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N氏の肖像 その2 [N氏の肖像]

その2 宮澤賢治について その1    五月六日 火曜日 KJ法と言ったが、実際には実行しておらず、思いつくままに書いて、後で切ったり貼り付けたりすればよいと考えている。実にいい加減な人間であることを自覚している。このいい加減さは、漱石の使った言葉、トチメンボウみたいなものか。早速、思い出したことを書きとめている手帳を開く。「有理数はrational numberと呼ばれているので、有比数と呼ぶべきだ」と読んでいた本の著者は書いている。私は大きく頷く。それ故、有理数は二つの整数で表すことができる。一方、無理数は分数で表すことが出来ない。私はすっかり納得したような気になる。(このお目出度さが、私が数学が出来るようにならない根源なのである。)更に著者は、超越関数とは方程式が存在しない無理数であると説明してくれる。なかなか複雑であるが円周率π対数eがそれに該当し、eをπi乗するとマイナス1になると言う。私にはちんぷんかんぷんであるが、数学者たちはbeautiful!と言って涙を流して感動するのかもしれないと想像すると、一寸だけ貰い泣きしないと損をしたような気分になる。おぉ、何と美しい摂理であろうか!と呟いてみる。この本のことを話したくて、私は木曜日が待ち遠しかった。そして、木曜日が来るとN氏に会って、喫茶店でこの話をしたのである。が、実のところ、この本のことは多少の興奮を以って話したのだったが、全く盛り上がらなかった。彼はそれこそ白昼にも拘らず、夜の高原で白鳥座のデネブを探そうとするような目付きをして、私の話しを聞いていないように見えた。誰にでも好き嫌いはあるから仕方ないことだ。そこで私は、持っていた画帳に水性色鉛筆で黄色い農民服を着て麦藁シャッポを被っている宮沢賢治の絵を描く。水を付けて色を伸ばす。彼はその作業を面白そうに観察している。私は、絵を見せながら彼にこう言ってみる。Kenji in a straw hat.JPG「この絵は、農業をしていた時いつも着ていたと言う黄色い農民服と麦藁シャッポ姿の賢治。つい、この絵を描きながら軍事演習をしている弟の清六さんに会いに行った姿が重なってしまっていた。演習の時は黒い繻子のだぶだぶの変な服だったらしいのだけど、何だか軍事演習しているところへ、のこのこと農民服で会いに行く方が、面白くない?」「まぁ、そうかもしれないね。」「ところで、話は変わるけれど、宮沢賢治は、最初は浄土真宗の熱心な信者だった。けれど、法華経を知ってからは急に法華経信者になってしまったでしょ。それで、父親の政次郎と対立して、父親と宗教論を展開するけど、僕はこの対立については、若者の罹る精神的な麻疹のようなものじゃなかと思う。」「精神的な麻疹?一度罹れば免疫ができると言う意味で?」「そうではなくって、本質的な対立と言うよりは、青年期に於ける一過性の現象と言う意味で。」「一過性と言うことは一回だけ通過する、通過儀礼のようなもの?」「僕の考えでは、1960年代、70年代に活発だった学生運動や、過激派学生の活動がそんなものだった。真面目で、一本気で、正義感が強かったり、若干被害妄想意識が強い若者が陥りやすい精神的麻疹のようなものだと。勿論、家庭環境、学校の環境、友人関係など多くの要素がそれに加わるので、そういった傾向の若者が誰でもが発症するものではないんだ。残念なことだけど、カルト宗教なども共通要素が多いと思う。その排他性、独善性、教条主義などが。」

「彼等の多くはその主義主張を収めてしまって、普通のサラリーマンになってしまったようだね。或いは、主義主張を反転させたように見える人々もいるね。」

「僕が言いたかったのは、その渦中にいる時は、その考えが絶対的に正しいと信じていたことも、一定の時間が経過すると、別の視点も出てきて、より包括的な捉え方ができるようになる、そういうことなんだよ。より視野が広くなって、度量も大きくなる。だから、他者と接する時も、大きく構えていることができるようになるんだ。」

「つまり、賢治も父親と衝突したのはその精神的麻疹だったんだね?」

「まぁ、そういうことなんだけど、僕が言いたいのは、賢治も若い頃はそのような迷いがあったのだ、と言うことなんだ。一旦、ある程度の芸術的な評価が確定してしまうと、いつの間にか人間である作家や詩人が、別世界、別次元の人間であり、全てがなるように方向付けられていて、完成されていたような解釈をする人も出てきてしまう可能性がある。悟りを開いた仏陀も、基督もいつの間にか人間であったものが、神のような絶対的な存在として解釈され、その理想像が一人歩きし始めるんだ。仏陀なども仕舞には三十二相などと言う化け物のような特徴を備えていることになってしまう。長広舌相など、舌で額を舐めることができるなどと、凡そ現実離れしている。とんでもない相は他にもあるし。」

「あぁ、その感覚とてもよく分かる。賢治は、菜食主義的な傾向もあり行動も取ったけれど、肉食もしたし、酒も飲んだ。恋もしたし、間違をして人に迷惑も掛けたし、文章を書けば当て字もあったし、書き間違いもした、普通の人と同じところも沢山あった、そう言いたいんでしょう。」

