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K家の没落 - 短編集「栗の里の愉快な女房」より [栗の里の愉快な女房]

小説『K家の没落』2009-10-25(短編集『栗の里の愉快な女房』より)

 K家には小さな畑がいくつかあった。脚の悪い老人が土に坐ったままで草むしりなどをしているのをよく見かけた。畑には道路に面しているものもあったが、それは大雨が降ると、土が流出し、道路の側溝に沿って赤茶色の濁流となった。

 K家には脚の悪い親父さんと存在の薄い女房と三人の子供達がいた。長男は高校を卒業してすぐに父親の仕事を手伝い始めた。弟と妹はぐれてしまった。

 この弟と妹が高校生と中学生の頃だったが、親父さんが先祖代々受け継いできた山にあった土地が電車の通り道になったため、売却により思わぬ大金が入ってくることになった。そこで親父さんは営業に来た工務店の営業担当者の言うがままになって、如何にも似つかわしくない家を新築してしまった。

 長男は地味で、自分の考えと言うものを持っていない男だった。頭が大きく色が浅黒かった。学校でも全く目立たず、かと言って体格が好かったので別段いじめにあうこともなく、成績は常に最下位で、同級生の自信の基となっていた。ここで言う自信とは、「あいつがいるから俺はビリではない、最低ではない。」そういう水準の低い自信のことであるが。授業中は教師の目を避け、宿題と言ってもやったこともなく、試験勉強もしなかった。とにかく文字が嫌いで、勉強をする気にならなかったのである。では太郎は将来像をどのように描いていたのかと言うと、そんなものもなかった。父親の畑はちっとも魅力的ではなかったが、そこを耕して生活することになるのだろう、と漠然と感じていたのかもしれない。

 大嫌いな学校を卒業すると、長男は無心で働いた。そうしているとなんだか、自分が生きている意味が少しだけ感じられたからである。寡黙で、ひたすら畑を耕し、種を蒔き、草を引き抜き、収穫をした。天気に左右される農業なので、生活は楽ではなかった。しかしながら、今では父親が畑の一部を売却した金で家も建て直され、まだ幾分かの金が銀行に預けてあったので、不安はなかったのである。

 

 その長男が二十八歳を過ぎた頃、突然妙な話が舞い込んできた。見合いの話である。K家の知り合いが、ある晩やってきて親父と長男に写真を見せてくれた。美しく撮られた、少し年の行った女だった。

 見合い話は翌週に実現した。着慣れない背広にネクタイを締めた長男は、まるで垢抜けない田舎の青年であった。床屋へ行って刈上げた頭は、綺麗に切り揃えられた髪ゆえに、その印象を強めるだけだった。

 見合いの場にいたのは、年は彼より七歳位は上に見えたが、美しい女だった。しかも香水もつけているようで、都会的な好い匂いがした。尤も、彼女を紹介してくれた知人は、「よくは知らないがちょっと水商売していたことがあるようなことを聞いている。」と言っていた。だからだろうか、彼女は笑う時や男を見る時にも、射程距離を測っているような目付きをした。それでも、長男はすっかりのぼせ上がって、仲介者に、自分としては是非嫁に欲しいと言ってのけた。言った後に、自分の勇気に恥じ入っている始末である。

 仲介者には是非にと頼んだにも拘らず、相手からは色好い返事は来ない。長男は生まれて初めて、恋らしき体験をした。どうも、どう考えてもこれが恋という奴に違いない。あの女、いや、あの女神のことを思うと心臓が激しく打つし、食事をしていても、野良仕事をしていても、風呂に入っていても、夢現のようになっている。恐ろしいほどの眠たがりだったのに、眠ろうとしても寝付けない。そればかりか、朦朧とした状態の中で、あの女が長男の手を掴んで、頬ずりをしながらそっぽを向いたりする。 

 長男は、夕食の時、久々に一杯やりながら、意を決して親父に尋ねてみる。一般論として、恋とはどのようなものかと。親父は赤い顔をほころばせながら、暫く過去を思い出すような仕草をしてから言った。

「分からねぇ。」

沈黙の後、付け足した。「そりゃぁ、子供のこらぁ、可愛い子がいれば気になったさぁ。でもな、所詮、可愛い子は、勉強ができたり、脚が速かったり、喧嘩が強い奴のとこ行くだろぅ・・・縁がなかったなぁ・・・」

