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北海道の思い出 その8-2 [北海道の思い出]

翌、一九四八年四月初旬のことである。雪解けは終わっているが、大地は沢山の水分を含んでいた。父と母はA井家の人々と開墾作業に勤しんでいた。仕事の手を休めて、ふと馬を繋いでおいた木を見ると、進纓号も当年子も、A井家の馬も姿が消えていた。父の心境は、イタリア映画『自転車泥棒』の主人公が、大事な交通手段の自転車を盗まれた時のあの心境ではなかっただろうか。

すぐに二人は馬を探しに出掛けた。柔らかい地面の上に残った蹄の跡を辿って行けばよかった。しかし、ある地点まで来ると、蹄の跡では識別できなくなってしまった。

あくる日も、その次の日も、夫婦は馬を探した。近所の人々も困った時はお互いさまで、捜索を手伝ってくれるのだが、それでも見つけることが出来ない。途方にくれた若夫婦は、伯楽のところへ、兎馬の前歴を尋ねに出掛けた。そして、この兎馬が士幌(しほろ)からやってきたことが分かった。また、尻に井の字の焼印があったことから、大津牧場で育ったことも判明した。しかし、生まれ故郷に帰るには、雪解け水で増水した札内川(さつないがわ)を泳ぎ渡らねばならない。進纓号は仔馬を連れていたので、この川を渡れる筈がないと、皆が言った。

八方手を尽くしたが埒が明かないので、父が捜索を単独で続行し、母は幼い娘Mと家に残ることになった。父はあちこち探しながら、帯広にやってきた。一晩の宿泊を頼み込んでも、着替えも十分にないために、薄汚れた柔道着を着た鬚面の男を泊めてくれる家はなかった。困り果てて、教会に行き、そこで泊めてもらうことになった。Search in the east area.JPG

時間はどんどん過ぎてゆくばかりだった。占いを信じない二人だったが、易者に占ってもらうことにした。苦しい時は、突破口を求めて何か精神的な支えが欲しくなるものである。父は帯広で、母は上美生で易者を訪れた。易者達は別々の場所で、同じ解答を出した。「東の方角を探せ。」

そこで、父は東の方角で捜索を続行することにした。父は札内川を渡った。そして、ついに兎馬を見つけたのである。親子そろって、大津牧場に帰っていたのであった。皆が渡る筈がない、渡れる筈がないと言っていた札内川を親子で渡り切っていたのである。馬は社交的な(gregarious)動物であり、故郷を良く覚えていると言うが、兎馬親子はこれを証明して見せたのである。シャーロック・ホームズの冒険の一編『白銀号』に於いて、ホームズが馬の性質を説明する部分があるが、その分析通りだった。故郷の仲間の所へ帰っただけなのである。川を渡った後に、投げ縄の名手によって捕獲されたのだった。二人の易者の言葉通り、東の方角に兎馬はいた。こうして、逃亡を始めてから二週間後に、長い馬探しはやっと終わったのだった。

馬が見つかったと言う吉報は、珍しい人が母の所へ齎した。

()その人は、両親同様に世田谷区から疎開してきた、木彫彫刻家であった。「馬、見つかったらしいよ。」と偶然来訪した際に教えてくれたそうだ。そして、その日兎馬に跨った父が凱旋将軍よろしく帰宅した。捜索に出掛けた際のみすぼらしさとは打って変わって、髪も整え、髯も剃り、洋服も着替えきれいになって帰ってきた。帯広の寺岡さんと言う方のところで、汚れたものを全て着替えてきたのであった。

この兎馬進纓号については、こんな話もある。厩舎には馬栓棒(ませんぼう)と言う横棒が置いてある。これは馬の寝床とでも呼ぶべき空間と厩の廊下との間の仕切り棒である。通常はこの馬栓棒は二、三本で十分なのである。こんな横棒が渡してあるだけで、馬にとっては十分な障害になって、とてもこの棒をどけて廊下に出ようなどとは思いつきもしないのである。ところが、ある朝、厩番が厩舎に入ってゆくと、脱走名人兎馬は、五本も渡してあった馬栓棒を易々と銜(くわ)えて外し、廊下をうろついていたと言うから驚きである。脱獄名人白鳥の脱獄場面を彷彿とさせる。名うての厩破りだったのである。さすがは名伯楽、度量が大きく過ぎ去った過去の罪は水に流し、前科については一言も言及しなかったようである。

一九四八一月 財閥支配力排除法公布    十月 極東国際軍事裁判最終判決一九四九三月 ドッジライン(日本経済安定策)発表    四月 一ドル三六〇円の単一為替レート設定    七月、八月 下山事件、三鷹事件、松川事件    九月 シャウプ税制勧告文発表    十一月 湯川秀樹博士ノーベル物理学賞受賞 一九四九年六月六日 長男誕生(祖父一郎が尊敬していた東北大学の八木秀次博士の子息の名前より)

 


