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貧爾手帳 - その5 [詩・散文詩]

hinji1.JPG二〇〇二年八月十三日 火曜日 十時五十分

 

たった今、貧爾は動物病院へ連れて行かれた。

 

昨晩は、結局のところ、起き上がれないので、貧爾は合計三回尿をもらした。妻も私も、添い寝していても、時々苦しそうに詰まった鼻と口から音を立てるので、その度に急いで起きて、紙で拭き取る。心拍数は百三十以上ではないかと思う。寅次郎の脇に指を入れて、猫の脈拍はどの程度のものなのかを調べようとするが、そもそも猫の鼓動はそれほど大きくないので、全く分からない。

この暑い日に、と言っても気温は三十度だが、寅次郎は日向ぼっこをしに、ガラス戸とカーテンの間に入り込んで行く。

昨日、私は貧爾は一日しか持たないだろうと信じた。それほど衰弱して見えたのだった。しかし、不死身、不死鳥の貧爾君は、苦しみながらも呼吸をして、心臓は破れんばかりに動いて血液を循環させている。いよいよ体重は減り、骨が目立つ。今は写生ではなく思い出しながら描いている。寝相を変える時が辛そうだ。

私の体には貧爾の醸し出すもろもろの臭いが染み付いている。鼻にも臭いの記憶が残っている位だ。

*    *    *    *    *    *

住民票コード通知票が届いた。新聞を賑わせている住民基本台帳だ。導入を見合わせる自治体もあるのに、川崎市では諾々として国の決定に従うのだ。

*    *    *    *    *    *

十二時五十七分

 

(多分一時間ほど前に、貧爾は病院から帰ってきていた。病院に貧爾を連れていった後、妻は舞踏発表の本番に備えて稽古場に出掛けて行った。)

貧爾の呼吸が小刻みで、荒々しくなっている。時々長距離を走る時に、一定のリズムが出来た後にやるように深呼吸をする。

 

十三時三十五分

 

貧爾は更に大きな吐息を時々つくようになった。呼吸が苦しいのか、何度か寝返りを打つ。息は荒い。足が痙攣するように動く。あれだけ律動的に動いていた尻尾も動かなくなってしまった。

 

十三時三十八分

 

呼吸が激しくなっている。昨夕と比べると、五倍位の速さで、マラソンでもしているかのようだ。彼は、今、生きるためにやれるだけの努力をしているのだ。

 

八月十三日 火曜日 十四時十五分

 

呼吸停止。

 

十四時二十五分

 

心臓停止。永眠。

 

十四時三十三分

 

肩や頬、耳などが小刻みに動く。蘇生したのかと喜ぶ。

が、もう鼓動は指に伝わってこない。

 

P1010003.JPG十四時四十五分 貧爾君と私

今、私の隣にa lion rampantのような格好をして横たわっているのは、私の大好きな貧爾君です。私は彼が私のいないところや知らないところでこっそりと死んでしまうのが耐えられなかったので、今仕合せです。なにしろ、貧爾君が喉を詰まらせて苦しみにもがいていた時、私はその様子を見ていて、すぐに涎を拭いたり、口の中に空気を吹き込んだり、心臓の辺りを手で圧したりすることが出来ました。私が手でぐいぐいと何度も圧すと、貧爾君は三回位大きな息をつきました。でも、詰まった痰を切ることは出来ませんでした。結局は窒息死なのでしょう。でも、私は貧爾君が最後の最後まで必死に生きようとする姿を見て、私もきっとそうしなければならない、そうしようと思いました。

貧爾君は私に『永訣の朝』の読み方を教えてくれました。大切なもの、大事すぎるものが、自分とは別の世界へ、後で再会するのは分かっているのですが、行ってしまう辛さ苦しさ悲しみを、この小さな体で教えてくれたのです。

このところ詩は書かずにいたのですが、貧爾君の死を目の当たりにすることによって、この手帳の後半全部を貧爾君に捧げる詩を書こうと思いつきました。実は昨晩から徐々に書かねばならないと感じ始めてはいたことなのですが、やはり永眠してしまうと、感じではなく、現実の仕事として捉えられることになります。

