挙』『精神』ほか)についての覚書も併せて読む。観察映画では準備しすぎない、監督・カメラマンはあくまで黒子に徹する(=意味を主張する映像を撮ろうとしない、編集をしない等)・・・等々ドキュメンタリーを作っていた想田氏が、その手法を反面教師としてとっている考え方であり、こちらも非常に参考になる。
 今回の30分のドキュメンタリーができたら、次にもいくつか計画はあるが、中断している『ペン画物語』を再開することになるかもしれない。いろいろ考えていると、なかなか忙しい。

 ※今回の写真は、20念以上も前にインスタント珈琲を買った時におまけで付いていた小さな置時計。15年以上前に落としたのがきっかけで、長針、短針は飛んでしまうわ、ということでばらばらになった。その時に再度組み立ててみたら、針については実に簡単な仕組みになっていることが分かった。文字盤はその際に紙に絵を描いてオリジナルにしてみた。そして、今回は気分転換に、その文字盤の猫の色と目に手を加えてみた。
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再編集版『三沢川いきものがたり』を見に行く [日記・雑感]

 20180818三沢川いきものがたりDSCN4011.JPG昨日、8月18日土曜日は、稲城市地域振興プラザ会議室で行われて『三沢川いきものがたり』(ソネットブログのsigさん作成https://fcm3.blog.so-net.ne.jp/index/3)の上映会へ行って来た。この作品は既に作られたものを、再度編集しなおし、ナレーションなども変更した90分のドキュメンタリーである。6年間撮り貯めたビデオを編集し、一つの作品に仕上げる、これは楽しい作業だったと思う。昨年6月の上映会の時は階段式の開場で、見る場所も遠かったのでよく見えなかった部分があったが、今回は前から二列目だったので、良く見られて面白かった。撮影者が対象に対して何らかの思いを抱かないと作品として成立しないだろうと思うが、sigさんは雀の幼鳥や青大将、チュウサギなどの行動に興味を持って追いかけて撮影している。そのための、短い映像の中にも小さな物語がある。
 京王相模原線の稲城駅北口から出て坂道を下り、三沢川に沿って下流の方向に、並木が木陰を作る歩道を歩いてゆくと地域振興プラザの建物がある。市役所の建物を過ぎた、消防署の隣にある。この建物に到着する二百メートルほど手前で、アオサギがゆっくりと川の上を上流に向って飛んで来るのに出会った。やはり大きい鳥だと感心する。そのことをsigさんに話すと「それは、運がよかったですね。」とのこと。
 尚、広報いなぎ 8.15 第1276号にも、中央図書館「映画『三沢川いきものがたり』とお話会」が紹介されている。9月17日(月・祝)午後5時から、中央図書館交流広場での野外上映。雨天の場合開場変更の可能性がある。
 ※野外上映と言うのは、また別の雰囲気が楽しめそうで、面白い企画だと思う。

 ※写真は、絵葉書より、4枚のみ抜粋し撮影。
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メビウスの帯 [日記・雑感]

DSCN3876.JPG 久々にメビウスの帯を作ってみる。この帯を分割してより細い帯にしてゆくと面白いことが起きる。半分に分割すると一枚の長さが倍の細い帯ができるが、5等分して切ったらどうなるか。頭の中が迷路のようになり全く想像することを拒否されるので、こういう時は実際に作ってみるのが一番。
 ということでA4判のコピー用紙に線を引いて作ってみる。
 そもそも何故メビウスの帯を思い出したかというと、二二六事件に関する本がもう一冊あったはずだと思って本棚を探していたがどうしても見つからない、その時にここ15年以上まともに見ることのなかった一番下の段に差してある本が目に入ったことがきっかけである。「MATHEMATICS 数の話」と言うタイムライフインターナショナルが発行した本。ライフサイエンス ライブラリー コンパクト版 全25巻の第一巻である。1967年初版、1969年4版発行となっている。恐らく古本をどこかで買い、その内に読もうと思い積読しているうちに忘れ去られた本の一冊である^^; 
 ちなみに、第二巻『エネルギーの話』、第三巻『機械の話』、第四巻『飛行の話』など、どのタイトルも興味を惹かれるものばかりである。
 DSCN3878.JPGぱらぱらページをめくってみると、最後の方にトポロジー(位相数学 ひずみの数学)と言う章があって、そこにメビウスの帯やクラインの壺、上着を脱がずにチョッキを脱ぐ方法などの写真が掲載されている。こんなに面白いものを放っておいたのは不覚!と少しだけ焦る。
 この本の見出しに釣られて、34年前に購入し途中で放り投げておいた『ゲームの理論入門』(ブルーバックス)も慌てて取り出してくる。
 アメリカのこの手の入門書は具体的で、興味をそそるように書かれていると感じる。抽象的なものは好きであるが、大好きであるが、その前提となる具体的な事例の集積があって、初めて抽象は汎用性、応用力を発揮するものだろうと思う。
 そういえば、10年ほど前にメビウスの帯とクラインの壺に関心を持った時、実際にメビウスの帯は作って分割してみたことを思い出した。クラインの壺は概念的なもので、実際には作ることができないが、内側のない壺と言う考えには相変わらず強く惹かれる。http://boxtreenh.blog.so-net.ne.jp/2008-03-24この記事では千歳飴の上半分と下半分の色を変えるという考えだったが、断面図で見た時、上半分が銅で下半分が錫という棒でもよい。180°捻って張り合わせた部分で、銅と錫が入れ替わる。
DSCN3883.JPG 5枚の帯に分割した時に結果は左の写真のようになる。偶数に分割すると倍の長さの帯ができ、奇数に分割すると元々の長さの狭い幅の帯ができる。
 裏と表と言うのは言葉の表現上の違いであって、目に直ぐはいるものを表と呼び、ひっくり返して見える部分を裏と便宜上呼んでいるに過ぎない、ということに気づく。
 北海道にいた頃、脱穀機にはガソリンの発動機を使っていたのだったが、発動機の回転を脱穀機に伝える時にベルトを使用していた。正しい記憶かどうかが定かではないが、そのベルトは八の字のように取り付けていたが、メビウスの帯になっていたのではなかったかと思う。間違いかもしれないが、ベルトの消耗をベルと全体均等にしようと考えると、そんなことをやっていたのではないかと、ふと思った。





