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無意味と創造 [随想]

 先週は借りてきたDVDで『オーケストラ』を見た。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲が大好きなので、恐らくメンデルスゾーンの協奏曲と双璧をなす作品だと思っているが、この映画に引き付けられたのである。Youtubeで名場面を何度も見ていたので、いつか全体を、と考えていた。今ひとつ物足りないという感想である。演奏の機会を奪われた人々の生活が十分に描かれていないので、最後の盛り上がりが欠けてしまうのである。
 そして、昨日はgalapagosさんが紹介していたYoutubeで『飢餓海峡』を見た。この作品は名前も知っており、一部見たことがある筈である。しかし、昨日初めてしっかりと鑑賞することになった。釘付けになった、と言った方が適切である。背景に描かれている昭和20年代の風景、上野駅、青函連絡船の映像などもよかったが、特に惹きつけられたのは名優達の演技であった。三國連太郎、左幸子、伴淳三郎。これだけリアルに演じられる人々が、この重い作品を演じたのである。甲乙付けがたいが、特に私には伴淳三郎の刑事が強く印象に残った。貧しく苦しくとも妥協をしないで、自分の信じるとおりに行動し、失敗者として扱われた男。10年後、彼は彼の持っていた証拠によって犯人の心を動かす。鈴木尚之の脚本も好いが、演技も素晴らしい。見た後にウィキペディアで調べると、伴は内田吐夢監督に徹底的に駄目だしをされて落ち込んで自信喪失したと書いてある。この自信喪失した姿が、大変なリアリティとなって見る者を打つのである。監督や演出家は俳優を鍛える為、或いはその能力を最大限に発揮させる為に、自分自身が鬼を上手に演じることができなければなら無いこともある。
 ところで、今日の題は『無意味と創造』である。結論、創造とは無意味に意味づけをする行為である。意味がないと思われているものに、一定の視点でとらえた方向性を与えることによって、無意味が意味に反転する作業である。
2011-6-5.JPG 例えば、私は1箱のクーピーペンシルをまだ使い切ることができない。水彩絵具は、使い切ってしまった色がいくつもあると言うのに。そこで私は、クーピーペンシルを使い切ることも創作活動目的の一つにすることにした。出来るだけ多く減らすためには紙の全面に色を広げて塗ることである。こうやって私は下地を作る。沢山残っている色を最近は必ず使うようにしている。この下地作りで出来る画面には意図された意味がない。無心、虚心坦懐の状態で、只管紙に縦横無尽に腕を振り回しながら塗っているだけである。特に意味を持たせないでいようと言う意図があるだけである。しかしながら、色を重ねてゆくとそこに自然発生的にいくつかの形が浮かび出てくる。これは物理的な現象である。そこに意味を感じると、いつの間にか絵の方向が決まってくる。今日の例で言うと、下地を塗りながら都市の孤独、ジョルジュ・ブラックの絵を思い出し始めると、私の手はキュビスム的な画面にするように動き始めた。意味の無い縦横の線であったが、囲まれた部分に別の色を塗ることによって、それらが面として別の意味を持ち始めた。自分でも何故このようなことをしているかは分からないが、自分の行為が、無意味から意味を作り出そうとしていることには間違いがないと感じていた。
 音楽でも同じである。音色、音程、リズム、強弱などは誰でも作り出すことができるのであるが、そこに方向性を与えることによって一定の意味を持たせることができると音楽作品(作曲)になるのである。
 文学でも、科学論文でも然りである。林檎が枝から落下するのは知っていても、そこに意味を持たせることができるかどうか、これが意味と無意味の決定的な相違である。
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コメント 13

にすけん

 自然発生的に方向が決まってくる。
 ハイ!みんな物事にも他人様にも自分自身にも、『自分の意図通り』を求めすぎると思いますね。
by にすけん (2011-06-05 13:18) 

t-youha

>自分の行為が、無意味から意味を作り出そうとしていることには間違い
がないと感じていた。

僕の場合も、創作に取り掛かるきっかけが、そのような感覚の中で”何かを見た”、もしくは”何かを見ようとしている”と思える瞬間である事が多いです。
by t-youha (2011-06-05 19:19) 

