SSブログ

北海道の思い出 その15 [北海道の思い出]

   

 雨と言えば、夕立が印象的である。夏、一天にわかにかき曇り、まるで夜になったかのように暗くなり、大きな雷鳴と共に激しい勢いで空から降り注いでくる大粒の水の塊。地面を打つ水滴、跳ねる水飛沫。夕立雲が指揮者となって演奏を始めると、辺り一面から湧き起こる打楽器の顫音が世間の喧騒をその音の中に飲み込んでしまう。時折クレッシェンドとデクレッシェンドを繰り返す。雨が大地や屋根や木の葉を打つ音は、絶対的服従を要求する。その音の中に閉じ込められると、孤独を感じる。絶大な愛を感じる。自然との一体感を感じる。冥想的な気分になる。或いは、身体の中の野生を呼び覚ませられる。

 多分、五才か六才の頃だろうと思うのだが、ある夏の日、夕立が降った。その時、私は異常に興奮した。雨が降ることが嬉しかった。余りに気分が良かったので、着ていた物をすべて放り出して、素っ裸になって表へWhen it pours, I ... 2012-5-27.JPG飛出した。そして、高い空から降り注ぐ雨を体中に浴びて歓声を上げた。母がやってきて「なにしてるの?濡れちゃうよ。早く家へ入りなさい。」とたしなめた。私は言い分けとして「雨で身体を洗っているんだよ。」と言って誤魔化した。今や、果たして本当に身体を洗おうと思って飛出したのか、それとも自然と一体になることが気持ち良いから飛出してしまったのか分からない。夕立の雷が鳴る時、舞台の照明が落とされた様に薄暗くなるが、その暗さは夜の暗さを想起させるものであり、夜の暗さはそのまま両親の存在でもある。明るい昼の間分散していた家族が寄り集まる時でもある。その暗さが持っている一家団欒の楽しさをどこかで感じ取り、母の存在も意識した上での行動だったのかどうかは、やはり分からない。それでも多分に狂喜的であった。西脇順三郎の『雨』と言う詩の雨とは大分異なる。

 

 南風は柔らかい女神をもたらした

 青銅をぬらした 噴水をぬらした

 ツバメの羽と黄金の毛をぬらした

 潮をぬらし 砂をぬらし 魚をぬらした

 静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした

 この静かな柔らかい女神の行列が

 私の舌をぬらした  (Ambarvalia

 

この詩に表現されている雨は静的である。思索的、哲学的である。しかし、十勝の夕立は遥かに動的でありディオニュソス的である。お祭り的である。じっとしていられないような、焦燥感を煽るような、地母神的な、非文明的な、大地崇拝的な野生が潜んでいる。私が外へ裸で飛出したのはあれきりだったが、身体に感じたあの軽さと、天然のシャワーに打たれることの何とも言えない快感と解放感は忘れ難い。人間の身体の中にはその本来の姿に回帰したいと言う願望が内包されているのではないだろうか。

 

 『嵐』

 

 気違い猫がうろついて

 人間どもが笑いどよめく月夜に

 流れる雲が

 月を食った

 

 やがて巨大な雨粒がおしよせ

 濁流となり

 不敵な流れがすべてを飲み込んで進む。

 とどめることの不可能なこの奔流は

 流れ流れて突き進む。

 果てしなく、進み行く。      (第一詩集より)

 この『嵐』は、一九七六年九月十日に書いた詩である。丸い月を足早に流れる黒雲が覆い隠してゆく様を帰宅時に見ながら、嵐模様を空想して書いた。私にとって夕立は巨大な力を秘めた自然力、超自然的な力をいつも連想させるのである。


nice!(61)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 61

コメント 9

にすけん

 そして最近の雨は、相当にキレやすく危険なヤツが増えてまいりました…気象予報士としては何がフラストレーションになっているのか、気になるところです。
by にすけん (2012-05-27 13:35) 

mimimomo

こんにちは^^
最近は昔の夕立ってないですね。
子供のころは夕立ってほとんど毎日ありました。
何故だか雨は好きでなかったですが夕立って魅力的でした。
by mimimomo (2012-05-27 15:56) 

