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貧爾手帳-その4 [詩・散文詩]

hinji3.JPG二十時十五分

 

黄色い分泌液が口から垂れているので、鼻紙で拭き取る。貧爾は嫌がって向きを変える。が、今は口のべとつきもなくなり、少し落ち着いて、安らかな寝息をたてて眠っているようだ。一旦止まっていた尻尾振りも、律動的に再開している。

私は、貧爾が病魔と戦っている姿を尊いと思う。これは、猫という動物として尊いのではなく、生命を持つものとして尊いのである。生きるために、彼は一所懸命に体を休めているのである。休めることによって、新たな活力を蓄えているのである。そのひたむきさが美しいのである。

 

二十時三十五分

 

それにしても、世の中は平等には出来ていないものだ。*に感染させられた貧爾は、いくつもの病気に罹った。リンパ腺が腫れて、ぐりぐりが出来たのはもう何年も前のことだ。口内炎が出来て、口が閉じられず、ひどい悪臭を口から放つこともあった。それが直ったと思ったら、何故か下顎の犬歯が上顎の歯茎に当たり、やがてそれは上唇に穴を穿った。この危険な犬歯の上端を、獣医は切り取った。と思えば、今度は腎臓が不全のために、水ばかり飲むようになってしまった。(ちなみに、彼は流水が好きで、水道の水は流れているところで顔を横に傾けて落下する水滴をそのざらざらした舌で刈り取るのが好きだった。また、妻の芝居の観劇に来てくれた友人が持ってきてくれた花束をバケツに入れておく水が好きで、バケツの縁に両方の前足を掛け、花束の茎の間に頭を突っ込んで、水を飲むのだった。たまに、バケツは貧爾の重さに耐えかねて横倒しになり、床の上は洪水だ。花瓶に花を挿しておくことも危険だ。何度も水を飲もうとした貧爾に倒され、床が水浸しになった。)

貧爾は、風邪を引いただけでも十分に体が疲労し、寿命が縮まってしまうのだ。何という運命だろうか。彼はこの小さな体で、その苦しみを引き受けているのである。今、彼は床の上に横たわりながら、時々詰まる痰を振り切りながら、必死に生きているのだ。その姿は尊い。

FIVとは、簡単に言えば猫エイズである。インターネットで調べると、コーネル大学獣医学部猫族保健所による説明がある。「猫エイズの猫は世界中で見られるが、その発現頻度は地域差が大きい。米国では健康な猫でも一、五から三、0パーセントの猫エイズに感染している。その比率は、病気に罹っていてこれから感染する可能性のある猫を勘定に入れると十五パーセント以上になる。感染は咬み傷によるものなので、じゃれ合っている分には問題にはならない。稀に、母猫が感染していて、仔猫が産道を通る際に、或いはエイズビールスの入った母乳を吸うことによって移ることもある・・感染猫は数年間別状はなかったりするが、最終的には免疫不全となり、健康体であれば何の問題も引き起こすことのないバクテリアやビールス、菌状腫などに感染した段階で、抵抗力がないために死に至る。歯茎の炎症、口内炎、慢性的あるいは再発性の肌の炎症、発熱を伴うリンパ腺のぐりぐりが発生したり、下痢をしたり、体重が減り、極度の衰弱・・現在ではワクチンもあるがその効果は絶対的なものではない・・・」(抄訳・意訳アヨアン・イゴカー)                       詳しくは次のURLを参照。                                                                                     http://www.vet.cornell.edu/fhc/resources/brochure/fiv.html 

二十一時四分

 

貧爾はあの弱々しい体で、よろめきながら立ち上がり、厠へ行き排尿した。それは今から四時間以上前だ。妻が抱き上げて砂場の上に立たせてやると、しっかり用を足したのである。垂れ流したりせず、何とか自分の力で不浄のものは片付けようとする意志を持っているのである。私はこの貧爾の様子を見ていて、宮沢賢治を思い出した。世の中のために生きなければならないと決意した賢治のことを。

