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吉江俊夫伯父の思い出 その1 [回想]

2010320日土曜日

吉江俊夫伯父の思い出 その1

 今週の水曜日三月十七日、昼は暖かいだろうと油断し、薄いコートも職場に置いたまま外出した。京王井の頭線で西永福へ行った。しかし、背広だけだったのは大変な誤算だった。空気が冷たいだけでなく、風までおまけで吹いていたからであった。なんやかやで結局一時間近く風の吹く外にいた私は、すっかり冷え切ったばかりか花粉も散々吸い込んで、酷い状態になってしまった。

 職場に戻ってからも冷え切った体は温まらない。机に向かっていても足元を隙間風が通り抜けるように感じた。手を差し出してみるが、空気の流れは特に感じられない。その内、関節が痛く、重くなってくる。そして、くしゃみを連発する。

 こんな状態だったので、私はいつもより早めに帰宅の途についた。電車の中でも体全体に感じている不快感は続く。鼻水も出る。読んでいる本も、いつも以上に頭に入ってこない。電車を降りてから家まで何も考えずに、ひたすら歩いた。

 玄関の呼び鈴を鳴らす。妻が扉を開ける。私が中へ入ると、妻がもの静かに言う。「俊夫伯父さんが今朝八時半に亡くなったって。今日お通夜。明日、告別式があるんだけど行けるの?お兄さんたちは明日十時半頃の電車に乗って行くらしいけど。」私は一瞬言葉を失い、コートも背広も着たまま立っていた。頭の中で、伯父さんの思い出が浮かぶ。あの優しい、カッコいい、頭のいい伯父さんが亡くなった。私がその随筆を読んで、益々好きになっていた伯父が亡くなった。去年から自由に歩くことも出来なくなっていて入院していた、と母から聞いていたのではあったが。

 

 何度も鼻が詰まって目が覚め、寝直すということを繰り返して、翌朝私は最悪の状態で起床した。喉は腫れあがり、鼻は詰まり、声は低くなっている。八時半頃、隣の兄の所へ行くと、既に両親と兄夫婦は出発の準備が出来ている。十時半頃に出発するのではなかったのか。告別式の場所も知らない私は焦る。母は脚が悪く速く歩けないので、エレベーターを使うことを前提に、全ての乗換えで多くの時間的余裕を持たせているからだった。兄は自分がプリントした電車の乗り換え案内と葬儀場の名前のある紙を呉れる。

随筆 小河内日記.JPG 結局、私は単独行動することになった。職場に連絡をいれ、急遽有休にしてもらう。いつもと同じ電車に乗った。小田急線と南武線の登戸駅の間を足早に歩く。一分半の間に切符を買い階段を降りると、直ぐに電車が走り込んでくる。立川行きに何とか乗り込む。立川駅では乗り換え時間が六分だったが、こちらも自由席の列に並び、特急あずさ十三号松本行きに乗る。自由席は案外あちこちに空席があったので、直ぐに座る。

 一旦特急に乗り込んでしまうと、気分がすっかり落ち着く。手帳を書きながら、外の景色も眺める余裕ができる。立川、八王子までは時々来るので、心理的には散歩程度である。甲府まで来ると気分は小旅行である。ここで結構な人数が下車した。続いて韮崎、小淵沢。この辺から山の中を通っている感じがして、旅情を感じるようになる。茅野、上諏訪、下諏訪。

 目的地の下諏訪駅で下車すると、遥か向こうの指定席車両から降りて来る五人が見える。両親と兄夫婦と長姉である。私はゆっくりと近付いてゆく。両親たちはエレベーターを使っているが、私は階段を上って反対側のプラットフォームに移動する。プラットフォームを歩いていると、後ろから「おう!」と肩を叩く人がいる。画家の新二伯父さんだった。高齢なのに実に元気である。私か大いに影響を受けている伯父である。

 下諏訪駅から葬礼会場まで徒歩一キロ位と聞いていたので、私は単独行動ならば歩くつもりだった。まだ式の開始まで一時間半以上もあるのだから、散歩を兼ねて歩いたことのない処をうろつくのも悪くはあるまい、と。「何?一キロ?!歩いていくよ。」と言ったのは新二伯父さんだった。私は伯父と話すのも久しぶりだったので、喜んで同行することにした。両親と兄夫婦、長姉はタクシーで行く。

