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電車の中で考えたこと [随想]

 10月11日の木曜日に、電車の中で考えていた。セーターは一本の毛糸を引っ張ることによってどんどん解けてしまい、最終的には一本の毛糸に戻ってしまう。編むと言う行為は、一次元的なものを編み棒を使うことによって三次元化することであるかもしれない。線を立体的にすると言う方法と言う点では、針金細工なども同じである。また、一筆書き等も共通点がある。折紙は二次元を三次元にする。建築も同じで、ヌキなどの平板(平面)や垂木、小割りなどの棒(線)によって立体を作り上げる行為である。
 絵はどんなに本物らしく描いても二次元のままである。写真も同様。演劇空間も、映像空間も、観客が額縁の中を見ている限り二次元に過ぎない。
 もし、この二次元的なものが三次元として体験できたら、理解はより深まることだろう。正面から見ている演劇や映像を、側面から、別の角度から見ることができるようになれば、全く異なった芸術が出来上がるかもしれない。
 読書と言う行為も、文字を読んでいる(内容を追っている)限りではそれは至って二次元的な行為にすぎない。しかし、その文章の中に入り込んで、縦断的、横断的、俯瞰的、マクロ的、ミクロ的、など、の捉え方ができれば、より深い多次元的理解ができることになるだろう。
朕は皇帝なり.JPG * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 自分の書いた文字が読めないとき、自分が書いたにも拘らず、その文字は書き手を離れ、独立した文字として存在することになる。寝惚けて書いた文字、夢現の中で書き止めた文字はそういうものである。書き手をして、解読者たらしめ、時々その努力を裏切ってしまうのである。自分の文字ながら、マヤ文明の文字のように、何を意図して書かれたものかが分からなくなってしまうのである。自分の文字ながら、神秘のベールに覆われてしまうのである。
 自分の意図と異なる言葉(言い間違いではないもの)が口から出てきた時、意図を持っている自己が本物の自己なのか、意図と異なる言葉を発せしめた自己が本物なのか。自分が本来そうありたいと思っている自分は、本物の自分なのか?本来そうでありたいと思っていても、現実そうでないのであれば、そうでない自分が本物であろう。自分とは意志で変えられるものなのか、そうではないのか。変えられるものだとしたら、変えられる前の自分は、自分ではなかったのか。
 ここには言葉の遊びがある。本物、本来と言う言葉が曲者である。そのようなものがない、としたら「本物の自分」と言う言葉自体が無意味である。意味は変化し続けるものであり、自己も変化し続けるものであるとすると、変化する前の自己は常に贋物、非本物であったことになる。しかし、変化する為には変化する母体が必要になり、母体を否定することは自己自身の存在を否定することになる。蝶々が自分の本当の姿は蝶々であり、芋虫の自分は本物ではないのだ、と主張するようなものである。自己は連続した存在であり、変化も連続した過程である。

※ここに掲載した絵は、本日京橋へ行った帰りに地下鉄の車中で描いた『朕は皇帝なり』である。太公望よろしく釣り糸を垂れているが、この男、自分が最高の権力者であり、その実力も評価されているものと信じている。その姿を人民が見守っている。
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扶侶夢

「次元」「視点」そして「連続性」
これらを取り込んだものが「実体」なのではないかと考えています。
by 扶侶夢 (2012-10-14 17:21) 

Enrique

自らを離れた創作物も,最初は卵や芋虫でも外界との相互作用で蝶になることもあるのでしょう。絶対的な価値など無いと思ったほうが万事上手くいく感じです。絵の権力者は自分中心に世界が回っていると思っているかのようですが,それは何時まで続くのでしょうか?
by Enrique (2012-10-15 13:26) 

さきしなのてるりん

面白い絵をたくさん描かれていますね。楽しませていただきました。またうかがいます。
by さきしなのてるりん (2012-10-15 18:03) 

SILENT

世界を見る見方、考え方、面白いですね。原発の事故以来、ニュースは、総て嘘で逆さまの事のが真実だと強く思うようになりました。
強迫観念や、現実逃避なんでしょうが、気が楽になります。
周りの人の言葉迄逆さまに解釈するので、危険な自分と思うのですが。
by SILENT (2012-10-20 02:18) 

アヨアン・イゴカー

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by アヨアン・イゴカー (2012-10-21 13:20) 

アヨアン・イゴカー

扶侶夢様
実体は常にあり、それをあれこれ人間が解釈している、恐らく正しい解釈をしているだろうと思われることでも、地動説や万有引力、進化論などのような見方によってひっくり返されることもある、と思っています。

Enrique様
真善美と言う3つの要素がありますが、どれも自分を中心にしています。真というのは真理のことでしょうが、実は自分では証明することも、正しく認識することもできる人は僅かに過ぎないと思います。善や美となる愈々自分中心の度合いが増し、客観性が少なくなってきます。
だから、美と言うものは面白く、解釈の幅も大きいのだろうと思います。

さきしなのてるりん様
自然と喧嘩しない農法、とても好きです。
道端のお店で古代米売れてよかったですね。
by アヨアン・イゴカー (2012-10-21 14:20) 

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