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栗の里の愉快な女房殿へのお節介な提案 [栗の里の愉快な女房]

2000年正月に物す その1.JPG この絵も2000年の正月に、広告の裏に筆ペンで描いたものである。私はパフォーマンスと言う芸術が流行った頃、自分でも何かやってみたいと考えて、いくつか絵を描いてみたことがある。

 自分がやるとなると、深呼吸をして、パフォーマンスの目的であるとか、意義であるとか、芸術性であるとか、正当性であるとか、まぁ、聞かれたときのための理屈、御託も用意しなければならない。しかし、他者に対してならば、至って無責任に好き勝手なことを提案してしまっても許されるのだ。提案を受け入れるかどうか彼次第なのだから、決定権は彼にあるのだから。パフォーマンスには何といっても、断然サービス精神がなけらばならない、と信じている。恥ずかしくて他者がその靴に自身を置いてみることが出来ないほど恥ずかしい方が、そのパフォーマンスのパフォーマンスたる所以が強調される筈である。ストリーキングなども、一種のパフォーマンスである。一時期、随分、男にせよ女にせよ、ストリーキングが流行したものだ。

 この絵ではウォルト・ディズニーの『メリー・ポピンズ』に出てくる、Dick Van Dykeのような、一人オーケストラ。小太鼓に鈴、トライアングル。ホーンやカスタネット、タンバリン、インディアンハープなどなど。何のことは無い、自分字自身がいつかやってみたい思っていることを、他者に置き換えて描いているにすぎない。京劇の大将や主役達が背中に背負っている旗、背護旗、あれもその意味が分からない分だけ馬鹿馬鹿しくて、自分でもやってみたくなる。あぁ、あれは宝塚の女優達の羽飾りに共通する。

 おまいさん、いつかやってご覧な!


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栗の里の愉快な女房殿への、いつもだうりの余計なおせっかい [栗の里の愉快な女房]

 さいつごろ、2000年正月に広告の裏紙に物せる雑文と絵があるを、女房殿見つけ出だし、部屋の真中にぶら下げけり。我に思い出さしめんためなり。我しばしその文と絵とを眺めしに、まがふかたなく我の筆致、筆跡なり。いざ、ぶろぐに紹介せん。

 2000年正月に物す その2.JPG絵に添へたるは、下記の如し。

 わたくし・・・はちびでふとめでおんちです/だけどさんしょはふとめでぴりりと辛い/なみまにただよう流木のよに/ふらりふらふら河原乞食修行/まともなしゅぎょうとは/呼べぬかもしれねぇけんど/曲りなりにも/曲がりっぱなし/あらどうしてくれヨンパステル/もうゆくさきは決まってるじゃない/やれることをただひたすらの葉っぱ文々/たった一度の人生だもの/打ち上げ花火の何の悪かろう/好きに生きることこそ仏の教え/ただ感謝感謝の日々を過ごす

*矢印の注は、右より「おべんとうのはいっているてさげ」「すかあと」「つけばな」「げえとる」「ひだ」


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『栗の里の愉快な女房ー自分を三人称で語るの巻』 [栗の里の愉快な女房]

今日は明日の出勤の代休。一昨日下書きした短編小説をまとめる。

2010-6-4 金曜日

栗の里の愉快な女房 - 自分を三人称で呼ぶ女の演技をする

 女房殿が新聞のテレビ欄を見てから座布団の上に放り投げた。それを見て私は、皮肉交じりに言った。

(あめ)が下の(よろず)の事には期あり 萬の事務(わざ)には時あり 生まるるに時あり死ぬるに時あり

新聞紙におき場所ありってか。」

「単刀直入に仰い遊ばせってば!何が言いたいのよ。」

「そんなことが分からんでか?新聞は見たら、新聞紙置き場に戻しなさいと言うことですよ、言うまでもなくですね。」

「そんなことが分からいでか。分かってますよ。しかしね、あなたは相変わらず分かっていないのよ、彼女のことを。」

「彼女?」

「そう、彼女のことを。彼女は新聞紙の置き場所などにこだわらない大きな女なのよ。ゴミの一つや二つなんですか。そんなものにこだわる!?小さい小さい、人間がまるでアリんこですね。