「そう、そう。まずは普通の人間として考える、そして普通の人間から絶対的に断然優越している部分をしっかりと考える、捉える、それが大切だと思うんだ。表面的な賢治像から入って行ってはいけないんだ、と。」

「表面的な賢治像とは、言い換えれば人間賢治に対する偏見、先入観に他ならないでしょう。」

「賢治は子供の頃から石が大好きで石っこ賢さんと家族から呼ばれていた。高等農林学校でも鉱物の研究をし、関教授にも『宮澤君は、土壌学・岩石学では、ならぶ者のいない程の逸材*』と言われていたそうだ。それでも、賢治のことを一人の地質学者として礼讃する仲間に入る気はしない、と早坂氏は言っているそうだ。この考えは僕も常識的であると思う。賢治が研究室に残り、研究を続けたのであれば地質学者として礼讃されても不思議はないな。だって、研究室には残らなかったし、教師をしたり、農民になったり、セールスマンになったりしていたのだから。」

 

*農民の地学者宮沢賢治 宮城一男著 築地書館 p64


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Enrique

有理数の件は,英語で言われた方が納得できるわけですが,以前は中学で習ったので英語のほうが追いつかなかったのでしょうか。現在は高校で出てきますから,英語で言われると大概の子は納得します(実際ある高校では英語で教えていました)。数学などでは訳語が理解を妨げているところがありますが,総じて漢字漢語による訳は良く出来ていると思います。もともと漢字が外国語のせいだからだと思います。特に音楽関係では名訳が多いといわれるそうです。

最後の関係式のeは自然対数の底ですね。その等式はオイラーが見いだした関係式の一つの結果ですが,ネットで画像や音が楽しめるのも基礎をたどれば,この関係式のお陰だと思います。

宮沢賢治の絵は,抱くイメージ以上に好々爺に感じられます。
by Enrique (2014-05-07 08:26) 

mimimomo

おはようございます^^
やはり男の方だから? お若いころからご友人といろんな議論をされていたのですね^^
女性とは全然違う。こう言う言い方は性差別かな^^

by mimimomo (2014-05-07 08:57) 

Kanna

無知な私にはなかなか難しいお話でしたが、なんとなくアヨアンさんとNさんの言いたい事が分かったような気がします(笑)
私もアヨアンさんとNさんのように、時々友人と議論する事もありますが、ヒートアップしすぎて大変な事になってしまう事も多々あるため、最終的には、ある程度の所で自分の主張を和らげつつ、穏和な会話を心掛けるようにしています(笑)
アヨアンさんとはちょっと違うかもしれませんが、私も小さな時から蕁麻疹が出るほどに数字(=算数)が苦手でした^^;
絵画についても、計算式を使った美しい見せ方の法則、のようなものがありますが、そういうのはほとほと苦手です。。
宮沢賢治も私達と変わらないただの人間だったのと同じで、絵の美しさの基準(比率や構図)も、所詮は後付け、というか、後から発見された事なのかもしれませんね。
…と、数字が苦手なお目出度い私は、勝手にそう解釈しています(笑)
by Kanna (2014-05-08 16:12) 

アヨアン・イゴカー

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皆様nice有難うございます。

by アヨアン・イゴカー (2014-05-12 08:47) 

アヨアン・イゴカー

Enrique様
漢語訳は明治時代の日本人の英知が詰まっていて素晴らしいと思います。それでも、情報の限られていた当時、正確に訳語を作ることは一部不可能であり、元々日本にはぴったりとする概念のなかったものに便宜上訳語をつけたことで、一部の学問は特に難しい物になってしまう傾向も否めなかったと思います。数学もそうですが、哲学も同様だと思います。もっと、庶民の視点からでも議論できるようになっているほうが文化の発展にはよいと思います。(これは明治時代とは関係ありませんが、特によくないと感じるのは仏教の漢語訳です。)

>最後の関係式のeは自然対数の底ですね。その等式はオイラーが見いだした関係式の一つの結果ですが,ネットで画像や音が楽しめるのも基礎をたどれば,この関係式のお陰だと思います。

そうなのですね。またまた、勉強になりました。有難うございます!

mimimomo様
これは一応小説なので、実際になかったことでもどんどん書いています。
ちなみに、数学や科学の話は、N氏とは全くしていなかったと思います。主に、文学や絵や音楽の話でした。
それでも、こういう話は、職場にいる理系の背景のある人には投げ掛けることがあります。

Kanna様
N氏と議論して、熱くなることも何度かありました。考え方が異なる場合なのですが。それでも、その相違を理解しあうことで、より一層論点が判然とするので、常に有意義だったと思います。
数学は好きだったのですが、学校の授業は全く好きになれませんでした。私は物事の基礎(いわれ、歴史、作られた目的、応用される例など)から知りたいのに、公式ばかり、計算や問題ばかりやらされるので、つまらなかったのです。尤も、兄に後日、演算を正確にできなければ使い物にならないので、そういう練習は一定量をこなさなければならないのだ、と言われて随分反省しました。
芸術家とその仕事の評価について。私は作品ありきだと思っています。評価や分析は常に後付けなのです。それも、絶対ではなく、変化します。大切なのは賢治が言っているように本当に理解してくれる何人かのために、真剣に作ること、なのだと思います。
by アヨアン・イゴカー (2014-05-12 09:07) 

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