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ピアノのための小曲 2009-01-01木曜日 [音楽]

 昨年末から体調を崩していた。
 正月に、今年最初のピアノの為の曲を書き始めた。予想に反して、一週間で書き上げる予定が、思ったより長く掛かり今週の月曜日に書き上げることになった。そして、1月28日水曜日の午前中出勤前にWAVEとMP3にして保存する。何故かWAVEファイルは200MB以上になってしまった。グリッサンドを音符でしっかりと書いたり、トレモロも使ったりしたからかもしれない。
 折角のピアノ曲なので名前をつけようとしたら、今回は全く気に入ったものが思いつかない。諦めて、取り敢えず備忘として書いた日付をそのまま題名としておくことにする。
 次は、昨年中にすでにほぼ書き上げている『チェロソナタ第2番第1楽章』を書き上げ、公開することになると思う。


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にょしにいさん版ピアノ組曲『鶏-雄鶏の蹴爪の舞』 [音楽]

 美大の学生さんから私のピアノ組曲の一曲をアニメーションの背景に使いたいと言う連絡が来たのは、今年の6月頃。卒業制作に必要だとのことでした。音楽コミュニティーMuzieの曲を聴いて、そのような考えを持たれたようです。勿論、私は喜んで承諾しました。
 暫くして、音量がMIDIデータのため小さいので、もっと大きく出来ないかと言う連絡が来ました。私は、Vienna Instruments SEにあるベーゼンドルファーの音源で、録音しなおし、2MB位にして再登録。
 しかしながら、今度は音が変化して、機械的な音になり、ピアノらしくないと言う指摘。やれるだけのことをやってみたが、私にはお手上げ状態であった。そこで、如何に人間の生演奏に近づけるかを研究しながら、So-net Blogで音楽を公開されているにょしにいさんに打診してみました。そうしたら、快諾して下さった。
 早速、先ずはMIDIデータを送る。Steinwayの音に変換されるが、どうもそれほど代わり映えがしない。音の調整をメールでお願いする。最終的には曲想・奏法に関する標語を書いた楽譜を郵送し、それに基づいてやり取り。
 最後の最後も、美大の学生さんからも一点注文が入り、その調整もして頂きました。その作品をこのSo-net Blogにも公開することにしまる。DTM職人のにょしにいさんの仕事を是非お聴きいただければ幸いです。
 尚、同じ曲をヤマハのMySoundにも再登録しました。
 この卒業制作は、一般にも公開されるようですので、場所・開催時期が決まりましたら、お知らせいたします。



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独奏チェロの為のパルティータ第1番第2曲 [音楽]

 独奏のチェロの為の『パルティータ第1番第2曲』完成したので、早速公開。
 このところ劇団木馬座の思い出を書いたり、手帳に描いたクロッキーをデジカメに取り込んでいたりして、作曲が中断状態だったので、パルティータを完成させなければと少し気になっていた。後、数曲書いて、パルティータ第1番としては完成させたい。
 Partitaと言うと、Allemanda, Sarabanda, Giga, Ciaccona, Preludio, Loure, Gavotte en Rondeau, Menuet, Bouree, Gigueなどの形式に沿って書かれるようだが、私はそういう形式には全く拘らないで書いている。日本語を知らない外国人が、日本語の真似をすると訳の分からない言語、と言うよりは音を発することになる。聴いているとその無意味さと日本語風の響きの滑稽さに噴出してしまう。それに近い行為なのかもしれない。が、以外に面白い手法ではないかと考える。遠方から眺めたためにとても綺麗な図案に見えたものが、実は悲惨な場面だったり、逆の場面もあるだろう。全て、人間が自分の経験と知識に基づく解釈、想像によって成り立つものなのだ。



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H2OさんのMass on the street cornerによる弦楽四重奏曲 [音楽]