 貧爾は安らかな顔をして、横になりながら私にずっと語り掛けてくるのである。「僕はこんな人生を送るように宿命付けられてきたのだけど、決して後悔はしていないよ。僕が生まれてきた意味は、あなたがたに拾われて、生きて、死ぬことだったんです。それで十分なんです。僕みたいな猫もいるっていうことを知ってもらえれば、十分なんです。あなたの優しい優しい可愛い奥さんは、僕を何度も救ってくれました。僕は、もう、何度死んでいたか分かりません。あなたの奥さんには僕は、心から感謝しているんです。また生まれてきたら、きっと拾って下さいね。」「勿論!!」怒ったように私は言う。

 あぁ、それにしても、この子の下唇の荒れようは、なんと酷いことだろう。炎症が出来て赤くなっている。あれじゃぁ痛くって食べられないだろう。だから、物を口にする時貧爾は叫びながら食べていたのだった。それを見かねて妻は砕いてやったり、水に浸してやったり、少しでも貧爾が食べやすいようにしてやっていたのだった。何と優しい人だろう。

 

二十一時三十八分

 

鼻に詰まった鼻汁を拭き取る。気持ちよさそうな寝息だ。心臓が破裂しそうな位大きく動いている。脈拍は百三十くらいだろうか。鼓動が見えるのだ。あれだけ安らかな寝息とは対照的である。まるで、暑い夏の一夜、冷房の効いた部屋で快眠を貪っている長閑な光景にしか見えない。(冷房を止めたら、喧しいオートバイのマフラーの音が遠くで聞こえる。)

 二十一時四十五分

 

貧爾は寝返りを打つ。同じ方向ばかり向いていれば、当然体の下部に圧力が掛かり、痛くなるからだろう。寝返りを打ってくれればまだ大丈夫だ。弱っていてもそれだけの力が残っているということだから。

 私は愚かで自己中心的な人間だ。貧爾の姿、必死で生きようとしている姿を見て、その命を必死で守ろうとしている妻のことを知る。そして、その妻と結婚して仕合せであったことが、貧爾に対する彼女の接し方を見て分かる。貧爾は、妻と私を本当に結び付けてくれた鎹なのである。私は妻と二人だけの思い出を作る小旅行に出掛けたい、と今思う。今まで思ったこともないことである。思い出は人間関係をより深く強く結びつけるものだ。

 

 二十一時五十五分頃

 

貧爾が矢庭に立ち上がろうとした。私はまた寝返りをうつのかと思って、ただ手で支えるだけだった。二度ほど立とうとして転んだ。貧爾からは尿が流れ出した。床に尿が広がった。私は慌てて雑巾を取り拭いた。貧爾の体についた尿も拭いた。そして思った。妻だったら、すぐに察して猫トイレへ連れて行って排尿させてやっていただろうに、と。私はこんな時の貧爾の気持ちさえも分からないのだ。パンチャタントラだったかヒトーパデーシャだったかに書かれている通りで、まさかの時にこそ本当の人間を知ることが出来るものだ。

病院など、入院などと言っても、籠と言う檻の中に入れたままで、尿も糞も垂れ流しなのだ。だからあんなに美しい柄の貧爾の腹部側は薄汚れて、尿の臭いがするのだ。前脚の毛が抜けて禿げになり、黄疸の出ている白い肌が露出しているのはどういう訳だろう。もっと大切にペットを扱って欲しい。

 

二十二時十五分

 今、貧爾は、妻の黒いランニングシャツを丸めて作った枕に頭を載せ横になっている。オダリスクをふと思い出す。それにしても、どうしてこんなに薄汚れて帰って来るのだろう、いつも。我が家の美男猫の伊達猫振りをすっかり台無しにしてしまうこの惨めさ。しかしそこは貧爾君、襤褸は着てても心の錦。萬鉄五郎の裸婦のような、屈託が無く、余裕のある、そしておおらかな、達観した人間の境地を感じさせる。

 

 二十二時二十分

 

黄色い鼻汁が詰まって苦しそうなので、ちり紙で拭き取る。彼の前膊の毛が抜けたのは、あの鼻汁を前膊で拭い取るためかもしれない。なんとなれば、今、彼は前脚で鼻汁を取ろうともがいていたからだ。

