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北海道の思い出 その8-1 [北海道の思い出]

 兎馬の逃亡   一九四八年 

終戦後間もない頃、北海道の農家ではまだ機械化が行われていなかった。勿論内地もそうである。北海道では、トラクターが導入される前には、馬を耕作に使った。だから、これから開墾をしなければならない夫婦にとっては馬が不可欠であった。一九四六年四月初旬、耳寄りな情報を入手した。軍馬の払い下げの記事を新聞の片隅に発見したのである。その公告では、(せん)美里(びり)にいる軍馬を一般人に先着順で安く払い下げるという。この仙美里は戦時中には軍馬の補給基地だった。そのために、近くを爆撃されたこともあった。

父は新聞記事を読んだ翌日四時に起床して、芽室の町役場まで歩いて行った。一番乗りである。そして望み通りその軍馬を手にいれることが出来た。父の情熱が好印象を与えたとは思うが、それ以上に、まだ二十一歳と若かった父が、大量の牧草(ティモシーやアルファルファ)の種を購入しており、種を蒔いて馬の飼料として準備をしようとしていた計画性などが考慮されたようである。父は持参した資金で牧草の種を早期に購入しておいたが、その後インフレになり貨幣価値が下がった。そのため金で持っているよりも物で持っている父は断然有利になった。第一次世界大戦後のドイツのインフレを思い出す。父が言う諺にこういうものがある。上農は雑草を見る前に除く、中農は雑草を見てから取り除く、下農は雑草を見ても何もしない。父は計画性と先見性があると思う。

 *敗戦直後のインフレーションは大変なものだった。橋本寿朗著『戦後の日本経済』(岩波新書)八十五頁によると、卸売物価指数は一九四五年を百とすると、四六年四百六十四、四七年千三百七十五、四八年三千六百五十一、四九年五千九百五十一、五〇年には七千四十五となった。 

この戦利品であるところの軍馬は、軍隊の牧場で兵糧攻めにあったと見えて、帰り道途中で路傍の腐れかかった藁縄をたべる始末だった。父の話では、この馬は軍馬になるまえの状態で、牧場に放し飼いにされており、どちらかと言えば野生化していたらしい。

さて、この馬はアングロ・ノルマン種で、名前を玉野と号した。馬齢三歳。余談ながら、馬齢は馬の歯を見ることによって知ることができる、と専門書には書いてある。もっとも予測できるのは八歳までで、それより年をとるとよく分からない。永久歯が生えてくることによって、また歯の形が年と共に少しずつ変形してくることによって判別するのだ。「歯を極簡単に調べようと思ったら、一方の手で上顎をもう一方の手で下顎を掴み、親指を前歯の後ろに差し込む。下の方の手で押し上げると、馬は下顎を下げるので、簡単に調べることができるのである。年齢を知ることが出来るようになるためには幾分経験を要求される。八歳までなら、合理的な正確さでもって決定できる。云々。」(本は表紙が欠落しているので題名が分からないが、多分アメリカで出版された本だろうと思う。第四章の小見出しはJudging Farm Animals/The Anatomy of the Horseとなっている)

JUDGING FARMA ANIMALS.JPG玉野号は、素性は立派なアングロ・ノルマン種とわかっていながら、軍馬は軍馬であった。農耕馬ではなく、開墾や耕耘ができなかった。即戦力にならない。この玉野号の調教をすることになったのが、町会議員S松氏だった。町会議員にとっても、この馬の調教は大変だった。馬の躾は馬に任せると言う方法があり、トロイカのように三頭立てにし、新米を先輩二頭の間に挟みこみ、否応なく命令を覚えさせた。母によると、玉野号は調教が終わった後でも、母が胴引き(馬具の一つで、馬の胴体と馬車などを繋ぐ道具である)を付けに近づくと、蹴り上げる振りをしたそうだ。動物の直感で、自分のことを恐れている相手のことは分かるようで、びくびく逃げ腰の母を脅かしたのである。馬はある程度の記憶力も判断力もあり、愛情をもって育てれば、人の言葉や態度を理解するようになるそうだ。飼いならす場合にも、決して虐待は禁物で、綱などで尻を叩いたりすると、蹴り癖、噛み癖、後退きなど悪癖をつくる原因になってしまうそうだ。玉野は調教が上手くいっていなかったのかもしれない。

翌年、一九四七年八月下旬に、当年子(とねっこ)(その年に生まれた仔馬)を連れた母馬に乗った救い手が現れた。田氏である。彼は上美生にあった田商店の主人の弟で、伯楽(ばくろう)をしていた。持ちかけられた話は、玉野号と母子の馬とを「ばくろう」(北海道弁で交換しよう」の意)と言うものであった。但し、単純な交換ではない。玉野号は三万円だが、母仔馬は四万円相当である。だから差額の一万円を現金で払って欲しい。

