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童話『提琴弾きのアヨアン』 [詩・散文詩]

 先日、歩いている時に、ふと『セロ弾きのゴーシュ』のような物語を書いてみたいと思った。そして夏休みに書く事に決めておいた。そして、先週の土曜日から書き始め、今日完成した。全体で15ページの長さなので、数回に分けて公開してゆく積りである。文章は終わったけれども、この作品は絵本にしたいので、挿絵を描かなければならない。それが結構大変である。特に一枚目はどうしたらよいか少し悩んだ。
 兎に角、一枚目の絵が描きあがったので、この童話を公開したいと思う。
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提琴( バイオリン)弾きのアヨアン 2014/08/09 土曜日~014/08/11 月曜日

 

 私は提琴弾きのアヨアンと申します。提琴弾きと言っても、それを職業にしている訳ではなく、心から提琴の音色を慈しんでいて、往年の名演奏家たちのような音に少しでも近づければそれでよいと思っているだけなのです。

 宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュは大好きな物語で、そらんじているくらいです。そして面白いことに、ゴーシュに起ったようなことが私にも起ったのです。それを忘れないように書いておこうと思って筆をとったしだいです。

私の住んでいるのは郊外にある小さな一軒家です。この家はもともと農家の納屋だったところなのですが、跡取りがいなくなっている農家の老人とたまたま知り合いとなり、半永久的に無料で貸して貰うことになったのです。

20140811monday Ayoan's little house by a brook .JPG私は毎週、週末になるとこの納屋へやって来て、改装をして、すっかり画家か彫刻家の仕事場のような作りにしてしまったのでした。扉を開けると食堂兼客間兼アトリエなのですが、そこには白熱電球が吊ってあります。入り口には枯れ木で作った帽子掛けが置いてあります。この家は隣近所からは大分離れていますし、小さな畑もあり、小川も流れているのですから、実に理想的な家でした。小川には小さな水車を拵えて、玄関の明かりに電気を送っています。都合の好いことに、隣には老人夫婦が住んでおり、家庭菜園で野菜やらちょっとした果物やらを作るのを楽しみにしていました。時々美味しい野菜を差し入れしてくれたりするので、私もたまに出張した時の旅土産をお礼に持っていたっりする仲でした。

 

改装が終わってから引越しをしましたが、なにせ一人身ですから簡単なものです。作業はすぐに終わってしまいました。

 

 この小さな村にはちっぽけな公民館があります。そこでは年に一度お祭のような催し物があります。出し物がいろいろあって、結構楽しめるのです。年寄りばかりが集まって『少年探偵団』を芝居にしたものがあったり、青年団が女装するフラダンスがあったり、反対に少女ばかりの歌劇のようなものがあったり、身の周りにある鍋や釜や空き缶やら石油缶やらビニールホースやら野菜やらを楽器にした演奏会があったり、民謡の喉自慢があったり、手品やら紙芝居やらがプログラムに載るのです。そして、村で一人しか提琴をもっていないという理由だけで、何とこの年には私も提琴を披露することになったのです。それも最後に演奏しなければならなくなったのです。

 私も今まで以上に本気になって演奏に取り組まなければならなくなったのでした。本番までには半年ありました。

 


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珈琲の好きな男 [詩・散文詩]

珈琲の好きな男    2014-08-02 土曜日

 

20140802.JPG僕はねぇ、珈琲が大好きなんですよ

ワッハッハ

 

どうして、どこが、何が、何故?

 

雰囲気

味わい

喫んでいる時間

喫んでいる空間

それが好きなんですよ

ワッハッハ

 

それを奪われたら

それを禁じられたら?

 

あぁ、そんな意地悪なことを思いつかないで下さい

仮令珈琲時間が十五分もあれば

僕はその時自分を取り戻すことができるんです

自分の世界に戻ることができるんです

すべてのから解放されて自由人になれるんです

だらか、そんな酷いことは思いつかないで下さい

ワッハッハ

 

珈琲にはうるさいの?