構成はどうしようか、などと当然ながら考えます。まずは、心に浮かぶ思い出の全てを出来るだけ細かく記しておくことです。そうすれば、後でいくらでも推敲できますからね。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 昨日、私は貧爾に付き添っていることに決めてから、妻が帰ってくるまで五時間半以上貧爾と一緒にいた。

私には、先週入院する直前、私の肩に乗って、辛そうではありながら、頭を撫でると喉をならしていたその姿が忘れられない。私は、決して貧爾を私のいない、あるいは家の中以外では死なせたくなかった。死がもっと早く訪れてしまっていたかもしれないと何度も思った。だから、妻が夜十時過ぎに戻ってくるまで、命がもつかどうか心配で、また、私だけに見取られて死んでしまうのでは可哀相だと思うと、何度も涙が出てきた。しかし、幸い、「地獄を三度見た猫(おにぎり)」の息子(柄が似ているので多分そうだと思い込んでいるのだが)だけあって、しっかりと呼吸を続けていてくれた。

 私は妻から電話が掛かってくると、大変な焦燥感に駆られた。妻も「信号のところまで行くから、出来るだけ貧爾の所に居てあげて!」と言う。しかし、私は一刻も早く妻を連れ戻したいので焦る。十時四十五分新百合ヶ丘発に乗ると言うことなので、十時四十四分に自転車に乗って駅へ向かった。私の気持ちが焦っているからだろうか、電車の到着よりも早く駅に着いてしまった。

 買い物袋二つを、妻から奪うように取ると、私は彼女に自転車の鍵を渡して、早足で家へ向かう。最後の五十メートルは小走りになった。もしかして、たった十五分間の間に異常が起きたらと思ったのだ。家の鍵を妻に渡し、私は自転車を片付けた。早く妻を貧爾に会わせたかったからだ、一刻でも。貧爾は私たちの子供のようなものなので、両親が揃っていれば勇気百倍、元気が出るに決まっていると踏んでいたのだ。

 効果はさほどではなかったが、なによりも瀕死の貧爾に妻がまた会えたことが私には何よりも嬉しかった。もう歩く力も残っていない貧爾に。妻は鮪の刺身を買ってきて食べさせようとした。しかし、もう貧爾の体は固形物を受け付けないようだった。

 刺身と言うと、私が後悔していることがある。先週、貧爾がもっとずっと元気だった時、貧爾は鰤か何か脂っぽい焼き魚を欲しがった。しかし、獣医からは腎臓の負担になるので、乾燥餌以外には食べさせないように注意されていた。貧爾はまずい乾燥餌や栄養剤しか与えられていなかったので、珍しく空中に鼻先を突き出し、その焼き魚を欲しがったのだった。私は、やりたいと思い妻に二度ほど相談したが、医者から忠告されているので、止めめましょうと言うことになった。あぁ、しかし、一度、最後に一度、好きなもの、美味しいものを少しでも食べさせてやりたかった、と後悔しているのである。この決断は、命を少しでも延ばす方を選択した結果でやむをえなかったのではあるが、それでも好きなものを食べる姿を残像にしておきたかった。 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 今年の夏休みの計画はいろいろあるが、その一つがデジタルカメラを買い、可愛い貧爾の写真を撮り、それを職場で使っているパソコンのメニュー画面の背景にしようと言うものがあった。これは、以前に描いたスケッチをそのまま画像に取り込んでもよいし、今後新たに撮るのもいいが、と思っていた。

 計画はどんどん実行に移して行かないと、やらなかったことの後悔の方が多く残るのかもしれない、大切な思い出よりも。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 私は貧爾に救われた。妻に不実だった私は、一時妻から遠ざかろうとした。そして、一旦作られた溝はなかなか埋まることはなかった。妻と私は共通の話題を、昔のように話すことがなくなっていた。

 あぁ、そこへ、死にそうな叫び声で現れたのが貧爾だった。妻は写真の腕に磨きを掛け、美しい可愛い写真を何枚も撮った。その写真集はまるで我が家の部屋が別荘の一室であるかのように写っているのだ。私は妻には写真の才能があると思う。

