貧爾手帳 - その10(これにて完結) [詩・散文詩]
今日だってこれも夏の空だい
すっかり薄暗くて灰色の空だ
それでも蝉たちは懸命に鳴くことをやめない
彼らの子孫は七年後まで地上に出てこない
たしかに空の所々には青空がある
申し訳のように青い夏の空が見える
しかし、昨日吹き荒れた風が
夏の活力を吹き飛ばしてしまったかのように
力のない夏日だ
烏たちも思い出したかのようにしか
鳴かないし
伐られた樹々の精たちの姿もいよいよ力ない
子供の頃 夏の日は何かをなすべき時だったのか
時は同じように流れているのか
オマル・ハイヤームは土塊(つちくれ)をみて何を考えたのか
サーキと酒を酌み交わし
享楽に耽って人生を
生きている命のことを忘れようとしていたのか
フロイトは精神分析を心理の考古学として考えていたそうだ
エドガー・ケイシーの夢解きは
古文書の解読によってなされた
この二人の発想は同じなのではないか
アトランティス大陸よ
エジプトよ
古王国時代だろうか エジプト人たちは
猫の木乃伊を作った
mirra-mummy←ult. f. Pers. Mum wax※∬ 薄橙色の太陽光が
ジャロジー窓から本棚に注いでくる
これだって夏の日だ劇的であるばかりが夏の仕事ではない冷静であり且つ静謐な世界の象徴であってもいいではないか
貧爾の好きだった生クリーム
チーズ
菓子パンなどが埋葬されたのは大雨の降る前日の土曜日
こんなに淋しく時間の流れる夏の日があってもいいじゃないか
桃子が死んだのは西暦二〇〇〇年八月十三日日曜の午前十時頃
寅三郎が死んだのは西暦一九九六年八月二十日頃二十日だとすれば火曜日であるそして
貧爾は西暦二〇〇二年八月十三日火曜日午後二時十五分
宗太郎は西暦一九九六年十一月六日 水曜日午後一時半
あぁ、そして梅子が姿を消したのは西暦一九九二年頃のことだった
しかし、不誠実な私はその不在に何の関心もなかった何の記録もない
悲しい噂が一つあっただけだった「梅子に似た猫が轢かれていたよ。」
それは私の心が不在の時私の心が虚ろな時
あとがき この『貧爾手帳』は二〇〇二年八月三日から八月二十一日の水曜日までの、手帳に記した記録である。B六判二十一行の手帳で七十七頁になる。内、十一頁が挿絵だ。個人名及び固有名詞を変えたり、削除したりし、一部文章の意味の通りにくいところを直したりした。それ以外は、手帳に書いたものをそのまま文書にしてある。本来、文章は時間の流れに従って並べたり、主題の固まりをまとめたりした方が分かり易いのであるが、あえて、自分が手帳に書き付けたままにした。そうした方が、却って、私の感情の流れがよく分かると考えたからである。 貧爾は死んでからも私たち夫婦にその思い出、話題を提供し続けている。二〇〇四年一月十四日水曜日から二十日火曜日まで、下北沢のザ・スズナリで、妻は『家族日記』(昭和が終わろうとしていた頃のある家族の物語)と言う芝居を知合いの女性と二人で自主公演した。脚本を書いたのは中島淳彦氏である。この制作に当たって、妻は、それこそノイローゼになりそうな位苦労をした。公演案内のチラシを作る作業も予想外に大変だった。原画を描く、知り合いの業者にデータ送付、色の調整、作品の表題文字のレタリング、大きさ調整、レイアウトを更、チケット用画像編集、DM用の手紙にカットを入れる、など。蜿々とその作業は繰り返された。このポスターとチラシの原画となっている絵の中央には一組の老夫婦が夕日を見て笑いながら立っている。これは私たちだと妻は言った。その妻の足元には、やはり貧爾が西日を見ながら座っている。結局この公演は、初めての自主公演としては大成功で、千人以上の観客を集めることができた。そして、今や、貧爾のカットは妻の印章になっている。
*『家族日記』のチラシ。私は妻の使った色彩が好きで、このチラシを何枚か保管している。右の絵は一部を拡大したもので、老夫婦の足元には貧爾がおり、夕陽を一緒に見ている。これが妻の老後の夢なのかもしれない。レタリングも妻が、何度も描き直しをしながら、自分なりに納得のできるまで作業をしていた。
