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いよっ!大婚約者!土俵入りの巻 [絵画]

20170518いよっ!大盗領!土俵入り。DSCN3448.JPG このところ連続して描いているのが、人形のようなロボットのようなもの。題名は『いよっ!大婚約者!土俵入りの巻』である。ロボット猫と蟹ロボットが大婚約者の登場を声援で迎える。彼の上にはやはり二羽の飛行ロボットが旋回する。
 偉大なる婚約者は、ファウスト博士よろしく、その魂を彼の大好きな人々に売ってしまっているので、彼等以外のことは眼中にない。誰と婚約したかと言うと、八方美人の危険な女性で、彼女はいつも護衛の代わりにライオンと熊を連れて歩いている。どこに行く時も彼らがこの女を守ってくれるのだ。彼女は、このライオンや熊が活躍する場所を作りたくて仕方がない。とても強い、ライオンは人間なんか一口で噛み殺すことができるし、熊は強力な前足で牛の首を折ることができる、と言った商人から買った。だから、その実力を試してみたくてしかたがないのだ。さながら、剣闘士が死闘するのを見て喜んだローマ市民たちのようなのだ。彼女にとって、平和に死ぬことよりも、戦って死んだほうがはるかに輝いてみえるのだ。病気で死んだり、怪我をして死んだり、線路に落下して轢かれて死んだりするのは全く美しくないし、許されざる種類の死だった。平和に、身内に看取られながら迎える死、そのような死は好きになれなかった。
 偉大なる婚約者が彼女に惚れたのは至極当然のことであった。価値観が全く同じだから。彼の頭は中身を抜いた缶と一緒で空っぽ。更に悪いことには、黒い煙が出ているのだ。頭と呼ぶべきかどうか分からないが、この最上部のパーツの何かが燃えているようだ。早く消し止めないと、大婚約者は、自分が歴史に名を残す名優だと思って、更なる愚行を続けるだろう。
 猫も蟹も、鳥達も、いい加減におだてたりするのをやめよ!

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偶成 [絵画]

20170514DSCN3447.JPG 今日の絵は昨日夜に描いていたものを仕上げた。この生き物は口が二つあり、一つは舌が二枚あり、あることないこと喋りまくるために多用される。時々、感情のコントロールができなくなることがあることが知られている。もう一方の口は、都合の悪いことは一切口外しない至って頑固な口である。何を聞かれても、le mondeに書いてあるとか、New York Timesに書いてあるからそれを読んで欲しいと、教養を見せびらかすのである。そして、この口は決して質問に対する的確な、簡潔な答えができない構造になっている。そのようにプログラミングされているので、他者の干渉は全然受け付けないようになっているのだ。これらの口は、口ではあるが、用途が全く異なるために、通常の位置についていることができず、また、自分自身の顔の中であるにもかかわらず、両極端に移動してしまったのは、実にウェゲナー博士の大陸移動説の通りなのである。ゴンドワナ大陸は、地下のマントルの流れ、論理に従って、都合のよい場所に移動するのである。右側に見える閉じられた口は言葉を発する必要がないので、上顎も下顎も不要である。そのため唇のみが右側の空間に移動してしまったのであう。顔の下に見える髭は、本来鼻の下にあったのであるが、口が移動してしまったために、右の唇に付くべきか、はたまた左側の二枚舌のある口につくべきか判断ができないで、まるで唇のような形をしている(=擬態している)のである。その他の顔の部品も、福笑いの部位よろしく、むしろキュビスムの絵よろしく、各々が自己主張し続けるのである。蝙蝠は日和見の象徴かもしれない。この生き物は、自分の思うようにするのを鶴首して待っていたので、ろくろ首のようになってしまったのかもしれないが、そんなことは許しませぬと一寸法師が針の剣を抜いて制止しているとか。
 このような絵を描くつもりはなかったのだが、自然と出来上がるものについては拒否してはならない、生まれるべくして産まれてきている作品なのだから、などと自分自身を甘やかしている。
 連休中に、川崎市市民ミュージアムへ行ったり、芦花公園にある世田谷文学館にムットーニ・パラダイス(自動からくり人形)展を見に行ったりして、今回は大いに刺激を受けてきたにも拘らず、そちらを纏めることができない。特に、従妹が知らせてくれたムットーニ展の方は面白かったので、休み明けに職場で二人の人々に行って見てはどうかと薦めてしまった。

