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色塗り練習 『森の詩』 [絵画]

 今日は、2週間前に下書を描きながら方向が分からず放置しておいた騙し絵に色をつけて、一応仕上げたものを公開します。in the wood.JPGどちらかと言うと、やはり色塗りの練習です。もっとしっかりと下書をしなければ見ていて面白い絵にはならないことがわかります。
 今日使ったのは、ぺんてるの水彩絵の具、クーピーペンシル、ゼブラの黒のボールペン、この三種類です。最初の下書は鉛筆でしてあったのですが、その上をボールペンで少しなぞり、葉や枝を少し描き足しました。後日もう少し色をつけるかもしれませんが、今日のところはこれで一旦終了。
 絵の題名は『森の詩』としました。この題名にするならばもっと多くの動物や鳥が出てこなければなりません。あるいは野草や苔やらが。でもそれは、次回の機会に譲りたいと思います。この絵の中心になるのは、懐かしい北海道の放牧場の思い出です。小学校まで一里の道を私達子供は歩いて通っていました。登校途中には、お隣さんやご近所の農家の畑や牧場が続いていました。小学校一年生だった時の思い出なのですが、放牧場に馬がいました。とねっこと呼ばれる子馬もいたような気がします。馬は柵で囲われた草地で気儘に歩いていました。この絵にあるように、走っていた訳ではありません。
 ちなみに我が家の馬が、綱が木の枝から外れたことを幸いに馬が走り出した時は、恐ろしかったのを覚えています。猛烈な勢いで嬉しそうに走り出したのです。あの大きな生き物が、あの速度で、鬣をなびかせながら畑を駆け回るのですから。父は暫く馬の行動を眺めていました。こういう時、父は馬の好物の人参やら玉蜀黍などを手にもって「ぽーぽぽぽぽぽ」とか言いながら、近寄って手綱を掴に馬小屋に戻すようでした。
 この色塗り練習をしていて、放牧場を描いていたら、『北海道の思い出』と言う文章の挿絵が描きたくなってきてしまいました。殆ど記憶になく、当時撮った写真を見たり、或いは本探してきて再構成することになるのでしょうが。
 ところで、『第一詩集』の『ゴアの波止場のお嫁さん』の挿絵は八割方終わっていますが、まだ手を加える必要があるので公開できません。先週の7月31日の金曜日は土曜日の振り替え休日だったので、ゆっくりと体を休めました。そして、詩集『初恋』より『文化祭或いは鰯の埋葬』の下絵を描き始めました。勿論フランシスコ・デ・ゴヤの『鰯の埋葬』が下敷きになっています。

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mimimomo

おはようございます^^
子供の頃の思い出と言うのは
悲しいとか嬉しいと言うより、不思議な味がしますね~
上手く言葉には出来ませんが。
by mimimomo (2009-08-03 10:26) 

ナカムラ

北海道、しかも馬だとすると日高ですか?雪解けの頃の緑の牧場と雪山のコントラストを思い出しています。
by ナカムラ (2009-08-03 11:46) 

旅爺さん

芸術を理解するのは難しいですが、惹かれるのは何ででしょう?
友人が馬に乗れと言ってくれたので、勢いよく飛び乗ったら・・・反対側に落っこちた事があります、何ででしょう?・・・・・・笑ったでしょう。プッ
by 旅爺さん (2009-08-03 18:20) 

orange-beco

馬が走る放牧場、森の中からこちらを見ている人の顔に見えました。
森の中にはいろいろな動物が棲んでいるに違いないのですが、ヒトが通る前にみんな隠れてしまうので、まるで何もいないような気になります。
誰もいない森に足を踏み入れるのは最初だけ、ちょっとした勇気が要るような気がします。二三歩踏み出してみると、そこは落着ける世界に変わるのは不思議です。
by orange-beco (2009-08-03 21:34) 

yoku

騙し絵という技法を使った絵、興味深く拝見致しました。
ところで、小生の最近の記事への投稿へのお答えが
遅くなり、失礼しました。しばらく家を空けていたわけですが、
出発前にお答えを投稿しましたが、コメント投稿に失敗と出
帰って来て再び投稿しましたが、再び投稿に失敗と出てしまいました。
失礼とは思いますが、この場をお借りして投稿させてください。

>「何故、水平方向に彫ったのかが不思議ではあります、通常は、当然のことながら、垂直に長く描かれるので。
<非常に興味深い疑問です。実はロマネスク彫刻には建築に従属
、枠の法則という前提があります。記事であげましたボーサンも
述べていますが、この彫刻は大聖堂の扉口のまぐさ・横広の石(ロマネスク建築用語では、リンテル)記事の中のロラン美術館の入り口上の写真を御覧頂ければ分かりやすいかと思います。大聖堂の扉口の横石に
彫刻しなけらばならないという制約があったのです。枠の法則に照らせば、何故横広の石に彫らなければならなかったのか、分かるかと思います。
このようにロマネスク彫刻には、物理的制約がありましたが、
逆にそれがロマネスク彫刻の面白彫刻を生んだのだと私は理解しております。ありがとうございました。




by yoku (2009-08-04 06:01) 

ぼくくま

ご無沙汰しています。
お元気ですか?