 今、貧爾は再び大きく息を吸いながら寝ている。こうやっていて全快したら愉快だろうと思う。貧爾が独力で猫エイズを克服したら、それこそ大事件だ。そんな素晴らしい猫を持つことは誇りである。


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貧爾手帳 その3 [詩・散文詩]

hinji2.JPG二〇〇二年八月十二日 月曜日 十七時十五分

 

貧爾が病院から帰ってくる。ひどく衰弱している。動物病院から戻ってくると、いつもひどい屎尿の臭いがする。(水色の箱の中には、貧爾がうずくまっていた。箱の扉をあければ、いつも自分から出てきたのに、この日は扉を開けても全く出て来れない。箱から引っ張り出す。貧爾はすっかり体力を消耗し切っており、起き上がることができない。床の上に静かに降ろしても、辛そうで、動こうともしない。呼んでも、返事をすることはない。頭を重そうに前足の上に乗せて、目を瞑ったままで苦しそうに呼吸をしているだけだ。)

 

二〇〇二年八月十二日 十九時

 

不自然な格好で横たわっていた貧爾が俄かに起き上がって、よたよたと歩きながら階段の方へ行こうとする。力を使い果たしてしまうといけないので、急いで抱いて元の床の上に連れ戻す。

 

二〇〇二年八月十二日 十九時十五分

 

まるで、猫の縫いぐるみの中に人間が入っているように人間のような貧爾。

 

十九時三十三分

 

貧爾は今、床の上にべったりと体をくっつけて横たわっている。ゆっくりとお腹が呼吸に合わせて膨らむ。尻尾は痙攣しているかのように、神経質に振られる。何しろ、あの地獄から生還した*おにぎりの息子なのだから、この子は生命力があるのだ。

       おにぎりとは、我が家にまだ沢山猫たちがいた頃、庭から餌を貰いに来るようになった雄の迷い猫、捨て猫のことである。大きな頭は白地に雉虎柄があり、宛ら白米の握り飯に小さめの海苔を貼り付けたようだったので、妻が命名した。喧嘩が強く、威勢のよい雄猫に挑まれても咬みつかれても一歩も引かない。少しぐらい顔に爪を当てられても何も感じないかのような、旅烏の渡世人ようなところがあった。実際、その顔には引っ掻き傷があった。緑色の美しい目をした猫であり、本来は相当美男子だったに違いない。また、生命力も強く、酷い鼻風邪を引くことも度々で、くしゃみをして鼻汁を飛ばすこともあった。その姿があまりにも苦しそうなので、もう助からないだろう、死んでしまうだろうと何度も思ったが、ひょこりと何事もなかったような顔をして餌をねだりにくるのである。一度、猫たちの間で疥癬が流行したことがあった。その時には、おにぎりは下腹部の毛が全部抜けてしまい、地肌が出た。疥癬の苦しみは、異常な痒みが波状攻撃で襲ってくるようであった。腰辺りに痒みがやってくると、その部位に咬みついて止めようとする。しかし、それは導火線となり、痒みに火をつけるだけである。苦しいほどの痒みに襲われ、腰に向かって突進する。が、自分の腰は逃げるばかりである。自分の腰に向かって歩を進めるため、自ずとぐるぐる回転することになる。怒りの声を上げながら、目にも止まらぬ速さで数回回転しては、荒々しい呼吸をしながら休む。こんなことが何度か繰り返される。私は、「廻船問屋」などと言う名前を付けた。勿論、「疥癬」とぐるぐる回る姿を「廻船」に掛けた訳である。妻があの状況を思い出すと「捕まえて注射の一本でも獣医さんに打って貰えばよかったね。」と言う。私は注射一本で疥癬が直ることを知らなかった。更に、おにぎりは前足だったと思うが、骨折したのが後遺症になったのか、いつもちょっと跳ねるように歩いていた。これほどの苦しみを負いながらも生きていたのである。彼の生命力の強さにはいつも感嘆していた。地獄から生還したと言う形容詞はこのようにして与えられたのである。 

二十時

 

貧爾は声を掛けると、尻尾を振る。

 
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貧爾手帳-その2 [詩・散文詩]

dying hinji.JPGFIVに掛かった猫と過ごした最期の時間(貧爾手帳)

  