 物が捨てられない?それがなんですか。万物に対する慈しみの大きさではありませぬか。

彼女はきっと何か大きな、偉大な、破天荒なことをやってのけるに違いないの。彼女はね、隅に置けない一角(ひとかど)の女優なのよ。」

「ちょっと待って。それって、ユーのこと??」

にこにこ頷きながら女房殿は言う。「そうよ。ミーのことよ。ユーはミーのことを彼女と呼ぶべきなのよ。」

「ほほう。もうちょっと彼女について教えてくれないかな。」

「彼女は、そう、何かをやるように宿命付けられているの。運命付けられているとも言っていいかもしれない。」

「その何かって、何?」

「その何かは、彼女にとって永遠のテーマ、人生に於ける永遠のテーマであるかもしれないわ。」

「それって、根拠の無い自信と言うやつじゃぁないの?」

「そんなことはないわ。彼女はきっと何かをやる人なの。だって、絶対に周囲が放っておかないわ。」

「放っておかない?どうして?」

「あれだけ努力して、何もせずにいられるものではないわ。何もしないでいることのほうが、断然遥かに不自然だわ。天がそのようなことをお許しにならない筈よ。」

ここで私は即興で、この悲劇のヒロインの憎まれ役の批評家ガーエフになった。

「僕はガーエフ、職業は批評家です。あぁ、へぼな批評家ですが、我慢してください。

でね、君。あれだけとは、どれだけ、どれくらいのことをやって来たの?具体性がなければ、何事も言葉だけの、空虚な実体の無いものにすぎないんであるよ。そのように主観的ではなく、客観性のある尺度で表現し給え。」

「あぁ、そうやって頭で考える輩は、常に芸術すらも、あぁ偉大なる芸術すらも、頭で考えようとするの。お金に置き換えたり、賞や勲章でその価値を量ろうとするの。そうしてその本質が実利主義者であるが故に、あっ!この言葉、素敵、ちょっと難しそうな響きが素敵!実利主義者であるが故に・・・・・」

「実利主義者であるが故に・・何なの?」

「ずばり、何でしょう?」と私の顔を覗き込む。

「何?何も考えないで、響きだけで言葉を使うの?君ぃ、意味や事実の裏づけ、背景のない言葉を弄ぶのは止め給え。」

「弄んでなんかいませんよ~だ。芸術は感情がすべてなんです。」

「何をゲーテのようなこと言ってるのですかぁ、君という人は。感情に頼っている人間の多くは、殆ど努力もしないで、厠や風呂の中で思いついた単なるありふれた思いつきを自分のものだと思い込んで、それで特許を取ろうとしたり、自分の芸術の基盤、根幹だと主張するのだ。ところが私のような少しは勉強している人間には、そんな思いつきが過去にあったことを知っている訳さ。日の下には新しき者あらざるなり、さ。」

rien_n'est_nouveau_sous_le_soleil.JPG「言葉、言葉、言葉。もううんざりだわ。そう仰るガーエフさんの言葉の中には奇しくも、あなた御自身の言葉はたったのひとつもなくってよ。あなたの考えもね。太陽の下で新しいものなんて、何一つないのだから、でしょう?嘗て起こらなかったことなんて一つもありゃしないのだわ。あるのは蓄積された反復される知識だけ、一部の本当に新しいものを除いて。そしてほんの一部の知識しかガーエフさんは再現できないのだわ!」

「何ですか、イライザ・ドゥーリトル嬢。私は愛のないヒギンズ教授か?ハハハ!

それにしても『あるのは蓄積された知識だけ。』とは。一本取られましたな。これは降参ですな。殆どの人間は、実のところ知識しかないと、私も思いますよ。自分の考えなんて、持っているようで、持っていられないものです。」

「わーい。一本勝ちね、私の。感性で生きる女、知識だけでなく直感を信じて生きる女の。私はそんな彼女が恐ろしい。一体彼女が何をやらかしてくれるのか、どのような偉大な芸術活動を行いうるのか。どんなに大きな仕事を、無意識のうちに成し遂げてしまうのか。あの人、彼女はやるは、きっと間違いなく。私は信じるわ。」

 