この曲の掲載打診をしていたH2Oさんから、本日ご了承の知らせを頂きましたので、早速、一昨日に完成させていた弦楽四重奏曲を公開いたします。この曲はヤマハのMySoundという音楽コミュニティーで知合ったH2Oさんが作曲された「Mass on the street corner」の出だしKyrieを主題として使用させて頂いています。(http://players.music-eclub.com/?action=user_song_detail&song_id=98884
是非、皆様にもお聴き頂きたい曲です。MidRadioPlayerをダウンロードすれば何方でも聴くことができると思います。

私はこのH2Oさんの「Mass on the street corner 街角のミサ」を聴く度に、賑やかな街角で女声コーラスが踊りながら、通りすがる人々に語りかけるように、明るく歌っている姿を眼に浮かべます。宗教が宗教であるためには、宗派を超越して、開放感、明るさ、信頼と喜びに満ちていなければならないと思います。信仰の本来あるべき姿が、この曲の持つ世界に感じられるのです。



 今回は、当初、フーガを作る予定でしたが、やめました。そして、フーガ風の曲になりました。Kyrieは原曲よりもやや遅めに速度を設定しました。(少し、公開した後に書き直しました。08-08-16 16:35)

蓑虫男 [音楽]

 松橋貴之さんの『らくがきの空』の絵を見て書いた第5曲『蓑虫男』"A bagworm man"。舞曲風の曲。完成させたのは昨日7/26(土)の朝である。約、一週間掛けて書いた。
 私は組曲『らくがきの空』をCDにしようと計画している。そして、簡単な物語か詩を各々の絵或いは曲に書こうと思っている。
 例えば『蓑虫男』はこんな風になるかもしれない。計画なので変更もありうるのである。

 蓑虫男  

 蓑虫男は伊達男
 彼はいつも思っていた
 (枯葉をいつも持っていた)
 俺は殺人者なのだと
 殺人と言っても人殺しではない
 高慢な女たちの心を射止める者さ
 斜に被った帽子 
 上目遣いの眼光鋭く
 あぁ、しかし、彼の武器は一つっきゃない
 それはさ、皮肉に満ち満ちた笑い顔
 まるで目の前の女などは目に入らぬかのよう
 遠い過去を懐かしがっているだけさ
 鯨が四足で陸上を歩いていた頃を
 サーベルタイガーが夢枕に立った頃のことを

 蓑虫男には息子が一人いる
 銀之助と言う名の
 父親譲りの伊達者振りの
 好色一代男よろしく
 女の品定めをする
 その物差しは鯨尺さぁ
 リボンが可愛いか
 おかっぱ頭かお下げか
 童謡が上手に歌えるか
 花柄の浴衣を着た姿が湖畔に立ったときはえるか
 あぁ、なんと口うるさい小僧だろう・・・

 
 

ピアノ組曲『らくがきの空』第四曲『海底に沈んだ国の王女』 [音楽]

 松橋貴之さんの『らくがきの空』で作っているピアノ組曲。その第四曲が完成しました。当初の予定とは若干方向がずれていますが、作曲と言うのはそういうものです。自分で一定の方向へ持ってゆこうとしても、そうならない場合が、ままあるものです。

 遠くの彼方を見つめる王女は、実は魚族なのかもしれません。そして見ているのは、生き物達の誕生なのです。生命の誕生の瞬間なのです。原生動物の誕生。ノープリウス、アミ、ゾエア、メガローパの踊りを。海綿やウミユリの舞を。イソギンチャクや水母を。透明な海の中で、撒き散らされた宝石のように、生き物たちが踊り輝いています。


独奏チェロの為のパルティータ第1番-1 [音楽]