二〇〇二年八月三日 土曜日

 

貧爾は少しも体重が増えない。私は死ぬなら何の手当ても受けずに、猫のように静かに死んでゆきたい。静かに、苦しみながらでも、静かに死ぬことを望む。

 昨晩、新百合ヶ丘駅階段で老人と若者が喧嘩をしていた。二人が階段の上側と下側に立っており、第三者が止めに入っていた。老人も若者もお互いに殴りかかろうとしている。位置から考えれば、下り専用の階段を、老人がごり押しに上り、その不当さを若者が力で押し返すことによって表現したのではないか、と思われた。老人の中には自分が年長であるという理由だけで好き勝手に振舞う権利を行使しようとするものがおり、若者には年長者を敬わない不遜な者もいる。昨晩の事例は、道路の中央線を越えて右側車線を走り、対向車に注意されて怒っている運転手のように老人の様が見えた。しかし、実際のところは分からない。

 

 二〇〇二年八月六日 火曜日 十二時二十二分 晴れ

 

 今日は今年一番の暑さなのだろうか、東京の予想気温が摂氏三十六度。殆ど体温と同じで、戸外ではもっと高いのだろうと思う。四十年位前には三十度を超すのはインドやパキスタンなどなのだと思っていた。残念ならが、こんな酷い暑さを我々も日本で体験できるようになってしまった。

 貧爾がいよいよ元気がなく、痩せるばかりだ。蛇口から水滴を数分間飲んでくれたのでよかった。しかし、相変わらず食べ物は摂ることが出来ない。体の臭いは強くなっている。自分の体を舐めることも出来ないし、人間に触られるのも痛いのだろう、嫌がる。

 二〇〇二年八月七日 水曜日 十二時二十二分 晴天

 

いかにもいかにも夏晴れ。しかし、青空は十分に青くない。白くぼやけている。日向の夏草は萎れ、木陰の草は元気だ。朝、食器を水だけでまず洗うのだが、その水をベランダの鉢植えの木や花にやる。水を吸うと木や花は、活力が漲ってくる。

 *   *    *    *    *    *

 貧爾が、飲んだ水を大量に吐き出した。水を摂ることが出来なくなっている。血が出ていれば止血のために何かをする、溺れていれば水から引き上げる、骨折しているなら添え木を当てる、そんなことが当事者でない他者に出来ることであり、そういう救いの手は差し伸べるべきだろうと思う。しかし、私は生命の終わろうとしている生き物を生かすことは出来ないし、そうすべきでないと信ずる人間である。貧爾は徐々に生きることを止めようとしている。私は彼の死を、ゆっくりと見守りたい。私は貧爾から死に方を学びたい。最早、あれだけ痩せた体は、あちこちに放尿して臭い付けをして、大騒ぎを巻き起こした昨年のあの 元気だった状態に戻ることはないだろうと思う。

 

 二〇〇二年八月九日 金曜日 十二時二十二分 晴天

 

今日も暑い。昨日は摂氏三十九度になると言う予報だった。今日は三十七度。いずれも熊谷での話だ。八王子では今日早くも三十五度だそうだ。電車は空いているのが嬉しい。そろそろ一般の企業も盆の夏休みに入るのか。風が吹いているのが気持ちよい。

 昨日人事院は、公務員の給与の引き下げを勧告した。初めてのことのようだ。民間企業との賃金格差が大きすぎるための是正だ。

 *    *    *    *    *    *

 貧爾は一昨日から入院している。動物は保険がきかないので、困ったものだ。動物愛護団体が旗振りして、ペットの健康保険でも創設してくれないだろうか。人間と言うこの世界にとって害ばかり齎す者に医療費を使うよりは、動物に使ったほうがよいのかもしれない。


