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童話『提琴弾きのアヨアン』その6 [詩・散文詩]

今日は、最後の2回分。これで、『提琴弾きのアヨアン』は終了。
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第五夜 雄鶏がやってきたこと

 

 その夜もやっぱり、夢中で練習をしている最中でした。扉を蹴飛ばす音が聞こえました。もう、この頃は私も何か動物がやってきて私に助言をしてくれることに慣れっこになっていましたから、期待して扉を開けました。

「そんなに乱暴に扉を蹴るもんじゃないよ。誰だい、今日のお客さんは。」

そこには赤い目をした白色レグホンの雄鶏がいました。雄鶏は私を睨みつけて言いました。

「アヨアンさんて、あなたですか。」

「そうですが。何か用ですか。」

「はいはい、ありますとも。土台、あなたのクレッシェンドはクレッシェンドになっていない。デクレッシェンドはデクレッシェンドになっていない。と言うよりは、音の強弱が身についていない。フォルティッティッティッシモのピアニシッシッシモの何たるかが分かっていない、そう感じるわけであるんである。」この鶏はけんか腰であるばかりでなく、実に偉そうにはなすのをモットーにしている様子が見て取れました。

violinist Ayoan night5.JPG「強弱が身についていない。」

「左様、左様。身についていない、残念ながらね。」

「ではどうすればよいか、一つ教えて頂けないでしょうか。」

「よかろう。儂たち雄鶏は、ご存知のように朝、夜明けを知らせる仕事がある。時を作らなければならない。これは一朝一夕にできる業ではないんじゃ。喉を鍛え抜いてやっと到達できるものなんじゃ。最初のうちは、思うように声がでないので、実に情けないほど小さい。これがまぁ、ピアニッシッシモじゃな。そして段々うまくなると、声も大きくなってくるんじゃ。そして、最大限の音量で叫ぶ、これがフォルティッティシモじゃ。そしてな、大切なのは最大の音量で正確な音程とリズムを維持できるようにすることじゃ。それが出来たらピアニッシモで練習するんじゃ。この繰り返しで、感情が表現できるようになるんじゃ。

では、一緒にフォルティッティッシモをやってみよう。」

そう言ったので、私も雄鶏のコケコッコーを力一杯弾いてみました。しかし、あの雄鶏の大きな声量にはとても敵いません。あんなに小さな身体なのに、どこからあんな大きな声をだしているのやら。雄鶏は小ばかにしたように笑います。

「音量を大きくすると、君は音程が微妙にずれるねぇ。それでは音楽になっていない。」

音が大きいと音程がずれた時の調子っぱずれがとてもみっともないのです。私は慌てて音程を修正します。

「ほうら、もう一回だ。」と鶏は私をせかします。

フォルティッティッシモの練習が一旦終わると今度はピアニッシッシモの練習です。それはそれで音の不安定さが目立ちます。するとすかさず雄鶏に注意されます。

 能天気に叫んでいるだけだと思っていた雄鶏がこんなに激しい練習をして時を作っているとは知らなかったので、私はすっかり感心してしまいました。尊敬の念さえ湧き起こってきたくらいです。雄鶏監督の厳しい練習は明け方まで続きました。

 

第六夜 発表会の夜

 

 これだけ練習をしてきた私でしたので、発表会での演奏については、もう、どうでもよくなってしまいました。腕が上がっただろうという確信もありましたが、ご存知のように無知の知で、自分の未熟さを知れば知るほどすべてが否定的に見えてしまい絶望的にも感じていたのでした。

 最初のうちは客席で他の人たちの出し物を大きな口を開けて馬鹿笑いしたりして見ていたのですが、自分の出番が近付いてくると胃の中に何かがいて私をじっとさせてくれないのです。緊張感が高まるばかりなのです。

出番前に三回も手洗いへ行ってしまいました。

次の次という時になって、舞台の袖に立って他の人の演技を見ていても、全く上の空です。どきどきして、もう家へ帰りたくなってきます。寝転がっていた方が、どれだけ気楽だったろう、それをエスペラント語に訳すとどうなるのか、などと気分転換を図ったりします。でも、そんなものには頭が反応しません。

一人前の演奏者はクラリネットでしたが、ガーシュインの『ラプソディーインブルー』の独奏です。音楽大学を出て、どこかの楽団にも所属している女性です。演奏はそれはそれはとっても見事なものでしたが、私は上の空です。彼女の演奏が永遠に続いてくれればいいと願うほどでした。

 しかし、演奏は終わってしまいました。割れんばかりの大きな拍手です。ブラボーと言って立ち上がって拍手する人もいます。

 

violinist Ayoan-performance evening 20140815friday.JPG そして、私の番が来てしまいました。曲目はチャイコフスキー『アンダンテ・カンタービレ』です。あぁ、今更ながら地味すぎた選曲だったろうか、などと後悔し始めます。後ろから進行役に押し出されて、私は舞台に出ます。そして伴奏のピアノの横に立ちます。