 今年の二月四日に半分書いてそのままになっていた独奏チェロの為のパルティータ第1番-1。私は、鶏が草むらに卵を産んで忘れているように、あちこちに書きかけの作品を残して、すっかり忘れて書くのをやめていることがある。後で聴いたり見たりして、悪くないねぇ、これも、などと思う時があり、そういう曲なら完成させなけらばならない、と思ったりする。詩でも、絵でもそうである。
 今回のパルティータもそうである。バッハやピアソラの独奏曲を思い出しながら書いた作品である。バッハの無伴奏バイオリンの為のパルティータは、私の作曲の基礎の一部になっているかもしれない。昔、私は、弟の通っていた高校の音楽の先生に曲をみて頂いた時に、「君は和声的であるよりも、旋律的な書き方をするね。」と言われたことがある。作曲の始めがリコーダーなので、それは致し方のないことである。ピアノがなく、和声の出る楽器が垂涎の的であった私は、やむなくリコーダーをオープンリールのテープレコーダーで多重録音した。再生速度を半分にしたり、更にその半分にして低音を作り出した。私のイメージしている管弦楽の音とはかけ離れていたが、それでも一本のソプラノリコーダーだけの音よりも遥かに幅のある音楽になった。
 Vienna Instruments SEのチェロ音源を使用している。レガート、サステイン、ピッチカート、マルカート、デタッシェ、ポルタメントと言う奏法を組み合わせて書いている。本来は更に速度の微妙な調整もしなければならないが、まだXGWorks STの使い方がよく分からない。
 にょしにいさんにお尋ねしたところ、ピアノロールで調整すればよい、と言う助言を頂いた。早速、別の曲で少し試してみるが、上手く行かない。再度挑戦することになる。



弦楽四重奏第8番第3楽章(終曲) [音楽]

 本日、ほぼ完成していた弦楽四重奏曲第8番第3楽章を完成し、MP3ファイルとWAVEファイルにしたので、公開致します。

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 今日は一時半に、新百合ヶ丘の昭和音楽大学のテアトロ ジーリオ ショウワへ、麻生合唱団の第18回定期演奏会を聴きに行った。ドボルザークの『スターバト マーテル』(Stabat mater:悲しみの聖母)だった。長い曲だったが、あちこちに聴き所があり、なかなか感動的な曲である。これだけ長い曲だと、結構居眠りする人がいるものだが、私の周りに坐っていたお年よりたちは、誰一人船を漕ぐ人もおらず、それが第一に印象に残った。
 ドボルザークはブラームスが評したように、美しい旋律を易々と書く人だと思う。そしてドボルザークの金管楽器は、ブラームスに似た響きがするところがある、と改めて感じる。
 ところで私の父は高齢なので、年をとった白髪の男性団員たちがぞろぞろ、そしてちょっとよろよろ登場して、壇の上に上がる時は、躓かないか気になってしまった。
 指揮者も多分70代とお見受けしたが、彼が指揮壇に勢いよく飛び上がった時は、会場から笑い声が聞こえた。元気な年寄りはいいなぁ、と思う。ほっとする。みなさん元気で、長生きして頂きたい。
 

ピアノ組曲『らくがきの空』より第三曲『雨乞師』 [音楽]

 美術コミュニティーHOMUTYの住人松橋貴之さんのペン画『らくがきの空』の絵から、今回は『雨乞師』と言う独奏ピアノのための曲を書きました。書き始めたのは五月だったのですが、完成のための最後の10小節位を書くまでに数週間間があいてしまいました。弦楽四重奏曲の終曲を書き始めていたためです。いずれにせよ、今日完成し、公開します。
 絵の題名は『雨をまつ人』です。細長少年が蓑虫のような服を着て、天を仰いでいるのです。空に向けられた掌は、雨が降って来るのを受け止めようとしているのでしょうか。軽く上げられた細い左脚は、きっと大地を律動的に叩いているのでしょう。
 そこで、私はこの絵から雨乞師による祈祷の音楽を書くことを考えました。そして、大地をゆっくりと踏みしめる足踏みから曲を始めました。祈祷師が踊るので、三拍子です。この辺はいかにも通俗な発想かもしれませんが、仕方ありません。雨乞師と空との駆引きが繰り返されます。空の関心を惹こうと少年は一心に踊ります。空は最初は知らん顔をしています。が、その熱心な踊りに興味を示します。
 暫くの沈黙の後、雲が湧き起こり、彼方から湿った風が吹き始めます。そして、少年は更に激しく踊ります。
 やがて、金色の雨粒が降り注いできます。それを少年は口に、手に、髪に受けます。
 続いて、少年の喜びの踊りです。雨乞師の少年は大地を蹴って走り去ります。