画像追加。「何でもやってみよう、ちっちゃな実験」^^;先日この記事を書いた時に序でに、どのような理屈で大円と小円ができるのか疑問になり、7等分までやってみておいた。その時の写真。

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下の絵は、メビウスの帯を等分した時にできる小円と大円(小円の二倍の長さ)の数の関係を描いたもの。偶数か奇数か。偶数なら大円が分割される数の半分の数出来、奇数等分ならそこに小円が一つだけ残るだけであった。図にしてみればなんのことはなかっだ。

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詩と思想 4月号-現代詩の新鋭 [日記・雑感]

20180407DSCN3822.JPG 今日は、少々遅くなったけれども『詩と思想 4』特集 現代詩の新鋭について。
 既に書いたことがあるが、従妹は詩を書いている。いくつかの賞を受賞しているのだが、彼女が今回新鋭の一人として紹介されることになった。そして、昨年11月頃だったと思うが、彼女から彼女の作品についての解説を書いて欲しい、と依頼されることになった。果たして、自分でよいのかと改めて尋ねたら、彼女としては私のような人間がよいらしいことが分かった。そういう新しい試みも含めての新鋭なのかなとも、推測している。
 私は、彼女の母親がとても印象的な人なので、その思い出を重ねながら、さっさと解説文を書き終えて、彼女に感想を求めた。その文章は彼女というの人の背景を紹介するようにしたのだが、それは方向性が違うので不要な情報なのだと言われた。むしろ『詩と思想』と言う詩の雑誌なので、詩的であった方がよく、彼女の詩作品についての解説が好いと言うことなのだった。そこで、今更ながら、彼女が書いてきた詩をデータで送ってもらった。それを製本したのが1月の記事である。 ”本の装釘をしてみる
 
(2018年4月号のpp34、35に彼女と私の文章がそれぞれ掲載されている。)


 彼女の書いた作品については、私の解釈が間違っていること(例えば、詩の中で描かれている父母と言うのは、実際の父母のことではない、などなど)も何回かあった。芸術作品は、書いた本人以外には誰にも分からないことが多いのではないかと考えている。そも、同じような体験、発想法、感性をもっていなければ、なかなか正確に読み解くことは難しい。それを読み解くことができるのは相当に感性が鋭い人ではないかと思う。
 私自身も、自分の書いた詩を、誰がどのように読み取ろうと自由だと考えている。そして、共感してくれる人が、似たような人種であり、自分の理解者になりうる共通の基盤を持っている可能性があるのだろうと思う。だから、自分が書いた世界を読み取られる方が、むしろ無気味である。画像を反転し、拡大したり縮小したり、色を変えたり、セピア色にしたり、モノクロームにしたり・・・などとできるだけ原形をとどめないように変装、仮装しているのに見破られたら、それは悔しくもあり、驚きも禁じえないだろうと思う。

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あれこれ [日記・雑感]

20180318sunday DSCN3816.JPG 短編映画用のシナリオを書き始めている。既に書いておいた『傘の反乱』を何人かに読んでもらっている。そのうちの一人からは今日時点ではまだ返信がないが。それらの感想を参考にしながら、推敲をしてゆこうと思っている。

 自分の場合、映像作品は詩とは大きく異なりリアルであることが非常に重要だからである。超現実的な作品であるとしても、骨格はリアリズムでなければ説得力がなくなる。栗の里の愉快な女房殿にも意見を求めたが、実に尤もな指摘をしてくれた。主人公の生活、生き方、人間に普遍性がなければ観客は感情移入ができないので、作品を離れて見てしまうことになるだろう、というのだ。全く言う通りで、その観点からは一部文章を入れ替えようと思っている。仮に有る人物が妄想を抱くにしても、極ありふれたそこいらにいる人間が抱くのと、見るからに怪しいオタクのような人間が抱く妄想とでは意味が異なるだろう。
 実際に自分が映像作品を作ることを前提に改めて読み直してみると、かなり実現が難しい部分がある。作り上げることを優先して、難しい部分を全部省略してしまったら何のために作成しているのかが分からなくなる。面白みがなくなる気がして、悩み始めている。
 そして、逃げるように、あるいは打開策として、別の作品を書いてみた。『引越し―おバカさん、さようなら』(10分位になるか?)である。大学生時代の経験を少し味付け、色付けをして描いてみた。自分としては悪くないと思っているのだが、この作品も女房殿からは厳しい指摘があるかもしれない。演じる側からの貴重な意見なので、耳が痛かろうが聞かなくてはならない。
 その後は、他にも20年以上前に書いた短編の『熱帯魚を飼う哲学者』、あるいはサキの『開かれた窓』の翻案などを書いてみることも考えている。
 Movie Studio 14 Platnumで一番使えそうなのはクロマキーと言う合成技術であるが、どうも使いこなすことができず、一旦中断している。上手合成できたり、まったく合成できなかったりするので、正しい操作ができていないのだ。落ち着いてやらなければ、と思いつつ、後回しにし既に一週間以上経ってしまっている。


※今日の絵は、今日描いた。大捕り物の絵。実現を念じて。

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