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北海道の思い出 その21 [北海道の思い出]

 蝉時雨 

 北海道の十勝に多く見られる蝉は、エゾハルゼミである。この蝉は透明な羽を持ち、黄緑色の顔に黒で隈取りをしたような柄の蝉である。川崎市に引っ越してきた時に、油蝉、ニイニイゼミ、ツクツクボウシ、カナカナ2012-9-9 no.1.JPGゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミと言う蝉たちの声に接して多いにその違いを楽しんだ。油蝉やニイニイゼミのように羽が透明でない蝉は、薄汚く見えたが、珍しかった。川崎市でも夏休みの頃、茹だるような暑さの中で蝉たちの喧しい鳴き声を聴くと、何処でも夏の蝉は五月蝿いものなのだと思った。蝉の声は汗腺の働きを一層活発化してくれるようだ。

 この蝉の話で愉快だったのは、落葉松に留まって鳴いている蝉である。蝉時雨と言えば、あちこちで鳴いている蝉の声が、時雨にも似ていると言う比喩であろうが、私の場合、この時雨と言う表現は雨粒そのものなのである。農作業に出掛ける所だったのか、それとも昼休みが終わって畑に戻る途中にだったのか、次姉Kと私は父親の周りを飛んだり跳ねたりしながら付いて行った。落葉松の植えられた馬車道の途中で父は「蝉を取ってやろうか。」と私たちに言う。「うん。」と私たち。すると父は何をするかと思えば、落葉松の幹を両手でむんずと掴むと力任せにぐらぐら揺さぶる。すると、ぱらぱらぱらぱら、或いはぼとぼとぼとぼとと蝉が地面に落下してくるのであった。北海道の蝉が呑気なのか、それとも蝉とはこのような昆虫なのかは知らないが、兎に角、地面のあちこちに蝉が転がり落ち、慌てて体勢を整えて飛び去って行くのである。逃げ遅れた奴を手掴みすることも出来た。私たちは、この思い掛けぬ蝉の採集方法で得られた蝉を捕まえてははしゃぎまわった。じっと手に取ってみると、透明な羽が硝子細工のようで不思議な感動に捉えられた。

 その後も、私たちは、時々父に蝉落しをせがんだ。その度に父は「ようし。」と得意そうに落葉松を揺さぶってくれたのだった。

 

 A井の鎌さんの話(短気男の家では馬も短気)

 

 我が家の南東にあった新家の戸主はA井鎌三郎と言う名で、村では「新家の鎌さん」と呼ばれていた。この名前にある鎌と言う字は、一見農家の跡取を連想させるが、必ずしも農家だから「鎌」と言う文字を名前に取り入れたのではないのだ、と私の母は言う。名古屋かどこかの地方では、「金」偏の付く字を名前に入れて、丈夫で健康な子供が育つように、親の願いを込めるのだと言うことである。だから鍬次郎もいれば鉄五郎もいる訳だ。そう言えば、万鉄五郎と言う画家がいた。万は岩手出身だ。この鎌さん、大変気が短いことで通っていた。短気な人間の典型で、怒りやすくまた軽々しいところがあった。なにしろ凄いせっかちで、人の話を半分も聞き終わらない内に町へ出掛けたかと思いきや、肝心の用件を聞きにそそくさと引き返して来るといった類のものだった。

 2012-9-9 no.2.JPG新家には綿羊が何頭もいた。その羊小屋の糞掃除は大切な仕事である。その大切な作業をしている時に、鎌さんのせっかちだけに止まらない敏捷さが証明されることがあった。綿羊と言うと、ウールマークや荒野のさ迷える子羊などに象徴される、どちらかと言うと睫が長く巻毛で愛くるしい生き物であるかに思い勝ちである。豈に図らんや、羊でも雄は相当に狂暴だそうである。少しでも隙をみせようものなら、闘牛よろしく首をぐいと下げて、くるくる巻きの角を上に向けて突進してくると言う陰険な性格破綻者らしいのである。鎌さんの女房が麦藁をフォークで掻き出していると、女だと思って舐めて掛かる。仕事を続けるのは一苦労である。尤も、さすがせっかち者の鎌さんの女房殿だけあって、こちらも随分とすばしこい。似た者夫婦、或いは朱に交われば赤くなると言うべきか。我母などは、とても恐ろしくて綿羊小屋の掃除は出来ないと、降服宣言をしている。兎に角、亭主の方は輪を掛けて気短で、素早いときているので、狂暴にして油断のならない雄羊も鎌さんには一目置いている訳だ。糞を掻き出しながらも、さっと振り返り、突き掛かろうとする綿羊にフォークを振り上げて威嚇する。「この野郎!」と一喝。何事もなかったかのように白を切る綿羊。それでも、猿も木から落ちるものであり、ある日、鎌さんは根気のある悪戯者にしてやられた。ほんの一瞬の油断であった。十分に助走を付けた雄羊が、嫌と言う程酷い頭突きを腰に一発お見舞いした。うーんと唸ったまま鎌さんは、死にこそしなかったけれど、腰が抜けて立つことが出来なかった。イソップであればこの辺りで「皆さん、羊の奴には注意をしなければいけませんよ。優しい顔に、この仕打ちですからね。」と言うかもしれない。それ以来、鎌さんの敏捷さにはいよいよ磨きが掛かったとさ。