「そんなもんなの?」

「そうさなぁ。」

「なんか気を引くようなことはして見なかったの?」

「無駄なこたぁ、やらなかったな。俺がオメカシしてもよ、二枚目がもっと目立っちゃうだけだろ。所詮、引き立て役よぅ。いやんなっちゃう。」

「こないだ夢見たんだけど、おとつぁん、夢には正夢ってあんの信じるの?」

「どうかな。外れることも多いような気がすっけど。」

「あのさ、俺、こないだ、って言うか、昨日、夢見たの。」

「ふん?」

「あの見合いに来たO子さんが出てきてさ、俺の手を掴んで、それに頬ずりすんの。」

「ほほう、そりゃぁありえねぇこったな!」

「おとっつあん、冷たいねぇ。」

「俺はな、そんな夢みてぇなこたぁ信じねぇんだよ。好い事で本当になったことなんか、ありゃぁしねえもの。お前は俺の息子だもの、可哀想にな。俺に似て、面も拙いし、運も好くねぇと思う。」

「あっそぅ。」そう言って青年は声を落とした。「なんだか、俺生きてんの、嫌になってきた。」

「何を寝惚けたこと言ってやんだよ!あんな別嬪、家に来る訳、ないだろが!・・・大体、性格がきつそうだし。」

「でもさぁ、諦めちまったらお仕舞いだぁ。」

 

しばらく沈黙が両者の間にあった。

「おとっつぁん、O子さんに、なんとか嫁になってくれるよう、頼んでみてくれませんか。お願いです。」息子は土下座した。

 

 この夜の会話ですっかり戦意喪失した長男ではあったが、恋心は募るばかりであった。一週間も経った日、先方から電話が掛かってきた。O子が同意してくれた、と言うのだ。この時の長男の喜び方と言ったら、それこそ彼の人生で最大のもので、森羅万象、万人万物に対して優しくなった。好意、善意の権化、塊と化した。こんな時、周囲は冷静であり、半ば嫉妬もあるのだが、やれ薄気味悪いとか、やれ分不相応だとか、嫌な言葉ばかりを彼の陰で囁いた。

 

 結婚式はまるで奇襲攻撃のように迅速に設定され挙行された。お互いに相手の気が変わるのが心配でもあるかのように。

 栗の里の噂話のネタになった結婚であった。不釣合いだとか、鶴女房だとか、好い評判はなかった。彼にとっての蜜月が数ヶ月過ぎて行った。そして、長男は、少しずつ元気がなくなってゆくように見えた。

 半年ほど経って、破局が訪れた。長男の家からは、瀬戸物の割れる音、女のヒステリックな罵声、扉を閉める大きな音などが聞こえてくるようになった。

「馬鹿野郎!もう、二度とこのうちには帰ってくるもんか!」女は出て行った。

 

 破局が訪れてから、K家の少しばかりの不動産が、衣を剥がされるように奪われてしまうのは、あまり時間が掛からなかった。あの年上の別嬪の裏には、黒い影が付いていたのである。法外な慰謝料を要求された。弁護士に相談すると言う手段も思いつかないままに、取引が成立してしまった。その結果、脚の悪い親父さんが脚を引き摺りながら草取りをしていた猫の額ほどの日当たりのよい一等地の所有者が変わってしまった。転売され、現金化された。転売後、二人が所有者となった。一人は廃品回収業者で南側の日当たりのよい方で道路にも面している方、もう一人は手造り家具の職人で、北側の小さな方である。南の方には、赤錆びた自転車、冷蔵庫、古タイヤ、壊れた家具、パソコンなどがうずたかく積まれ、すっかり景色が破壊されてしまった。北側の職人は、腕が好いようで、注文が途切れずに入るようだった。南側にはゴミ屋敷の庭先のように廃品の積まれていたが、境界には截然と塀が作られており、北側では木製の看板をぶら下げて職人が元気に仕事をしているのが、救いであった。

 

 この事件があってから、暗くて目立たなかった長男は、いよいよ暗くなり、人目を避けるようになった。自責の念に苛まれていた。嫁に振られたのは、自分に甲斐性がなかったのがいけなかったのだ、と思い、何か大きなことをして見返してやろうと思い始めたのである。そして、まだ少し残っていた金を使い、銀行から借金もし、新たな商売を始めることにした。養鶏である。家から少し離れた丘の上に鶏舎を建てて、多くの鶏を飼った。勿論、このような養鶏場の経営を彼が思い付く筈もなく、その背後にはK家の不動産担保を前提に、彼らに融資をした金融機関の営業担当者の存在があった。

 養鶏場の経営は難しかった。市場価格に大きく左右された。海外から輸入される廉価な鶏肉に対して、特別の工夫もしていない鶏は好い値段で売れなかった。風が吹くと、鶏糞が空中に飛散した。近所の住民が保健所に通報したために、検査が入り鶏舎の設計などに改善が求められた。その費用は経営を圧迫した。

ところで、彼は外国人労働者を雇っていた。脚の悪い父親と一緒に仕事ができなかったので、中東の男が労働者として働いていたのである。彼が休憩時間にとコンビニエンスストアで買ってきた握り飯を、鶏舎の入り口のコンクリートの上で、泥だらけのゴム長靴を履いて坐って食べているのを見かけたことがある。言葉の殆ど通じない異国の道の上で、彼は一人で無表情のまま頬張っていた。agnus dei.JPG