女房殿はまるで『三人姉妹』のオーリガのように仰々しくこう言うと、しばらく虚空を見つめている。

 

 「やーっ!面白かったね。やっぱりこういう人間になって、他人になって、そやつの頭の中を勝手に彷徨して無駄口を叩くのは愉快だねぇ!痛快だねぇ。」と私。さも可笑しそうに笑い転げている女房殿。これは夕餉の前のほんの一齣である。


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「栗の里の愉快な女房」-「冬季オリンピック競技種目に物申す」 [栗の里の愉快な女房]

2010218日木曜日

「栗の里の愉快な女房」より「冬季オリンピック競技種目のお話」

 

 先日、大雪が降った日、炬燵に入って甘酒を飲みながら冬季オリンピックのカーリング競技を見ていたのだが、女房殿がこう言い放った。

「これはスポーツと言うよりゲームですねぇ。けけ。」

私も同意する。「そう。大変なのは分かるけれど、他の競技に比べるとゲームですな、確かにこれは。氷上のオハジキですな。」

女房殿はまだ言いたいことが山ほどあるようで、ほっぺたをすっかりリンゴのように赤くして悪戯っぽい顔でこちらを見ている。口からはアルコールの湯気を吐きながら、盛んに猫の玉の広い腹を撫でている。「おぬし、まだ、冬季競技について文句が言いたいようですねぇ。」と私。

「土台、冬季の競技は危険でいけない。ちょっと間違うと、直ぐに骨折したり、捻挫したり、靭帯を切ったり、命を落としたり・・危ないものばかり。ボブスレイだって、モーグルだって、ジャンプだって、スピードスケートだって、フィギュアスケートだって、アルペンスキー、リュージュ・・・速度が速いのに道具を使うんだもの!」

「危険でないのはノルディックスキーのクロスカントリーとカーリングくらいかも。」

「それにね、お金掛かりすぎる!金持ちでないと、競技は続けられないでしょう。」と一平民を自認している妻は至って不満そうである。

「そうね、確かに。」

「フィギュアスケートなんか、スケートリンクがなけりゃ駄目だし、衣裳代掛かるし、コーチ代も必要だし、上手になれば留学するし・・・なんだか、凄いと思いつつ疑問を感じてしまいますよ。」と妻は、手酌で甘酒を呷る。

「確かに。そうですね、冬季オリンピックは、夏季オリンピックよりもお金が掛かるし、危険も多そうですね。」と私。

「そこで、私は断固提案するんである。」とこちらを見て妻は言う。「もっと安くて、世の中の為になるような競技があってしかるべきよ。」

「どんな競技。」

winter olympics.JPG「そうね、例えば大きな氷の塊を押す競技。二十メートル移動する時間を競うの。それはね、一トン以上の塊でなくっちゃならない。」

「グランドピアノで二百五十キロくらいあるから、グランドピアノ四台分かな。」

「その競技は南極大陸と命名します。男子一人で押すのが南極大陸ヘラクレス、女子一人はアマゾネス。勿論団体戦もあるの。」

「どうして南極大陸にしたの?」

「あの南極の切り立った氷山のイメージね。あたしってさ、イメージが広大無辺なのよね。」なんだか彼女はすっかり脂が乗ってきたようで興奮した口調でこう言う。

「雪掻き競技もいいわねぇ。五トンのダンプカー三台分の雪を掻き退ける、五人雪掻き。あぁ、個人戦もあるのよ、勿論。規定の大きさのスコップで雪掻きをするの。練習は、過疎化した雪の深い山奥の道の雪掻きよ。年寄りに喜ばれるわよ。軍隊の雪掻き競技もいいわね。戦争の訓練しているより、よっぽどいいわ。それとね、これはもっとも冬季競技らしいのがあるの。ラッセル車と言う種目よ。そうね、1.5メートルの雪原をどれだけ進めるかと言う競技。腰にはラム酒の小樽とチーズとチョコレート、あっ、それとバナナをぶら下げて歩くの。遭難者救助の訓練にもなるし。あぁ、これは正に冬季オリンピックの花ね。あぁ、それから・・・」

 