 この鎌さんの家には馬が三頭いた。どうしても家畜や愛玩動物はその飼い主に似る傾向があるようだ。町に買い物に出掛けるのだったろうか、馬具を付けると、馬はホドウシャと呼ばれる馬車に繋ぐ前に歩き始めてしまうのである。「おーぉよ!おーぉよ!」と怒鳴って止める。飼い主の霊魂が乗移ったように、準備の出来ていない身体で、行き先も分からない方向へ向かおうとするのである。こんな話を母から聞いて、私は殆ど知らない新家の親父さんを懐かしく感じる。因みに、馬への掛け声は「つつつつつっ!」が行けであり、「バイキ、バイキ」がさがれである。


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コメント 7

mimimomo

こんにちは^^
凄い短気なんですね^^ 
動物は飼い主に似るって聞きますがほんとうなんですね(^0^
by mimimomo (2012-09-09 17:35) 

Enrique

セミの方の話ですが,昆虫を含む動植物は津軽海峡線で結構種類が分けられていたものです。現在は温暖化で,津軽海峡を越えたものもかなりいる様ですが。
アブラゼミやニイニイゼミの不透明な羽根は外国の研究者にとってもめずらしいらしいです。世界的に見ても,セミの羽根は透明なものが殆どらしいので。
by Enrique (2012-09-09 21:53) 

シラネアオイ

こんにちは!
バイキ バイキ が懐かしいです!!
by シラネアオイ (2012-09-10 13:11) 

suzuran6

蝉時雨が鳴き声でなく、ボトボトと落ちて来る蝉とは…楽しいお話です。
そろそろ蝉の鳴き声が、秋の虫達の鳴き声に変わってきています。
秋なんですから、涼しくなって貰いたいものです。
by suzuran6 (2012-09-14 14:07) 

アヨアン・イゴカー

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by アヨアン・イゴカー (2012-09-16 17:12) 

アヨアン・イゴカー

mimimomo様
私はこの鎌三郎さんのことは、小さかったので殆ど覚えていませんが、母は彼のことを話す時は、ほんとに楽しそうに短気だったと言っていました。
気短な掛け声を掛けられれば、人間でもそわそわしてしまいますから、こんなものなのでしょうね。

Enrique様
透明の蝉の方が主流なのですね。羽が透明なものとそうでないものと比べるのも面白そうですね。蝉に似ているアワフキムシ、アオバハゴロモ、ツマグロヨコバイなどの羽はみな不透明ですが、そもそもどうして蝉と蜻蛉は透明なのでしょう。不思議です。

シラネアオイ様
バイキバイキはお聞きになったことがあるのですね。私は、記憶にありません。馬橇の鈴の音はよく覚えています。黒澤明『白痴』の中に、馬橇が出てきますが、その時の鈴の音が懐かしかったです。

suzurann6様
川崎に引っ越してきて、蝉が北海道よりも素早い感じがしました。やっぱり、北海道の蝉は間抜けというか鷹揚な印象があります。

残暑が厳しく、植物や昆虫や野鳥たちのことが心配です。

by アヨアン・イゴカー (2012-09-16 17:25) 

sig

うちの田舎でも一度だけ綿羊を飼ったことがあり、毛の刈取りの手伝いをさせられたことがありますが、あのギトギト脂には手がべとついて閉口したものでした。
by sig (2012-09-21 22:13) 

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