SSブログ

S叔母 [日記・雑感]

mother and a kitten 2010.JPG 2011年6月7日にS叔母が亡くなった。一風変わった、この叔母について少しだけ、どうしても書いておきたいと思っていた。10年以上、或いはもっと前のことだが、叔母から新日本フィルのコンサートのチケットを貰った。体調が悪くて行けないので代わりに行ってはどうかと言ってくれたのである。それはサントリーホールで行われたブラームスの交響曲2番と3番の演奏会だった。その演奏会の帰り道、私はこの叔母をモデルに童話か短編小説を書きたいと思った。しかし、そのままになっていた。
 そうこうしているうちに、時間だけが経ってしまった。一体、私はどれだけS叔母のことを知っているだろうか。できることは少しずつ知っていることを解きほぐして並べることである。
 叔母の名前は発明家だった父一郎の自宅に招待された大英帝国の統治下にあったインドの土侯国のラージャに付けてもらったと聞いた。サチヤと言う名前であるが、これはマハトマ・ガンジーの唱えたsatyagrahaのsatyaであり、真理を意味するサンスクリット語である。発明家の一郎は、小原國芳氏の唱えた全人教育(全人とは小原の説明を借りれば、「全き人間」(the whole man)という意味であり、教育の目的は、人間文化の6つの要素である学問、道徳、芸術、宗教、身体、生活について、それぞれの理想である「真」、「善」、「美」、「聖」と、それを支える補助的な価値として「健」、「富」を備えた完全で調和のある人格を育むべきであるとするものである。この理念のために、従来の教育で欠けていた道徳芸術宗教などを重視した。
 ただし、これらの価値概念は
パウ・ナトルプを代表とするドイツの西南ドイツ学派の価値哲学の影響で、列挙されたもので、これらの概念がどうかかわっていくのか、相互にどのような関連をもつのかについては小原の説明はない。玉川大学の創成期に教育学の教鞭をとった三井浩(みつい こう)は、これらの価値が個人の中でどのように実現されるかについて、それを「個性」の発現とし、そこに個性的な全人が成立すると説明した。以上ウィキペディアより抜粋)に共鳴し、子供達を全員玉川学園で学ばせることにした。そして、学費を全納したそうである。その結果玉川学園でS叔母も全人教育に浴することになった。全人教育についてはよく知らないが、個性的な人間が育ったようである。そして叔母も個性的な人間になった、と思う。
 覚えていることを列挙してみよう。毎年正月と盆に自転車に乗ってやってくる。その自転車は古臭いがっしりとした作りの、後ろに荷台のついているものだった。ゆっくりと漕いだ。悠揚迫らなぬ態度。こせこせしている、時間に追われている、そういう言葉とは無縁の人だった。性格については、彼女の夫とは正反対であった。植物好き。庭には野草や木が生えていたが、特に剪定することもなく、まるで家が藪の中にあるようだった。が、それはS叔母の家の大きな魅力だった。藪の中からS叔母が顔だけ出している場面が自然であるように思える。勝手な想像なのであるが、叔母が花や木に語りかけていたような気がして仕方が無い。詳しくは知らないが、木彫り教室「啄木鳥教室」の先生もしていたようだ。S叔母の彫った作品を姉といくつか思い出して語った。木彫りの鏡、小物入れ、内裏雛を彫った皿、平目の表札。この表札は私を大きく刺激した。このようなものをいつかは作りたいと。終戦間際、皆が恐がって家の中に入ってじっとしているのに、世田谷にあった家の屋根で、のんびりとアメリカ軍の空襲を見ていたこと。「あぁ、あそこを飛行機が墜落してゆく・・」。(この戦争末期の話は勿論又聞きにすぎないが。)そして、楽しいことが好きだった。音楽が好きで、ロシア民謡、ショスタコービチのオラトリオ『森の歌』なども好きだったと聞いた。だから、お通夜には背景音楽としてモーツァルトやバッハのCDが連続して流されていた。告別式では棺の中にベートーベンの第九交響曲のCDが収められた。
 子供の頃、次姉と弟と私は近所にあった叔母の家に遊びに行った。従兄弟のHちゃんは、グリコのオマケを沢山持っていて、それが羨ましくて仕方なかった。暫く遊んで私たち兄弟3人は畑の道を通りながら帰ってきた。霧の出ている6月頃だったのだろうか、キャベツに青虫がついていたり、モンシロチョウが飛んだりしていた。小川に沿って歩きながら魚を探したが、魚の居ない川だった。お年玉は毎年、図書券だった。最初はつまらないと思ったのだが、そのうちこの図書券が楽しみになっていた。そして、私たち兄弟が中学校に入学すると、入学祝として三省堂のコンサイス英和辞典をくれた。自分もそれを頂くと、いよいよ中学生になったのだ、と小学生との一つの区切りを感じたものである。
 いろいろ話していればもっと沢山のことを知っているはずなのであるが、今日思いだせるのはここまで。


nice!(77)  コメント(11) 

nice! 77

コメント 11

とりのさとZ

私の親族で一番変わり者は、実は私です(爆笑)。

ただ、みんな西日本を中心にバラバラに住んでいるので、賀状や電話程度の交流しかありませんが、兄弟の子供たち(甥、姪)がはるばるこちらに遊びに来てくれるほどですよ。

 叔母さんのような方がそばにいたことが、どれだけ感化や影響を受けたか、わからないほどではないでしょうか。
by とりのさとZ (2011-06-18 17:54) 