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『貧爾手帳』より『貧爾と私』 [詩・散文詩]

 hinji notes.JPG今日は、簡単なスケッチと音楽を公開する予定でしたが、sigさんの三毛猫ちゃんのブログ記事を拝見し、急に考えが変わってしまいました。いつか自費出版しようと考えていて、未だ実行に移していない『貧爾手帳』の一部だけ公開してみようと言う気持ちになってしまったのです。貧爾と言うのは我が家にいた雄猫ですが、FIVで免疫力が無くなり、2002年8月13日に死んでしまいました。6年ほどの生涯でした。そして私がその死を見取ることのできた一匹でした。貧爾がいなくなってから、他の猫たちの死をしっかりと確認してから逝くように、翌年最後に残った寅次郎が、私達の食事中に息を引き取りました。
 左に掲載した画像の中に万年筆があるのは、この手帳が大きなものではないことを見て分かるようにするためです。私は手帳をいつも鞄やズボンのポケットに入れており、通勤や散歩にの最中に使いますが、この『貧爾手帳』は2002年7月23日から使い始めた手帳の後半三分の二を貧爾の死とその思い出に捧げるために9日間で使い切ってしまったので、『貧爾手帳』と呼んでいるのです。
 今回は『貧爾手帳』の中でも、私が貧爾を思い出して描き始めた一文を書きます。『貧爾と私 その1』
 貧爾はスナックスティックと言う菓子が大好きだった。だから私は稲城市平尾団地にあるスーパーヤマザキに行くと、そのスナックスティックを買って帰ってきた。日曜日の夕食前の軽食として、私はそれを本来買ったのだったが、私が椅子に坐って珈琲を飲みながらこのスティックを齧り始めると、貧爾が台の上に飛び乗り、私の方に前脚を伸ばすのである。『牛飼いと山姥』よろしく私はとりあえず貧爾を台から降ろす為に、スナックスティックを小さく千切って、丸めて、床の彼方へ放る。すると貧爾はその方向にすっ飛んでゆく。そしてごくりと飲み込んでしまうと、私の方に近寄って来る。私は、再び千切って今度は別の方角に放り投げる。すると貧爾は丸められた菓子を、まるで子猫のように追いかける。(大人になってからは活発さが減っていた。)。食べてしまうと私の方をまた見上げる。「今度はどっちへ投げるの?」と言う顔をして。
hinji lying on the floor.JPG ところで、この子は頭が好かった。例えば座布団の陰や何か障害物の陰に入ってしまった菓子の玉が見つけられない時、私がその方角を指で示すと、そこへ飛んで行って探し出すことができた。他の猫たちは、私が指差すと私の指そのものを見て、いっかな指差された方角、指の先には行こうとしなかった。
 私は、外にでてよその猫と喧嘩をして傷でも負うと一大事だと言うことで、外出を許されないこの子に必要な運動をさせるため、わざわざ右や左へ、遠くへ近くへとこの玉を放った。貧爾は気が済むまでこのスティック団子探しをすると、満足したように、後は自分のお気に入りの場所へ行ってしまうのだった。このスティック以外には、アンパンも好きだった。つまり、炭水化物が好きな猫だった。
 しかし、このところ元気がなく、スティックには興味を示さなくなってしまっていた。悲しさ、寂しさの本質は何かと考えてみると、それは存在であったり、行為だったり、習慣あるいは感情だったりするのだが、それらのどれかが不在になることである。元気で、いつも私の出勤前に足元にじゃれついたり、飛んだり跳ねたりしていた貧爾が、まるで老猫のように、じっとして動かなくなってしまうことがその一例である。大好きなものを食べなくなることも。勿論、あるものの不在は、単なる喜びの場合もあり、驚きのこともあるのだが。病気の不在は喜びであり、長年の悪癖がなくなっていればそれは驚きである。
 *下の写真にある貧爾は、1996年8月12日に描いたスケッチ。捨てられた子猫だった貧爾が我が家の猫仲間(5匹)に加わって、我が物顔で跳ね回っていた頃のものです。
 
 

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詩『ある日の風景』 [詩・散文詩]

