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童話『提琴弾きのアヨアン』その5 [詩・散文詩]

第四夜 尺取虫がやって来たこと

 

 提琴と言うのはその音に魅力があります。ビブラートをどのようにして効かせるかそれが音色を完全に決めてしまいます。ビブラートを効かせない奏法もありますが、それはビブラートが出来るようになってからの話であります。このビブラートに行き詰っていた夜のことでした。音色を求める練習の手を休めて、窓から外を見ていると、ガラス窓の縁に一匹の尺取虫が敬礼をしています。

「どうしたんだい。何をしているんだい。」

「なんだか、先生、お困りのようだったものですから、つい覗いてしまいました。」と背中を釣り針のように大きく曲げて頭を下につけずにふらふらさせながら芋虫が言いました。

「確かに、このところビブラートが出来たような出来ないような微妙なことになっていて、それで悩んでいたんだ。よく分かったね。」

「それは顔に書いてありますよ。」

「で、君はどんな助言ができるというのかね。」と私は窓を開けて芋虫を掌に乗せながら聞きました。

violinist Ayoan night 4.JPG「先生、ちょっと僕を譜面台に置いて、ビブラートをやって見てください。先生の手と指と肘を見てみます。」

私は虫に言われるままに、彼を譜面台の上に置くと、できるだけ指も手首も力を抜いて震わせて見ました。虫は申訳なさそうな顔つきをして、ショムショムと言って笑ったのでした。私は虫に笑われたのですっかり腹を立てて怒鳴ります。

「全体、何か可笑しいんだ。私は真剣にビブラートをやっているんだぜ。その真剣さを笑うというのは、いかにも紳士的ではないじゃないか。」

虫は、笑うのを止めて真顔で言いました。

「先生、その真剣にやっているところが、その方向がちょっとずれているようなのです。つまり、一所懸命にやろうとしているために、あちこちに力が入ってしまっているんです。真剣だからこそ陥る技術の落とし穴かもしれませんね。」

「本当かい。」

「えぇ、ほんとです。時々手でバイオリンの首を支えるような動きになってしまうこともあります。それから左手の親指が硬すぎます。バイオリンの首を親指が支えようとしています。もっともっと力を抜かなければ、他の指が自由に動くことができません。そして、これが一等重要なのですが、どの指も第一関節がまだまだ硬いのです。

ちょっと僕が一尺を測る時に取る姿勢を参考になさってみてください。」

彼はそう言って、譜面台の端に移動しました。それからゆっくり大きく身体を伸ばします。後ろ足を前方に移動して来て釣り針をひっくり返したような姿勢になります。前足を床から離して前に伸ばします。前後に頭をふらふらさせます。なかなか下に前足を付きません。場所が決まるとようやっと降ろします。再び後ろ足を前の方に移動します。そして同じ動作をゆっくりと何度も繰り返しました。

「どうして、さっさと前足をおろさないんだい。」

「僕たちはこういう風に尺を測っているからなんです。いい加減にやったら、誰も尺取虫とは呼んでくれなくなるでしょう。僕たちは、これでも、なかなか職人なんです。」

 

私は彼の動きを見ていて、自分の欠点が見えてきたと思いました。彼が身体を使って見せてくれたあの柔軟性を指と手首と腕のすべてに持たせなければならないことが分かったのです。私は尺取虫を譜面台から窓に移して言いました。

「尺取虫君。有難う。君の動きの中に、自分に欠けていたものがいくつも入っているのが分かったよ。君が来てくれたことで、私は随分進歩できたと思うよ。」

 

尺取虫は、嬉しそうな照れくさそうな顔をして、敬礼をしてからまた尺を測りながらミズキの葉っぱに移動してゆきました。


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コメント 3

Enrique

ヴァイオリンの技術は分りませんが,イメージが大事な事もあると思います。確かに尺取り虫の移動には参考になることがありそうです。
by Enrique (2014-08-15 11:32) 

アヨアン・イゴカー

Enrique様、ビタースイート様、えれあ様、あんぱんち~様、般若坊様、kurakichi様、ミスター仙台様、kinkin様、kohtyan様、ChinchikoPapa様、アリスとテレス様、doudesyo様、いっぷく様、夢の狩人様、makimaki様、suzuran様、sig様、かずのこ様、かっぱ様、miffy様、youzi様、兎座様、海を渡る様
皆様nice有難うございました。
by アヨアン・イゴカー (2014-08-18 23:48) 

アヨアン・イゴカー

Enrique様
vibratoでは随分苦労しています。後一歩のところまで来ていると思っています。が、残念ながら、それでもまだどのポジションでも、どの指でも出せるという状況ではありません。ビブラートについては、鏡が必需品であるにも拘わらず、練習し始めて数年間鏡を使っていませんでした。ガラス窓に写る姿を見て、姿勢を直したりしていました。
家内の鏡を借りることにして、自分のバイオリンの持ち方が間違っていることに直ぐに気付きました。これが独学の困ったところです。恥ずかしい話なので、あまり申上げませんが。
第一関節の弛緩は、実際、苦労しました。youtubeの例を見ても、ぴんと来ないことが多かったためです。
今回はこのビブラートの基礎を克服するヒントを与えてくれるものとして、指の動きを想像しながら尺取虫君に登場してもらうことにしました。
by アヨアン・イゴカー (2014-08-18 23:56) 

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