しばらくぶりですが、絵画の記事が増えましたね。
ゆっくり拝見させて頂きたいと思っております。
by ぼくくま (2009-08-06 08:03) 

いっぷく

放牧場の馬を遠くに眺めてそれが人の顔にもなるという
ダブル・イメージですね。
家に馬がいるなんて楽しいだろうなと想像します。
動物が身近にいた生活を子供のころにされたらその影響は今も強いでしょうね。
by いっぷく (2009-08-06 23:10) 

アマデウス

1里というと約4kmですよね。雨の日も風の日も雪の日も毎日往復で
8km!小学校低学年には厳しい距離ですね。
by アマデウス (2009-08-07 09:58) 

yakko

お早うございます。
子供時代に歩いたことは大人になって心身ともに何事にも
耐えられる基礎になっていますよね。
いま思えば修行ですね〜〜〜(^。^)
by yakko (2009-08-07 10:27) 

エア

一里ですか、私も同じ距離歩いて
通いました。
by エア (2009-08-07 23:11) 

アヨアン・イゴカー

くらま様、お茶屋様、sak様、takemovies様、toraneko-tora様、Krause様、olive様、もめてる様、mimimomo様、ナカムラ様、Chinchiko-Papa様、mouse1948様、旅爺さん様、チョコシナモン様、アリスとテレス様、えれあ様、ゆきねこ様、くーぷらん様、orange-beco様、sig様、yoku様、るる様、doudesyo様、c_yuhki様、さとふみ様、piattopiatto様、イリス様、ばん様、麻里圭子様、+k様、kaoru様、kakasisannpo様、エア様、扶侶夢舎様、ぼくくま様、A.ラファエル様、いっぷく様、夢空様、アマデウス様、yakko様、aranjues様、flutist様、mitu様 皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2009-08-08 12:17) 

アヨアン・イゴカー

mimimomo様
子供時代の思い出は、いろいろな感情を以って蘇ってきます。

ナカムラ様
日高ではなく、十勝の芽室の近くです。多分、大雪山や十勝連峰が防風林の向こうに見えていたのでしょうが、よく覚えていません。

旅爺さん様
うぷっ。ギャグみたいですね。天然の道化師さんですね。
馬跳びしちゃいましたか!

orange-beco様
森にしろ土にしろ水中にしろ、生き物が沢山いるところは好いですね。
私は雑木林の中にいると、心が落ち着きます。

yoku様
ご回答有難うございます。建築による制約が、浮き彫りに新たな美しさを与えたと言うことですね。通常縦長に描かれ、彫られるイブ(フランスのオータンにあるロラン美術館のイヴ))が、横長に彫られているため、水中を泳いでいる人魚のようにも見えます。このレリーフは本当に美しいと思います。

ぼくくま様
ご無沙汰しております。
いつも新しい、面白い情報を掲載されるので、楽しみにしております。

いっぷく様
家には2頭の馬、何十羽もの白色レグホン、数等の羊などがいました。
小さい時に馬(アングロノルマンとハックニーその他の雑種)の背中に乗せてもらったことがありますが、背骨がごつごつしていて、お尻が痛かった記憶があります。

アマデウス様
一年生の一学期と二学期の途中まででした。下校途中で眠くなって、防風林の中で寝てしまったこともあります。幼稚園も小学校のある町にしかなかったので、幼稚園には通いませんでした。

yakko様
そうですね。歩くことについては、まったく苦になりません。足は速くないのに、ついつい同年代の人びとよりも早足で歩いてしまうこともあります。

エア様
そうですか。一里の道を歩いていると、様々なことを考えるようになりますね、景色を見ながら。そう言えば、子供の頃、野良犬もいましたので、外を歩いている時には、結構緊張感がありました。走ると追ってきますので、油断しないで歩いていました。


by アヨアン・イゴカー (2009-08-08 12:55) 

うに

五感を伴った断片的な記憶、
フシギなくらい蘇ってくることがあります。
それを絵にしたためることは、素敵なことですね。

記憶の欠片に似た風景を切り撮ることは難しいのですが
それに近いものに出会えたときは、テンションが上がります。(^^)
by うに (2009-08-08 23:04) 

duke

私も、読みながら。。馬・・?と思ってしまって・・横になった顔に見えたものですから。。。隠し絵のようなもの?そのような解釈でいいのでしょうか。
自然の中毎日一里の道を歩かれるのはとても哲学的な気がします。
by duke (2009-08-09 00:04) 

ミモザ

おはようございます♪
朝はコンタクトレンズを入れないで画面を見るものですから
放牧場に見えず人の顔に見えましたよ。騙し絵ですね(^^♪
子供の頃の記憶を元に絵を・・いいですね。
by ミモザ (2009-08-09 06:36) 

アヨアン・イゴカー

うに様
niceとコメント有難うございます。
>記憶の欠片に似た風景
いい表現ですね。

duke様
妻に、この絵はばればれで騙し絵になっていない、と言われました。馬の方が好く見ないと分からないからであります。
騙し絵と言うか、アルチンボルトのように野菜や樹木で絵を描くのも二番煎じと思ひ、この度は北海道の景色を思い出しながら描いてみました。

ミモザ様
勿論この絵の構成上、最初にこの西洋人の顔を描きました。そして、その上に顔の造作に近いものは何かを模索しながら置いてみました。
by アヨアン・イゴカー (2009-08-09 14:53) 

SAKANAKANE

印象派のように、色彩を塗り重ねてみるのも、面白いかも知れませんね。
by SAKANAKANE (2009-08-12 21:05) 

アヨアン・イゴカー

SAKANAKANE様
重ね塗りは独特の味がでるでしょうね。
実は、小学校の頃、伯父の描いている油絵に憧れました。何しろ、色を何層にも重ねられるのですから。

by アヨアン・イゴカー (2009-08-13 16:10) 

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