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劇団木馬座の思い出 その1 [劇団木馬座の思い出]

 このブログの劇団木馬座に関する記事を、元劇団木馬座にいた人々が読んでいるらしいという噂を知ったのは昨日のことだった。既に私は14年前に、一度木馬座の思い出を自分なりに、自分の知っている部分だけを『若い芸術家達の思い出』と言う題名でまとめていた。この私の青春時代は、両親が体験した北海道での十六年が両親に与えた影響に劣らず、私と言う人間の骨格の一部を作ったと思う。その思い出を、共有してくれる人々がいる、読んでくれる人がいる、と言う事実は私に大きな勇気を与えてくれた。
 早速、今日から劇団木馬座の思い出をこのブログに公開してゆきたいと思う。原文では実名が書いてあるが、全てイニシャルにし、出来れば、追々挿絵なども掲載してゆきたい。

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出だしは、はじめに、から始まる。思いつくままに書いたために、構成としては多少まとまりが欠けるかもしれないが、回想、思い出とはそういう性質のものなのだろうとも思う。

はじめに

 私がN.M.と言う詩人に出会ったのは、まだ二十代の前半の一九七七年のことだった。子供達のための芝居を上演する劇団木馬座に入社して、一年になったばかりの夏だった。
 
 その劇団を、私は子供の頃から憧れていた。テレビでその芝居を見たこともあった。舞台公演を初めて見たのは、まだ小学校二年生の時である。母親が兄と次姉と弟と私の四人の子供を連れて、日本橋の三越劇場へ連れて行ってくれた。作品は藤城清治の影絵による『みにくいアヒルの子』だった。当時は舞台で影絵を操作するのに合わせて、声優が音響室から台詞を読んでいた。みにくいアヒルの子の声は、宮城まり子だった。あの掠れた声を今でも思い出す。藤城清治の描く影絵は、暮らしの手帳に毎月載っていて、独特の世界が大好きだった。その影絵が、声に合わせてスクリーンの後ろで動き回るのだから、もう面白くてたまらない。照明の色彩も美しく、私はすっかり魅了され、圧倒されてしまった。
 帰る時だったのだろうが、赤い色をした階段に、操作棒のついた黒い影絵のアヒルが立掛けてあった。舞台人としては、あのような不注意するようでは失格であるが、子供心にあのように作られているのかと、漠然と理解した。
 その頃、明正小学校の同級生が、盲腸で入院した。遠山先生が「お見舞いに、みんなで何かを作って下さい。私が病院に届けます。」と子供たちに提案をした。私はその時、黒い紙を使ったのか絵の具かクレヨンを塗ったのか覚えていないが、みにくいアヒルの子を作った。会心の作であった。上げるのが惜しいくらいだったが、退院したあと、その男の子は何も言わなかった。私も訊かなかったのだが。
 翌年、縫いぐるみの劇『ヘンゼルとグレーテル』を同じように見に行った。やはり、次姉と私と弟の三人は大感激で、来年も連れて行ってね、と母に約束してもらった。小学校6年生になっていた兄は、あんな子供っぽいものはもう見たくない、と言った。
 木馬座の名前で思い出す出し物は、数々の童話の名作である。アンデルセンの『人魚姫』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、エーリッヒ・ケストナーの『五月三十五日』、バージニア・バートンの『ちいさいおうち』など。その憧れの劇団に入ったのであった。だから私は随分得意になったものだ。
 しかし、今思い出してみれば、あの頃の私にとってみれば、全てが未知の世界だった。社会に出るのも、他人と付き合うのも、それも私より多少とは言え、年長者ばかりだ。中学校、高校、大学も、ずっと人との付き合いを避けてきた私だった。いろいろなことがあった。次々と起こった、楽しいこと、不快なこと、押並べて全てが今では只懐かしい。

