E.T.先生のこと-高校時代の英語の先生 [回想]
私は子供の頃から知りたいものは山ほどあったが、いわゆる学校の勉強は好きではなかった。だからいつも沈香も焚かず屁もひらず、と言う状態だった。それでも余り焦った記憶はない。なぜなら、勉強ができると言うことは、運動が得意であること、美人に生まれることと同様、生まれつきのものだと思っていたからである。勉強して成績がよくなることなど馬鹿らしい、勉強などしなくとも出来るのが恰好いい、と勝手に思い込んでいた。勉強などできなくともいいではないか、自分には向いていないのだから、と。実際は必死になって勉強している人間が結構多いにも拘らずである。
こんな考えを正してくれる人もおらず、好きなことを好きな時にやっている、それが私の生き方の基本であるような気がする。
英語について、私は大いに興味を持っていた。NHKで放送されていた『ひょっこりひょうたん島』に出てくるドン・ガバチョのように、外国語がいくつも喋れるなんて、何と素敵なことだろう、と。だから、中学校一年生になった時、英語はそれなりに勉強し、そこそこの成績だった。先生が元日本航空の客室乗務員だったことも少しだけ影響していたかもしれない。二年生になった時、私は英単語帳を作り始めた。一学期のことだったろうか、それを見つけた同級生が「おい、がり勉!」と言った。その日から私は英語の予習復習をしなくなった。結果、どんどん理解が遠のいてゆくようになった。高校受験の時も、英語が大変な恐怖の科目になった。そして、恐らく低空飛行しながら、何とか都立高校に入学することができた。
高校に入ってからが大変だった。中学校とは異なり、随分教科書が難しくなったからである。予習をしておくようにと文法の江戸っ子のH先生に言われて辞書を引く。(H先生は朝日新聞をアサシヒンブンと発音したとか、次姉が言っていた。姉も同じ私と高校である。)ところがちっとも意味が分からない。動詞なのか、名詞なのか、どれが当てはまるか分からない。私には動詞、名詞の明確な概念がなかった。持っていたのはS叔母さんに頂いた三省堂のコンサイス英和辞典。今の私ならば、この辞典は難しすぎるから薦めない。当時は今のように英語に関する書物が氾濫している時代と異なり、本の種類が限られていた。初心者向けの辞書はあったのだろうか、それすら知らない。
さぼっているとどのようになるかという典型であった。予習はできないし、授業中は少しも進歩を感じない。試験があると、分かっていないから落第点手前の成績になる。英語の授業が恐ろしかった。
この私の英語に対する劣等感、敗北意識から抜け出すきっかけを作って下さったのが一年生の時に英語のリーダークラスを担当されたE.T.先生であった。先生はまず、発音記号が読めなければ辞書を引いても単語を読めないというお考えで、私たちに短い英文を発音記号だけで書いたわら半紙を配る。そしてそれを何度も読ませるという指導であった。お蔭様で、私は発音記号を理解できるようになった。
夏休みの宿題はOxford English Picture ReadersのGrade Twoから“AROUND THE WORLD IN EIGHTY DAYS”一冊を読み、単語帳を作成し、感想文と一緒に提出することであった。この本は正味で百十六ページある。リーダーの授業で使用していたのが同じシリーズの“JANE EYRE”で、一年間の授業で八十四ページまでしか終わらなかった。その百十六ページを四十日間の夏休みに読みなさいと言われた。(先生は、藁半紙に、人名の発音記号を書いて渡して下さった。特にPassepartoutはフランス人であるから、英語読みをすると不自然な音になることも考慮されたのだと思う。)
私は最初の十日間は全く勉強しなかったが、残り三十日間はこの宿題を終える計画を立てた。一日四ページ読まなければならない。英語の全く出来なかった私は、分からないなりに兎に角何度も音読しながら意味をとるようにした。単語帳も指示通り作成した。英単語左側に書いて、日本語の意味を右側に書く。勿論、物語に関係の無い意味もである。単語帳は後で見返してみると、同じ単語が新出単語として数回登場していることもあった。作った単語帳はどこかにあるのだが、今日の時点ではみつかっていない。references, detective, safe, warrant, howdah, procession, port of call, quayなどの単語がNotesに出ているが、どれも懐かしい単語である。「references照会」などと言われても、高校一年生には理解できない。そのような必要も経験もないので、それがどのようなものか想像ができない。感想文も英語で書いた。文法的にも間違いだらけの酷い感想文である。