扶侶夢

>創造とは無意味に意味づけをする行為である。

まったく同感です。
これは人類が『神』を創造したことと同意義ですね、多分…。

私はブログにも書いたことがあるのですが、ある年齢になってから「人生とは、大いなるヒマつぶしである」なんて事を“苦もなく”思えるようになりました。そこにどんな“意味”を見つけて“装飾する”かが、その人の人生観というヤツなんでしょう。
by 扶侶夢 (2011-06-05 20:28) 

mimimomo

こんばんは^^
昔は名優と言われる方が何人もいらっしゃったような気がします。
飢餓海峡、ちょっと興味を惹かれます。
by mimimomo (2011-06-05 20:57) 

kuwachan

こんばんは。
飢餓海峡は、随分前に小説を読みましたが
凄く面白かった記憶があります。
by kuwachan (2011-06-05 23:57) 

Kanna

私の場合も最終的には、求めていたものとは違う形で完成する事も多いので、アヨアンさんの「無意味→意味のあるもの~」と同じかもしれないなと思いました。
ちょっと違うのは、私の場合は「意味あるもの→無意味→意味あるもの」
になっていて、始まりに意味を与えていたりしますが、その後に「無意味」になり、また意味のあるものに変わる…になるのですよね、不思議です^^
by Kanna (2011-06-06 01:11) 

いっぷく

『飢餓海峡』を観たいと思いました。
懐かしい俳優が出ていることにもひかれます。
by いっぷく (2011-06-06 04:07) 

Enrique

宇宙の状態は殆どが物質として体を成さないプラズマと言います。混沌の中のわずかな秩序が物質であり,また更に奇跡的な秩序が生物であり,人間であり。。。
by Enrique (2011-06-06 14:27) 

yuyaさん

文章を読んで、ジョン・ケージを思い出しました。
by yuyaさん (2011-06-06 18:30) 

youzi

この絵もとても素敵ですね。
何でもないようにも見えますが、
ジーとみていると、樹がはえているようにも見えてくるし、
船のマストにも見えてきますね。
by youzi (2011-06-06 22:34) 

sig

こんにちは。
「創造とは無意味に意味づけをする行為である」・・・分かります。
私の場合は、その前にまず対象物を探して(拾って)来なくてはならないということが多々あります。それを探すこと自体、すでに意味を持つことになり、それを拡大していくことが創造活動のようなところがあります。
by sig (2011-06-07 14:29) 

アヨアン・イゴカー

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by アヨアン・イゴカー (2011-06-18 18:18) 

アヨアン・イゴカー

にすけん様
無計画の計画、という言葉が『次郎物語』にありましたが、時々思い出します。

t-youha様
創作しようという気持ちが働く時、根拠のない確信のようなものがありますが、t-youhaさんは如何ですか?

扶侶夢様
人類が神を創造したこと。信仰をお持ちの方からは大いに反論されると思いますが、死を認識できる人類が存在しなければ神と言うものも存在しなかったでしょうね。

mimimomo様
出演している作品の質が名優をより引き立てるものだと思います。「飢餓海峡」は物語も展開が非常に素晴らしいと思います。

kuwachan様
>飢餓海峡は、随分前に小説を読みましたが
凄く面白かった記憶があります
コメント有難うございます。原作が好くない場合、映画だけ面白くなることはまれだと思います。

Kanna様
意味⇒無意味⇒意味 興味深いです。
作曲の場合、例えば弦楽四重奏曲を書こうとか、劇音楽を書こうと言う風に決めます。が、どのような作品になるかは全く検討がつきません。完成するまでまるで完成図が見えません。
絵画の場合には、例えば、風景画、肖像画などであれば明確な対象があるでしょう。しかしながら、やはり完成図はないのかもしれません。自分の場合は、どのような形で完成とするのか、どのような線、色を塗るのか、自分自身でも想像できません。
私は自分の創作自体、どの分野でも同じ手法になっていると思っています。

いっぷく様
左幸子や三國連太郎も若々しくて、全身で演技しています。是非、ご覧になって下さい。

Enrique様
限りなく低い確率を考えると、物質の誕生、生物の誕生そのものが奇跡的なことだと思います。そこには創造者の意志があるのか?と言う考えもあるかもしれませんが、私は誕生したものに意味がある、掛替えの無い、置き換えのできない価値があると考えます。

yuya様
ジョン・ケージが似たようなことを言っているのですか?

youzi様
私もこの絵は気に入っています。有難うございます。

sig様
対象物を拾ってくる、と言う行為自体がsig様でなければできない、他者には出来ない創造行為の一部になっているのですね。選択肢は二つ(あれかこれか)しかないので、この二進法が最終的に作品を創作者の個性に従って仕上げる、ということですね。


by アヨアン・イゴカー (2011-06-18 19:00) 

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