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11月24日土曜日成城大学オープンカレッジへ行く [日記・雑感]

  先週、記事にしようと思っていたが気が乗らず書かなかったが、やはり書いておいた方がよいと考えた。
 11月24日(土)成城大学の3号館で、オープンカレッジ『音楽芸術と人間性』と言う堤剛氏の講演会があった。小田急線の電車広告にあるのを見つけたのは10月初旬のことで、講演者がチェリストの堤剛氏であるのが分かった私は、申し込み受付開始を心待ちにした。そして、申し込み開始されると直ぐにメールで申し込む。人数が多い場合には抽選もある、ということだったので気になった。が、結果としては、講演の数日前に、案内葉書が到着した。
 開始5分前になると、どっと混んで来た。350人教室の7から8割は入っていたのではないだろうか。年輩の男女が矢鱈に目立つ。若い人々は殆どいない。平均は60歳前後だろうか。
 講演は、最初余りに退屈で、私は無料の講演なのでこのようなものなのか、と来たことを少し後悔し始めた。周りには既に何人も舟を漕いでいる人々がいる。というのも、日本を代表するチェリストである堤剛氏本人の体験、見解を聞きたいと思っているのに、芸術とは・・・小林秀雄がこんな定義をしています、とか、亀井勝一郎がこんなことを言っていますという、引用を始めたからである。演奏には、創造性、メッセージ、質、気品が必要だ、演奏はre-creation再創造である、とか。或いは、堤氏がインディアナ大学で師事したヤーノ・シュタルケル先生は50%練習に精進すること、残り50%は音楽を楽しむことだ、と云った、とか。少しも目新しくなく、参考にもならない。
 2012-11-25.JPGそれでも、経験を話し出すと俄然面白くなってくる。音楽の個人レッスンは世界共通で60分で、通常の先生が生徒に45分弾かせ15分コメントをするのに対し、シュタルケル先生はその配分が逆だった。堤先生は、「シュタルケルに拙い英語で自分の演奏について語らされた」そうである。お蔭で、演奏の背景にある文化について喋らされ、考えさせられ、逆に先生から語られることによって音楽の奥行きが広がったそうである。斉藤秀雄先生もシュタルケル先生も共に厳しい先生だったが、厳しさが音楽に対する厳しさそのものだったので、逃げ出すこともなく、付いてゆくことができた。斉藤秀雄先生は、全人教育の手法だったので、料理の仕方なども指導され、人間としてどう生きるべきかも方向を示される偉大な人だった。言語学者斉藤秀三郎を父に持つ斉藤秀雄は音楽を理解する為にはその国の言語も知らなければならないという考えだった。斉藤秀雄の指揮は厳格で指示が分かりやすいが、カラヤンは分かり辛い。その理由をベルリンフィルのコンサートマスターだった日本人に聞くと、口外してはいけないが、実はカラヤンは練習中に楽譜の裏まで読ませる、そし本番は楽員に任せ自由にやらせる。だから、あんな分かり辛い手の動きを見ても、楽団員は演奏できるのだ、と言う話。或いは、カナダの大学での話。有名な女流作曲家の授業を受けたいという学生が集まっていた中に、一人様子が変った学生がいる。見たところ、音楽の基礎教育を受けていないようだ。そこで彼女は質問する。「あなたは楽譜が読めるのか?」「読めない。」「では、どんな作曲がしたいのか?」「音楽が自然に頭に湧き上がってくるようになって、その楽譜を写すことが出来るような、(モーツアルトのような)そんな作曲を学びたい。」という。彼女は彼に対しては「残念ながら、私はまだその域(水準)まで達していないので、指導ができない。」と言ってお断りしたと言う話。
 60分ほどの講演の後、堤先生のチェロの演奏が30分ほどあった。バッハの無伴奏チェロ組曲第一番、バイオリンのためのパルティータの中から「シャコンヌ」。目の前で演奏される姿は神々しい位だった。教室が音楽用の作りではないので、客席に音が吸収され反響がなく、粗削りに聞こえてしまったのが非常に残念で、お気の毒でもあった。
 演奏のあと、質疑応答になったが、その際、クラシック音楽を理解していない男性が質問をした。「DVDやインターネットがある現在、ドイツなどから本場の演奏が直ぐに聴ける状況になっています。彼らの演奏を聴くと、やはり本物だと思います。そういう本物が簡単に聴ける時に、外国人である日本人たちは演奏家としてどのような存在意義があるのでしょう?」このクラシック音楽家に対する非常に失礼な質問が投げ掛けられた時、私は堤先生に代わって大反論をしたくなってしまった。質問した男性にとって、西洋のクラシック音楽は借り物でしかないのである。(彼は西洋コンプレックスから自由ではないようである。)
 しかし、全く声を荒げることもなく、堤先生は冷静に、ゆっくりと反論していった。結論としては、外国人として、西洋クラシック音楽に対してどのような解釈(そのためには言語と文化も学ばねばならないのは前提ですが、とも説明)をし、自国文化の好さを、自分らしさを、西洋のものに加味してゆけるか、それが大切である、特に日本人作曲家はそのような努力をしている、と。実に紳士的であり、ますます好感が持てるようになった。
 当初、期待していたものと異なりはしたが、結局はとても勉強になり、好い時間を過ごすことができた。このような機会があれば、また行きたいと思う。堤先生と成城大学にこのような機会を頂いたことに感謝致します。

 ※今日の絵は、文章に全く関係のない孔雀の絵。そのうちYoutubeに登場する可能性もある。
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コメント 4

Enrique

ヘッダーが素晴らしくなっていますね!本文のクジャクの絵も面白いと思います。羽根に顔があるのに,思わずにやりとしてしまいました。
本題はチェリストの堤剛さんの講演でした。
演奏家だから,長時間の講演には慣れておられないのかも知れないですが,やはり実績を上げておられる方の経験談と言うのは面白いものですね。「事実は小説よりも奇なり」ですか。
質問の件に関しては,西洋のものを扱う我々が常に考えていることではないのかと思います。技術の進歩とはあまり関係のないことだと思いますので,それを引き合いに出した時点で,分かってないなという質問です。でもそれに真摯に答えられる姿はやはり氏の演奏とも重なりますね。
by Enrique (2012-12-03 08:27) 

yuyaさん

孔雀の目、目に何かを感じます。
by yuyaさん (2012-12-07 17:55) 

アヨアン・イゴカー

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皆様nice有難うございます。

by アヨアン・イゴカー (2012-12-09 15:30) 

アヨアン・イゴカー

Enrique様
オリジナルヘッダー、もう少し大きな画面にしたいと思っています。『鰯の埋葬』(初恋詩集の挿絵)にしたいのですが、上手く行きませんでした。何度かまたやってみようと思います。
今年古希を迎えられたと言う堤剛さんのあの冷静な対応には、本当に感銘を受けました。私は気が短いので、あんなことを言われたら(自分の存在/仕事に対して疑問符を投げかけられたら)かなり声を荒げてしまったことだと思います。

yuya様
この孔雀の絵ですが、羽が全部孔雀の顔になっています。何の意図もなくそのような絵にしてしまいました。ただそうした方が面白いのではないかという理由だけで。私の描く絵は、得てして、そういう傾向があります。
by アヨアン・イゴカー (2012-12-09 15:43) 

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