結局、私はその自分にとっては大変な課題をやり通した。一冊の英語の本を独力で読み通したと言う満足感、達成感、やれば自分もそれなりに出来ると言う自信など、いろいろなものが得られたと思う。そして、間違いなく英語の苦手意識を克服することができたのである。その宿題を出した生徒がどれだけいたのか、私は知らないがあまりいなかった、あるいは読み通してはいないらしかった。その宿題は提出後、赤ペンと確認の署名か印鑑付きで返却された。
これに関連して思い出すのは高校三年生の時にHIGHROAD TO ENGLISH READING COURSE(三省堂)で読んだRichard Wrightの”Black Boy”の一文である。メンフィスに住んでいたリチャード少年は、母親に買い物に行くように言われる。雑貨店に向かうと、少年ギャングたちがいて、リチャードを殴って金を奪う。泣きながら帰ってくるが、母はそれでも買いに行かせる。また同じ目にあう。また、泣き戻る。三度目には母は棍棒と金を渡し、買って帰って来なかったら家に入れない、と宣言する。少年は絶望的な、固い決意をして出掛けてゆく。ギャングが「ほら、あいつが来たぜ!」と寄ってくる。少年は棍棒を無我夢中で振り回る。頭蓋骨に当たり手ごたえがあるほど力任せに。襲って来ないので、かかって来いと挑発してみる。来ないから少年から追いかける。ギャングの親たちが通りへ出てきて少年を脅す。少年は人生で初めて大人たちに叫び返す。こうして、彼はメンフィスを自由に歩く権利を確保したのだった。(多分大学3年生になった時、岩波文庫で『ブラックボーイ』を読んだ。)
尚、E.T.先生は現在、大学で非常勤講師として教えていらっしゃいます。日本モーム協会会誌にも投稿されたりしておいでです。
E.T.先生に感謝を込めて。 2011年7月3日日曜日
こんにちは^^
先生によって、随分違うものですよね。先生と言っても
学校に限らず社会の先輩や上司だって・・・
人生はそんなことで少しずつ違ってきますからね~
by mimimomo (2011-07-03 18:16)
こんばんは♪ いつもありがとうございます。
江戸っ子の先生の「アサシヒンブン」に笑ってしまいました。
笑っている私も「し」と「ひ」の区別が付かないので、
朝日新聞はかなり気にしてい言わないと、「アサシシンブン」に
なってしまいます(>_<)
英語の授業と言うと、私が習った頃は教科書を読んで
日本語に訳してが多かったです。
先生の英語の発音もとっても怪しくて、それを覚えてしまっているので
分かっている言葉を話してみても、通じないんですよね。
最近、中学校の英語の授業を見学する機会がありましたが、
ALTが付き、ネイティブの発音で勉強する事ができて、
本当に学習方法もよくなっているなって思いました。
by youzi (2011-07-04 21:55)
ナイス ご訪問 ありがとう ございます。^^
英語がわると
世界が広がる その言葉が印象的でした。^^
by iruka (2011-07-04 23:40)
英語を学びかたで文章を読んでその意味を訳すという作業だけでは、なか上達に結びつきません。結局言葉だから文字を知らなくても話せる人はたくさんいるし英語が書けて意味がわかる人でも会話の英語に弱い人も多い。テストのための英語学習をしてきた世代ですので遠回りをしてきた感があります。
by いっぷく (2011-07-05 14:45)
アヨアンさんの作品の中には、絵と英文が一緒になっているものも多いですよね。
今回は、そんなアヨアンさんの作品にも通ずる、英語においての体験談を読ませていただき、とても楽しかったです。
ちょっと余談ですが、私は、国語・美術・体育以外の全ての教科は全くダメでしたが、一度も親に怒られた事がありません^^
その反面、興味のある事や好きな事にはどんどん挑戦させてもらえましたので、今思うと本当にありがたいなと思っています^^
何かを成し遂げる(好きになる)ために必要な方法は、人によって様々だと思いますが、アヨアンさんにはその先生の教え方がとても合っていたのかもしれませんね^^
もちろんアヨアンさんの「理解しよう」とする努力があってこそだと思いますが^^
by Kanna (2011-07-05 21:19)
最近はこういう非・授業的(?)な教え方をできる先生が、本当にいなくなりました。いい先生ですね。
by にすけん (2011-07-06 11:57)
>勉強などしなくとも出来るのが恰好いい
その意識は確かにありました。しなくて分かるうちはそれでいいのですが。。。
そこからの脱却には良き師の力だったり,必要性だったりします。語学などは若い一時期はトコトンやるべきなんでしょうが,私は必要性だけでやって来たので,専門外はトンとダメです。
by Enrique (2011-07-07 12:06)
こんにちは。
お久しぶりです(_ _) お越し戴きアリガトウございます。