女房殿の話はこれからは堂々巡りを始めたのであるが、すっかりご機嫌だった。暖かい家の外では、雪が静かに降る。少しだけ開けられたカーテンの間から、庭の木瓜や枇杷の葉に降り積もっている青白い雪が見える。


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K家の没落 - 短編集「栗の里の愉快な女房」より [栗の里の愉快な女房]

小説『K家の没落』2009-10-25(短編集『栗の里の愉快な女房』より)

 K家には小さな畑がいくつかあった。脚の悪い老人が土に坐ったままで草むしりなどをしているのをよく見かけた。畑には道路に面しているものもあったが、それは大雨が降ると、土が流出し、道路の側溝に沿って赤茶色の濁流となった。

 K家には脚の悪い親父さんと存在の薄い女房と三人の子供達がいた。長男は高校を卒業してすぐに父親の仕事を手伝い始めた。弟と妹はぐれてしまった。

 この弟と妹が高校生と中学生の頃だったが、親父さんが先祖代々受け継いできた山にあった土地が電車の通り道になったため、売却により思わぬ大金が入ってくることになった。そこで親父さんは営業に来た工務店の営業担当者の言うがままになって、如何にも似つかわしくない家を新築してしまった。

 長男は地味で、自分の考えと言うものを持っていない男だった。頭が大きく色が浅黒かった。学校でも全く目立たず、かと言って体格が好かったので別段いじめにあうこともなく、成績は常に最下位で、同級生の自信の基となっていた。ここで言う自信とは、「あいつがいるから俺はビリではない、最低ではない。」そういう水準の低い自信のことであるが。授業中は教師の目を避け、宿題と言ってもやったこともなく、試験勉強もしなかった。とにかく文字が嫌いで、勉強をする気にならなかったのである。では太郎は将来像をどのように描いていたのかと言うと、そんなものもなかった。父親の畑はちっとも魅力的ではなかったが、そこを耕して生活することになるのだろう、と漠然と感じていたのかもしれない。

 大嫌いな学校を卒業すると、長男は無心で働いた。そうしているとなんだか、自分が生きている意味が少しだけ感じられたからである。寡黙で、ひたすら畑を耕し、種を蒔き、草を引き抜き、収穫をした。天気に左右される農業なので、生活は楽ではなかった。しかしながら、今では父親が畑の一部を売却した金で家も建て直され、まだ幾分かの金が銀行に預けてあったので、不安はなかったのである。

 

 その長男が二十八歳を過ぎた頃、突然妙な話が舞い込んできた。見合いの話である。K家の知り合いが、ある晩やってきて親父と長男に写真を見せてくれた。美しく撮られた、少し年の行った女だった。

 見合い話は翌週に実現した。着慣れない背広にネクタイを締めた長男は、まるで垢抜けない田舎の青年であった。床屋へ行って刈上げた頭は、綺麗に切り揃えられた髪ゆえに、その印象を強めるだけだった。

 見合いの場にいたのは、年は彼より七歳位は上に見えたが、美しい女だった。しかも香水もつけているようで、都会的な好い匂いがした。尤も、彼女を紹介してくれた知人は、「よくは知らないがちょっと水商売していたことがあるようなことを聞いている。」と言っていた。だからだろうか、彼女は笑う時や男を見る時にも、射程距離を測っているような目付きをした。それでも、長男はすっかりのぼせ上がって、仲介者に、自分としては是非嫁に欲しいと言ってのけた。言った後に、自分の勇気に恥じ入っている始末である。

 仲介者には是非にと頼んだにも拘らず、相手からは色好い返事は来ない。長男は生まれて初めて、恋らしき体験をした。どうも、どう考えてもこれが恋という奴に違いない。あの女、いや、あの女神のことを思うと心臓が激しく打つし、食事をしていても、野良仕事をしていても、風呂に入っていても、夢現のようになっている。恐ろしいほどの眠たがりだったのに、眠ろうとしても寝付けない。そればかりか、朦朧とした状態の中で、あの女が長男の手を掴んで、頬ずりをしながらそっぽを向いたりする。 

 長男は、夕食の時、久々に一杯やりながら、意を決して親父に尋ねてみる。一般論として、恋とはどのようなものかと。親父は赤い顔をほころばせながら、暫く過去を思い出すような仕草をしてから言った。

