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N氏の肖像 その1 2014年4月27日 [N氏の肖像]

 あれこれ考えていたが、とりあえず『N氏の肖像』を書き始めることにする。絵も『文化祭(鰯の埋葬)』もB2判の下絵を昨日描いた。鉛筆だけなので、まだあれこれ描き込む可能性もある。これは、積りではなく、可能性なのである。大きな画面にすることは、詳細の描き込みも必要になり、大変ではあるが面白いに違いない。『N氏の肖像』については、既に一旦書き上げている『神聖木曜日』とは別に、小説として書くことになる。手帳に思いついたことを書き留めていたら、現実から遊離してどんどん発展して、これは小説と呼ばなければN氏に申し訳ないと考えた次第。
 何か挿絵のようなものがないと詰まらないと思い、詩集『初恋』のために描いた挿絵の中にいるN氏の顔を拡大し写真に撮る。a portrait of Mr N 20140427.JPGそれがこの写真である。人形劇の打ち上げをした際の写真に写っている彼を参考にしながら鉛筆で描き、水彩絵具で彩色を施したものである。やや神経質そうなところは似ているように思う。この絵を見ても本人は似ていないと言わないだろうし、喜ぶのではないかと勝手に考えている。なぜなら、18年位も前に、私が彼の肖像をボールペンで手帳に描いて見せたら、「なかなかいい顔をしているじゃない。」と言って笑っていたことがあったからである。その絵は彼のお気に入りになったようである。
 * * * * * * * * *
 N氏と書いているが、それは今では全く彼と交信が絶たれているからである。私が電話を掛けた時、母親が出て「暫くそうっとしてやって下さい。」と言ったのだった。その時から既に16年も経っている。彼に会っていた時には、私よりも年が1歳下だったのでN君と呼んでいた。しかし、今ではこれほど疎遠になってしまっているので、いい年をした彼のことを親しげにN君と呼ぶ気にはならない。君呼びを止めてN氏と呼ぶことには一つの利点がある。彼のことを小説の主人公として客観的に描くことができることである。客観的に捉えるということは、即ち私が彼の言動について、より私情の入らないように・・・ここまで書いて、私は自分が自分の目指している方向と反対の道を進んでいると感じる。私の目指している作品は、シュルレアリスト風であり、現実と非現実が混在し、自分の存在位置が分からなくなってしまうような、そして詩的な場面の鏤められたような散文小説なのだ。それは至って主観的な立場で書かれなければならないし、同時に客観的立場もなければならない。と言いつつ、自分自身は存在位置ははっきりしているのだから、明瞭な意図を以って、目的の文章に達することができるのだ、と一人合点したりしている。
 私達は、天気の好い時はオープンテラスの珈琲へ行った。時々私は通り過ぎる人々の姿、顔などをクロッキー帳に描きとめる。彼はそれをにやにや見ている。私がペンを動かしている時、彼は終始無言である。
 余りに多くの思い出が溢れ出てくる(と言う嘘をついている)ので、記憶の整理をしなければならない(ことにする)。そしてこんな時の常套手段として使われるのは、KJ法である。カードを用意して、それに思い出を一つずつ書き留める。複数の思い出は禁止である。二つ以上のことを一緒に話をしないようにと、探検家のような格好の好きだった祖父が昔言っていたものだ。頭が混乱し、思考が乱れる原因になるからだ。思い出せるだけカードに書き込んだら、それを一定の集団、集合に分類する。その次はKJ法の図解化ではなく叙述化によってまとめてゆくのである。私のやり方も実に科学的ではないか。この作業は見方によっては、絵を描く作業にも似ているかもしれない。(似ているとは言っていない。)私は最初にA4判の白紙を用意し、それを半分にし、更に半分にしと続けてゆく。A4の紙の縦横は黄金比に近いので、半分にしても、常に相似形なのだ。とは言え、やはりこの紙も近似値でしかないのだろう、そんなことを考えながら。そして何よりも、こんな作業は頭の中だけでされていて、手はちっとも動かしていないところが問題なのである。


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コメント 9

mimimomo

おはようございます^^
16年も経っている・・・N氏は今どうなさっているのかしらーっと
by mimimomo (2014-04-28 07:27) 