この取引はかなり危険を孕んでいたが、若夫婦に期待も持たせてくれたようである。その期待のほどは、母が世田谷の祖父と祖母に宛てて送った馬の系譜付き書簡から窺える。仔馬は翌年売れば一万円、二年後だったら二万円になるだろうから、先が楽しみである、等々。散々梃子摺らされた玉野の後だったので、夢もみたくなるのが道理である。商談は即成立。八月二十八日のことである。

この馬の名は進纓号(しんえいごう)、八歳、栗毛のハックニー種。より正確に言うと、四分の一ハックニーの血が混じっていた。系図には父母と、もう一世代前まで記載されていた。中半血内国産洋種、雌、特徴流星珠目正下。どのような名馬だったのか、親の顔が見たいところであるが、進号の写真すらない。顔立ちは宛ら杵のようで、兎に似ていた。そこで、兎馬と言う渾名を頂戴することになった。

ところで馬の種類は、先に馬齢について一部分を引用した、父が学校の図書館から拝借したままの本(Judging Farm Anilals)の分類によると、四種類ある。第一種は(ばん)()或いは農耕馬、第二種は軽い馬車を引く馬、第三種は重い馬車を引く馬、第四種が乗馬用の馬である。小学館百科事典によれば、日本では三種類に分けるのが一般的であるようだ。軽種のアラブ種、サラブレッド種、アングロアラブ種であり、競走馬、乗用馬である。次の種類は重種で、シャイヤー種、ペルシュロン種、クライズデール種、蒙古馬等であり、輓馬や農耕馬である。シャイアー種やペルシュロン種は、私が中学二年生の一学期に東京の(きぬた)図書館で家畜の図鑑を見ていて、その隆々たる筋肉をもつ馬を飼いたいというに強い願望を抱かしめた。第三種は中間種であり、アングロノルマン種、アメリカントロッター種、ハックニー種である。アングロノルマン種には更に輓馬型と速歩型の二種類ある。ハックニー種は軽馬車用、乗馬用。玉野号はアングロノルマン種であるから農耕に適していたと考えられる。一方進号の方はハックニー種の血を引く雑種で、八歳だったので、この買い物は果たして得だったのかどうかは分からない。八歳を超えると歯をみても馬齢は分からないと言うことになっているので、私は伯楽が八歳と言ったところが気になる。寿命が五十歳位であることを考えてみれば、大問題ではないのかもしれないが
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Enrique

まるで「人間万事塞翁が馬」の一場面のよう(戦争は終わっていますがその関連)ですが,続編が待たれます。
馬にはつやつやとした筋肉やその姿,美意識にも訴えるものがありますね。
by Enrique (2012-02-27 08:06) 

SILENT

かって馬は立派な乗用車であり、トラクターであり、人間の友だったのでしょうね。「逝きし世の面影」という本で馬を家族の中で一番大切なものとして書かれた事を思いだしました。馬頭観音の石仏はよく見かけますが牛はあまり祀られている姿見ないのが不思議です。
by SILENT (2012-02-28 10:09) 

mimimomo

こんにちは^^
馬のお値段、当時の貨幣価値からするとかなりお高いですよね~
馬の年齢や寿命の事も初めて聞くことばかり^^
by mimimomo (2012-02-28 11:00) 

yuyaさん

馬の歯で馬齢が知れるのは驚きました。
馬というと、勇ましさを感じます。昔から人との関わりを持ち、人々にとって必要であり、身近である動物だと思うのですが、調教、躾はやはり相当な大変さなのでしょうね。
育てた馬の裏側には、大変な苦労と大きな愛があるのですね。
by yuyaさん (2012-02-28 23:33) 

kakasisannpo

象も奥歯で年齢が分かるのでしたよね
ナウマンゾウとか
by kakasisannpo (2012-02-29 10:46) 

Kanna

お話が動物の話題になったのでちょっと興味を持ちました^^
どんな動物でも躾をきちんとしないと後々大変なのですね。
馬の躾のお話を読んでいてふと思ったのですが、よく競争馬が走りながらお尻を鞭で叩かれていますけれど、そういうのは大丈夫なのかな?と疑問に思いました。
躾とは違うのでそういうのは良いのかしら?
by Kanna (2012-02-29 19:24) 

アヨアン・イゴカー

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by アヨアン・イゴカー (2012-03-05 00:02) 

アヨアン・イゴカー

Enrique様
馬の形はとても美しいと思います。私は特に挽馬が力強くて好きです。とても惹かれます。

SILENT様
そうですね。我が家の近くにも石の柱の馬頭観世音がありました。確かに、牛のものは聞いたことがありませんね。牛頭馬頭はあるのに。

mimimomo様
馬は当時、自動車やトラクターなどと同じ意味をもっていますから、高価だったのでしょうね。

yuya様
馬の調教は大変だったようです。
しかし、考えてみれば馬の力を借りている訳ですから、当たり前のことですね。馬は使われるために生まれてきているわけではありませんから。

kakasisannpo様
そうなのですか。知りませんでした。

kannna様
この躾はあくまでも人間にとって都合の好い躾にすぎませんが。
by アヨアン・イゴカー (2012-03-05 00:14) 

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