Enrique

>時折クレッシェンドとデクレッシェンドを繰り返す
確かにそんな感じです。逆にある種の音楽の強弱は夕立の強弱のイメージでやれば自然に聞こえるのかもしれませんね。
「素っ裸で夕立の中に飛び出す」子供しかやれないでしょうが,気持ち良さそうです。

by Enrique (2012-05-27 18:12) 

yuyaさん

雨の音は大好きです。
雷や嵐も、その轟に自然の力や恐ろしさを感じることもありますが、やはり音楽的に聴こえてきます。
アヨアンさんの雨のお話を読んで、僕も小さい頃、雨の日に雨具の長靴から聴こえる雨水の音がたまらなく好きだったのを思い出しました。
by yuyaさん (2012-05-27 18:27) 

Kanna

夕立やどしゃ降りの雨に興奮して外に躍り出てしまうのが私だけでなかった事に安心しました。
そうした衝動に駆られてしまう人って案外多いのかもしれませんね。
中途半端な雨や霧雨はあまり好きではありませんが、太刀打ちできないほどの大雨だけにはなにかしら気持ちを動かされるほどの衝撃を感じてしまうので不思議です。
by Kanna (2012-05-29 17:12) 

SILENT

熊谷守一さんの
雨だれを見る眼と
壊れた雨樋から溢れる雨の話を思い出しました
by SILENT (2012-05-29 20:21) 

sig

こんぱんは。
土砂降りの雨の中で又三郎が歌う、映画「風の又三郎」のシーンのようです。嵐は気持ちを高揚させますね。
by sig (2012-05-31 00:35) 

アヨアン・イゴカー

Mineosaurus様、ぼんぼちぼちぼち様、にすけん様、rtfk様、海を渡る様、mimimomo様、シラネアオイ様、アリスとテレス様、silverag様、Enrique様、くらま様、青い鳥様、スマイル様、kurakichi様、般若坊様、りんこう様、flutist様、toraneko-tora様、めぎ様、旅爺さん様、doudesyo様、carotte様、めもてる様、Rita様、はくちゃん様、glennmie様、ChinchikoPapa様、月夜のうずのしゅげ様、RISUKO様、kohtyan様、lamer様、山子路爺様、扶侶夢様、えれあ様、八犬伝様、moroq様、schnitzer様、404様、gigipapa様、krause様、マチャ様、SILENT様、兎座様、optimist様、夢空様、野菜星人様、sig様、Loby様、JR浜松様、orange-beco様、niki様、miffy様、ゴードン様
皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2012-06-02 23:20) 

アヨアン・イゴカー

にすけん様
気象予報士の資格取られたののですね。
本当に、最近の雨や霰や雷や風は、切れやすくなりましたね。

mimimomo様
晴れていた後、突然降りだす雨は魅力的ですね。大地を潤す恵みの雨に見えることもあります。やはり、両親が最初は全くの素人とは言え農業に携わっていたからでしょうか。

Enrique様
今ではできませんが、勿論やる気にもなりませんが、子供の頃なんだかとても幸せな気分になったのは忘れられません。

yuya様
私は稲光、雷鳴、大雨が好きです。尤もその真っ只中にいてそう思うのではなく、家の中を暗くして窓から眺めているのが好きなのです。自然の偉大な力が、何故か私の心を解放してくれるのです。

Kanna様
太刀打ちできないほどの力、そういうものの前に人間は無力であり、謙虚になれる、相手に全面降伏して任せるしかない、そんな無力感が楽しいのかもしれませんね。

SILENT様
「壊れた雨樋」、いい響きですね。
子供の頃雨が酷い時、母屋の家の枯葉の詰まった雨樋から雨滴が溢れ直接地面に落下しました。

sig様
宮沢賢治は、風が吹くと喜んで声を上げて走り回ったようですが、その気持ちはとても好く分かります。『虔十公園林』の虔十は賢治自身の姿のように思いますが、それは私でもあります。
by アヨアン・イゴカー (2012-06-02 23:38) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0