「分からねぇ。」

沈黙の後、付け足した。「そりゃぁ、子供のこらぁ、可愛い子がいれば気になったさぁ。でもな、所詮、可愛い子は、勉強ができたり、脚が速かったり、喧嘩が強い奴のとこ行くだろぅ・・・縁がなかったなぁ・・・」

「そんなもんなの?」

「そうさなぁ。」

「なんか気を引くようなことはして見なかったの?」

「無駄なこたぁ、やらなかったな。俺がオメカシしてもよ、二枚目がもっと目立っちゃうだけだろ。所詮、引き立て役よぅ。いやんなっちゃう。」

「こないだ夢見たんだけど、おとつぁん、夢には正夢ってあんの信じるの?」

「どうかな。外れることも多いような気がすっけど。」

「あのさ、俺、こないだ、って言うか、昨日、夢見たの。」

「ふん?」

「あの見合いに来たO子さんが出てきてさ、俺の手を掴んで、それに頬ずりすんの。」

「ほほう、そりゃぁありえねぇこったな!」

「おとっつあん、冷たいねぇ。」

「俺はな、そんな夢みてぇなこたぁ信じねぇんだよ。好い事で本当になったことなんか、ありゃぁしねえもの。お前は俺の息子だもの、可哀想にな。俺に似て、面も拙いし、運も好くねぇと思う。」

「あっそぅ。」そう言って青年は声を落とした。「なんだか、俺生きてんの、嫌になってきた。」

「何を寝惚けたこと言ってやんだよ!あんな別嬪、家に来る訳、ないだろが!・・・大体、性格がきつそうだし。」

「でもさぁ、諦めちまったらお仕舞いだぁ。」

 

しばらく沈黙が両者の間にあった。

「おとっつぁん、O子さんに、なんとか嫁になってくれるよう、頼んでみてくれませんか。お願いです。」息子は土下座した。

 

 この夜の会話ですっかり戦意喪失した長男ではあったが、恋心は募るばかりであった。一週間も経った日、先方から電話が掛かってきた。O子が同意してくれた、と言うのだ。この時の長男の喜び方と言ったら、それこそ彼の人生で最大のもので、森羅万象、万人万物に対して優しくなった。好意、善意の権化、塊と化した。こんな時、周囲は冷静であり、半ば嫉妬もあるのだが、やれ薄気味悪いとか、やれ分不相応だとか、嫌な言葉ばかりを彼の陰で囁いた。

 

 結婚式はまるで奇襲攻撃のように迅速に設定され挙行された。お互いに相手の気が変わるのが心配でもあるかのように。

 栗の里の噂話のネタになった結婚であった。不釣合いだとか、鶴女房だとか、好い評判はなかった。彼にとっての蜜月が数ヶ月過ぎて行った。そして、長男は、少しずつ元気がなくなってゆくように見えた。

 半年ほど経って、破局が訪れた。長男の家からは、瀬戸物の割れる音、女のヒステリックな罵声、扉を閉める大きな音などが聞こえてくるようになった。

「馬鹿野郎!もう、二度とこのうちには帰ってくるもんか!」女は出て行った。

 

 破局が訪れてから、K家の少しばかりの不動産が、衣を剥がされるように奪われてしまうのは、あまり時間が掛からなかった。あの年上の別嬪の裏には、黒い影が付いていたのである。法外な慰謝料を要求された。弁護士に相談すると言う手段も思いつかないままに、取引が成立してしまった。その結果、脚の悪い親父さんが脚を引き摺りながら草取りをしていた猫の額ほどの日当たりのよい一等地の所有者が変わってしまった。転売され、現金化された。転売後、二人が所有者となった。一人は廃品回収業者で南側の日当たりのよい方で道路にも面している方、もう一人は手造り家具の職人で、北側の小さな方である。南の方には、赤錆びた自転車、冷蔵庫、古タイヤ、壊れた家具、パソコンなどがうずたかく積まれ、すっかり景色が破壊されてしまった。北側の職人は、腕が好いようで、注文が途切れずに入るようだった。南側にはゴミ屋敷の庭先のように廃品の積まれていたが、境界には截然と塀が作られており、北側では木製の看板をぶら下げて職人が元気に仕事をしているのが、救いであった。