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Oh, my lord! 殿、お気を確かに! [絵画]

20170506 Oh, my lord!DSCN3446.JPG 今日の絵は、昨晩描いていた絵。一昨日に別の絵を描いていたのだったが、その仕上げの序でに昨晩描いた方が、なんだか面白いのでこちらを先に紹介。例によって手遊びで描いている線から、必然的に産まれてきた形なので、この真中の妙なものは描かれるべくして出てきた線であると思う。題名は『殿、お気を確かに!』である。今回は黒のみで描いているが、別途色をつけてもっと大きな絵にする可能性もある。勿論、気が向いたらである。誰の依頼も受けず、気が向いたら作品を作る、それが私のやり方なのだからそうなるのだ。
 この中でまともに動けるのはロボット猫とロボット鳥だけで、殿は動こうとしても体と頭が有機的に結びついていない。突然切れながら、泣き始める、つまり分裂しているのである。前進すらできないのである。後退など今更できる訳もない。しかし、彼に同情は無用だ。口から怒りを発すると思えば、後頭部からは嘘八百を垂れ流す。本のさっき言った言葉を平然と食言し、自分は嘘を付いたことがないと嘯く、居直る。
 彼は、どんなに不必要なものでも、強引な説得力の全くない説明をつけて、売ろうとする。天下一の、世界一のセールスマンになるためか。誰のための商売なのか、考えたことはない。だから、そんな錆び付いた、金食い虫はいらないと言うと、全く身に覚えのない嫌疑で訴えると主張する。海辺で花火セットを買ってきて遊んだだけなのに、徒党を組んだと言うのだ。
 殿は、いつの間にか殿の座についていたため、帝王学を学んでいない。法律と憲法との区別もつかない。この殿同様に始末におえないのが、その取り巻きの案山子たちである。思考停止しているこの人形達の頭の中は紙粘土。揺り椅子の足がついているので、一旦緩急あれば、大きく身体を揺すって大騒ぎ。しかし、一歩も前進することはできない。揺れることに、殿に同調することにこそ意義があるのであろう。
 嗚呼、虞兮虞兮奈若何(愚者愚者奈若何!)

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風神雷神図 下絵 [絵画]