こんばんは。
すてきな絵ですね。
両腕いっぱいお花を抱えた奥様は美人だし、
二人の足元のヒンジくんは、おっとりと佇んでいるし、
最高の笑顔はアヨアン・イゴカーさん。
みんな幸せそのもの・・・何よりの記念ですね。
by sig (2009-10-16 00:30)
ほのぼのとした心温まる素晴らしい絵ですね☆
by アマデウス (2009-10-16 10:59)
母を亡くした時、「故人の思い出を語るのが、何よりの故人への供養になるんだよ」と教えてくれた人がいました。
こんなにも思い出を語ってもらえた貧爾君は、今きっと心安らかなことと思います。
おつれあい様の絵、優しい線とすばらしい色合いで心に残ります!
by めりっさ (2009-10-17 01:25)
拝読して
言葉にならないものを感じました
命とは何か
共に生きる時間を過ごされた事を
記録することは
何か尊いものですね
心の記録
胸が暖まりました
ありがとうございます
by SILENT (2009-10-17 06:40)
こんにちは。
アヨアン・イゴカーさんご夫妻と貧爾くんの関わり合いに
言葉では表せない感動を覚えました。『家族日記』の絵は
宝物ですね。美しい絵ですね〜〜 アリガトウございます。
by yakko (2009-10-18 15:44)
本当は言葉にできない感情なのに、僕たちは言葉に置き換えていかないと伝えられない。もどかしいけれど・・・。とても様々な思いを感じています。
by ナカムラ (2009-10-18 16:36)
こんばんは
お久しぶりと思われます。
子猫に気をひかれています。
動物は大好きですが、自分で飼うことは出来ません。
by とらさん (2009-10-18 20:34)
アヨアンさんこんにちは、こちらへの書き込みは初になりますね。
貧爾手帳、読ませて頂きました。
まず、読み始めて感じた事は、”怒り”でした。
ごめんなさいね、貧爾手帳の主旨とは違う事に対してになってしまいますが、改めて、野良猫を生み出したこの世に中に猛烈な怒りを感じています。
以前、アヨアンさんは、野良猫が居ても良いのだと思う、とおっしゃった事がありましたね。
私も「生きるもの」として、この世の中に野良猫が存在してはいけない理由などないと思い、そのアヨアンさんのお言葉に共感致しました。
ただし、これからの発言は、個人的で、身勝手な私の考えとして受け流して頂いて構わないのですけれど、やはりいくら自由気ままで好きなように(本人達はどうなのか分かりませんが、そのように見える)生きている野良猫でも、病気で苦しみ死んでゆく姿は見たくはありません。
その大部分が、治療も受けられず、回復の見込みもないまま、苦しんで死んでゆくのです。
もしこの子もFIVに感染さえしていなければ、しっかりと対策を取って、野良猫を管理していたら、このような悲しい日記を綴る事もなかったでしょう。
「死」から、たくさんの事を学ぶ事もあるかもしれません。
私達が「生」をどれほど尊く思えるか、それを知るのはとても大切な事かもしれませんが、身を持ってそれを教えてくれたその本人は、私達が想像するよりもはるかに過酷で、どれほど辛かった事でしょう…。
愛くるしく、私達を幸せにしてくれる動物達。
だからこそ、私達は彼らを守っていかなければいけないのだと思います。
「義務」という言葉は好きではありませんが、私達が動物達に出来る事、助ける事は、至って当たり前の事なのだと思います。
(そんな言葉(救う・助ける)さえも言わなければならない世の中なのですね、本当に情けないです。)
何故ならば、そのような状況に追いやったのは、紛れもない人間だからです。
貧爾手帳の中にもあったように、自分の庭木の水やりばかりを気にしていてはならないと思うのです。
