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劇団木馬座の思い出 補遺その3 [劇団木馬座の思い出]

  劇団木馬座の思い出 補遺その3 2014/03/09 日曜日 

 先週日曜日に、江東区文化センターで劇団時代の女優Mさんに久々に会うことができた。それ故に彼女の思い出を書いておくのも一案だと考えた。

 彼女はモリエールが好きで、それを芸名にしていた。初めてその名前を見た時、珍しい名前だと思ったが、由来を聞いてなるほどいかにも女優らしいつけ方だと納得する。尤も、自分はモリエールよりもシェークスピアの方が好きだが、などと胸の中では言いつつも。

 Mさんに初めて会ったのは、渋谷の東横劇場だった。彼女は『シンデレラ』の継母の二人娘の長女役を演じていたと思う。体の線の細い人だった。彼女は人騒がせなことを平然とするちょっと変わった人だった。東横劇場の最終公演が終わった後、楽屋で彼女の遺書が発見されて、楽屋中で騒ぎになった。制作のM田さんも、一寸不安そうだった。書かれた文章は間接的な表現なので、遺書とも取れたが、そうでないものとも取れたので、判断がしかねたのだった。しかし、彼女を知る女性が「多分、また、悪戯でしょ。」と言って、その日は皆帰った。そして、後日、何事もない顔をして彼女が現れた。こういう文章を書く人には、日常の世界とは異なる何か詩的なものがあって、やはり魅力を感じた。面白い人だと思った。

 その数年後だったと思うが、彼女は『白鳥の湖』のオデット役を演じたことがあった。演技は全く問題なかったが、踊りについては優雅さが欠けた。踊りの練習を子供の頃から続けていない人であれば当然のことであり、一朝一夕にそのようなしなやかさなど表現できる筈もない。この事実は、私がバレエの基礎練習の重要性について認識する切っ掛けとなった。それはオデット姫とその妹二人が庭で音楽に合わせて踊る場面だった。オデット姫と一人の妹はバレエの経験がない。もう一人の妹はバレエ経験者である。この三人が輪になって踊った時、私にはその腕と指の動きで、バレエ経験がある女性だけが際立って上品に見えた。指の先端まで意識が届いていて、優雅なのだった。踊りはこのようでなければならない、と。一方、オデット姫と妹は、確かに小森先生の振り通りなのだが、肘も指もその動きが硬すぎるのであった。上品な姫を演ずる為には、踊りの練習も不可欠なのだと思った。木馬座では殆どの場合、主役のお姫様役をバレエダンサーが演じていたため、それとの比較もあったのだろうとは思うが。反対に、バレエダンサーが主役を演じると、その演技は「お約束」が多くなり、見ていて分かりやすいがリアリティに欠けるという欠点があるように感じた。

 演技という点では、Mさんは好かった。彼女はパントマイムも練習していた。それが一番有効だったのは、ピノッキオの役だった。まず、彼女は痩せていたのでピノッキオに相応しかった。彼女は出来るだけ脚を細くするために、普段脚にビニールを巻くなどしていたようで、それを真似する女優もいた。尤も、それがどのような効果があるかは知らないが。そして、パントマイムをやっていたので、人形のような動作はお手の物だった。だから、ゼペット爺さんが作った出来立ての木の人形が歩く練習をしたりするところは、ナンバ走りのような動作をしたり、脚をからませたり、いかにもぎこちない歩き方で演じて見せる。この人形の動きは、最後に人間の少年になるところで、魔法が解けたように無くなるのである。その変化をしっかりと演じ分けられる人だった。

 あれは四ツ谷の双葉学園同窓会の稽古場でのことだった。『ピーターパン』の練習の時だったろうか、誰かがパントマイムの出来るMさんに、適当に思いついた台詞を言うので、それを身振りで表現して見せて欲しいと言った。彼女は喜んでそれに応じた。台詞に合わせて、彼女は大きく腕をぐるぐる振り回したり、体を動かしたりする。皆でそれを見ていたが、途中までは実に上手に振りをつけて見せたので、満足していた。私も、ああいうことができるのは大した物だと感心した。

 尚、その後彼女はイベント業務管理士一級の資格を取得して活躍している。もう二十年位も前のことだが、埼玉県北葛飾郡松伏町の田園ホールエローラでオペラ『不思議の国のアリス』を上演し、演出を担当していた。その時の自信に満ちた生き生きとした姿を覚えている。

 ※ちなみに、田園ホールエローラの名前の由来は、芥川也寸志の『エローラ交響曲』である、とホールのどこかに書かれていた。


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コメント 7

sig

Facebookの方でアヨアンさんのたくさんのイメージスケッチやイラストと一緒に木馬座のステージ写真を見せていただいたので、それに重ねてこの文章を読ませていただきました。それにしてもあの資料はとても貴重なものですね。
by sig (2014-03-09 20:18) 

Enrique

バレエの動きの軽さやしなやかさは,演奏動作にも応用出来るのではないかと考えています。
by Enrique (2014-03-10 19:06) 

yuyaさん

劇団の中にも様々に人の数よりも物語がありそうですね。そんな人たちと作り上げる日々はとても刺激的だと思われます。良いですね。

コメントありがとうございました。
どこへ進むかはまだ手探りですが、ゆっくり着実にやれたらと思います。
by yuyaさん (2014-03-15 18:08) 

アヨアン・イゴカー

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皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2014-03-16 21:47) 

アヨアン・イゴカー

sig様
実を言うと、後になって資料が足りなくて後悔していることも多いのです。もっと早く記録の整理を始めればよかった、とか。当時、メモの取り方が少なすぎで、点を辿るようにしか思い出せないのです。昔話をしたりしていると思い出すものですが、そのような機会も殆どありません。

Enrique様
バレエもそうですが、インド舞踊なども体の隅々まで、全ての動きを体と意識の両方で感じながら演ずると言うのを、テレビで見たことがあります。しなやかさ、しなやかであるためには、筋肉の動きを制御できなければなりません。これは、演奏でも、踊りでも、体操でも、武術でも、体を使う物には共通する大切な基本なのだろうと思います。

yuya様
劇団、演劇は、総合芸術ですから、本当に色々なことを知らなければなりません。それだけに、知的刺激は多いと思います。
ご自分の進む方向は、恐らく一定の年齢になった時に、「これが自分が目指していたものだったのだ」と、結果として分かるのではないかと思います。目指すだけの自覚と先見性があればいいのですが、私の場合、そのようなものはありませんでした。
by アヨアン・イゴカー (2014-03-16 21:57) 

lamer

途中に割り込みますが・・・
自分としては演劇に関心が無かった訳ではないのですが・・・
観客としては奥手でしたが劇団木馬座は耳にしていた記憶があります。

by lamer (2014-03-24 13:22) 

アヨアン・イゴカー

lamer様
コメント有難うございます。私が子供の頃には、木馬座が段々有名になってゆきました。それが刷り込まれて、大学を卒業した時も、その憧れが残っていました。
by アヨアン・イゴカー (2014-03-24 22:43) 

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