DSCN3171.JPG 『風神雷神図』の鉛筆による下描きは終わった。これからはどのような色で塗ってゆくか、顔の表情はどのようにするかを考えなければならない。そもそも何故風神や雷神を描きたいと思うのか。それは自分でも疑問に思っていることである。なりゆきといえばそれまでなのだが、なぜか描きたくなったので、気の済むように描くしかない。左の絵は、雷神の頭部である。日本風土記だったと思うが栖軽という人物が雷を二度捉えた、という話を中学校の国語の教科書で読んだ記憶がある。雷の姿は鬼である。羅生門の鬼とか、鬼は怖い存在であり、また非人間的な存在として私が微かな憧れも持った存在である。西洋の妖精や魔女も同様の存在かもしれない。雷様は藤原道真であるとも言われているようであるが、怖いが一目置かれる存在でもある。そういう存在は、不可欠ではないかと思う。何でも自分の持っている知識の範囲内で説明がついてしまうという存在など、深みがなく永遠に追い求めるかちもない。自分自身では説明ができず、説明を聞いても理解できないからこそ面白いのではないか、と思う。
 子供の頃は鬼は本当に怖い存在だった。夢で魘される時は、何度も鬼が出て来た。東京タワーをまたいで歩いている夢も見たが、狭い堂々巡りをするような道、双六のような道を鬼に追われて逃げている夢を何度も見て、夜中に目がさめたものだ。あの時の鬼はこのような類の鬼だったに違いない。非人間的で、情け容赦なく、人を食ってしまう。理由無く喰われてしまうことの恐怖。自分がいい子でいれば助かるのではなく、単純に鬼が自分を見ると食われてしまうという恐怖である。非合理的な死である。鬼は別段人間を食べなければならないという必然性はない。しかし、そこにいるから追いかけて喰ってしまう。ああ、なんだか、平和に暮らしたいと思っているのに、一方的に悪者にされて攻撃されている人々(特にアフガニスタン人、イラク人、イラン人。イスラム文化、サラセン文化は私を魅了して已まない。)を思い出さずにはいれない。
DSCN3170.JPG  こちらの緑色の鬼は風塵である。宗達の絵を見ていて、その鬼の耳が驢馬か馬の物のように見えたので、早速採用。牛頭馬頭という獄卒の印象があるのか。彼らの耳を鬼も持っているのだろうか。人間のようでありながら非人間的な部位を持っていることの無気味さ。
 因みに、ここに挙げた下描きは『風神雷神図』にはそのままでは登場しない。猪首であること、怒り肩であること、筋骨隆々としていること、それが今回の『風神雷神図』で特に注意したことである。
 * * * * * * * * * * * *
 三日前にやっと河童のレリーフを再開した。どの部分が自分の創作意欲を損なっていたかがわかったのはよかった。それは紙粘土で作っていたため、下半身の部分が大きすぎたことだった。そのため美しさが感じられず中断を余儀なくされたのだった。今回は、彫刻刀でその不要な部分をどんどん削った。そうしたら、河童の本体が待ちわびたように本来の姿を現した。これでよいのだ。しかし、再び何かが私に中断を命じた。自分の目指しているものとどこかが異なる。また中断してしまった。こんなことがたまにあるのだ。
 『私のナジャ』と言う散文詩、半分体験記のような作品があるが、この作品を一日でも早く完成させたい、そう思っている。既に一度完成させた作品のより完成度の高い作品になるだろう。机の上にはアンドレ・ブルトンの『ナジャ』『溶ける魚』ゴーチエ『死霊の恋・ポンペイ夜話』『ロートレアモン詩集』などが平積みになっている。こうやって私に睨みを利かせているのだ。


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風神雷神の図 [絵画]

20161217DSCN3149.JPG風神雷神の図。これは下絵。何も見ずに、腕が赴くままに自分なりに風神雷神を描こうとしてみることで、改めて構図の重要性を痛感する。このニ神をどのように配置するか。近づきすぎているので、無理やり画面に押し込んだ印象になっている。事実、縦横が屏風に比べると遥かに正方形に近い四角形なので、一定の大きさで描くことによって、結果的に近づくことになった。また、雷神はでんでん太鼓を想像しながら描いたのだが、子供っぽい雰囲気になってしまった。また、風神は風袋を片手で持っているし、サンタクロースの贈り物袋のような風袋になってしまっている。宗達の屏風絵を見ると、答えが瞬時にして分かる。何をどのように配置するべきか、
 それでもやはり一度描いて見ることによって、難しさ、重要な点が分かる。
 『風神雷神の図』で何を私は描きたいのか。勢い、力、怒り、肉体美などなど。構図の練習もしておきたい。
 この絵には、最初クーピーペンシル、その後ボールペン、朱色鉛筆、色鉛筆、水彩絵具、修正液、このような順序で描いていった。宗達の絵では、随分様式的な美が追求されている。雲の形、領巾のような布の流れるような形、風神雷神の見得を切ったような姿勢・・・金屏風がまた背景としては非常に効果的である。
 今日の『風神雷神の図』は20×25センチの画帳であるが、もっと大きな10倍以上大きな画面に描いてみるつもりである。2014年の2月に描き、その後放置し、時々手を入れ、今日2016年12月17日(土)に一応完成したことにした。今日は、この絵のある画帳の3作品にも大幅は手をいれ、完成させた。どうしても我慢ができず、気に入らず完成できずに放置しておいた絵ばかりだったが、今日は不思議なことに色を塗ってみたいという気持ちになった。
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シュルレアリスト風題名『三権分立の形骸化の予感或いはあれはダリだ!』 [絵画]