Enrique

拡大写真なので,全体の色合いもそうなのかどうか分かりませんが,こういう同系色で雰囲気が出るのは絵の才能ある方の一つの特徴だと感じています。現実の色というよりも心象の色。私も絵は好きでしたが,どうやってもこういう絵は描けそうにありません。
KJ法というのは昔学習しましたが最近はとんと使っていませんでした。整理術として優れた方法だと思います。あらたに課題解決に使って見ようかという気持ちになります。
蛇足ですが,A列などの紙の縦横比はルート2≒1.414なので,半分にしても比率が保たれますが,黄金比ですと1.618位でもう少し長四角形になると思います。
by Enrique (2014-04-28 12:17) 

Kanna

真剣に記事を読んでいた矢先、「こんな作業は頭の中だけでされていて、手はちっとも動かしていないところが問題なのである。」という所で、頬杖を付いていた肘がガクッと落ちてしてしまいました。
というのは冗談ですが、とても面白いオチでした(笑)
そして、「二つ以上のことを一緒に話をしないように」というおじい様のお言葉にドキリとしてしまいました。。
というのは、女性の場合は、2つ…またはそれ以上の話を、いっぺんに話してしまいやすい生き物だ(と思う)からです(笑)
要するに1つの話に花が咲いてあれこれと…というのでしょうか^^;
でも確かにおじい様のおっしゃる通りです、これはちょっと勉強になりました、気を付けよう~!(笑)
by Kanna (2014-04-29 20:27) 

アヨアン・イゴカー

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皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2014-05-04 23:26) 

アヨアン・イゴカー

mimimomo様
時々思い出すのですが、現在どうなっているのでしょう。
電話を掛けてみればよいのですが、やってはならない、放っておく以外に手はないのだという気もしているのです。

Enrique様
仰る通り、ルート矩形は「調和の門」であって、黄金率ではありません。
私はどちらかと言うと、どうして色々な人々が黄金比に昔から拘っているのか、そこに興味があります。和声理論と同じで、私には必ずしも絶対的な美とは思われないからです。

Kanna様
しっかりと”落ち”を読み取っていただきまして有難うございます。KJ法とはいっていますが、頭の中だけで整理を始める積りになっているだけなのです。なんとなれば、私は電車の中でこの手帳を書き始めていましたから、A4判の紙は手許にあるはずもなく、頭の中だけで切ったのでした。
ところで、祖父は発明家でしたが、シュバイツァー博士のような探検家のようなヘルメットも持っていたそうです。
by アヨアン・イゴカー (2014-05-04 23:49) 

sig

こんばんは。
この文で、これまで、絵でも音楽でも文章でも、どこか捉えどころのない(失礼)アヨアンさんの創造の秘密の部分が、ほんのちょっと覗けたような気がします。そして、「どこか捉えどころのない」(と自分で言いながら)・・・これこそがアヨアンさんの真骨頂のような気もします。その意味で、頭の中だけで進めるKJ法というのも、とても分かります。アヨアンさんのKJ法は、壁に貼るB全のケント紙も、項目を書き込むポストイットも必要としないのです。「手はちっとも動かなく」とも、頭はしっかりと回転しているのです。
by sig (2014-05-07 01:17) 

アヨアン・イゴカー

sig様
>「手はちっとも動かなく」とも、頭はしっかりと回転しているのです。
KJ法は使ってはいませんが、思いついたことを極力手帳に書き留めると言う作業は、劇団退職後暫くしてからずっと続けています。お蔭で、その記録により、断片を繋ぎ合わせて何かを書き上げることはできるだろうと思いますが、実際は本棚にずらりとそれらの小さな手帳が180冊以上並んでいます。たまに、利用します。詩や短編小説の断片、思いつきなどが書かれたり、抽象絵画を描いたり、人の顔や姿をクロッキーとして描き取ったものもあります。
by アヨアン・イゴカー (2014-05-07 08:14) 

sig

こんばんは。最近は何も思いつかない(笑)ので、手帳は予定しか書いてないのですが、アヨアンさんの180冊には遠く及びませんが、私も社会人になってからの手帳は全部とってあります。最初のブログはそれがあったので書けたようなものでした。メモは大事ですよね。
by sig (2014-05-12 23:30) 

アヨアン・イゴカー

sig様
再訪問いただきまして有難うございます。

>私も社会人になってからの手帳は全部とってあり

私の母は記録したり、ファイルしておいたりするのが好きですが、私もその血を受けているようです。手帳のようなものは、取っておけば後で何らかの役にたつので、捨てないほうがよいと考え実践しています。
by アヨアン・イゴカー (2014-05-13 22:27) 

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