今回は、そして奥様に関しては何度もご経験されていらっしゃるようですが、本当に辛い思いをされましたね…。
文を通し、そしてお写真を拝見させて頂いて、本当に胸が痛みました…。
そして野良猫について、改めて色々と考えさせられました。
ありがとう、という言葉はおかしいですが、私ももっと考えなければいけない事があるようです。
なんだか長文になりすぎて、ごめんなさい。
もうこんな悲しい出来事が起こりませんように…。
そう願っています…。
PS…私の兄もFIVの猫を拾い、壮絶な死を遂げたようです。
その姿は、見せれたものではないほど酷かったようです。
今でも毎年お墓参りを欠かさずしているとの事です。
by Kanna (2009-10-19 06:13)
家族日記のとても暖かそうな色彩に
こころがほんわかとなりました。
苦労に苦労を重ねて出来た素晴らしい作品だと思います。
あしもとの貧爾くんがとても幸せそうで
うるっとしました。
by リュカ (2009-10-19 08:37)
ウチの鳥たちは30年近くを経た今も家族の語り草になってます。昨今のペットブームにこんな事情はあるのでしょうかね。
by にすけん (2009-10-21 09:53)
はじめまして!ご訪問&nice!ありがとうございました♪
胸の痛くなるようなお話ですが「家族日記」の優しい色合いのチラシに
救われた気がします。
「野良猫」しかり、、保健所でさっ処分になる犬や猫たちがとても多い
国である…ということが恥ずかしいことだと反省しなくてはいけませんよね。
心ある生活をしたいですね!
by mimoza (2009-10-24 01:22)
gyaro様、lapis様、sig様、ムク様、お茶屋様、もめてる様、アマデウス様、はくちゃん様、kaoru様、ねこのこね様、shin様、ほりけん様、アリスとテレス様、+k様、orange-beco様、yukitan様、チョコシナモン、めりっさ様、SILENT様、旅爺さん様、Raccoon様、くらま様、doudesyo様、ChinchikoPapa様、pace様、mitu様、Krause様、mimimomo様、yakko様、sak様、ナカムラ様、ばあどちっく様、デザイン屋様、えれあ様、てんとうむし様、とらさん様、いっぷく様、penny様、さとふみ様、リュカ様、takemovies様、デッコン様、野うさぎ様、toraneko-tora様、空楽様、ララアント様、siroyagi様、Mimosa様、にすけん様、ムネタロウ様、optimist様、かりん様、miffy様、mimoza様 皆様 nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2009-10-24 21:02)
sig様
有難うございます。
中坊公平さんが仰っていましたが、なんでもない、ちょっとした幸せが最も大切な幸せだと私も思います。
アマデウス様
有難うございます。私もこの絵は気に入っています。線や構図に一貫性が無かったり・・そんなことは超越していて、味があると思います。
言い方は好くないのですが、小学生が自分の夢や楽しみにしている世界を、その世界の空想に耽りながら描いたような絵だと思います。
めりっさ様
有難うございます。私は、自分が大切にしていたもの、好きだったものは一生思い出し続けようと思っています。
SILENT様
丁寧に読んで頂き有難うございます。感謝致します。
私は記録することが、自分の使命の一つであるような気がしているのです。
yakko様
妻は殆ど私のブログを読んでくれません。しかし、今回は皆さんに絵を褒めて頂いたよ、と言いましたら、実に嬉しそうに読んでいました。
彼女には貧爾の死の記録は重すぎて、辛すぎて、読む気になれないそうです。
ナカムラ様