 今日は、先日の日曜日に出勤した振り替え休日。朝、久々にゆっくりしていたら、少し面白い夢を見た。周期律表の階段を上って遊んだり、ブロックになった元素記号を運んだり。自分はやはりシュルレアリズムから自由ではないのだ、あちらの世界の人間なのかもしれない、と感じる。
DSCN3148.JPG 今日の絵はとりあえず題名をシュルレアリストのダリ風に付けてみる。『三権分立の形骸化の予感あるいはあれはダリだ!』である。最高裁判所の判断には、多分に政治的な部分があり、その影響が色濃くでることがある。それは本来、行政の影響を受けてはならず、独立していなければならないのだが。それを見ていると、時代が逆行しているように感じられ、そら恐ろしくなってくるのだ。
 この絵は、例によって手遊びで描いていたものに少しずつ色を付け、上から別の絵を描き込み、色を更に追加した。もともと青いボールペンを使い切るために一色で描いていたのだったが、黒、赤のインキ、朱色の鉛筆、クーピーペン、白色の修正液などを使って仕上げた。この作品はB5のスケッチブックに描いてあるが、もう少し大きな絵に描き直すかもしれない。自分の考えをはっきりと主張した作品として。
 この空を飛ぶ車輪付き人形ロボットは、本来猛スピードで地上を走り回るだけのものだったのだが、手帳に描いている時に、空を飛ばせて見て、無人殺人飛行機を連想し描いてみた。予想以上におぞましい、不快な印象を与えるロボットになった。
 科学も工業もエンジニアリングも、本来の目的をしっかりと見据えることが必要である。これらに従事する人々に、哲学、信念、愛情が欠落していたら、人類は彼らの作り出すもののために大きな被害を蒙ることになるだろう。人が人をいかに効率よく、大量に、一瞬で殺戮できるかを研究している人間がいるとしたら、それは狂気でしかない。
 そも、万物は何のために存在するのか。決して、存在を否定され、破壊されこの世から消滅するためではない。

 


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変な絵 その1 [絵画]

 9月8日に描いた変な絵。連続物の絵としては3枚目であるが、最初に紹介するのでその1.なぜ変な絵なのかと言うと、この20161002DSCN3120.JPG世に存在しない見たことのない変わった生き物だからである。他者に害を加えなければ、変わっていることの良し悪しは問題にならない。
 某国では、ドングリたちが自分たちの代表を決める選挙をしたそうだ。立候補していたのは金塗れで金ぴかで、夜も電飾が付いているほど着飾った葉っぱが一枚、もう一人の候補は悪態ばかりついているひょっとこアヒルだった。ドングリたちは、どっちの顔も嫌いだったので、どっちのほうが害が少ないか、それを侃侃諤諤の議論をしながら消去法で選んだ。もう飽き飽きして、うんざりして議論に参加しないドングリもいた。そも、選択肢が少なすぎること自体が、民主主義が崩壊していることの証拠ではないか。どっちも嫌いなのに、もっとまともな候補が存在しないこと、実は存在しているのに存在が分からないように情報操作されていることの方が大きな問題ではないか、とドングリのジャーナリスト達は言っている。そりゃそうだ。
 対岸の火事だが、飛び火してくると言って、大騒ぎしているエノコログサたちがいた。彼らにマイクを向けると、悪態ばかりついているひょっとこアヒルが選ばれたら、領有権を争っている布袋様の国が足を伸ばして攻めて来ると言って大騒ぎをしている。そんなに世の中は単純じゃないと思うけれど。
 いろいろ変なことばかりが起こっているけれど・・・

 高齢者による自動車事故が連続して報じられている。予防する為には運転規則を厳しくすることも一つの方法だろうけれど、高齢化社会となっている日本の老老介護の現実を見なければならない。若くない身体を酷使して自分よりも多くの介護を必要としている家族を介護しているために疲労する、それが突然の睡眠を誘発する、そして・・・簡単に想像出来る映像である。事故防止装置(自動ブレーキ、速度制限機能、運転手への注意喚起機能など)のついた自動車の使用を促進、またその買い替えに補助金を出すことなども考えられるべきではないか、あるいはそのような自動車の貸し出しなどもあってもよいのではないかと思う。絵には全く関係ないが、ふと新聞記事やテレビニュースを思い出した。
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キリコ風 その1 [絵画]

