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貧爾手帳 - その7 [詩・散文詩]

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貧爾と妻 二〇〇二年八月十四日 水曜日

 

貧爾は妻にとっては息子でした。手のかかる面倒ばかり掛ける子供でした。特に昨年は大変な年でした。何を思ったのか、マーキングを始めたのです。尻尾を垂直に立てて、お尻を標的に向けると、水鉄砲のように放尿するのです。カーテンにも机の脚にも、段ボール箱にも、そしてある時はセーターを着て彼を抱っこしている私の胸にも、黄金の生暖かい液体を放射するのでした。そして何を思ったのか、玄関を厠と心得て、靴やサンダルの上で小用を足す癖すら身に付けてしまったのです。

寅次郎と一緒に生まれた桃子が、何故か風呂場の足拭きを厠としていて、しばしば小水をその上でする癖がありました。私はこの桃子に対して、よく腹を立て怒鳴ったものでした。しかし、この桃子の癖は、せっかくおまるで用を足すのですが、最近お尻が外にはみ出してしまう次郎に比べれば遥かにましでした。次郎はおまるの外に糞や小水をしてしまうので、それを片付けるのは結構面倒です。気づくのが遅れると床はすっかり水浸しになっています。床のフローリングが剥げたのも、次郎が一部原因だと思います。

 この貧爾のとんでもないマーキング癖が付いてから、妻の不眠はいよいよ酷くなり始めました。なにしろ貧爾が矢庭に立ち上がって鳴こうものなら、これは集中豪雨注意報なのですから。時には鳴かないで、トイレの猫砂を掻く仕草でザッザッザッザッと床やら、芝居のチラシなどが散乱している場所を掻き始めることもあります。こういう時は警戒警報発令時で、すぐさま措置を講じなければなりません。貧爾を抱き上げて、おまるに連れて行くのです。そこで彼は不本意ながら用を足す、と言う図式になっているのです。

 とにかく至る所青山あり、ではなく、警戒警報が発令されてしまうので、臭い或いは色を付けられて困るものには、防衛が必要になりました。妻はパソコンやプリンターやスキャナーを、全て段ボールの鞘を作って守ります。唯でさえ整理整頓の出来ていない我が家は、貧爾君の御蔭でますます倉庫か物置の様相を呈してきたのであります。

 

 踊りのパフォーマンスの練習に行っていた妻に、私は電話を掛けました。貧爾が死んでしまったことを告げるために。でも予想通り、妻は携帯電話を留守電にしていましたので、私は用件だけ残しました。「直哉だけど、貧爾、死んじゃったよ・・・」と。私は万感が胸に溢れ、もう何も言うことができず、すぐに電話を切りました。

 夕方、貧爾のために刺身を買って帰ってきた妻は、貧爾の亡骸を見ると駆け寄り、声を上げて泣きました。「医者に連れて行って御免ね。あんなに大量に輸液したから苦しかったんだね。だから早く死んじゃったんだね。」と言いながら。私は妻に言いました。「医者に連れて行ったのは決して間違っていない。連れて行かなければ、今朝あのまま死んでしまっていたかもしれないんだから。行ったから、午後二時まで頑張ることができたんだから。君の選択は間違っていない。正しい。自分を責めてはいけない。」私は妻の姿をじっと見守っていました。とにかく、今はこの貧爾の死を悲しむことが一番大事なのだと自分に言い聞かせながら。

 妻と私は貧爾の身体をシャンプーで洗うことにしました。尿で汚れた体を元通りの美男子に戻す義務が私たちにはあるからです。風呂場まで、硬直した体の貧爾を両手に捧げて連れて行きました。香りの良いシャンプーを選ぶと、妻と私は痩せ細った貧爾の身体を洗い始めました。最初は少々控えめに。あとは大胆に。あぁ、しかし、黄疸の出ている肌の色は元には戻らないし、屎尿と涎に塗れた足と下腹部の毛は、いっかな元の美しさに戻りませんでした。それでも尿の臭いが発散していた身体はみるみるシャンプーの香りとなって、すっかり愛らしい貧爾君になりました。