 
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コメント 12

penny

何とも切なくなりました
by penny (2009-09-24 15:58) 

sak

命が尽きるとき
愛していればいるほど辛いですね。
by sak (2009-09-24 16:54) 

青い鳥

心を尽くした看病を受け、精一杯生き抜いた貧爾君は
幸せな気持ちで旅立った事と思います。
今も天国でアヨアン・イゴカー様のブログを読んでいる事と思います。
by 青い鳥 (2009-09-24 18:43) 

orange-beco

貧爾君はこの世のものでなくなっても、アヨアン・イゴカー様の心のなかで生き続けているように感じました。
by orange-beco (2009-09-25 00:14) 

旅爺さん

貧爾君は安らかに逝ったようですね。
アヨアンさんの心の中では生き続けてくれる事でしょう。
by 旅爺さん (2009-09-25 09:27) 

yakko

お早うございます。
この世に貧爾君くらい幸せな猫さんは居なかったと思います。
大好きなお父さん・お母さん(アヨアン・イゴカーさんと奥様)に
看取られて安らかな最後でしたね・・・
by yakko (2009-09-26 09:33) 

リュカ

昨日の夜、泣きながら読みました。
コメントを書こうとしたら、ネットにつながらなくなって書けませんでした(TT)
貧爾君のオハナシ本当にありがとうございました。
看取ることができて仕合わせっていうの、すごくすごくわかります。

私も絶対に今一緒に暮らしている猫の最期は看取りたいです。
居ない間に逝ってしまうのだけは嫌だって思ってます。
今は医者に止められていても、ある程度したら
美味しいもの食べさせてあげようって、ダンナと話してます。
カニでもマグロでもホタテでも。
目をうるうるさせて美味しそうに食べてくれるうちに(TT)
by リュカ (2009-09-26 10:10) 

lamer

貧爾君残念。
奥様が撮った写真集があってよかったですね。

by lamer (2009-09-26 15:27) 

sig

凄絶な最後。それは本当に尊いものだと思います。
ペットはどんなことがあっても自死を考えることが無い。
それだけでも人間としては教えられます。
ペットといっしょなら避けられないケースですが、お二人にこれほどの思いで愛されたヒンジ君は本当に幸せでしたね。
by sig (2009-09-27 10:13) 

ulyssenardin36000

う~~~ん、書けない>_<

by ulyssenardin36000 (2009-09-27 19:28) 

アヨアン・イゴカー

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by アヨアン・イゴカー (2009-09-27 23:47) 

アヨアン・イゴカー

penny様
思い出すたびに切なくなります。

sak様
愛する者の死には出来る限り直面しなければならない、と感じています。

青い鳥様
私は思うのですが、自分が生きている限り、時々思い出すこと、それが大切なのだ、と。

orange-beco様
貧爾の場合、丸太の陰に隠れて死にそうになっていたのを、私が両手に包み込んで家に連れてきたものですから、可愛くって仕方がなかったのです。

旅爺さん様
貧爾に限らず、我が家で飼っていた猫達のことは、忘れることがないと思います。

yakko様
貧爾は、妻の不在中に私だけが看取ることになりました。そして、最後窒息死する時は、大変な形相になりました。でも、その後、私が押して空気を送り込もうとしているうちに、大きく息を吐いて、本当に安らかな顔になりました。

リュカ様
本当に、そうですね。最後には好きなものを食べてもらいたいです。
鰻の蒲焼を貧爾君に失敬された時は、怒りよりも自分達の無防備さに呆れて笑った思い出もあります。

lamer様
あの写真は、宝物です。猫や犬や兎や豚や小鳥やらを飼っている皆さんとと同じで、(皆さん自分の家のペットが一番可愛いと思っていらっしゃるでしょう)家の子達はとっても可愛いのです。

sig様
生きていると言うことは、死なないように戦い続けている姿でもあると思いました。本当に、あの夏はいろいろなことを考えさせられた夏でした。

ulyssenardin36000様
語らない方が多くを語る場合がしばしばあります。
私の場合、記録を取っておくのが好きなので、つい思いついたことを手帳に書きとめる習慣があります。
by アヨアン・イゴカー (2009-09-28 00:13) 

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