 

多少、景気が上向いた時、借入金返済の目途も立っていたのだが、泡沫経済が崩壊して、景気が悪化すると、状況は一転した。利子は増える一方で、返済に充てるものが何も残っていなかった。

 

 ある日、散歩に行ってみると、鶏舎がすっかり片付けられていた。それなりの雰囲気のあったK家の家屋はすっかり解体され、更地になっている。庭に植えられていた木もすっかり処分されてしまっている。「売り地」と言う俄か作りの看板が、針金で作られた柵のある広々とした空間に立っているばかりである。K家の人々がどこに行ったのかは、杳として知れない。


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アマデウス

イラストとそこに配置された「アニュス・デイ」の祈りの歌詞が、K家の人々の失踪を単なる事件に終わらせず、奥の深い出来事としての熟考を読み手に促してきます☆絶妙のイラストですね☆

by アマデウス (2010-02-12 11:19) 

sig

やりきれない話ですが、実際にありそうな話ですね。
下の絵はグリフィンでしょうか。
by sig (2010-02-12 18:47) 

yakko

こんにちは。
小説と分かっていても可哀想ですね・・・
by yakko (2010-02-13 14:27) 

mimimomo

こんにちは^^
どこにでもありそうなお話ですね~
今はサラ金の取り立てなんて言うのもあるし・・・
by mimimomo (2010-02-13 15:00) 

アヨアン・イゴカー

shin様、アリスとテレス様、えれあ様、kaoru様、ひろきん様、takemovies様、しまどっち様、gyaro様、flutist様、kurakichi様、kakasisannpo様、doudesyo様、くらま様、ジュンクワ様、ナカムラ様、sak様、マロン様、スー様、mitu様、Mineosaurus様、Ariel様、もめてる様、アマデウス様、ciscokid様、つなし様、青い鳥様、ChinchikoPapa様、toraneko-tora様、SILENT様、サチ様、チョコシナモン様、sig様、
YUYA様、+k様、ゆきねこ様、pace様、旅爺さん様、be-sun様、yoku様、くーぷらん様、HAL様、yakko様、mimimomo様、moz様、rappi様、Krause様、ミモザ様、よっちゃん様 皆様 nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2010-02-13 23:57) 

アヨアン・イゴカー

アマデウス様 
この挿絵は、この短編のために描いたものではなかったのです。自分の絵の中から挿絵を探していて、これが一番合うかもしれないと思って載せました。
サービスを中止したヤマハのMySoundで曲を発表していたH2OさんのMass on the street cornerが好きで、その中でで使われていたKyrie eleisonなどの歌詞を調べました。そうやって辿り着いた祈祷でした。
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
miserere nobis
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
miserere nobis
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi,
dona nobis pacem.
神の小羊よ、あなたは世界の罪をとりのぞく
われらを憐れみたまえ
・・・・・・・・・・・・・・
われらに平和を与えたまえ

sig様
比較的最近、実際にあった話です。尤も、かなり創作しておりますが。
ここに描いたのはグリフィンではありません。翼の生えたライオンですから、どちらかと言うとスフィンクスに近い動物です。

yakko様
実話なのです。私はその看板を見ると彼らがどこへ行ってしまったのかが気になります。しかし、調べようもないのです。

mimimomo様
こんな話が、どこにでもありそうな世の中が悲しいですね。
K家(本当はKでは始まりません)の人々とは一度も話したこともなく、全く接点のない人々でした。
私の記憶に一番強く残っているのは、異郷で働くイラン人労働者の淋しそうな姿です。コンビニのビニール袋から出して食べていた握り飯。
by アヨアン・イゴカー (2010-02-14 00:31) 

アヨアン・イゴカー

野うさぎ様、sera様、アヤメセブン様、りぼん様、aranjues様、optimist様、さとふみ様、miffy様、うに様、schnitzer様、yann様、olive様 皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2010-02-19 21:54) 

SAKANAKANE

実話のようだと思ったら、↑そうだったんですね。
同じように食い物にされた人達が、沢山いたんでしょうね・・・。
by SAKANAKANE (2010-02-28 12:12) 

アヨアン・イゴカー

ハギマシコ様、ララアント様、chee様、扶侶夢舎様、SAKANAKANE様
nice有難うございます。

SAKANAKANE様
悲しいかな、実話を基にしています。私は、弱いものが食い物にされるのが我慢なりません。つい、人間の存在について、否定的、悲観的になってしまうのです。いい人たちだって沢山いるのですが。
by アヨアン・イゴカー (2010-03-04 23:26) 

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