 

 この事件があってから、暗くて目立たなかった長男は、いよいよ暗くなり、人目を避けるようになった。自責の念に苛まれていた。嫁に振られたのは、自分に甲斐性がなかったのがいけなかったのだ、と思い、何か大きなことをして見返してやろうと思い始めたのである。そして、まだ少し残っていた金を使い、銀行から借金もし、新たな商売を始めることにした。養鶏である。家から少し離れた丘の上に鶏舎を建てて、多くの鶏を飼った。勿論、このような養鶏場の経営を彼が思い付く筈もなく、その背後にはK家の不動産担保を前提に、彼らに融資をした金融機関の営業担当者の存在があった。

 養鶏場の経営は難しかった。市場価格に大きく左右された。海外から輸入される廉価な鶏肉に対して、特別の工夫もしていない鶏は好い値段で売れなかった。風が吹くと、鶏糞が空中に飛散した。近所の住民が保健所に通報したために、検査が入り鶏舎の設計などに改善が求められた。その費用は経営を圧迫した。

ところで、彼は外国人労働者を雇っていた。脚の悪い父親と一緒に仕事ができなかったので、中東の男が労働者として働いていたのである。彼が休憩時間にとコンビニエンスストアで買ってきた握り飯を、鶏舎の入り口のコンクリートの上で、泥だらけのゴム長靴を履いて坐って食べているのを見かけたことがある。言葉の殆ど通じない異国の道の上で、彼は一人で無表情のまま頬張っていた。agnus dei.JPG

 

多少、景気が上向いた時、借入金返済の目途も立っていたのだが、泡沫経済が崩壊して、景気が悪化すると、状況は一転した。利子は増える一方で、返済に充てるものが何も残っていなかった。

 

 ある日、散歩に行ってみると、鶏舎がすっかり片付けられていた。それなりの雰囲気のあったK家の家屋はすっかり解体され、更地になっている。庭に植えられていた木もすっかり処分されてしまっている。「売り地」と言う俄か作りの看板が、針金で作られた柵のある広々とした空間に立っているばかりである。K家の人々がどこに行ったのかは、杳として知れない。


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短編小説『栗の里の愉快な女房 ムカデ騒動』 [栗の里の愉快な女房]

栗の里の愉快な女房 ムカデ騒動  2009/11/29 日曜日

 

 我が家には、夏になるとムカデが出没する。元々赤土で、粘土質の場所であり、そこにはムカデが沢山棲んでいた。その場所に家を建てたのだから、ムカデたちの歓迎を受けるのは当然であろう。私達夫婦は二人ともムカデに刺されたことがある。ムカデに刺されると酷く痛いし腫れる。数日以上痛みが続く。だから私も夏になると寝具の中にムカデがいないか確認するようにしている。また、かさかさ言う足音がした時は、ゴキブリかムカデなので、耳を澄ましちゃんと確かめるようにしている。

 

 ムカデは番いで行動するとか、攻撃性が強いとか、肉食だとか、差されると恐ろしく痛いらしい、とか、いい話は聞いたことが無い。藤原秀郷の大百足退治の話や、大国主神が須佐能男命の娘須勢理毘売に会い妻とする時の蜂と百足の室の試練を思い出す。何故、昔から私は百足が嫌いで恐いのだろう、と考えてみると、やはり恐いものとしてしっかりと擦り込まれてきたからだと思う。蜂、特にスズメバチなども危険だからちょっかいを出さないようにと教えられてきた。北海道にいた時には百足は見たことがなかったので、川崎市に来て、粘土質のところから出てきた脚の多い生き物を生まれて初めて見て、ぞくぞくっとした。それでも私は父に教えをられたように、虫は矢鱈には殺さないように気をつけている。蛾でもガガンボでも無闇には殺さない。無駄な殺生が嫌いなのだろうと思う。

 