 詩人N.M.君は無口な青年だった。その頃、彼が今のような世捨て人のような生活をするだろうとは、夢にも考えつかなかった。ごく普通の、ただの無口な青年にすぎなかった。なぜなら、彼には他人と違った強い個性が感じられなかったからである。しかし、それは私の未経験、経験不足からくる不見識にすぎなかったのである。
 一九七七年夏にやってきた彼は、『白鳥の湖』の小道具係りとして働くことになった。彼の他には、Kと言う大学生がいた。そのK君が、行田産業会館での公演の仕込みの際、宿泊した宿で、N.M.君が滔々と、熱っぽく中原中也論を展開したのだ、と翌日我々に証言した。それで、私はこの劇団が、芸術家のたまり場であることが分かった。実は、N.M.君以外にも、営業内勤のKさん、外回り営業のNさんと言う詩人達もいた。彼らは同人誌を発行していた。また、私と一緒に入社したO.K.さんは、芸大の油絵科の出身で、これは後日彼の結婚式で彼の友人から聞いたのだが、芥川賞候補になったこともある文学好きだった。後から制作部に入ってきたS.Y.君は武蔵野美術大学の油絵科。奥多摩のペン画家、師岡正典さんは、フランスで絵の勉強をしてきていた。二十五才で命を絶ったN.K.嬢も、短編小説、戯曲、詩、絵、歌を書いていた。更に、後から加わったB.T.君は、九州の大学で『熊襲』と言う芝居を書いて、好評を博し、大学を中退して上京してきていた。トラックの運転手K.H.さんは、小説を書いていた。彼の家には膨大な書籍がある、と劇団員の一人が言っていた。また、私が退職する前年に入ってきたA.H.君も演劇人で、文章を書いているようだった。前田こうしんもアルバイト役者として参加してきた。
 私はこれらの芸術家たちの思い出も多少まぜながら、私の劇団時代を年代順に語ることにする。
nice!(36)  コメント(17) 

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コメント 17

旅爺さん

昔を思い出すと懐かしい思い出が泉のようにコンコンと湧き出してきますね。
by 旅爺さん (2008-09-15 09:30) 

doudesyo

劇団は門外漢なのですが、コメントをいただいていた印象からしますととても感覚が会うような感じだなと思っていたのがやっと分かりました。私は素性を公表はしませんが、美大関係はとても近い存在なのです。今でもそうです。ですので、なんとなくですけど、同じ匂いというかそんな感じがしていました。^^;
by doudesyo (2008-09-15 20:19) 

yakko

自分とは縁のない、けれども何となく憧れた「文学・演劇・音楽の世界」で生きた人達のお話が聞けるのをワクワクしています。
by yakko (2008-09-15 21:57) 

にすけん

 人さまの心を理解して演じる、それをどんな手段で現実化させるのか。素晴らしい勉強だと思いますね。たいへん興味深いです。
by にすけん (2008-09-16 11:15) 

すうちい

若い、志を持った人たちの青春の物語、おもしろいです。
続きも期待♪♪♪
by すうちい (2008-09-16 14:32) 

SAKANAKANE

自分の知らない世界を覗き見るコトができそうで、ワクワクしています。
by SAKANAKANE (2008-09-16 20:09) 

mimimomo

おはようございます^^
全く知らない世界ですが、どう転んでも人間世界。
面白い、時には苦しい恐らく喜怒哀楽のある世界でしょうね~
お話を楽しみにしています。
by mimimomo (2008-09-17 09:01) 

yoku

出かけており遅くなりました。
青春グラフティですね。わくわくします。
だれでも、青春の思い出がありますが、
アヨアン・イゴカーさんのお話は分かりやすく
胸踊ります。続編が楽しみです。

by yoku (2008-09-18 06:59) 

ミモザ

楽しみに・・と言ってはなんですが、これからのお話を
読ませていただきますね。
by ミモザ (2008-09-18 21:33) 

旅爺さん

おはようございま~す♪
いつも爺の拙いブログを見て頂いてありがとうございま~す。
by 旅爺さん (2008-09-19 06:50) 