言葉は仮の手段、便宜的な手段に過ぎません。言葉にした途端、自由に飛び回っていた何かが、固定されてしまいます。生きていたものは、無限の可能性を秘めているのに、死んでしまえば、そのものが固定されてしまうのと同様に。幸せの青い鳥は、飛んでいる時は、確かに青い鳥なのですが、捕まえた瞬間、只の青い羽の鳥になってしまうのです。
とらさん様
お久しぶりです。農家などのミニチュア模型、胸がときめきます。
動物は傍で見ているのが、一番楽で好いです。
Kanna様
コメントを有難うございます。
私はKannaさんとちょっと考えが異なるかもしれません。私は野良猫が存在していてもいいと思うのは、野良猫、野良犬の野良とは、人間中心の概念に過ぎないからです。益鳥、害鳥、益虫、害虫、益獣、害獣これら全て、人間中心の言葉です。地球と言う空間に、無数の生物が生息しています。それは人間が独占していいはずがありません。
自分達にとってどういう存在であるかによって、相手の生存の可否を語ることなど許されないと思います。雑草などという植物はないのと同じです。一旦命を授けられたからには、皆、自分の存在を感じているでしょうし、それなりに命を楽しんでいると思います。
話が重くなりますので、この辺でやめておきますが。
リュカ様
この絵にある貧爾の後姿は、緑色の看板に、また買い物袋の図柄として、妻の許可を取って私は使いました。
にすけん様
30年近くも語り草ですか。好いですね。
ペットをオモチャとして扱うのか、命ある存在として認めるのか。感情的になると、時として前者のような気分になる自分を戒める意味でも、私は時々思い出さなければならないと感じています。
mimoza様
コメントいただきまして有難うございます。
猫や犬やその他のペットが殺されて処分される原因は、ペットがビジネスになって、自然に生活していれば居ないような数にまで繁殖されているからではないかと、ふと思いました。
ペット問題は、そのまま人権問題なのです。
by アヨアン・イゴカー (2009-10-24 21:41)
貧爾君、奥様のイラストのポスターとアヨアン・イゴカー様の手帳の記録によって
永遠の命を与えられましたね。
心が温かくなる色彩のポスター、幸福感に満ち溢れています。
by 青い鳥 (2009-10-26 23:54)
chee様、YUYA様、スー様、ulyssenardin36000様、ecco様、くーぷらん様、sony様、青い鳥様 nice有難うございます。
青い鳥様
永遠の命。有難うございます。
私は寅三郎のために『猫の星座』と言う詩を書きました。それはよだかの星のように、永遠の命をもって、輝いていて欲しいと言う願いからでした。
心温かくなるポスター。妻もこのコメントを知ったら大喜びすると思います。ありがとうございます。
by アヨアン・イゴカー (2009-10-27 00:46)
貧爾くんは、病魔と闘い続けて苦難に満ちた生涯だったと思いますが、魂の存在というモノを信じれば、これだけ愛されて、こうして常に思い出してもらえるというのは、きっと幸せに感じてくれていると思います。
奥様のチラシ絵、色彩というモノが、こんなにも感情に語り掛けてくるモノだとは、改めて強く認識させられました。
まさに理想の夫婦像といった感じで、アヨアン・イゴカーさんご夫妻も、このままの幸せの構図を実現できる日が楽しみですね。
もちろん、足元には、貧爾くんを始め愛した家族たちも一緒で。
by SAKANAKANE (2009-11-07 12:49)
ゆきねこ様、扶侶夢舎様、lamer様、SAKANAKANE様 nice有難うございます。
SAKANAKANE様
いつもご丁寧なコメント有難うございます。元気と勇気を貰うことができます。
妻にも早速チラシの絵、色彩についてのコメントについて、メールで知らせておいたら、直ぐに大喜びの返信がありました。
つつましい幸せを求めて、生きて行きたいと思います。
by アヨアン・イゴカー (2009-11-07 22:54)