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短編小説『運河』 [短編小説]

 短編小説は書き上げているのに、挿絵がないので苦労している。やっと、『運河』の挿絵を描いた。本当は小樽の運河などの風景と虎或いは女の絵を描きたかったのだが、じっくりと構想を練る気分にならない。(「運河」の挿絵をあまり急いで描いたので、今日11/23少しだけ着色し、線を追加。)

2009-11-3(火)~2009-11-10(火)

運河

 その運河近くには、シベリア虎が棲んでいるらしいと言う話は、水面下で日々燎原の火のように広がりつつあった。何でもこの虎は夜な夜な美しい婦人に成りすまして、酔漢たちと夜を共にし、朝には食い残された体をそのままにして姿を消す、と言う。子供の頃に読んだインドだったかペルシアだったかの物語のようで、この虎に憧れを抱いた私は、早速みすぼらしい姿に身をやつし、赤提灯で体からアルコールの臭いが発散するほど飲んで、運河沿いの暗い道を歩いてみた。やはりこういう話が巷間で囁かれるというと、人通りはまばらになるものだ。私以外には人影がない。心細い街灯がひたすら空しく明かりを放射しているばかりだった。

 知らずに私が空き缶を蹴飛ばしてしまったらしく、空洞の鉄の缶が転がる音が聞こえた。鼓膜をつんざくような静けさの中でのこの不用意な物音は、ピアニシッシモに於けるフォルティティッシモのように、事件を暗示する効果音となる筈であった。

 しかし、何事も起こらず、霧の漂う水面にも何の変化も無く、朧月もそのままである。

 予備知識というものは、人の目を鋭くすることがあるかもしれないが、往々にして曇らせてしまったり、不必要な偏見の虜にしてしまうことが多い。知識がなければ、何らかの知識を得ようと、真剣になることが出来る。そして、思いもかけぬ視点で、既成概念を覆すこともある。

 私は自宅近くの雑木林を愛犬のホグホグと散歩したことを思い出していた。あの雑木林は古代生物も沢山いて、崖などにはアンモナイトや筆石やウミユリの化石が露出しているのだった。私とホグホグの前を始祖鳥が横切ったり、巨大なメガネウラがカラスを追い回したりしていた。

 虎女.JPG「女嫌いさん!」と後ろから聞き覚えのある声がした。振り向くと、何と高校時代の私達のマドンナではないか。当時、私は女子を意識しすぎる少年だったので、女嫌いと言う渾名を同級生たちから頂戴していた。

「こんなところで何をしているの?Mさん、ちっとも変わっていないじゃない。」

「ちょと、旅がしたくなって来てしまったの。女嫌いさんにここで会えるとは思っていなかったわ。」

「不思議なもんですね。高校を卒業して、全く顔を見ることがなくなってしまってから、二十五年以上も経つのに、Mさんの印象は少しも変わっていない。」

「お互い様よ。私だって、女嫌いさんの後姿を見てすぐに分かったのよ。」

「いやぁ、懐かしいなぁ。もう、二人とも十分に年を取っているので、何も起こらないでしょうから、一杯飲みながら昔話でもしませんか?」

「それはいい考えね。」とMさんも少女の頃と同様の魅力を振り撒きながらで同意してくれる。

「あそこに一軒、店がある。明るいし、いいんじゃない?」

どの家も門灯だけで通りは薄暗かったが、一軒だけ煌々と明かりが点いている飲み屋があった。扉を開けて入ると、何故かこの店だけは空気がむんむんしていて多くの人々がいて、楽しそうに飲んだり食べたり喋ったりしている。何を話しているかは聞き取れない。

虎女.JPG私達はその店の隅に席をとり、ウォッカを飲みながら昔話に、思い出話に花を咲かせた。高校三年の時の運動会の話しになった。

「Mさんは足が速かったね。リレーの選手でさ。クラスでも一二番の俊足だったでしょう、女子では?」

「まぁ、そうだったかしらね。」

「そうですよ。僕なんかあのMさんが黒豹のように走る姿を見て、憧れたもんですよ。それにスタイルがいいでしょう。いつも、いっつも意識していましたよ、Mさんの存在を。あなたを眺めている男子がいましたよ、僕以外にも何人か。」そう言ったら、彼女は嬉しくって仕方がないと言う風にころころ笑った。話題は、次は文化祭に移った。

「そう言えば、文化祭と言う目的のよく分からない行事がありましたね。殆どの学生が第三者で、当事者であると言う自覚がない行事。皆白けていて、ごく一部の学生だけが、仕方なく、一生懸命に参加していましたね。実際のところ、教師が白けていましたね、一番。」

「私も客観的、と言うよりも他人事のような態度で見ているだけだった。でも、その皆の無責任さも、今では懐かしいわ。あの、微妙に大人になりかけた時代の精神状態。大人に反抗するような、それでいて自分達は大人ではないのだと主張するような。」

「文化祭の最終日、キャンプファイヤーを焚いて、皆でフォークダンスを踊ったの知ってますか。」

「知らないわ。私、他の高校の文化祭を覗きに行っていたんですもん。」

「僕は、当時、Mさんに焦がれていましたから、フォークダンスで手を握ることが出来るかもしれないという妄想を抱いて、Mさんの姿を探しましたよ、ずっと。でも、見つけられなかった。」

「あら、嫌だわ、今頃そんなことを言われても。でも、嬉しいわ。Merci!

