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根拠のない自信について [随想]

 ファミレスで会話をしている若者の話として語られていたと思うが、「根拠のない自信」は日常、日々目撃していることに気付く。「俺はやるぜ。誰がなんと言おうが。だって、俺には自信があるからな。未来の俺が、くすぶっている今の俺にエールを送ってくれているんだぜ。」こういう若者ではなくとも「うちの商品は絶対にいいんです。」他社の商品と較べたことも、他社の商品の知識もない人間が、そういうトーク練習を研修で受けているために、自信をもって薦めるのもこれに近似している。
20160923DSCN3114.JPG この行動を表現するのに、ダニング=クルーガー効果※という言葉があり、2000年にこの研究でイグノーベル賞を授与されていることを、ウェブ検索していて知った。「能力のない人ほど自分に欠如しているスキルにきづかず、一流のスキルを正しく認識することができない。」
 更にこういう分析をしているウェブページもあったので、そこから納得の出来る部分を引用しておく。url:http://yagi-coach.com/mindset/zisinganai/
 自己肯定感を高める方法として紹介されているのが
1.自分を責める癖に気付く
2.言い訳や責任転嫁を他者にすることを自分に許す
3.自分を褒める
4.他人の評価を気にしない
5.現状の自分でなく「未来の自分」の立場で思考する
6.自分の強みを知る
7.自分が認められるコミュニティを持っておく

 自分の主張する考えが批判されようが、馬耳東風。逆切れしたり、相手を小ばかにしたりする風をみせる。批判されると感情的になり、明後日の答えをしていながら、自分は真摯に答えていると言い張る。自分の提示した考えが事実上破綻していようが矛盾していようが、自分には一貫性があり正しい、それを認識できないのは批判者の方であると自説を強弁し、譲らない。それを自分の信念の強さであり、実力であると盲信する。一般的にこういう裸の王様は自分を応援する応援団を用意している。本当の自信があれば孤軍奮闘できるのだが、裸の王様は本当はやはり自信がないので一匹狼にはなれないからである。
 そして問題なのは、外見だけでは根拠のない自信家なのか、本物の根拠がある人なのかが分からないことである。少し会話をすることで鍍金は直ぐに剥がれるので分かるのであるが、会話をする機会が不十分であったりすると、鍍金がそのまま本物として通用してしまうのである。鍍金がついたままマスメディアで拡散されてしまうと、それは根拠はないにもかかわらず一つの「常識・共通の理解」としてまかり通ってしまうのである。若者が根拠のない自信を持って頑張るのは、本物になる可能性もあるので応援するが、いい大人が根拠のない自信を持っているのは許しがたい。科学的態度を重んじ、客観性を重要視する身としては、このような根拠のない自信は防がなければならないと考えている。

※ウィキペディア:ダニング=クルーガー効果: Dunning–Kruger effect)とは、未熟あるいは能力の低い個人が、自らの容姿や発言・行動などを実際よりも高く評価してしまう認知バイアス。自己の「愚かしさ」を認識することのメタ認知(公正かつ冷静な振り返り)ができないことによって生じる[1]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C


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mimimomo

こんばんは^^
この頃は「ほめて育てる」と言うのが当然のようになっていますが、これが行き過ぎると「根拠のない自信」を持つことになると、わたくしは思っています。何事もほどほど?^^
by mimimomo (2016-10-09 18:06) 

Enrique

なるほど「根拠のない自信」が「反知性主義」の駆動力になるのですね。根拠がないから根拠のない主張,その他根拠のない振る舞いをする。こういう人は外見だけは良く見えると。そして,中身を見ない人やその応援団にはそれで十分。というか却って好都合。そういう人たちもまた「根拠のない自信」を持っているのでしょう。
by Enrique (2016-10-11 07:27) 

Kanna

アヨアンさんの記事とはちょっと逆のお話になってしまいますが、少し前に私が仕入れた情報によると、「今の若者の方が年配者に比べると根拠のない自信を持てない人が多い」「今の若者に必要なのは根拠のない自信」という内容をどこかで拝見した事がありました^^
これはもしかすると、ただ単に、「若者よ、もっと自信を持ちたまえ」という親切心からの言葉だったのかもしれませんけれども^^
今の時代の子供達の環境は、(SNSのせいなのか)仲間達と自分の立ち位置やコミュニケーションについて、昔以上に死活問題になってしまっているようですので…必要以上に自信を失いやすい(または過剰に自信を持ちすぎてしまう)環境になってしまっているのかしらと思いました。
大人の方の根拠のない自信も少々目に余る所もありますけれども(笑)、私もmimimomoさん同様、やはり何事もほどほどが1番だわ♪と思います(*^^*)
by Kanna (2016-10-11 11:29) 

アヨアン・イゴカー

月夜のうずのしゅげ様、めもてる様、かずのこ様、carotte様、ChinchikoPapa様、sig様、ネオ・アッキー様、mimimomo様、Mitch様、majyo様、caveruna様、りんこう様、kazg様、森田恵子様、夢の狩人様、シラネアオイ様、はなだ雲様、Enrique様,えれあ様、schnitzer様、ぼんぼちぼち様、山子路爺様、芝浦鉄親父様lamer様、せとっこ様、kohtyan様、クリンクリン様、yam様、マルコメ様、miffy様
皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2016-10-16 08:46) 

アヨアン・イゴカー

mimimomo様
アメとムチの使い方、やはりその加減を知らなければならないのが教師、教育者、年長者、経験者と言った人々。これには上手下手があります。残念ながら、主に自分の経験を正として、後輩に接する向きも多いようです。(職場について言うと、自分がそうされたから部下にも、後輩にも同じように指導する、そこには客観性も、相手に対する愛も思い遣りも感じられない人が多数見られます。)

Enrique様
頓珍漢な答弁を繰り返す人々がテレビでしばしば登場しますが、事実に対して真摯に答弁するのではまったくなく、結論ありきでいかに時間稼ぎをして言い逃れをし乗り切るか、その醜い姿が耳と頭から離れません。そういう姿は次代を担う若者にとっては反面教師であるのですが、反面であることが認識されなければ額面通り受取られ、大人社会とはそういうものだという考えが蔓延してしまいます。
これは日本だけではありません。大統領選挙前の両候補の醜聞や不正への攻撃合戦は、国民の最大の関心事、政治には殆ど関係がありません。コカコーラかペプシコーラの二択しかないのは、これは民主主義ではありません。

Kanna様
個人的には、根拠のない自信(=憧れ、夢、壮大な目標等々に対する自信)は持つべきだと思っています。根拠がないものでも継続していれば本物になる可能性があります。鰯の頭の信心から。続けることの効果は絶大です。大切なのは、根拠ではなく、継続することによる裏づけだと私は考えています。たとえ結果的に自分に向いていなかったとしても、継続し続けたことが、大いなる経験、財産になります。


by アヨアン・イゴカー (2016-10-16 09:10) 

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