 

あぁ、またそうやって枝葉末節を問ひたもう君

大切なことは僕が珈琲を愛好していると言う事実そのものなんです

産地やら豆の種類やら挽き方やら淹れ方やら味などに拘ったりしたら

生産者に失礼じゃないですか

何でも有り難く頂けばそれでいいじゃないですか

何よりも珈琲馬鹿の僕が

珈琲を空間から時間から味から全てを堪能するのですから

それでいいじゃないですか

ナッハッハ

 

砂糖は?ミルクは?

 

あぁ、勿論僕は珈琲のみで楽しみますよ

その香りを

煎られて挽かれた珈琲豆の作り出す色と味わいを

しかし、もういいでしょう

僕に珈琲時間を十五分与えしめよ

僕はその時自分を取り戻すことができるんです

自分の世界に戻ることができるんです

すべてから解放されて自由人になれるんです

だらか、そんな酷いことは思いつかないで下さい

ワッハッハ

ワッハッハッハッハ!


今日は気の好い火山弾のような人物を思い出しながら、こんな詩を書いた。彼は潤滑油であり、癒しである。


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緊急心象スケッチ2014-07-18 [詩・散文詩]

July18 2014.JPG 緊急心象スケッチなる作品を、突然書きたくなった。そして電車の中で書いた。それが以下の作品である。

緊急心象スケッチ2014-07-18 金曜日

 帰去来辞ならぬ緊急心象スケッチである

嫌であれば去ればよいのだ
今の私にはそれが許されるのだから
雨露を凌ぐ屋根がある
風を遮る壁もある
捻ればでてくる水もあり
煮炊きできるガスレンジもある
多少埃が多くとも暖を取る布団もあり
喜びや悲しみや怒りや楽しさを共に分かち合うことのできる妻もいる
悪戯を仕掛けて遊ぶことの出来る
気まぐれな猫達もいる

帰去来兮
田園将蕪 胡不帰

作らねばならない作品達は
私が着手するのを今や遅しと待っている
放置された作品たちは
仕上げられるのを首を長くして待っている
そして既に作り上げられた作品達は
日の目を見るのを薄暗い書斎兼アトリエ即ち仕事場で
すっかり疲れて待っている
彼らをしっかり纏めて世に出すことだけでも大仕事だ

帰去来兮

妻もそれを法螺貝をボーボー吹きながら応援してくれている
ピアノもバイオリンもチェロも
私が音楽を奏でるのを待っている

何故に揺らぎ石の上で平衡を取ろうとしているのか
何が楽しくて焼けたトタン屋根の上で片足で瞑想しているのか

屈んで地面を見れば
蟻たちが忙しそうに動き回っている
地中では蚯蚓たちが土を耕している
ダンゴムシたちが枯れ葉を食べている
ヒヨドリも気儘に飛び回り
郭公も暢気に啼いている

帰去来兮

※私の心象スケッチを、ほぼ毎日1つずつ書いているが、金曜日には前日つまらないことが職場であったために、このような詩を突然書くことになってしまった。「きんきゅう」と「ききょらい」は何となく音が近かったので、また、帰去来辞の心境になっていたので、この詩が生まれた。
※なお、絵は2014-07-18に描いたものであるが、詩とは何等関係がないし、猫を描こうと思って描き始めたのでもなかった。このところ描いていたいくつかの小さな絵を栗の里の愉快な女房殿に見せたところ、この絵はアヨアン・イゴカーらしさがでているからいいのではないか、と言われた。そこで今日載せることにした。


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私の心象スケッチ その10 2014-06-04 [詩・散文詩]