 蕎麦を食べたいと伯父は言うが、駅の周りには居酒屋が二、三軒あるくらいで、他には食事の出来そうな場所はなかった。諦めて会場へ向かう。その途中、伯父から都立新宿高校(旧制府立六中)の卒業生達の話を聞く。伯父が勤務している頃の都立新宿高校は日比谷高校、戸山高校と並ぶ全国に名を轟かせる有名な進学校の一つだった。音楽の話をしていたので、池辺晋一郎と坂本龍一の話になった。「池辺はね、茨城からやってきたんだ。生意気で頭のいい奴だった。でも、いい奴だった。」「坂本龍一は、一杯賞を貰っているね。彼の親父は出版社の編集をやっている人だった。彼もいい人間でね、去年卒業生の集まりがあって俺にも会いてえって呼んでくれたから、行って会った。」

 歩きながら私が「諏訪湖って、随分小さな湖ですね。」と言うと、「もともとの岸辺から百メートル以上埋め立ててしまったのよ。水質は悪くなってアオコが出て臭いしな。」とのこと。

 過疎化していて、通行人はいない。途中、方向が分からなくなり、二度会場までの道順を、路傍で仕事をしている人々に尋ねる。一キロとのことだったが、多少彷徨したこともあって、四十分ほど掛かって到着した。

 

*写真は吉江十志(俊夫)著『随筆 小河内日記』装丁・カット 吉江新二 昭和六十三年八月十六日発行 発行所 株式会社銀河書房 


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コメント 10

空楽

訪問くださりありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
                  空楽(父)
by 空楽 (2010-03-21 15:40) 

duke

ご冥福をお祈り申し上げます。
本の装丁、素敵ですね。
by duke (2010-03-21 16:04) 

be-sun

何もかもいい伯父さんだったんでしょうね そういう方っていらっしゃいますよね
by be-sun (2010-03-21 17:07) 

雉虎堂

ご冥福をお祈り申し上げます。
身内に不幸があるときには
なぜか体調を崩しがちです
お大事になさってくださいね
by 雉虎堂 (2010-03-21 18:01) 

mimimomo

こんばんはーー
伯父様のご冥福をお祈り申し上げます。
アヨアン・イゴカーサンも花粉症でいらっしゃるようですね。
お体お大事になさってくださいませ。
by mimimomo (2010-03-21 18:57) 

アヨアン・イゴカー

HAL様、flutist様、gyaro様、kurakichi様、kakasisannpo様、yakko様、YUYA様、くーぷらん様、いっぷく様、ひろきん様、スー様、Krause様、doudesyo様、ゆきねこ様、mitu様、takamovies様、kaoru様、のぶりん様、さとふみ様、もめてる様、uminokodomo様、ミモザ様、サチ様、sig様、くらま様、nyankome様、schnitzer様、空楽様、duke様、よっちゃん様、be-sun様、雉虎堂様、siroyagi2様、えれあ様、mimimomo様、Chinchiko-Papa様、チョコシナモン様、optimist様、奥津軽様、Enrique様、まっちゃん様、アリスとテレス様、旅爺さん様、ひでほ様、chee様 皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2010-03-22 21:10) 

アヨアン・イゴカー

空楽様
宜しくお願いします。猫ちゃんは、いつみても、和みます。

duke様
有難うございます。
新二伯父の装丁、この絵は吊るし柿です。

be-sun様
俊夫伯父と18歳年齢が離れた叔母が、とても優しい兄だったと言っていました。私は、優しさ(思いやり)が人間の中で最も大切な性質だと思っています。

雉虎堂様
有難うございます。
綺麗な日本語を話す伯母(伯父の妻)が気になります。しっかりした人ではあると思いますが、伴侶を失うことは精神的に痛手となりますので。

mimimomo様
有難うございます。
花粉症は、今日現在、鼻は時々詰まりますが何とかなっています。
by アヨアン・イゴカー (2010-03-22 21:19) 

SAKANAKANE

加齢と共に、次第とこういったコトが増えて行くのでしょうね・・・。
私は学生時代に、実家から東京まで休みの度に通っていたので、中央本線の駅名はとても懐かしいです。
by SAKANAKANE (2010-03-27 23:09) 

アヨアン・イゴカー

zenjimaru様、兎座様、てんとうむし様、SILENT様、アマデウス様、SAKANAKANE様、うに様 nice有難うございます。

SAKANAKANE様
母の実家が信州にありましたので、子供の頃は何回か連れて行ってもらいました。それが楽しくて、好い思いでになっています。
by アヨアン・イゴカー (2010-03-29 00:15) 

アヨアン・イゴカー

うに様、野うさぎ様、ナカムラ様、唐糸様 nice有難うございます。

by アヨアン・イゴカー (2010-04-02 23:18) 

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