 ある日の風景
 舞台衣装のような姿の女が入ってきた。
 諸君!帽子を取り給え。日本人にして砥の粉色の髪をした、劇画の人物だ。ロココ様の登場だ。
 一体、何がジェーンに起こったのか、知る由もない。
 薄汚い親仁が、ZARAの手提げ袋を持っている。履いている靴もブランド物のようだが、古河の河童にはとんと分からぬ。どこの馬の骨で作ったものやら。腕にはこれまた値段の張りそうな黄金時計をしている。締めて150万円也。移動する宝鳥だ。これでは盗賊たちの標的になることだってあるに違いない。アリババよ、靴を磨け!npfee! bird.JPG
 まるで、本当にまるでひょろ長い、背が高いと言うよりはひょろ長い若い女が雨雲を見ている。も少し肉を削いだら、拒食症と後ろ指を差されかねない。彼女は金糸で編まれた頭陀袋を肩から掛けているが、これからどこの事務所へ托鉢へ行くのやら。きらりと光った横顔は美しく、モデルのようだ。
 そして、長椅子には老人達が物憂そうに目を閉じ坐り、今や今やと終着駅に到着するのを待っている。
 空気は灰色に濁り、水底のヘドロを微かに回転させる。しかし、だからと言って物価が安定する訳ではないのだ。鳴り物入りの太鼓、そんなものを叩いてなにになるのか。未来はもう戻って来ない。
 一人で傘を五本差そうが、雨は一向に止まない。それと同様に、聴診器に向かって懺悔しても、天の原には虹が架かることもない。停車することのない各駅停車が、乗客を乗せることも降ろすことも拒絶しながら、走りすぎてゆく。粉塵のきらめくチンダル現象。
 七十年前に、少女が言った。「空中窒素の固定法の発明者はハーバー博士です!」皆が驚きの視線を彼女に浴びせた。
 あぁ、いよいよ黄金の都シカンに赴かんと欲す。
 
  
2009年7月1日水曜日電車の中にて

 上の絵は、2000年9月20日(水)に、私の手帳『雑説その5』に描いたもの。この鳥の名はンフェー鳥、Nfee bird。2000年頃、私の中で随分流行していて、年賀状などに描いた。
 
 耳の側で、目の前で、背後から
 ンフェーッ!ンフェーッ!と啼くのである。
 欲求不満を表現しつつ
 傍若無人な鳥なのである。
 あな、恐ろしや、ンフェー鳥。
 歓喜を叫び、毒気を吐き、悲しみを呑み込む、ンフェー鳥。
 
 私が預けた作品を返しもせず、批評もしてくれない人物に対して腹を立てている時である。絵の右に書いてあるのは、以下の文字。
 
ねむいことに随分ねむたくなってきたものだ。それにしても、金輪際眠たいよね・・・
 あぁ、鞭声粛々夜川は白河夜船
 眠り猫、三年寝太郎
 Rip van Winkle
 Schlafe!Schlafe!
 
 今日は振り替え休日。ゆっくりと休んで、創作計画を立てなければ。


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氷の国の氷のお金 [詩・散文詩]

昨日、10月22日の水曜日に出勤途中の電車の中で書いた詩です。

氷の国の氷のお金

氷の国の氷の貨幣は
朝日が昇ってくると
徐々に融け始めた

いつまでも夜が続いている筈もなかったのだが
人々は夜は明けないことにしていた
夜の闇が自分達のゴミや芥を見えなくしていることを忘れていた
寒い夜、氷の貨幣は
いくら使ってもなくなることはなかった
カジノでいくら遊んでも、すっからかんになるまで使っても
戸外にある貨幣の鋳造機に
只の様な水を入れておきさえすれば
それだけでいくらでも貨幣を作ることができたから
心配はなかった
氷の国の人々は
自分達の国が
本当は豊かではないことを信じようとはしなかった
そんなことを信じたり、主張したりする者は
時代遅れだと言われたり、非国民だと言われたり、
嘲られたり、無視されたりしたものだった
氷の貨幣は無尽蔵にあるように見えた
なにしろ戸外で凍らせれば好かったのだから
そして、南の国の人々も
氷の国へやって来て
この氷の貨幣が、世界中どこへ行っても通用するのだと言っていた
そして氷の貨幣を目の前で使って見せた。
氷の国の偉い経済学者たちはこう豪語していた
「貨幣など、そもそも人類の考え出した約束に過ぎないのである。
貨幣に実体があるのではなく
人類が人類同士、お互いを信用するという約束事に基づく道具に過ぎない
だから国交のない国との間では
欲しいものは
対価で買い取るのでなく、
物々交換するか、奪い取る、つまり略奪しかないのである
尤も、勿論、只で呉れてやるという手段もあるにはあるが・・・
大概は、只で呉れてやるのは表面上で
その只の品物には紐が付いている
透明だから見えないのだが
しっかりとした紐がね。
引っ張れば戻ってくるような紐が縛り付けられているのだ。
だから、それゆえ、約束の成立する国では
市場は市場の原理に任せればよいのだ。
そうしておけば、自ずと人類の約束が守られ、経済はいくらでも発展してゆくのだ、
経済活動は無限大に大きくなってゆくだろう
そして人類は経済的に限りなく豊かになってゆくであろう
人間の欲望には限りがないがゆえに。わははは・・・」

