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北海道の思い出 その10 [北海道の思い出]

 電気が点いた日 一九五〇年八月十一日  

 どのようなことでも、初めてのものには、感動はあるものだ。今までと異なったものを見る驚きはまた一入である。

 一九五〇年には、西伏見の奥に発電所が出来た。村人達も労働力を提供した。電柱は皆で農作業のない冬、凍った地面を掘って立てた。堅い凍土を掘るために、十分に深く掘れず、倒れた電柱もあったようだ。いずれにせよ、電気が通り文明人の生活が始まった。

 電柱が立って、電線も引かれ、電気を使えるようになった。その喜びは農村の青年の言葉に現れている。電気が通った日、隣家からこのK三郎氏が息せき切って走ってきて母に言ったそうである。「おまえんとこも点いたか?おれんとこも点いたぞ!」この台詞は、電燈が初めて点灯する度にthe day when the electricity service started(August 11, 1950).JPG繰り返された感激の言葉であろう。百科事典によれば、一八七九年に、アメリカのエジソンとイギリスのスワンが略同時に真空白熱電球を発明した。我日本では、明治二三年、一八九〇年に東京芝浦電気の前身であるところの東京白熱社が電球の製造を開始した。電球の組み立てと構造という図表を見ると、足管、無空棒、排気管、ハブボタン、シュメット線(導入線)、フィラメント(タングステン)、アンカー(モリブデン線)、口金と記載してある。部品の名前を見ると、如何にも文明の産物である。電燈自体の歴史はもっと前で、一八八二年に二千燭光のアーク燈が初めて銀座で点燈された。当時の「東京銀座通電気燈建設之図」と言う錦絵を見ると、この絵は遠近法で描かれているのだが、ずれた消点のやや左側に立った五メートルほどの高さのアーク燈を明治時代の人々が見上げている。二千燭光と言う明るさはどの位のものであるのだろう。定義を調べてみると、一燭光はハーコート一〇燭ペンタン灯の水平方向の光度の十分の一であるそうだ。これでは、訳が分からなくなってくる。いずれにせよ、蝋燭二千本以上の明るさがあり、眩くばかりで、大変明るかったのである。現代のように照明が過剰である時代の夜とは全く夜そのものが異なっていたことを想像して見なければならない。この明治時代の感動を、六十八年後の昭和二十五年に北海道の開拓者部落では再び体験した訳である。秋には発電所のダムに落ち葉が詰まって、しばしば停電してがっかりさせてくれたそうだ。

 一九五〇年 一月 米三軍首脳、日本の軍事基地強化を声明      五月三〇日 人民決起大会皇居前広場で開催六月 朝鮮動乱始まる八月 警察予備隊令公布十二月 アメリカ非常事態宣言 一九五一年 三月 イラン石油国有化       四月 マッカーサー解任、リッジウェイ中将後任に       九月 対日講和条約に調印(49カ国)。日米安全保障条約調印       十二月 スエズ地帯の反英暴動起こる 一九五二年 四月 破防法反対のゼネスト。全学連スト。日華平和条約。インド、対日終戦宣言。       七月 公安調査庁発足  一九五三年 二月 NHKテレビ放送開始       三月 ソ連スターリン没  一九五一年 次女誕生(朝鮮戦争が始まったので、母が平和を願って命名) 一九五三年 次男誕生(母が白樺派に憧れていたため命名)
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コメント 10

SILENT

電気のついた日
感激でしょうね
発電所からの電気が届かないとつかない電気
ランプの独立性も何か評価したいのですが
by SILENT (2012-03-19 09:58) 