 ピアニストに目礼すると、最大限のビブラートを効かせてすすり泣くように弾き始めました。その後私が覚えているのは、ただただ誰の顔も見ないで、客席の一番奥の方に顔を向けて、無我夢中に演奏したことです。そして、猫や小鳥やら尺取虫たちが教えてくれたことを、あの時ひたすら練習していた時を思い出して弾いたことでした。がっかりしたような野良猫シャブランの顔が浮かびます。私の顔を覗き込むウグイスの可愛い顔を思い出します。済ました顔で首を振り続けていた赤ゲラも、矢鱈に真面目な顔で着地場所を見ている尺取虫も、恐い顔で怒鳴ってくれた雄鶏も目に浮かびました。あれだけ必死になって練習したのだから、もうどうにも逃げられない、これが自分が最大限に努力した結果なのだから、そう思いました。

 

 演奏が終わりました。シーンと会場は静まり返っています。失敗か。

 

そして、突然大きな拍手が鳴り響きました。誰かが私にもブラボーと言ってくれました。立ち上がって拍手している人もいました。それは野良猫のシャブランでした。


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コメント 6

Enrique

大団円。
意識が否定的に回らずに,動物たちとの練習の方に行ったのが成功の理由だったのだろうと,勝手に想像しています。
演奏終了の一瞬の静寂,堪りません。
by Enrique (2014-08-16 09:38) 

sig

楽しいお話でした。栗の木の里などを想像しながら、一気に読ませていただきました。人と動物たちがお話しできるだけでもすてきなことなのに、教えてくれる動物たちに真摯に向き合って練習に励んだ主人公の姿が印象的です。それに挿絵のすばらしさ。このお話はぜひとも動画で見せていただきたいものです。
by sig (2014-08-16 10:34) 

かっぱ

登場する動物たちって、私たち、誰しもが、心の中に宿しているような存在なんじゃないかなあと思ったりします。こういう存在としっかり向き合えば、私たちは、いつの間にか成長できちゃったりします。絵もお話も出来るなんて、創作できる人を尊敬しております。
by かっぱ (2014-08-16 11:36) 

yuyaさん

挿絵があると良いですね。
お話を読み進むと絵に突き当たるって素敵です。
そして物語にアヨアンさんが居て、動物たちが居ると、本当のお話のように思えます。
コメントありがとうございました。
描き始めると困難ばかりで、なかなか絵が定まらないのですが、お言葉嬉しいです。励みにして、また少しずつ頑張ります。
by yuyaさん (2014-08-17 16:45) 

アヨアン・イゴカー

げいなう様、kurakichi様、ワンモア様、bee-15様、mimimomo様、makimaki様、kinkin様、ビタースイート様、般若坊様、fujiki様,
siroyagi2様、Enrique様、くらま様、さとし様、sig様、山子爺様、YUTAじい様、doudesyo様、かずのこ様、かっぱ様、carotte様、りんこう様、Hiro様、アリスとテレス様、Mitchi様、夢の狩人様、miffy様、youzi様、めもてる様、masatany様、ときどき様、silverag様、兎座様、ChinchikoPapa様、せとっこ様、海を渡る様、niki様、kiyo様、youzi_x様
皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2014-08-19 00:02) 

アヨアン・イゴカー

Enrique様
私は人前で演奏したことは、2度だけあります。劇団の稽古場にしていた四谷の双葉学園同窓会二階に置いてあったグランドピアノでショパンのエチュードを劇団員の前でいい加減に弾いたのと、次姉の結婚式の時シューベルトの即興曲を弾いた経験のみです。結婚式の時は、恐ろしく緊張し、脚が震えていたと思います。こんな少ない経験を思い出しながら、想像しながら書きました。

sig様
お喜びいただけたようで、とても嬉しいです。
この作品は、難しいのを承知で出版社に打診してみようと考えています。

かっぱ様
童話を紹介されているのを拝見しました。『ゲド戦記』読まなければと思っていますが、まだ第一巻読み終わっていません。他にも紹介されている本、折を見て呼んでみたいと思います。

yuya様
挿絵と言うのは文章の印象を崩してしまうことがあってはならないので、易しくはないと感じています。
『第一詩集』で詩画集を作りたいと考えて、既に10年以上経ってしまっています。理由は、自分の考えているような挿絵を描くことができないからなのです。でも、今年辺りは完成させなければならないと考えています。
yuyaさんの世界は、独特で、いつも物語性を感じます。絵の奥に、あれこれ思いが込められているのでしょうね。
by アヨアン・イゴカー (2014-08-19 00:18) 

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