「Mさんにはフランス語が似合う!」

「じゃぁ、あなたは何語が似合うの?」

「僕?自分で言うのもなんですが、ロシア語?かな。喋れないけれど、憧れているからそういう権利があるかもしれませんね。」

「昔っから変わった人ね。そういえば、昼ごはん食べなかったでしょう?」

「覚えて頂いて、光栄至極に存じます。」

 こんな具合に会話が続いた。こういう恋愛に発展することのない会話は、この年になってみると楽しいものである。

 声がした。「そろそろ閉店です。」

 私達は久しぶりの再会によって青春の思い出を語り合うことが出来たことを喜んだ。しかし、二人のどちらも決してもう一度どこかで会おうとは言い出さなかった。それぞれが進んでいる道に対して敬意を表せるだけ、二人とも十分に大人になっていた。

 

 翌日、ニュースではある男の変死体が運河で発見されたと報じた。虎に食い殺されたような傷跡が数箇所ついていた。これで三件目だそうである。私はその時、自分の死を初めて知ったのである。


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コメント 11

sig

こんばんは。
トラの話で始まったのに、途中はぐらかされていましたが、
ラストにそうきましたか。面白かったです。
それとは別に、昔のなじみにあったあとの別れのシーンが、どこか切なかったです。彼はトラに食べられることによって、初めて念願を果たしたのかもしれませんね。

by sig (2009-11-22 22:26) 

ナカムラ

最後まで一気に読んでしまいましたよ。
by ナカムラ (2009-11-23 01:36) 

lamer

最後が素晴らしかったですm[- -]m
by lamer (2009-11-23 10:07) 

kakasisannpo

女嫌い?でロシア語好きな Mさんも、食べられてしまいましたか。
うーん、何となく淡い昔がきれいな終わり方をして良かった。
by kakasisannpo (2009-11-23 10:36) 

青い鳥

私もアヨアン・イゴカー様の世界に引き込まれて
一気に最後まで読ませて頂きました。
こんな風に死ねたら・・・幸せですね。
by 青い鳥 (2009-11-23 11:26) 

SILENT

いいお話ですね
東欧の作家のアニメーションを見た様な
気分になりました
最後の一行が効いてます
ありがとうございました
by SILENT (2009-11-24 08:26) 

orange-beco

甘美で残酷な結末・・・
ちょっと違うけど、80年代の映画、ナスターシャ・キンスキーの『キャットピープル』を思い出しました。
by orange-beco (2009-11-24 21:05) 

アマデウス

運河が現在と過去を繋ぐ役割を果たしているのかな。。。など楽しく空想を膨らませながら読ませて頂きました☆終結部分も傑作です!
by アマデウス (2009-11-27 09:02) 

SAKANAKANE

着想からしてスバラシイですね。
私の好きな、中国の昔の怪奇小説を思い出しました。
夢想の中で幸福を感じながら死に至るという描写が、好きなのかも知れません。
by SAKANAKANE (2009-11-29 01:46) 

アヨアン・イゴカー

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by アヨアン・イゴカー (2009-11-30 01:05) 

アヨアン・イゴカー

sig様
このMさんは初恋?の人です。彼女のために大学に入ってから詩を書きました。ずっと、発表したいと思っています。

ナカムラ様
挿絵にした女性は、初恋のMさんではなく中国の女性です。水彩でも今日塗ってみたのですが、上手く色が乗らなかったので、写真を差し替えるのは止めました。

lamer様
最後は、大体はこんな結末にしようと考えましたが、少しだけ迷いました。

kakasisannpo様
インドの昔話、子供の頃から、恐いと思いつつ憧れていました。

青い鳥様
そうですね。美しい思い出の中で死ねたら、幸せでしょうね。

SILENT様
東欧のアニメーション作家?いい響きですね。有難うございます!

orange-beco様
ナスターシャ・キンスキーの『キャットピープル』。ネットで調べてみました。恋人と愛し合うと相手を食い殺してしまう猫人間の話なのですね。面白そうですね。

アマデウス様
霧に包まれて先が見えないような運河の印象、それは過去と現在と未来の混在する場所かもしれません。コメント有難うございます。

SAKANAKANE様
>夢想の中で幸福を感じながら死に至る
わたしも、これは一つの幸福の形だと思います。
by アヨアン・イゴカー (2009-11-30 01:25) 

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