Kanna

とても楽しそうな方ですね^^
亡くなられてお辛いでしょうけれども、アヨアンさんにとって大きな影響を与えた大切な方でしょうし、きっと彼女ご自身も生き生きと人生を過ごす事が出来て、とても幸せな人生だったのではないでしょうか^^
記事を読んでいて、叔母さんが個性的なのは、教育も去ることながら、やっぱり持ち合わせた元々のご性格もあるのかなと思いました^^
by Kanna (2011-06-19 00:05) 

glennmie

素敵な叔母様。
さすが、アヨアンさんの叔母様ですね。
きっと見事な人生をおくられたのでしょうね。
by glennmie (2011-06-19 02:24) 

mimimomo

こんにちは^^
最初の絵がとても微笑ましく、素敵ですね~ 一日が楽しくなるような絵。
良い叔母様の思い出ですね。昔は従姉妹や伯父伯母、叔父叔母・・・
親戚縁者がいて、懐かしい思い出が人生の一部を彩ってくれるように
思います。今は淋しいです。
by mimimomo (2011-06-19 10:33) 

青い鳥

叔母様のご冥福をお祈り申し上げます。
発明家のお宅にお生まれになり、玉川学園で学ばれただけあって
ユニークな方でいらしたのですね。
>世田谷にあった家の屋根で、のんびりとアメリカ軍の空襲を見ていたこと。「あぁ、あそこを飛行機が墜落してゆく・・」
このことからもどんな叔母様であったかが想像出来ます。
アヨアン・イゴカー様にこんな風に思いだして頂いて、きっとお喜びであろうと思います。
by 青い鳥 (2011-06-19 14:08) 

sig

こんにちは。
叔母さまがお亡くなりになったばかりで、淋しいことですね。このように思い出してあげることも供養ですね。男の子にとって叔母さんは情操といった方面で影響を受ける関係にあるのでは、と自分のことに当てはめながらフッと思いました。
by sig (2011-06-19 15:16) 

雉虎堂

素敵な思いでですね
誰かの記憶の中でこんな風に
大切にされる人に私も
なれたらいいなと思います。
by 雉虎堂 (2011-06-19 20:47) 

アヨアン・イゴカー

とりのさと様、もめてる様、夢空様、海を渡る様、gigipapa様、Enrique様、carotte様、スマイル様、Live様、しろうさぎ様、glennmie様、スー様、りんこう様、コトキャン様、旅爺さん様、kurakichi様、asahama様、さとふみ様、Mineosaurus様、mimimomo様、今造ROWINGTEAM様、SILENT様、galapagos様、青い鳥様、兎座様、sig様、ねじまき鳥様、水郷楽人様、りぼん様、xml_xsl様、めぎ様、アリスとテレス様、えれあ様、doudesyo様、雉虎堂、kakasisannpo様、flutist様、くらま様、kuwachan様、going様、ほりけん様、よっちゃん様、ChinchikoPapa様、krause様、singaless様、ゆきねこ様、miffy様、moz様、マチャ様、zak様、ひろきん様、schnitzer様、optimist様、寂光様、siroyagi2様、チョコシナモン様、マリエ様、kohtyan様、つるむらさき様、八犬伝様、(。・_・。)2k様、ムネタロウ様、イリス様、サチ様、タッジーマッジー様、阿呆市様 皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2011-06-26 20:46) 

アヨアン・イゴカー

とりのさと様
S叔母とは残念ながらあまり話す機会がなかったため、影響は受けなかったと思います。それでも、叔母のことを知っている人々から少しずつ聞いて、やはり面白い人だったのだろうと思っています。

Kanna様
全く仰る通りで、本人の生まれつきの性格が大きいと思います。教育だけでは人間は変わらないものでしょうね。

glennmie様
想像の中では、やはり植物に話しかける姿なのです。
そして、何故か夕焼け、それも北海道の。(叔母は北海道に本の少しだけいたことがあります。)

mimimomo様
絵についてコメント頂きまして、有難うございます。
実は、この絵については妻が「可愛い」と言って喜んでくれました。悲母観音のようなものを想像しながら、野良猫のオセロと仔猫を思い出しながら描いてみたのです。
私は、思い出すこと、話題にすることが最大の供養になると思っています。

青い鳥様
戦時中の話は本人から直接聞いたのではないのですが、如何にも叔母らしいと思いました。

sig様
私は人生を考えて、時々、亡くなった伯父や叔母のことを思い出します。そして「あぁ、この思い出の連鎖、繋がりが重要なのだな」と考えます。

雉虎堂様
そうですね。記憶に残るような人生を生きたいものです。
by アヨアン・イゴカー (2011-06-26 21:03) 

youzi

素敵な叔母様だったのですね。
お年玉が図書券って、始めのうちは確かに何でだって思いますね。
でも、本や辞書は高い物なので、嬉しいプレゼントになりましたね。
私も姪っ子や甥っ子から、素敵なおばちゃんって言われたいと思いながら
何もしていません。
これからでも遅くないかな。
by youzi (2011-07-04 20:48) 

アヨアン・イゴカー

youzi様
niceとコメント有難うございます。
変わった叔母だったことは間違いないと思います。
接点がもう少しあれば、その人となりが分かったのですが・・残念です。
by アヨアン・イゴカー (2011-07-05 00:33) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。