この裸の王様の発言を聞いてい小さな少年が言った
「でも、僕の組にも
いじめっ子がいるよ!
それにみんながみんな約束を守るなんてことないと思うよ。
他人には守れってみんな言うけど、自分では守らない人が多いと思うよ。」

東天紅が夜明けの到来を告げる
黎明
東の水平線がうっすらと白み始める
氷の貨幣を持った一部の人々は
この薄明かりの中で
自分達の周りに、
食べ散らかされたご馳走の残りが放り出されているのがぼんやり見える
少しずつ明るくなる
また、別の人々が汚わいの中にいる自分達の姿に気付く

時既に遅しであった
氷で建てられた高層の銀行に預けておいた氷の金も
肌身離さず持ち歩いていた氷の金も
みな融けてしまった
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ガリレオ・ガリレイ君 [詩・散文詩]

 今日、通勤途中で書き始めた詩を紹介します。

ガリレオ君

ガリレオ・ガリレイ君は
いっつもいつもご自慢の
七つ道具を持っている
分度器、物差し、天秤、時計
コンパス、枡、温度計
ついでにお手製の望遠鏡だって、顕微鏡だって持ってる
「何でも測ってやる」が
ガリレオ君の口癖

ガリレオ君には
彼のことが大好きな
少女コンスタンツェがいた
彼女は彼に
温かいスープやら美味しい海の幸のスパゲッティやら
水気たっぷりの水菓子を持ってくる
ガリレオ君はいつも仏頂面でこう言った
「そのスープの温度を測ってやろう
スープの皿の大きさを測ってやろう
スパゲッティの長さと太さも測ってやろうじゃないか!
僕は何だって測れるんだから。」

コンスタンツェが言う
「私の愛は測れないわよ。」
「測ってみせよう、ホトトギス!」
「測らせませぬ、ホトトギス!」
「いいかい、君の現在の僕に対する愛を
1コンスタンツェとする。
僕に関心がなくなった、興味がなくなった時が零コンスタンツェさ。
天気が悪くって、身体がだるいとき、コンスタンツェに
一と零の間の数字が掛けられる
君が僕に対して嫉妬したり、悪意を抱いた時は
コンスタンツェは零以下になるんだ。
どうだい、簡単だろ!」
「素敵ね!でも、やっぱり、それでは簡単すぎるわ!」

ガリレオ君は知らなかった
コンスタンツェは貨幣のように変動するものであることを。
だって、彼はコンスタンツェが変動するのを経験したことがなかったのだから。
1コンスタンツェの今日の相場はこうだ
スープなどの食べ物を持ってくるだけの愛
風邪を引いたり、怪我をしたりしないかと気になる愛

しかし、このコンスタンツェは
恋を経験したことのある者なら誰でも知っているように
変動するのだ
往々にして常に変動するものなのだ
おぉ、不実者よ!
誰か素敵な男の子が現れてしまえば
ガリレオ君に対するコンスタンツェは
その価値が、殆ど零に近くなることだってある
ガリレオ君が年を取ってしまえば
恐らく、
殆ど測鉛のように垂直に下落することだろう

あぁ、ガリレオ君!
君は未だ若い、
この宇宙には、測ることが出来るものの方が
遥かに少ないのだ
計測した気になっているものばかりなんだ
しかし、君の大切な七つ道具
それを投げ捨ててはいけないよ
道具は大事にするんだよ
それらは君を絶望から救ってくれるだろうから。
あぁ、ガリレオ君
ガリレオ・ガリレイ君!
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