 この絵を描いていたのは9月20日頃。遠近を強調し、その中に日常見ることの無い情景を描いて風景に仕上げる、それが今回の描き方である。通勤途中の電車で、一連の奇妙な生き物の絵を三枚ほど描き、帰宅後スケッチブックにもう一度描く。そのよ20160920DSCN3113.JPGうな作業を何回もしていた。何のために、何を描きたくて、そのような目的は何もない。ただ、手が動くままにしておく。塗りたいように、色を塗る。その作業が数日連続した。最初は孤独や疎外、或いは虚無感、空しさ、無力感などを描こうと思っていたのだったが。静寂、無音の恐怖、見えない何かに対する漠然とした怒りなど、日々の感じたことも同時に反映されているのだろうと思う。
 それでも半ばは、意識していたのだった。キリコのような絵、シュルレアリズム風の絵、キュビスムのような絵に惹かれて、描いて見たいと思ってはいたのだった。しかしながら、決して、模倣ではないものを。自分が何に惹かれているのかを考えながら、また考えずに。
 出版計画については、大幅に計画の変更をすることになるが、ぴたりと止まってしまっている。一旦計画を中断し、他の作品の選び直しをしている旨を連絡したが、出版社からは忙しいのか、なしのつぶてである。腹を立てたのかもしれない。一度送付した物を中止したのはこれが二度目だからである。
 計画を中断してからだろうか、風邪を引いてしまって、体も頭も思うように動かない。それが悪循環になり、出版以外のことも、あれこれ決めていたことがどれもやり掛けになり、進んでいない。
 
 ロボット猫が、歩く、歩く。女性は、歩いている男の背中に声を掛ける。彼方にはパラシュートで降下してくる者がいる。時間は昼下がりだろうか。場所は、街の真中、こんなに単純な風景は見たらない。しかし、私の頭には丸の内の一角が目に浮かんでいるのだ。既に再開発で大きく変わってしまった風景が。人々が目的を持って忙しげに歩き回り、自動車も頻繁に脇を通過してゆくのに、私にとってはそれらは存在しないに等しい。余りに自分に無関係だからだ。無関係であると、さながら砂漠にいるような、関係のあるものが真空に吸い取られてなくなってしまうような孤独を感じるのかもしれない。森の中を歩いている時とは正反対の感情かもしれない。
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制作中『あんたが大将あるいは悪いのはお前だ』"I'm always right" or "You are always to blame" [絵画]