 乾いたタオルで水を拭きます。それでも湿った毛が体中に密着していて、いかにも濡れ鼠のようです。

 風呂場から居間へ戻すと、妻はヘアードライアーを、私は地下室の奥にしまってある旧式の扇風機を取ってきます。羽に埃を被っている扇風機を濡れた布で拭いてから、私は風を送ります。濡れた身体から乾いた布やちり紙で水分を取っていると、いつもの柔らかい毛が戻ってきました。すっかり美男子が戻ってきましたとも。

 妻は「どこに置こうか?」と言います。私はパソコンの置いてある机を指したのですが、妻は「そこはこれから作業があるから・・・」と言いました。私は私たちが食卓として使っている台の上を片付けました。発泡スチロールの箱(これには妻が北海道で知り合った人が送ってくれた鮭が入っていました)を本棚の上から下ろすと、妻は汚れていると言って、すぐに風呂場へ洗いに行きます。この箱の中に貧爾を寝かすことにしました。

 私は宗太郎の時にもそうしたように、ピアノを弾きに地下の書斎へ降りました。シューマンの『森の情景』の終曲『別れ』を弾くためです。この曲は決して淋しくないのですが、どこか夢見るようで、美しいもの、名残惜しいものとの別れには、とても相応しいように思われるのです。

 楽譜を取り出すと、私はゆっくりと弾き始めました。Abschied AdieuそれとADIEMUSの“Beyond the century”も。病弱だった貧爾は二十一世紀まで生きられないのではないかと、私は心配していたのでしたが、その強い生命力で二十世紀を越えて生き延びてくれたのです。その生命に感謝をしながら。

貧爾の葬式

 

すっかりきれいになった貧爾は発泡スチロールの台の上に、敷布に包まれて眠っています。その貧爾は二階でご本尊様の右側に置かれています。その貧爾を妻がお経を読んで、一心に冥福をお祈りしています。

 妻は私に、貧爾のために題目三唱して欲しいと言いました。私はその言葉に従い、小さな小さな声で南無妙法蓮華経と唱えました。

 宗太郎の時も、桃子の時も妻は一人でお葬式をしました。桃子の時など、亡骸を抱いて庭の中を一緒に散歩しました。なにしろ、桃子は家猫だった梅子と仲が悪くなり、外猫になってしまって、冬でも外で暮らしていたのです。だから大好きな庭をぐるりと一巡してやったのです。私には桃子の時や宗太郎の時には、妻の寂しさが十分に分かりませんでした。私も多少悲しくて涙が出たのですが、妻の気持ちは十分には分かっていなかったのです。が、貧爾という猫が居なくなることになってみて初めて、私は妻の優しさ、大きさが分かりました。こんなに悲しいものだったとは、などと思っている私などよりも、妻の悲しみはもっと大きいのです。もっともっと遥かに大きいのです。その悲しみの大きさと優しさの大きさを私は貧爾の死を通して知ったのです。

 

二〇〇二年八月十四日 水曜日 十四時五十八分 晴れ

 

今日も暑い日になっている。私は、貧爾のお墓を掘っていた。十分ずつ位掘って、間に三十分休憩を取った。なにしろ酷い陽射しなので、日射病になってはいけないと、それなりに気をつけているのである。

墓地は、欅の幹で作られたテーブルが置いてある場所で、樹木の傍である。そこは貧爾が私たち夫婦の所へ初めて現れた方角である。出来るだけ西方浄土に近い西側が言いと思っていたので、私は妻のこの提案に大賛成だった。

*     *     *     *     *     *     *

 十六時過ぎ

 

平尾の公園にて。鈴懸の大木の葉を、心地よい夏風がざわめかせる。人が殆どいない公園では鳩たちが七羽ほど地面を歩き回りながら餌を探している。

 今日は散髪をする計画だったのだが、すっかり予定が狂ってしまった。十二日から十四日まで休業だったのだ。そんな気もしたのだったが、掛けようとした電話の一本も掛けなかった私自身が作り出した失敗である。しかし、休みであるような予感もあったので、その時はその時で、と考えていた。だから実のところ、この公園に来ることは予定通りの行動なのである。

