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劇団木馬座『ピーター・パン』Youtube [劇団木馬座の思い出]

 木馬座についてはこのところ何もしていなかったので、劇団木馬座の『ピーター・パン』を編曲することにする。この劇の音楽は『げんこつ山のたぬきさん』などを書いた小森昭宏。他には『ピノッキオ』の音楽も担当されていた。この方は医者でもあるのだと同姓の演出家小森安雄先生が言っていた。小森昭宏の曲は明解で、明るく楽しい雰囲気が芝居にはよく合っていた。DSCN1600.JPG
 舞台美術は駒宮録郎、脚本長嶋武彦・稲坂良弘、演出早野寿郎。このピーターパンの仮面制作は劇団木馬座制作部員。頭髪に使っているのはなんとダチョウの羽で、ピーターが動き回る度にふわふわと優雅に動いた。空中を飛びまわることの出来るピーターに相応しい見事な選択だと感心したものである。海賊フックの仮面は大きく好くできていた。








SSCN1608.JPGhttps://www.youtube.com/watch?v=p-0dFfs4gQg&feature=youtu.be
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majyo

今から何年前になるのでしょうか?
子供たちと見た木馬座の芝居が蘇りました。
頭髪がダチョウの羽根とは 誰も気がつかなかったでしょうね
多くの遺産を持たれている事、うらやましいです
by majyo (2015-05-23 20:40) 

Enrique

可愛い,優しい曲ですね。アヨアンさんのアレンジと古い写真と相まって和やかな気持ちになれます。
by Enrique (2015-05-24 01:43) 

sig

「ピーター・パン」は大人になる前の通過儀礼として、子供たちにはぜひ読み聞かせたり、このような形で見せておきたいですね。劇団木馬座はその意味でも、とても大きな成果を上げて来たと思います。
アヨアンさんの編曲もとても素直な感じで、いい曲だと思いました。
by sig (2015-05-24 19:29) 

いっぷく

透き通った印象を受ける編曲で
とてもいいと思います。
自分の持っていたビスクドールの髪が無く、頭髪を復元するのに
鳥の羽を使用したことありますが、ボリュームは出ませんでした。
ダチョウの羽を使用したことによって頭髪にボリュームも出て
たしかにフワフワとするのが目に浮かびます。

by いっぷく (2015-05-24 22:08) 

Kanna

木馬座の制作部員さん達、仮面を作られたり髪の毛を工夫されたりで、制作にはとても苦労されたかと思いますが、作品が完成した時、または良いアイディアが形になった時などは、本当に嬉しかったでしょうし、大きな充実感を感じられた事でしょうね!^^
私も人形制作をしたいと常々思ってはいるのですが、髪の毛の素材選びにに頭を抱えてしまい、そこから先に進む事が出来ません^^;
ダチョウの羽を思い付いた制作部員さん、素晴らしいと思います!^^
by Kanna (2015-05-26 11:36) 

samohan

歌い出しの歌詞は「とべよ ピーターパン」でしたよね?

私が幼少のころ、親父(小森安雄)がよく口ずさんでいたのを懐かしく思い出しました。

当時の私は「たべよ ピーターパン」に聞こえて、みんなで楽しく食事する歌かと勝手に解釈していました。

小森昭宏先生は慶応大医学部卒でしたね。
一昨年、バレエダンサーの河内昭和先生のご葬儀で、親父も顔を合わせたそうですが、まだまだお元気な様子だったようです。

実は親父の「小森」は本名ではなく、親父が九段高校演劇部の後輩だった小森昭宏先生の代役で、何かの舞台に出演する際、無理やり名字を合わせて「小森」にしたのがきっかけで、その後もそのまま使っていたというのが真相です。

ですから、小森昭宏先生が元祖ということになりますか…。

先日、親父にアヨアン様が作成されたシンデレラと眠り姫の映像をみせました。

モウロクした親父はあまり覚えていないようでしたが、「ねむりひめ」の文字の演出にいろいろこだわったことは、苦笑いしながら思い出していましたね。

残念ながら昭和5年生まれで認知症予備軍の親父は、アヨアン様がどなただったかどうしても思い出せないようで…。

「O君か、k君か?」とほざいておりましたが、もし差支えない範囲でヒントを頂けましたら幸いです。
by samohan (2015-05-27 23:01) 

アヨアン・イゴカー

samohan様
大変興味深い書き込み有難うございます。小森先生の小森は本名ではなかったのですね。こういう名前を使い続けるところが粋です。
『ねむり姫』の冒頭の演出はとても印象的でした。子供達がブラックライトに照らし出される文字を一つずつ声を上げて読んでくれましたが、「む・ね・ひ・り・め」等ばらばらに登場する文字が最後に ね・む・り・ひ・め の五文字に並んでその仕掛けがわかるのでした。黒い全身レオタードを着た俳優達が一文字書かれたパネルを持って踊っている姿が目に浮かびます。
ピーターパンの歌詞は黒河乙朗(=長嶋武彦)の作詞で下記の通りです。