 制作中20160214DSCN3035.JPG先週、3つ新しい作品の制作を始める。『焦燥感』(仮題)と『あんたが大将あるいは悪いのはお前だ』、もう一つは題未定、である。『焦燥感』はこのところ次々に進行しつつある政治的、経済的変化に対する私の心理を絵によって表現したものである。この作品は白黒のみで描いている。大体出来上がったような気もするが、まだ完成させることができないので、次回以降に公開予定。
 代わりに『あんたが大将或いは悪いのはお前だ』の下絵に今日は背景の色を塗った。例の雄鶏とっつあんが、能天気に走り回っている絵だ。この馬鹿な大将にほれ込んだ子分のヒヨコたちが嬉しそうに追随しているのだ。摺りこみされている、洗脳されているに近い状態である。
 ヒトラーについての本を読んでいるが、不安や熱狂的な愛国心を煽られると集団ヒステリーが起こるようである。第一次世界大戦後は、多くの不安要素があった。それを巧みに利用し、自分の都合の好い論理に置き換えて民衆を扇動したのがヒトラーだった。子供の頃に読んだ物語に、ある噂の為に村中がパニックを起すという内容のものがあった。どこからでた噂か、近々地球から空気が無くなると言う。空気が吸えなくなったら皆死んでしまう。村の子供達は大騒ぎ。金持ちの子供は空気を確保するために、自転車のチューブを体中に巻きつける。しかし、貧しい子供達はそのようなことができない。子供達は不安に襲われる。結果的には、それは根拠のない噂だったと言うことが分かり、自転車のチューブを巻きつけた金持ちの子は皆の笑いものになった、と言うような話だったと思う。
DSCN3038.JPG 今日、この絵『あんたが大将あるいは悪いのはおまえだ』に色を塗りながら、あれだけ世間を騒がせた政権の寿命も短いのではないか、と言う微かな希望的予感があった。正しい予感のような気もするのだ。なんとなれば、アメリカの大統領候補選挙などでも、今までのアメリカでは見られなかった現象が起きているからである。もし大統領になった時には、TPPは批准しないと明言しているバーニー候補がヒラリーを上回る得票を得る州もあり、脚光を浴びているからだ。それはニクソンとマクガバンの大統領選挙の時のような泡沫的なものなのかもしれないが。また、日露戦争の頃であれば全く裏でどのような駆引きやり取りがなされていたか一般庶民は見当もつかなかったようなことが、21世紀の世界ではインターネットに公開されている情報から、かなりの精度の高い情報が入手できるからだ。(例えば、アメリカで遺伝子組み換え食品の表示を義務化するようモンサント社の株主総会で主張すると、株主の95%が反対すると言う。コンプライアンス重視の会社として国民の健康を考えれば、公序良俗の観点から賛成せざるをえないにもかかわらずである。その大株主は、実は個人ではなく投資会社だったのである。利益を追求する投資会社(Vanguard Group Inc.FMR,LLCほか。彼らの運用資産は2兆ドル、3兆ドルもある)であるがゆえに、アメリカ国民の健康など考慮に値しない訳である。これで状況については納得。)
 先週下絵を描いている時には、この絵は『あんたが大将或いは俺について来い!(レミング)』のような主題を考えていた。放った筈の三本の矢もばらばらに自分自身のマストに突き刺さっている、にも拘らず自分の正しさを呪文のように唱え続ける雄鶏とっつあん、その姿に憧れて追随する子分のヒヨコたち。
 しかし、今日はそのような悲観論は退き、もっと楽観的になっている。彼らは画面から退場しようとしているのである。だから将来に、未来に希望を持っている。その希望が本物になるためにも、まずは参議院選挙の野党共闘は不可欠だと思っている。
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絵 ”Hey, guys! Where are you going?” [絵画]

今日は、絵付きの心象スケッチ。
20151129 Hey, guys! Where are you going DSCN2985.JPG題名は『おい、皆!どこへ行くんだ?!』

「希望の光」に満ちた光景
俺は感動した

我先に
ではなく順番に
それでも追い立てられるように
右の方角へどんどん行進して行く
昆虫ならぬ4つ脚の生き物
世界のあちこちで見られる光景なのかもしれない
目玉も触覚も皆同じ方角を向いている
どうして、周りを見渡さないのか
そういう疑問は愚の骨頂さ
そんな野暮なことを言っちゃあおしまいよ
皆の目は真剣そのものさ
皆が皆、活躍できる社会だからね
活躍が保証されているんだからね
何?具体的に言えだと?
馬鹿なことを言いなさい
各人努力すれば、無限大の可能性があるじゃないか
無限のものを列挙するなんて
そんなもの挙げていたら、死んでも終わらないぜ

いいかい
頑張らない奴は愚か者さ
年齢も性別も
生まれた境遇も経済力も
そんな言い訳は聞かん!
言い訳は大嫌いだ
尤も、俺達は多少裕福かもしれないが
カップラーメンは300円くらいかな?
まあ、安いもんだ
珈琲も一杯1500円くらいだろう?
そんなもんでも食べて頑張れば
諸君は活躍できるのだから
そして、もっとまともなものを食ったり飲んだりできるんだ

私には、何だかこの虫のような生き物の靴音が聞えるような気がする
そして大兄弟の声が
この生き物の背後に響いているように感じる
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