 最近はどこもかしこも樹を伐ったり、根を抜いたり、草を刈ったりばかりしているので、虫達も随分棲みづらくなった。幸い、この公園には何十本或いは数百本の樹が植わっているので、虫達も元気だ。喧しいほど蝉たちが夏を謳歌している。油蝉もツクツクホウシもミンミンゼミも鳴いている。

 一羽の鳩がカワワワワワワワと羽で風を切りながら、低空飛行をして公園の向かい側の樹木の方へ飛んで行く。

 団地のビルの屋上に、一つ衛星放送用のアンテナが見える。あれが形だけで実のところ何の映像も受信することのない無用の長物だったら、あのアンテナの所有者は相当に愉快な人に違いないだろう。ロールスロイスのような不経済で尚且つ多くの排気ガスを吐く公害車を所有していて、実際は水槽としてメダカやら鯉を飼っているのだったら、それもなかなかのものだと思う。帯広で催されている展覧会で、中国の芸術家が、巨大テントに火薬の帯を幾条も張って、火をつけて喜んでいるらしいが、私は芸術というものも、環境に全く配慮しないようなこんな作品は許せない、と思うようになっている。

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コメント 16

doudesyo

おはようございます。
貧爾君奇麗になって旅立ったんですね。思い出が最大のプレゼントの様ですね。
>私は芸術というものも、環境に全く配慮しないようなこんな作品は許せない、と思う
最後の言葉ですが、私も同じ思いをしております。芸術を知っている訳ではないですけど。
by doudesyo (2009-10-04 08:28) 

mimimomo

おはようございます^^
やっと全部読ませていただきました。
随分細かく書いていらっしゃるのに驚きました。
by mimimomo (2009-10-04 08:39) 

いっぷく

愛する貧爾君との別れをいい形でおくることができましたね。
環境に配慮しない芸術は美しくも感動もありません。共感しますね。
by いっぷく (2009-10-04 09:10) 

ナカムラ

つらい話ですが、引きこまれてじっくり最後まで読んでしまいました。
by ナカムラ (2009-10-04 11:00) 

orange-beco

皆に愛されて一生を全うした貧爾君、自然へと還っていったのですね。
by orange-beco (2009-10-04 18:06) 

sig

こんばんは。
奥様の慈愛の深さをアヨアン・イゴカーに伝えてくれたのもヒンジ君だったのですね。
人は悲しみを通して掴むことも多いですね。
絵の中のヒンジ君の笑顔がとてもすてきです。
by sig (2009-10-05 00:30) 

青い鳥

絵の中の貧爾君、幸せそうな笑顔ですね。
突然のマーキング、きっと自分のいる痕跡を
沢山残したくなったせいかも知れませんね。
by 青い鳥 (2009-10-05 01:35) 

旅爺さん

やはり動物は飼えませんね。
お部屋でのマーキングや泥足でも部屋に入って来たりじゃね。
それとよく旅に出るので面倒が見れないんです。
by 旅爺さん (2009-10-05 10:07) 

Mineosaurus

いい絵ですね。
by Mineosaurus (2009-10-05 16:00) 

yakko

お早うございます。
ここまで愛情を注げるものかと茫然とする感動です。
貧爾君やいままで飼ってもらった猫ちゃん達は
いつまでもお二人に感謝し、見守っていることでしょう〜〜〜
by yakko (2009-10-06 09:23) 

ミモザ

ご無沙汰ばかりしてすみません。
感動で一気に読めないくらいでした。
涙を拭いて又、参ります<(_ _)>

by ミモザ (2009-10-06 17:21) 

ララアント

ご無沙汰しております。
我が家のララ(猫)の最期を思い出しました。。。
貧爾さん 6年の短い生涯だったのですね!
ララは病気をすることもなく 20年家族でした。
でも 亡くなる前2ヶ月は 病院で点滴を受ける日が
続きました。
でも それも8年前のことです。
「貧爾手帳」良く描けていて 驚いています。
by ララアント (2009-10-07 21:23) 