星が散ってる
またたいている
空のむこうの
夢の島へ
飛べよ ピーターパン
飛べよ ピーターパン
飛べよ ピーターパン
飛べよ ピーターパン

二番以下省略

私の名前のイニシャルはN.H(名前、苗字)で、O君かと言われている方と同期です。入社当時22歳でした。『はくちょうのみずうみ』ではオデット姫の父伯爵の面、乳母の面を作りました。『人魚姫』の再演の際には人魚姫と王子の面、『白雪姫』では、継母の妃の面、宮廷の女官の面、大熊、『ハイジ』ではアルム爺さんの面を、『サルカニ合戦』ではボス猿の仮面を作成しました。再演時の『ピノッキオ』では、動物達のサーカースと言うブラックライトシアター場面用に孔雀を、また火喰い親方の人形芝居の人形の一つ、アルレッキーノ(この人形だけ踊れずに、床を這い回っているだけです)を作りました。
『ピーターパン』は油絵科出身のOさんと私が入社する前の作品です。
小森先生には、衣裳や人形の髪を担当してくれたWさんと一緒に、一度飲み屋に誘っていただいたことがあります。
小森先生に、果たして思い出していただけるでしょうか?
by アヨアン・イゴカー (2015-05-28 23:41) 

アヨアン・イゴカー

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皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2015-05-30 22:59) 

アヨアン・イゴカー

majyo様
退団した頃は随分よく覚えていたのですが、記憶がどんどん遠のいてゆくの悲しく、残念に感じています。これからでも、少しでも覚えていることを書いておこうとは思っています。

Enrique様
実際、舞台やロビーに流されていた編曲とは異なるので、自分としてはかなり物足りなく思っていますが、和やかな気持ちになっていただけたとのこと、嬉しいです。私には、オリジナルどおりそのまま再現する能力には欠けています。

sig様
ピーターパンシンドロームなどという言葉もありますが、私には子供時代本当にピーターパンのように大人には絶対になりたくないと言う気持ちがありました。そういう普遍的な心理や事実を扱うと、創作物は永遠の生命を持つのだろうと思います。

いっぷく様
私たちが制作部に入った時、髪の素材として使用されていたのはボアでした。が、私はそれに相当違和感がありました。そのため、過去に使用していた髪の素材の中で、毛糸を多用するようになりました。麻糸などもあったのですが、細いので、染色され発色の好い毛糸が一番多かった思います。ピノッキオの頭には荒縄を使いましたが、それは先代の物を踏襲したのでした。
ビスクドールは頭が小さいでしょうから、あまり太い素材は適していないかもしれません。麻糸などは太目の頭髪くらいに見えますから、よいかもしれません。

Kanna様
本当に、ピーターパンの仮面を見て、その頭髪がダチョウの羽であることを知った時、素晴らしい発想力だ、すぐれた感性の制作部員だと感心しました。
私は後日人魚姫の仮面を制作しましたが、その時はコバルトグリーンの毛糸を、新宿のオカダヤで買ってきて使用しました。東横ホールで上演された『人魚姫』を見ていた観客のアメリカ人が木馬座の事務所に電話を掛けてきて「あの人魚姫のかっつらは何でできているのか」と質問しました。かっつらのアクセントが変だったので直ぐに分かりませんでしたが、頭髪(=かつらwig)と言っていたことが分かったので「あれは毛糸ですよ。」と答えると喜んでいました。
by アヨアン・イゴカー (2015-05-30 23:19) 

lamer

ブログって凄いですね。
アヨアン・イゴカーさんが木馬座時代に関わりのあった方の息子さんに
出会って木馬座時代の話が出来た記事を読んで感動しました。
by lamer (2015-06-09 16:58) 

アヨアン・イゴカー

lamer様
ブログやfacebookやtwitterは本当に革命的な変化を齎したと思います。こちらにコメントを書いてくださったsamohanさんは、演出/振り付けの小森先生の息子さんと言うことですが、私はお会いしたことはありません。にも拘らず、とても親近感を覚えています。
以前、木馬座の社長のお嬢さんが書き込みをして下さったのですが、それも本当にインターネットがなければ叶わない出来事でした。
他にも、いくつもの出会い(実際に発表会や展覧会へ行って名刺を交換したり)もありました。
これからもこういうネット上の出会いも、大切にしてゆきたいと思っております。
by アヨアン・イゴカー (2015-06-09 23:08) 

samohan

アヨアン様

早々なお返事頂いたにも関わらず、そのままになってしまいすみません…。

実は親父は先月上腕を複雑骨折してしまい、ようやく先日退院した次第で、まだ続きの話ができる状況になく、アヨアン様のヒントはまた改めて訪ねて行った際に聞いてみたいと思っております。

私自身は親父が41の時の子のため、かなり年齢が離れております。
演出家の息子特権で、何度もゲネプロ(舞台稽古)を拝見できたのですが、今思えば大変贅沢な時間でした。

演出家などと気取ってはみても、実際親父自身もそれだけで生活できた時期はほとんどなく、もう一つの職である針灸マッサージ師の仕事で糊口を凌いでいたというのが実情です。

おそらくアヨアン様と一緒に仕事をしていた時も、東京の本郷で鍼灸治療院をやっていた時だろうと思います。本名のUという名前で。

20年ほどまえに横浜に移住し、現在も細々と治療院は続けておりますが、今回の骨折を機にそろそろ引退も視野に入れていることと思います。

アヨアン様が関わっておられた仮面や演目につきましても、私自身思い出すことはたくさんあるのですが、それにつきましてはまたの機会に(私はブログもfacebookもしていないものですみません…)。

親父がアヨアン様を思い出せるかどうかは、もうしばらく宿題にさせていただければ幸いです。

それからlamer様、話題にしていただきましてありがとうございます。自分自身、何かルーツであったような気が今更ながらしております。

かつては木馬座に携わる親父が理解できない時期もありました。

文化座やこまつ座、地人会等の、大人の芝居に携わる親父のほうが上だとみていた時期もありましたが、仕事と家庭で子どもと関わるようになってから、その認識が全く間違いであったことに気付きました。

それではまた改めまして。
by samohan (2015-06-15 23:03) 

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