 この曲の次予定しているのは『海底に沈んだ国の王女』。そして、最後の5曲目てして書くのは『らくがきの空』の主題曲。全部で5曲からなる組曲になるよていです。

弦楽四重奏曲 第8番第2楽章 [音楽]

 今日は図書館へ日高敏隆著の『チョウはなぜ飛ぶか』『人間はどこまで動物か』『動物の体色』『ミジンコの都合』の四冊を返却して来た。そして、文庫本2冊と真木悠介著『自我の起原』(愛とエゴイズムの動物社会学)と言う本を借りてきた。棚を物色している時に思索社版コンラート・ローレンツの本があり、その最後にローレンツの他の著書が紹介されていた。『文明化した人間の八つの大罪』とか言う本であった。借りたくなったので検索機で調べてみるが、この著書はこの図書館には所蔵されていなかった。約20年前に出版された本であった。8つの大罪は、増えすぎた人類、環境の改造などである。借りたいと思ったときに本があったことのない図書館である。
 以前も勝小吉の『夢酔独言他』(東洋文庫)がどうしても借りたいと思ったことがあったが、検索上図書館にあるが、戻ってきたことはなかった。不心得者が失敬していたに違いない。或いは、小吉の大ファンになって、返したくなくなったのかもしれない。私は、たまたま古本屋によった時、この本をみつけ、それも格安で、欣喜雀躍した。読んでみたら、予想通り、破天荒な男の、実に無責任な自伝であり、自分のようになるなと勝海舟に戒めているのである。痛快、愉快な剣豪であった。自分とは対極にいるが、一度はこんな豪快な生き方をしてみたいと思わしめる「人物」であった。
 
 今日は、ついでに貸し出しはしていない、閲覧専用の絵巻の本を何冊か見た。私は図書館に来ると、時々、立ったまま大型の本を台の上に置いて眺めている。華厳経の絵巻、鑑真和尚の東征絵巻などを見た後に、『伴大納言絵巻』を見た。これはすごい傑作である。他の絵巻が説明的なものであるのに対して、これはあきらかに芸術家の見事な絵筆による仕事である。構図の見事さ、人々の個性の描き分け、応天門炎上の炎の表現の見事さ・・・舌を巻く。こうやって絵巻物をいくつか見た後にこの作品を見ると、これは他の水準をはるかに凌駕している。私は絵巻物が大好きである。

 ところで、折角なので、前回借りた日高先生の著書の話を少しすると、日高先生と坂田明の対談『ミジンコの都合』が最も楽しめた。しかし、もうこれは坂田氏の本である。(だから、日高氏は坂田氏のことは「嫌い」である、と後書きで述べている。面白すぎるのである、学者みたいに真面目でないために。)題名からして素晴らしい。カラスの勝手と同じ発想であろうか?
 私が感銘を受けたのは広島大学の先生のユーモアである。先生はある時「君、トリクソン持ってきて。」と坂田氏に言う。「トリクソン?」「あぁ、鶏糞だ。」この単語はTryxonと綴るのである。Torikusonと綴らないところに、教養の片鱗が垣間見えて心憎い。妻にこのトリクソンの話をしたら、大いに受けた。Equixon或いはUmaxon,Canixon或いはInuxon, Bovisxon或いはOxxon。これだけの言葉が出来た。ちなみに、1972年の大統領選挙にまつわるWatergate事件で辞任に追い込まれたRichard Nixonは、語源的には肉食人間の末路である。占い師藤田少女姫(フジタコトトメ)が、ニクソンと言う名前には「ソン=損」が入っているので、あまりよい運勢ではないと言ったそうだ。

  閑話休題。弦楽四重奏曲第8番の第2楽章を録音したので、発表いたします。