 結婚してからの話である。栗の里の愉快な女房がまだ若く二十代の頃のことである。ある晩、ムカデが我が家に出現した。妻は大騒ぎである。掃除機を持ってこようか、蝿は滝がいいかな、などとじっとしていない。私は別段大騒ぎもせず、そうは言っても刺されるといけないので、割り箸でムカデを挟み取る。ムカデが割り箸に噛み付くのが分かる。そして、割り箸を伝って手の方に這い上がってくる。箸を放り出す。もう一回やり直す。そして、今度はしっかりと捕まえて、外へ放り投げる。しかし、それだけのことである。彼女が言う。「どうして、殺さないの?」「だって、この家は元々ムカデの居るところに建てたから、彼等の方が先住民だからさ。」

 ちなみに、女房の実家では、ムカデが出た夜にはこんな風な騒動になったらしい。夜十二時過ぎに床を這い回っているムカデを彼女の弟が見つけた。二人が、「刺されるといけない」、とか、「わーっ!」とか大騒ぎしていると、母親が出てきてまぁ、大変、お父さんを呼んできましょう、と言うことになった。父親は寝ようとしていたところだったが、「これは大変だ。刺されたら、それこそ一大事だ。好く見えるように家中の明かりを点けなさい。電気掃除機を持って来なさい。」と指示をする。弟が掃除機を取りに行っている内にもムカデはアンテナをふらふらさせて動き回っている。それを見ながら三人の大人が退いたり前進したりして、遠巻きに、しかし、逃がさないように真剣に見張っている。

 掃除機を持って来た弟は早速ホースをつけてスイッチを入れ、ムカデを吸い込もうとするが、すんなり吸い込まれてくれない。三分の一ほど吸い込まれるが、自力で這い出してくる。息子は焦ってホースを放す。きゃーっ!家族全員が叫ぶ。「こら、ちゃんと吸い込みなさい!」と父親が息子に活を入れる。何とか吸い込んで一件落着と思っていると、父親が「そうだ、吸い込んでもまた這い出してくるといけない。掃除機のゴミ袋をビニール袋に入れておかねば。」と言う。息子はビニール袋を取ってきて、ムカデの入っているゴミ袋をいれ、入り口を入念に縛る。すると母親が「あら、それじゃ隙間から出てくるわよ。」と心配そうに言う。息子は得心したように、更にその上にガムテープで入り口を塞ぐ。これで何とか安心できる状態になり、一家はしばらくムカデの恐ろしさを語り合ってから各自の部屋へ戻った。勿論翌朝の話題はムカデ様のことである。

 

muka-chan.JPGこんな家庭に育った女房殿であったが、私と言う唐変木と結婚してからは、生き物に対する見方がすっかり変った。彼女は、今ではムカデのことをムカちゃんと呼ぶ。歩いているのを見つけても「きゃー恐い。早く外へ出してよ。」と言う位である。私は割り箸を持ってきて、ムカちゃんを捕まえると、透明の瓶に入れて戦利品を妻に見せる。「ほら、見てご覧。やっぱり、脚が沢山あるのは気持ちよくはないね。それにしても立派に育って。」流石に、姿をじっと見ることは彼女も出来ない。まだ、修行不足である。それでも、彼女も随分進化したと感じる。ムカデが洗濯機の中で死んでいるのを見つけた時、「水の中でくるくる目が回って、溺れ死んでしまったなんて、可哀想。」と合掌したそうである。またある時は、リボンの付いた帽子を被って鏡を見ていたら、その黒いリボンが動き出したので、慌てて脱いで、ムカちゃんを外へ放り投げた。「もう、入って来ないでね!」


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短編小説集『栗の里の愉快な女房』より『角田のおとっつぁん』 [栗の里の愉快な女房]

 今日からは、まだ完成してはいませんが、短編小説集として構想している『栗の里の愉快な女房』より、第一作として『角田のおとっつぁん その一』を公開致します。

角田の親仁を、私は勝手におとっつぁんと呼んでいる。背が低く、体つきはがっしりした労働者のようで、硬そうな髪は短い。団子鼻、頬骨の出た赤ら顔で、唇は厚く、小さな目はいつもうつろで何を考えているか推し量り難かった。眉毛の殆どないつるつる顔のお上さんが四十代で亡くなってしまったので、男やもめの暮らしをしていた。子供達はみなちょっと変わっていて、長女は高校を卒業してから働いていたが、家の手伝いは殆どしなかった。息子は精神を病んでいて、未だに病院に入っているようだ。私が通りかかると、おとっつぁんは、外に置いてある小さな洗濯機で洗濯をして、千草の生えた小さな庭にある斜めに傾いだ物干しに、穴の開いた肌シャツやらパンツやらを干しているのを見かけることがあった。