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kakasisannpo

兎馬が大きな川をどうやって、親子で渡ったのでしょうね
余程故郷が恋しかったのでしょうね
by kakasisannpo (2012-03-04 16:27) 

mimimomo

こんにちは^^
犬が相当遠くでも故郷(?)に帰る話は聞いたことがありますが、馬もそうなんですね。
ご両親が必死で探された様子がよく分かります。
6月6日生まれ・・・わたくしと一緒^^ 年は違いますが。
by mimimomo (2012-03-04 17:38) 

glennmie

とてもすごいお話ですね。
占い師さんもすごいし、賢い馬にも驚きます。
方向音痴な私は、とにかくすごいお話です。
by glennmie (2012-03-04 19:45) 

海を渡る

こんばんは。
動物の本能は素晴しいですね^^。
by 海を渡る (2012-03-04 19:52) 

yakko

こんばんは。
スゴいお話ですね〜(@_@;) ご両親のご苦労が実って 兎馬進纓号
親子が見つかって良かったですね〜 !

by yakko (2012-03-04 19:55) 

Halumi

はらはらドキドキしながら拝読しました!
by Halumi (2012-03-05 13:11) 

Enrique

人間困った時は,理屈ではなくなるものなのですね。
しかし,闇雲に一人の易者に頼るのでなく,独立に二人の易者の意見の一致をみると言うのは中々冷静です。易者たちがあてずっぽう言ったとして,方角なら各1/4づつですから,両者が一致するのは1/16の確度。その方角探す根拠にはなりますね。しかも結果良ければすべて良しでした!
by Enrique (2012-03-05 14:55) 

yuyaさん

動物の力は時に想像を超えるものですね。びっくりしました。
占いのお話も不思議でした。
僕も占いはあまり信じない方なのですが、それでも目に見えない世界からのメッセージというものはきっとあるように思います。
by yuyaさん (2012-03-05 23:07) 

sig

こんばんは。
子供を連れて故郷に帰った馬のお話、感動しました。
馬は通常はつながずに、横木に手綱を1回回しておくだけで逃げないといいますね。西部劇ではそうですね。
by sig (2012-03-08 17:52) 

アヨアン・イゴカー

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by アヨアン・イゴカー (2012-03-11 17:05) 

アヨアン・イゴカー

kakasisannpo様
そうですね。村の人々が渡ることはないだろうと言っていた川ですから、不思議ですね。少しは浅いところを探したのが、水かさの増している川を必死に泳ぎきったのか。

mimimomo様
財産でもあり労働力でもあるトラクターがなくなったようなものですから、逃亡を知った両親の絶望感は大きかったと思います。
それにしても、私も含め、動物は生まれ故郷が忘れられないようですね。

glennmie様
方向音痴なのですね。私も、相当に酷い方向音痴です。それ故に、目印を覚えるようにしています。180度回転しただけで、別世界が出現してしまうような人間です。

海を渡る様
本当に、生まれ故郷に帰って行ってくれてよかったと思います。これで熊にでも襲われていたりしたら、両親の人生はもっと大変になっていたと思います。

yakko様
私は、母が父親が馬に跨って誇らかに帰ってきた時の情景を話してくれた時、何だか映画の1場面をみているような気分になりました。

Halumi様
事実は小説よりも奇なり、と言う表現がありますが、事実はいつも小説のネタを提供してくれます。

Enrique様
結局、人間も何かやり遂げる時は直感・直観に頼るようですね。理系の兄が言っていますが、科学者も何か偉大な発見をするときは、理屈ではなくて直観のようだ、と。

yuya様
占い師が当たるのだったら、面白いでしょうね。でも、何しろ「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言うくらい無責任ですからね。当たることもあるし、当たらないこともある、そりゃそうでしょう!
ちなみに、私の義兄が子供の頃北海道で親孝行のためにある年の凶作・豊作を占ってもらう為に小遣いを使ったそうです。おみくじのようなものを呉れたので、楽しみにして家で開けてみたら「わがらね。」(わからない)と書いてあったそうです。

sig様
確かに西部劇の馬は、横木に軽く掛けているだけですね。私はあの場面、あれで馬が逃げてしまわないのかと思っていました。
しっかりと訓練されているからなのでしょうか、不思議です。

by アヨアン・イゴカー (2012-03-11 17:29) 

青い鳥

馬は非常に賢い動物と聞いてはいましたが、こんなにも賢いのですね!
進纓号のお話、ハラハラ ドキドキしながら読ませて頂きました。
占い師さんの能力も素晴らしいですね。
by 青い鳥 (2012-04-15 17:48) 

アヨアン・イゴカー

青い鳥様
遡って読んでいただき有難うございます。
この兎馬の逃亡の話は、両親の青春時代の思い出ですが、この馬の話をすると母はいつもとても嬉しそうに話してくれます。私は馬が大好きです。競馬馬ではなく、農耕馬や野生の馬が。
by アヨアン・イゴカー (2012-04-15 21:02) 

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