 今日は、先週土曜の出勤の振り替え休日だった。折角の休みではあったが、優柔不断な気圧のせいで、少しも気の休まることはなかった。あれこれと計画していたことも、無気力の壁に阻まれ、期待した成果を上げることができなかった。私は宮沢賢治を読み返し始めてから、心象スケッチと言う詩の書き方が、自分にとても相応しいことに気付いた。そして、今年2014年の5月21日から連続して、或いは間を置いて心象スケッチを書いている。既に19書いている。今後も書き続けることになるだろう。それを心象スケッチとして纏めるのが今日の計画の一つだったのだが、2つほど入力しているうちに気が向かなくなり中断してしまった。理由は、途中まで書いた心象スケッチを、入力しながら仕上げてゆく際に、いつのまにか自分の感性に合わない方向に文章が進んでしまうからであった。そんな時は筆を置いて、気に入らないところを思い切って削除してしまうのがよいのだ。絵の場合に、別の色を塗り始めたり、線を追加したり、上から別の濃い色を塗ってしまうのと同じである。
 そして、今日のもう一つの計画は仕上げることのできていない一枚の女性の絵を完成に近づけることであった。しかしながら、やはり、こちらもまるで筆を手にすることができない。この絵は水彩絵具を塗ったため凸凹になっていたのだが、その画用紙にアイロンを当てるくらいが精々の前向きな行動となった。
20140701tuesday.JPG それとは別に、朝、B5判のスケッチ帳に一枚の絵を描き始めた。絵の設計図のようなもので、この4倍くらいの大きさでより手細かく線をいれて描き上げるつもりである。それが左の絵である。特に題名はつけていない。鍋や水差しなどが歩いたり飛んだりしている絵である。これは私の焦りを一部反映していると言えないこともない。閣議決定に対する私の焦燥感が現れているかもしれない。
 この絵とは全く関係ない心象スケッチ2014-06-04は次のような詩である。

心象スケッチ 2014-06-04 水曜日 その10

青い空からインド人が降ってきた
実のところ白雲の後ろに隠れていたらしかった
しかし、俺はそんなことには興味がない
彼は中指に指輪を付けているから
立派な紳士さ
ところで、反対に上空に立ち上る奴もいるのさ
陽炎のように揺らいでいる奴も
このご時勢どんなことがあっても驚くのは損だ
憲法は解釈して使うものにして
準拠すべき
尊重すべき規範にあらず、と云へり

<船内放送>:
これから先、私共の乗っている船は
転覆したり、回転したり、座礁したりしますが
気になさらないでください。
それも愛嬌ですから。
あぁ、第一、全体、それはあなたの錯覚ですから。

* * * * * * * * * * * *

転寝をしていたら桑港に着いていた
ここはアメリカ大陸


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私のナジャ [詩・散文詩]

 暫く書かずに放置していた文章がある。それを書き上げなければならないのではないかと思ったのは、先週のことである。
 そして、今日、手帳にいくつか書き始めた文章をPCに打ち込んだ。この小説は、書き上げねばならないと思っている。今日は序章。
***************************

私のナジャ    2013/12/23 月曜日

 経験にはいくつかの種類がある。

一つ目はしばしば自分も他者も同様に体験するもの。これは追体験もし易く、理解し易い。共感を求める時にも、言葉だけでも充分にその中味が伝わる類である。

二つめは、自分は体験したことがなく、他者も極一部の者だけが体験するものである。この体験談は、未経験であるが故に、皆が知りたがる。

そして、三つ目は極限られた自分を含めた極々少数の者のみが体験するものである。限られている故に、自分の宝或いは財産のように感じられることもある。それも決して目減りすることのない、欠けることのない財産。多くの人が体験していないと思われるだけに、自分だけが秘密の部屋に入り込んだような、特権を与えられたような満足感が伴う。

私はシュールレアリストのアンドレ・ブルトンの『ナジャ』を読んだ時、大きな満足感に浸ることができた。なんとなれば、私の好きなブルトンが、私と同様の体験をしていることがこの小説によって確信できたからである。私が私のナジャについて書いた作品に流れている疎外感が、ブルトンのナジャの中にも感得できたからである。