Enrique

明治時代の感動が昭和の北海道にあったのですね。
電力の使用比率として少ないにも拘らず,現在でも「照明」のことを「電気」と言います。そのくらい照明が電力でもたらされたのはインパクトがあったのですね。水の落差が電気になって各戸の光に変換される。文明のロマンだったわけですね。
明るさの単位は,長さや重さと違ってなかなか難しかったようで,身近なものでありながら今でも分かりにくいものの一つです(光源の光度はやはり燭からスタートしたカンデラが基本単位として用いられています)。
by Enrique (2012-03-19 10:50) 

sig

こんにちは。
停電を体験している世代としては、初めて電灯がともった喜びの一端は理解できます。それが日本を敗戦に導いた原子力に頼ることになるとは、ある意味で皮肉なものですね。
by sig (2012-03-19 16:41) 

Kanna

なんだか「北の国から」のドラマを思い出しました。
やはり初めて電気が通った時の感動はそれはもうひとしおだったのでしょうね。
計画節電が実行されるだけでも大騒ぎの今の日本では、電気のない生活なんて考えられないでしょうね。
もちろん私もその1人ではあるのですが。。
電気に頼る事のない生活にも憧れたりもしますが、なかなか難しいのでしょうね…^^;

by Kanna (2012-03-20 23:15) 

yuyaさん

電気はありがたいです。
学生の頃、ありとあらゆる電化製品がストップしてしまう不測の事態が起こり、一晩を電気無しで生活したのですが、ローソクの弱い火に慣れず、まるで身動きがとれませんでした。
たった一晩と言うものの、次の日に電気が復帰したときは感動的でした。

by yuyaさん (2012-03-21 09:44) 

アヨアン・イゴカー

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皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2012-03-24 22:50) 

アヨアン・イゴカー

SILENT様
本当に電気が付いた時には感動したようです。両親は東京から行っていますから当たり前のことなのですが、元々現地にいた人は、電気のない生活をしていたわけでしょうから、恐らくその感動は明治時代に近かったのではないかと思います。(勿論、芽室や帯広に行けば電灯はついている訳ですが。)

Enrique様
光度と言うのは、どうもぴんときません。太陽の光線は何燭光なのか、考えただけで気が遠くなるような数でしょうが、感覚的にしっくりきません。専門に光度を扱っている方ならが、すぐに分かるのでしょうね。

sig様
原子力エネルギーの開発には、相当政治的・経済的な思惑が背景にあると感じています。贖罪的な意味、あるいは正当性を持たせるためのような。
停電すると電気の有り難味が嫌と言うほどに分かります。それなしで、過ごせるくらい逞しくなりたいとも思います。

Kanna様
我が家では電気冷蔵庫が壊れた時、半年間なしで過ごしました。実は、殆ど何の不便も支障もありませんでした。頼っているとないことが不便になるのですが、頼らなければ不便はなくなるのかもしれません。程度によるのかもしれませんが。

yuya様
私はPCの調子が悪くなって、音楽ソフトが使えなくなった時、これは暗示かもしれない、アナログに回帰せよという暗示かもしれないと感じました。
そして、最近は真面目にピアノを弾いたり、バイオリンを練習したりしていますが、機械に頼らないでいられるということ(=機械から独立すること)は大切ですね。
by アヨアン・イゴカー (2012-03-24 23:05) 

mimimomo

こんばんは^^
初めて電灯が灯ったときは感動でしょうね。 戦後はしばしば
停電がありました。 今回ネパールを旅して、同じことが何度も^^
懐中電灯が手放せませんでした。
by mimimomo (2012-03-27 18:06) 

アヨアン・イゴカー

海を渡る様、Mineosaurus様、お水番様、e-g-g様、mimimomo様、さとふみ様 nice有難うございます。

mimimomo様
ネパールへ行かれたのですか。停電があると、がっかりしますが、逆に強制的に余計な情報のない時間を送ることができることが楽しくなることもあります。尤も、頻繁だったり、長かったりするとそんな悠長なことは言っておられませんが。
by アヨアン・イゴカー (2012-03-27 23:50) 

yakko

お早うございます。
電灯の明るさは感動ですね〜(^ニ^)
by yakko (2012-04-01 08:21) 

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