アヨアン・イゴカー

lapis様、さとふみ様、Krause様、僕もくま私もくま様、olive様、お茶屋様、えれあ様、sasuke様、moonrabbit様、スミッチ様、mitu様、アリストテレス様、orange-beco様、夢空様、mompeli様 nice有難うございます。

旅爺さん様 
昔を思い出すことは楽しいことです。私にとっては、未来に繋がる回想になっています。

doudesyo様 
不思議なことですが、私は美大出身者には、初対面から親近感を感じてしまう傾向があります。一般の大学の卒業した相手だと、一般的な会話をして、一般的な情報収集をして、共通項を見つけるという作業を無意識にしています。

yakko様
どれだけお気に召すかは分かりませんが、できるだけ正確に書いて行きたいと思います。既に、書いてあるのですが、更に記憶から、追加してゆく積りです。

にすけん様
劇団木馬座は、子供の為の劇団でしたので、どれだけご参考になるかは怪しいですが、充実感のある約6年間でした。

すうちい様
私のいた6年間で出会った人たちが、その後どうなっているかは分からない人のほうが多いのです、残念なことに。でも、楽しかった!

SAKANAKANE様
私は制作部に所属しましたので、制作に関する思い出になります。

mimimomo様
他者の人生は、どれも独特です。それが面白いかどうかは、本人がどう考えるかに左右されると思います。私はあの楽しかった6年を、楽しく語りたいと思います。

yoku様
いつも素晴らしい写真を楽しませて頂いております。
周りを見ることのできなかった私、失敗も数々ありました、懐かしい思い出です。

ミモザ様
今思えば、もっと知っておくべきことがあったのですが、それを知らずに過ごしていたのも青春なのだ、と割り切っています。さて、ご満足頂けるかは、分かりませんが、書き溜めたものをご披露いたします。

by アヨアン・イゴカー (2008-09-20 12:50) 

せつこ

平凡な専業主婦の知らない世界も、面白そう!
by せつこ (2008-09-20 15:02) 

ada

「白鳥の湖」を聞きながら、ブログを読んでいましたので、名前が出てきてびっくり。
そうそう、中原中也もずいぶんはやりました。汚れちまった悲しみ・・なんてね。
by ada (2008-09-20 22:57) 

アヨアン・イゴカー

ハギマシコ様、xml_xsl様、いっぷく様 nice有難うございます。

せつこ様 
どんな職業でも、体験しないと知らないことがありますので、その一部をご紹介します。

ada様
偶然というのは、面白いですね。
当初、考えていませんでしたが、詩については、時々触れることになりそうです。
by アヨアン・イゴカー (2008-09-23 18:37) 

青い鳥

藤城さんの影絵、大好きでしたし、今でも大好きです。
木馬座は1度だけ見ています。
そこで働いていらしたのですね。
by 青い鳥 (2008-09-24 07:36) 

ドスンコ

 わたしもこのブログの仲間入り~!毎日じっくりと読むぞ~!
わたしもおっかしな人たちが働いている職場にいたけれど記憶がまだらでイゴガ~さんのように文章化出来ません。次回が楽しみです。
by ドスンコ (2008-11-25 19:07) 

アヨアン・イゴカー

青い鳥様
藤城清治さんの影絵は、子供の時、本当に夢中になりました。自分でもあの光の魔術を使ってみたいと夢見ました。

ドスンコ様
人間は、どこにいてもいろいろ変な人に出会うものですね。他人の飯は白いで、人の体験談って、とっても面白く感じます。家のカミサンの知人なんか、本当に短編小説がいくつも書けるくらいに怪しい人ばかり。誇大妄想の演出家、フランス文学の権威の無精者の息子、詐欺師、被害妄想の三流女優・・・・・凄い人たちをあの人は知っています。
by アヨアン・イゴカー (2008-11-26 00:44) 

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