そして、私は『私のナジャ』を書くことにして、章ごとの題名も決め、既に二十ページ以上書きはじめていた。が、中断して、既に十四年も経ってしまっている。つい最近それに再度取り組み書き上げようと思いついたのである。

2013-12-23 My Nadja.JPGしかし、書くという行為は二律背反的な行為でもある。描くと言う行為は、描かれる対象を固定してしまうことである。カロッサの『美しき惑いの年』の冒頭に林檎の木の話が書かれている。全世界の林檎の木が残らず枯れてしまって、一粒の種しかこの世に残っていないとしたら、人々はそれをどのように扱うか。その種を分解して、精密な記録を後世に残すか。はたまた種を地に蒔き、新しい芽が出ることに賭けるか。あれかこれかの二者択一である。私はたまにこの問い掛けを思い出すことがある。そして、一人の人物を絵で描くなり、文章で書くなりすることも、たった一粒残された林檎の種を如何に扱うかという問題と同じではないかと思うのだ。描くことには、描くという行為によって同時にそれ以上描くことを制限してしまうのではないか、と。ある物を描くと言うことは、別のあるものを描かないと言うことでもあるからだ。つまり、立位の人物を描くと言うことは、その人物の座位した姿を描かないことでもあるのだ。正面から描くと言うことは、背面から描かないと言うことである。林檎の種は、分解されることによって生命を失う。一方、蒔かれることによって成長する可能性をより大きくされる。勿論、地中で腐ってしまう可能性と共にではあるが。一人の人間を描くことは、その行為によってある部分を描かないことになる、しかし全く描かなければ何も残らない。

こんな風に考えて、それでも矢張り私は私のナジャを小説という形にしておこうと決めたのである。

※写真は現代思潮社版『ナジャ』にPassportの包装紙で作ったカバーに、マジックインキと修正液、クーピーペンシルで描いた文字と絵。絵はナジャの描いたものに似せて描いた。


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詩『イグアスの瀧に憧れていた自分を』 [詩・散文詩]

イグアスの瀧に憧れていた自分を 

私は

イグアスの瀧に懸かる虹に憧れていた当時の自分を

今の自分が否定するのを知っている

地球の端にあるという

海水が瀧となって落ちてゆくイグアスの瀧を

マゼランと共に見たいと言っていた自分を

南氷洋を砕氷船に乗って横切り皇帝ペンギンを見たいと思っていた自分を

今の自分が許す筈がないのを知っている

 

Remote  Control 2013-11-27.JPGなんとなれば

あの頃からは随分時間が経ち

特別な冷遇

悲劇的な幸運

屈指の不名誉

自己浄化作用の起こらない

変幻自在でありながら本質の変わらない不平等

の待っている扉を開けてしまったから

カメレオンのように色は変わっても変化しない実体

 

救いがある

現象の実体を果敢にも見極めようとするマドロスたちがいることである

彼らは前途茫洋たる航海に出ている

海の果てを見極めるまで帰国しない決意で

権威を引いて論ずるものは才能を用いるにあらず、ただ記憶を用いるにすぎぬ*

彼らは本質的でない返答を許さない

裏づけのない、実体のない念仏は許さない

はぐらかされた答えは答えとして認識しない

自分の席を守ろうと

他人と争ったり

他人を謗ったり批判したりするのはおよしみっともないよ

 

と祖母が言った

 *『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上』(岩波文庫)p22
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ユーカラ風に [詩・散文詩]

『ユーカラ風に』
ヒピヤニチュパシ トトンコトトンコ
われ重き心で旅に出でんと欲す
梅雨の合間のある晴れた日に
地中を走り回るモグラに乗りて行く
トトンコトトンコ