 彼の家は駅へ向かう階段の脇にあり、T高校の通学路に面していた。朝夕、学生達が無言で、或いは声高に話をしながら通るのを不快そうに眺めていた。ある学生がおとっつぁんの小さな家を見て「あれっ。人が住んでいるんだ。」と驚きの声を上げた。その声が聞こえたかどうかは分からない。中には、この家の壁目がけて石を投げる不届き者がいた。空き家だと思ったのだろう。開校当初は生活指導を徹底的にしなければならなかったこの高校は、受験指導が軌道に乗り今ではすっかり名門高校になっていて、入るのも大変になってきている。更に中学校も小学校も出来た。かなり多くの生徒と教師が昼間人口としてこの栗の里に移動してくるようになっている。だから保護者会のある時など、母親たちがそれなりに化粧をして、まるで就職試験を受ける大学生のように、制服のようにスーツ姿でぞろぞろ通る。彼らが歩いている時、急ぎ足で歩かないと予定の電車に乗り遅れることも覚悟しなければならない。牛の群れを移動させているカウボーイのような気分だ。数が多く、狭い道を塞いでしまうのである。

 角田のおとっつぁんは、文字が苦手のようである。しかしながら、家の前を通る高校生や中学生の声に腹を立てて、彼らに対して文字を使って意思表示をすることにした。階段を上りきったところの駐車場入り口にあるガードレールに、チュウイ シズカニと二行に分けて黒ペンキで警告を書いた。おとっつぁんの家の向かいの土手に作ってある、元気の無い竹製のバリケードに、コワスナと書いてある。近道をしようという不届き者、或いはこの先はどんな風になっているのだろうと好奇心を持って探険家気取りで侵入する子供達を撃退する目的と見た。警告は他にもある。三段ほどの高さに積んであるブロック塀に、ハチニイタズラスルナと書いてある。このハチニイタズラスルナと言う注意書きについては、こういう経緯がある。

 角田のおとっつぁん その1.JPGおとっつぁんの家から十メートルも離れていないところに、指定保存樹のラベルを貼った太い柿の木がある。樹齢百年年以上で根元近くに洞がある。そこに地蜂が巣を作っていて、洞の周りを旋回していた。ある土曜日、下校途中の高校生たちが目ざとくその蜂の姿を見つけ、洞を覗き込んだ。そして悪戯して石を投げつけたものだから、すっかり蜂たちが怒ったり驚いたりして、巣から飛び出してきたのである。相当大きな巣だったらしく、その数は凄まじかった。柿の木の周りには蚊柱ならぬ蜂柱が、否、むしろ蜂の雲が出現した。駅に向かって歩く私は、遠くから何か煙のようなものが揺らいでいると思ったのだったが、近付いてみて事情が飲み込めた。私が近くに来た時は、既に蜂たちの混乱も大分収まっていたようであったが、それでも沢山の怒れる蜂が飛び回っていた。私は彼らを刺激しないように、ゆっくりと観察しながらその場所を通った。女子高生たちは恐がって、遠回りをしている。この状況を、半袖の肌シャツを着たおとっつぁんが、余計なことをしやがる、と言った顔でじっと見ていた。この一件があってまもなくその警告が書かれたのである。

 この角田のおとっつぁんの片仮名の文字について、ふと思ったことがある。彼は勉強が得意ではなかったらしく、漢字は書けないようだった。彼の書く片仮名は単なるコミュニケーションの手段としての文字を超越しているかもしれない、もしかすると象形文字であるかもしれない、と。エジプトの神聖文字、マヤ文化の絵文字コジセに相当するのかもしれない。コミュニケーション手段であるばかりでなく、芸術作品に近いようにも思える。一文字ずつがなんの意味も持たない片仮名であるにも拘らず、彼が唯一書くことのできる文字であるが故に、特別な意味を持っているように感じられたのである。

 

ハチニ イタズラスルナ。

コワスナ。

チュウイ シズカニ。


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