努力家でいらしたんですね〜〜 高校の英語の先生はカタカナ読みで「イット イズ ア ペン」と発音される方でした f(^ー^;
by yakko (2011-07-09 15:02)
利口な子、体が柔らかい子、強い子、歌が上手い子、これらは皆天分で
普通の子がかなり努力してもそういう子には追いつけないものですね。
by 旅爺さん (2011-07-09 15:53)
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by アヨアン・イゴカー (2011-07-10 12:08)
mimimomo様
全く仰る通りで、学校でも社会でも、師を必要としている時に、師の有無によって、或いは師によって生徒は回り道を余儀なくされることもしばしばあります。それが人生なのでしょうが。
youzi様
職場にもシとヒの区別が突然付かなくなってしまう人がいます。こういうのは習慣によるので、特に咄嗟の時にでてしまいますね。
最近の学校は、リスニングと会話を重んじるため、出来ない子供にとっては基礎力が付かないような傾向があるようです。
iruka様
確かに一つの外国語を覚えると、世界が変わって見えるようになりますね。
いっぷく様
文章を読んで訳すだけでは力はつきません。文章を読むのだったら一定の分量(新聞の記事、社説、小説、解説書など)以上の、纏まった内容の物を理解する必要があります。書く、話すと言った発信力があって初めてその言語が使えるということになると考えています。
Kanna様
私の時代には倫理社会(後に公民)という科目がありましたが、高校二年生の時でしたが、それを学習する意味が分からなかったので試験を白紙で出したことがあります。実際には、哲学者などが紹介されていて面白い科目の筈なのですが、日本の高校では哲学を教えられる先生は非常に少ないのではないかと思います。
確かに、馬が合うということは、何事に於いても重要な要素ですね。
にすけん様
先日E.T.先生にお会いして、この話をしたのですが、先生のほうは少しもこの課題を覚えていらっしゃらないのです。先生は当時「私はこんな大変な宿題をだすけれども、きっと将来役に立ったという者がでてくる筈だから。」と言われましたが、まさにその通りでした。
Enrique様
私などは、勉強するなんて卑怯だ、ずるい、位にに考えていました。
馬鹿な話ですが、子供の頃はこういう勝手な思い込みで生きていました。
yakko様
概ね、発音の悪い先生が多かったと記憶しています。高校3年の時の先生だけが、発音がよかったのですが、その先生に音読を褒められたのも嬉しかった思い出です。
旅爺さん様
能力というものは一人ずつ最初から決まっていると思います。そして諦めた段階でその人の限界が確定してしまします。
しかし、諦めないで物事をやり続けると、人間は当初自分が知っている、認識している、或いはそうだと思い込んでいた以上の能力がでてくるもだと思います。実際に、私はいろいろなことをやり続けていて、やった分だけ向上しているのが分かります。自分で実験しております。
by アヨアン・イゴカー (2011-07-10 12:34)
あ、屁はひらなくても・・・と思ったところで、もう文章に引き込まれていました。
by Sakae (2011-07-10 23:37)
もしも今私が英語教員だったら、サブテキストとして、「Dolittle先生航海記」か、「Goobye,Mr Chips」(原本)を使うかもしれないけれども、生徒にその費用を負担させないといけないリスクがあって、実現できるかどうかはわからない。
難しい単語だけをプリント解説しておけば、いいと思うけど、後の祭りです(数年の教員経験有り)。受験体制の中では、なかなか困難な試みです。
能力は遺伝子で決定されている、という仮説について、以前書いたことがあります。刺激を受ける神経受容体が4本の人と2本の人がいる。4本の人が、だから努力もできるが、2本の人はそれもできない。しかし、2本の人は決して淘汰されないし、必要とされているようだ、とか。
by とりのさとZ (2011-07-11 19:16)
Sakae様
屁もひらず・・・この表現、下品ですが結構気に入っているのです。何だか、とても庶民的で・・・
とりのさとZ様
ドリトル先生は小学校の時に井伏鱒二訳で数冊読みましたが、楽しい本でした。動物語が話したくなりました。選択肢としてとてもいいと思います。"Goodbye, Mr Chips"は高校の時映画鑑賞で銀座に見に行きました。Peter O’Tooleが主演でした。E.T.先生もいらっしゃったと思います。ギリシアのパルテノン神殿の映像が印象的でした。歴史を大学で専攻したのも、ほんの少しだけこの映像の憧れがあったかもしれません。
by アヨアン・イゴカー (2011-07-20 15:37)