老いたる女梟たちの一団に巡り会へり
その一人のオウナ言ひて曰く
「この鞄、内の旦那に買ってもらったの
何か悪いことをすると、あの人変な物買って来るの。
それが、先日箪笥の中から出てきたの。
黴てたから、黴を落としてきたの。」
ヒピヤニチュパシ トトンコトトンコ

かのオウナ梟、他のオウナ梟達に言ひて曰く
「東京はさぞかし、凄いでしょうね。
着いたら、まず美味しいもの食べなきゃ。
スイーツ!スイーツ!」

2013-6-30.JPG厚司を着た若い女雀が舞いながら歌う
「旨きもの、スイーツ!満腹であっても
何故か食べることのできるスイーツ!
老いも若きも抗するあたわぬスイーツ!
宝石のごときスイーツ!嗚呼!」
これを聞きて、オウナたち、
少女の如く甘き目をして若い雀に和す。

そこへ黒い烏青年がやって来て
糞をばら撒きながらおどけて歌う
「これもスイーツ!虫たちにとってのスイーツ!
旨きこと限りなし。
満腹の時も空腹の時も
あれば憂いこそなけれ
スカラベ、糞転がしの宝物
宝石ゆえに。」

これを聞きて、オウナたち、苦き目をして
烏青年を追い回す
やがて青年は捕まり
羽をもぎ取られ
殺され
屍は畑の案山子の隣に吊るされたり
ヒピヤニチュパシ トトンコトトンコ
と年取った雀が歌った

 


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詩『ゴアの波止場のお嫁さん』 [詩・散文詩]

 今日は、数年間使っていなかったCOMPAQのPresarioで作った音楽作品をCDに焼こうと色々苦戦し、敗退。CD作成ソフトに取り込むことはできるのだが、読み込むことができない。そのため、Sound ItでWAVEに変換したものはしっかりと好い音で再生できるのに、CDにならないという不合理なことになって、敗北感に打ちひしがれる。予定はいくつかあったが、どれも実行できないままである。
 しかし、そんなことでめげてはいけない。たった今、ブログ記事を1つ公開することにした。本当は別のものをYouTube作品にしたかったのだが。
 
 2009年にカレンダーの裏に絵を何枚も描いた。その多くはこのブログで発表したのだが、その中に発表せずに保留にして来たものがある。理由は、もっと美しい絵にしてから発表しようと考えたからである。しかし、今日は、なんだかそれでも発表してしまったほうがいいような気がしてきた。
 私は自分の第一詩集は詩画集にする計画があり、まだその絵を殆ど全く描き始めていない。たった数枚の中の一枚が今回の絵である。詩の題名は『ゴアの波止場のお嫁さん』である。私が十九歳か二十歳の頃の作品である。

ゴアの波止場のお嫁さん

あの青空のもとで
僕はあんなに色の黒い娘に会ったのだ
君は半裸体の少女であった
頭の上に甕のせて
塩とテキーラ、売ってたね
君はこっちを向くと
野生的なあのインドカモシカの目で
遠く彼方の廃墟から
凝然と様子を窺っていた
そういえば、荒々しい背中まで垂れていた黒髪はジプシーのものだ

2009-7-26.JPG僕たちの旅は愉快だった
僕はカジキマグロに乗っかって
君はまるで海豚のように
ペルシア湾まで泳いでいった

青すぎて雲も忘れたアラビア海を背に
僕は野蛮な美しさの君を
お嫁さんに選んだのさ

*テキーラはメキシコのリュウゼツランから作る酒であるが、そういうことに拘らないのが私の書き方である。塩を舐めながら飲むというのを、NHKのテレビで放送しているのを見て知った。ここでは語呂を楽しむために使った。そして、この詩の元となったのは、小学生向けの歴史の本にあったゴアの波止場の挿絵である。


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シュルレアリスト風 2011-4-27 [詩・散文詩]