Nyandam

亡くなった猫たちのためにピアノを弾く、
そんな心をこめた演奏をしたことがありませんでした。
シューマンの「別れ」美しいレクイエムとして貧爾君の心に届いたことでしょう。
私も愛猫との別れを通して気付いたこと、わかったことがたくさんありました。
by Nyandam (2009-10-08 11:56) 

旅爺さん

おはよう御座いま~す。
やっと台風一過の秋晴れですね。
何事も無くご無事でしたか?
by 旅爺さん (2009-10-09 09:12) 

アヨアン・イゴカー

optimist様、duke様、ChinchikoPapa様、Krause様、toraneko-tora様、夢空様、扶侶夢舎様、チョコシナモン様、doudesyo様、mimimomo様、いっぷく様、aranjues様、mitu様、くらま様、gyaro様、お茶屋様、kaoru様、YUYA様、スー様、ナカムラ様、kurakichi様、mouse1948様、さとふみ様、くーぷらん様、yukitan様、lapis様、アリスとテレス様、orage-beco様、もめてる様、kakasisannpo様、sig様、青い鳥様、旅爺さん様、shin様、びくとる様、Mineosaurus様、リュカ様、moz様、あらみてたのね様、+k様、yakko様、SILENT様、奥津軽様、ほりけん様、ミモザ様、flutist様、えれあ様、イリス様、アールグレイ様、pace様、めりっさ様、ララアント様、野うさぎ様、KENNY様、soichiro様、Nyandam様、るる様、アマデウス様 皆様 nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2009-10-09 13:50) 

アヨアン・イゴカー

doudesyo様
妻は猫が死んでしまうと、しっかりと綺麗にしてやるのです。あぁいう送り方があるものなのだと、私も納得しました。
結婚するまでは、動物が死ぬと、地面に穴を掘って、そのまま埋めるだけでした。

mimimomo様
心が大きく揺さぶられる時、メモを取ったり絵を描いておくことは、私にとってとても大切です。思い出すために。お読み頂き有難うございます。

いっぷく様
有難うございます。
自分の人生の中の一つの出来事として、一生覚えていると思います。

ナカムラ様
お読み頂き有難うございます。
この喪失感は、私にとって書いて表現するしかなかったのです。

orange-beco様
そうです。彼は我が家の小さな庭に土葬にしていますので、ゆっくりと土に返っていると思います。でも、妻と私の心の中には、勿論、進行形で思い出が生きています。

sig様
悲しみの前に、私と言う人間は、真面目にならざるをえなくなります。そして、真面目に考え始めることになります、今まで放置しておいた大切なことを。まさかの時に、本性が現れます。

青い鳥様
そういわれてみれば、そうかも知れません。具合が急降下で悪くなる前だったような気がします。この世に存在するものは、全てその存在を認めて貰いたがっていると思います。

旅爺さん様
北海道にいた時も、川崎市に引っ越してきてからも、猫はいつも出たり入ったりしていました。雨の日、とっ捕まえて泥足を拭く、また楽しからずや。
旅行をされる場合には、確かに、預ける人がいないと飼えないですね。

Mineosaurus様
有難うございます。この絵は石膏ボードに書いているので、段々曲がってきていて、ちょっと心配です。

yakko様
嬉しいお言葉、有難うございます。

ミモザ様
とても嬉しいお言葉、有難うございます。

ララアント様
20年も一緒だと、悲しみも一入だったでしょうね。
精神的な空洞なのでしょうが、すっぽり抜けてしまったあの物寂しさ。

Nyandam様
人間が学ぶことができるのは、人間からだけではないのですね。仰るように、動物達の生き方から、私はいろいろ教えてもらっています。
特定の曲をある特別な機会に弾くと、別の時にその曲を聴いた時に、送った猫達のことを思い出すことができます。

旅爺さん様
イチジクの木、倒れちゃったんですね?きっと起してやってくださいね。
川崎市麻生区の我が家近辺では、特に大きな被害もなかったようです。
綺麗な青空ですが、なんだか淋しいのは、やっぱり秋だからでしょうか。
by アヨアン・イゴカー (2009-10-09 14:26) 

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