2011年4月27日水曜日に電車の中で書いた詩。

2011-6-16.JPG赤は冷酷さの象徴
鯨の腹を割いてインク塗れの運動場
を取り出すのは勝鬨橋
倫敦塔(に幽閉された)
赤い靴の少女が海外に輸出された頃
東からは強風が吹いて
閉じられていた門戸が開け放たれた
そうなると鯰の親爺やら姉さん被りのほうれん草だの長靴を履いたクレオパトラだの
まるでリオのカーニバルよろしく
化け物たちが入り込んで来た
「我々は君たちが嘗てやったように
暴力的に生存権を主張しているのだ。」
と言い訳をしながら。
「輝かしい経歴があっても、飢饉の時に
食べ物を持っていなければ
それは君、ただの穀潰しさ」

僕はこんな春の嵐の時は
風船に乗って脱出を図る
右から来たと思ったら左から
あぁ、もうそんな風に乱暴に吹くのはやめてくれ
僕はカンツォーネを歌いすぎて
喉がすっかり燕(つばくろ)のように臙脂になっているのさ

ところで、このところ私は下記のSufi Musicにすっかり魅了されている。単純な旋律の繰り返し。何故か私はこの曲を聞いていると、大草原を夕焼けに向かってゆっくりと遊牧民が移動しているような光景が思い浮かぶ。そして、この旋律にウラル・アルタイ系の、朝鮮民族にも通じる響きの懐かしさを感じる。
<iframe width="425" height="349" src="
http://www.youtube.com/embed/J_xFkfK4OEg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


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暑い夏の詩 二篇 [詩・散文詩]

2010-7-28

taiyo-kun enters 2010-8-7 sat.JPG夏の詩その一

(観音の立像が本を読む

マグダラのマリアthe Magdalene

携帯電話の画面を見つめて吐息をつく

黒蜥蜴の女は

通過する特急電車に背を向けている)

 

アスファルト道路は

ソフトクリームのように流れている

灰色と青色と白色の縞々が

ナイアガラ瀑布に向かって

蝸牛の速度で流れてゆく

アスファルトは糖質が零だからと言って太らないわけではない

油断めさるなよ、諸君!

そこへ、ファンファーレもなしに

ランニングシャツを着た太陽君が登場

(こんなところをマラソンしてはいけないってば

余り速く走って大地を焦がしていると

弓名人羿に射落とされるよ)

彼の得意な種目は跳馬と吊り輪である

あぁ、床運動も鞍馬も

 

朝焼け空にソロバイオリンの奏でる愛の賛歌が美しい

若者には夏は恋の季節

老いた者には夏は受難の季節

夕焼け空にはツィゴイネルワイゼン

あぁ、ロマよ、ボヘミアンよ、ノマドたちよ

万年大学生たちよ

lonely taiyo-kun 2010-8-7 sat.JPG夏の詩 その二

この音、即ちこの声は

昔、小学校の理科室で聞いた

樹の幹を伝って根元に雨水をまとめる

あの声

その技は宇宙の誕生からの経験に裏打ちされた計算

 

子供の頃は憧れが私達をして

愉快な行動をせしめたものだ

屋上から飛び降りたり

自分や麒麟の脚の長さを測ったり

川獺の真似をして、息を永遠に止めてみようとしてみたり

自分の影を振り切って走ろうとしたり

五十ヶ国語を喋って見せてみたり

魔法使いになるための修行をしてみたり

十歳にして老後の薔薇色の生活を夢想したり

天の川で溺れてみたり

誰も命令していないのに、運動場を一万周走ってみたり

 

あぁ、しかし、誰もそんな行動を褒めてはくれなかった

存在に気づいてくれた人も少なかった

孤独者の思い出

窓外では子供達がはしゃぎまわっていた

校庭で鬼ごっこをしていた

炎天下で汗まみれになりながら必死になって遊んでいた

なんでも飽きるほど、死に物狂いでやることが

若者たちの特権

 

愚かしさ

そして懐かしさ

 

太陽君は夏の象徴であります。

太陽君!


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