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北海道の思い出 その20 [北海道の思い出]

  世田谷区喜多見の祖父の家 

 世田谷区喜多見にあった祖父の家は、私たちにとって、文化との接点だった。北海道で生活しながらも、彼方にある手掛かりだった。それは何の手掛かりであったか。足掛かりであったか。何か変化を起こす時の、基盤だったのだろうと思う。祖父の家の間取りはこうなる。玄関を入ると、右手に祖父の六畳の書斎、左手に三畳の部屋、更に左手の奥に風呂場と厠があった。この厠の扉は自動で閉まる。祖父が扉に紐を結びつけ、滑車を通してその紐を厠の奥まで引き、紐の端に分銅を付けたのである。その重りで開けられた扉は自動的に閉まるのである。玄関の正面には廊下が家の端まで続く。この廊下に面して左側に部屋が三つあった。手前から順番に六畳の食堂、六畳間、八畳間。しかし、この間取りは改築によって大きく変わった。私のうろ覚えの記憶によれば、廊下の端に更に部屋が増築されていた。その部屋は事務所になっており、小さな階段で母屋から少し降りるようになっており、板の間だった。母屋側の壁には大きな棚があって、それは製品の陳列棚で、祖父が発明し作製した印刷機で刷った皿、化粧瓶、注射器、トランジスターなどが飾ってあった。その棚の上の方には段ボールの箱にマジックで横文字が乱暴に書かれていた。この事務所には事務机があり、白いカバーを掛けたソファーがあり、更にテレビもあった。そして、事務所独特の臭いがした。祖父は香りのいい桃山の刻み煙草をパイプに詰めては吹かしていた。その香りが染み込んでいたのかもしれない。もう少し大きくなってから、母に連れていって貰った時に強く感じた伯父のアパートのアトリエにあったテレビン油と油絵の具の臭いと同じくらい不思議な、それでいて懐かしさを喚起させる臭いだった。祖父の家には更に、車庫があった。当時は自家用車を持つことは、なかなか大変な時代だった。大した車ではなかったのだろうが、それでも運転している人の絶対数が少なかったので、今考えてみれば、そこそこの経済力があったようだ。ヒルマンと言うのがその車の名前である。特急に乗る経済力がないので鈍行で北海道から二日掛けて汽車でやってくると、叔父がヒルマンを運転して、迎えに来てくれたような気がする。

 話はどんどん広がってゆくが、このヒルマンを運転した叔父は、ウエスタン音楽をやっていた。当時の写真を見て見ると頭をポマードで固めていたようである。ウエスタンバイオリンを弾いたりしていた。彼は我々が上京してきた時に、祖母が次姉のために買った木琴で、アメリカンパトロールを弾いてくれた。半音もついていない二オクターブ位の木琴だった。この曲も木琴もすべて東京の象徴に思われた。

 三色旗 

tricolour 2012-8-12 sunday.JPG 私は時々思い出しては息を飲むことがある。それは五、六才の頃の事だったと思う。弟と私は、兄と次姉とが小学校へ出掛け、両親が野良仕事に出掛けてしまうと、たった二人きりで閑散として静まり返った家に残された。異常なほどの静けさの中にあって、無人島に置き去りにされたような寂しさに襲われた。私たちにとって、ヘンゼルとグレーテルの物語は現実感を持っていた。見捨てられたような寂しさを思い出すことは、妙な話だが、得意だった。

 畑は家の前方にあるものと、風防と呼んでいたものとがあった。風防は家から一キロ以上離れていたので、そこで仕事をしている時は姿がみえない。(余談になるが、この風防への馬車道の景色を、世田谷の小学校に転校し五年生になった時に描いた。栗毛の馬の背中に父と一緒に乗って森の中の道を行く場面である。私は、馬に乗ったことがあることが自慢だった。色々同級生たちが体験出来ないことを知っているのが自慢だった。だから、北海道にいた七年間よりも引っ越してきた後の年月が多くなってしまうことが悲しかった。あの七年間に暫くの間、拘泥し続けていたのである。)家の前の畑で作業している時は見えるのだが、緩やかな丘の向こう側の斜面で仕事をしていると姿が見えなくなってしまう。両親の働いている姿が見えなると途端に、天涯孤独であるような絶望感に捉えられてしまうのである。そして、弟も私も両親の姿を追い求めて畑を右往左往した。野良着を着た小母さんや小父さんを見ると、母ではないか、父ではないかとその姿を追うのだが、それは他人であった。弟はこの取り残される恐怖を外傷のように引きずり、川崎市に引っ越してきてからも一度、夢遊病のように、半分寝ぼけて母を捜して近所を歩きまわったことがある。

 こんな寂寥感に時々捕らわれる私であったが、ある春の午前中のことである。私は一人で母の姿を追い求め外に出たのだろうと思う。何処かをふらふらと歩いていて、ふと周りを見ると息を飲むような色彩が目に飛び込んできた。それは白味の入った柔らかな黄緑色、目を潤ませるような青緑色、そして霧の掛かったような赤茶に近い淡紅色である。落葉松の林が、その林ごとに、色の帯を作っていたのである。あの時、私はまだ強すぎない太陽の光を浴びて三色に輝いている落葉松の林を、暫く凝然と見つめていた。立ち尽くしていた。生まれて初めて色彩の魔力に捉えられたのであった。

 冬の間、葉が落ちてやや赤味を帯びて見えていた落葉松の林が、春になると徐々に若芽が芽吹くことで、その衣の色を変えてゆくのである。

 ※あの落葉松の三色の記憶は鮮烈なもので、息を飲んで見つめていたのであったが残念ながら同じ風景を再現することが出来ない。現物を見ることはあれ以来絶えてないからである。挿絵は至って適当なものになってしまっている。
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コメント 7

sig

カラマツ林の紅葉を三色旗としてとらえることができたアヨアンさんに非凡な感性を感じます。すてきなことですね。
by sig (2012-08-12 19:30) 

katakiyo

戦後世田谷の喜多見の方などが北海道に集団で移住され開拓に携わり今でもバス停に世田谷が残っているとのことです。
by katakiyo (2012-08-12 20:27) 

yuyaさん

ウエスタン音楽ですか。
アヨアンさんの叔父様は嘸や素敵な方なのですね。
ちょっぴりお茶目な感じがします。
by yuyaさん (2012-08-13 10:06) 

青い鳥

三色に染まるカラマツ林の絵、素敵ですね。
アヨアン・イゴカー様の多彩な才能は、おじい様や叔父様の影響によるところが大きいのでしょう。
by 青い鳥 (2012-08-13 19:11) 

Enrique

>この厠の扉は自動で閉まる
発明家らしい工夫ですね。このくだりだけでも雰囲気が伝わって来ます。

>見捨てられたような寂しさを思い出すこと
そういう感覚分かります。人の名前とか数字とかは覚えられないのですが,ある種の切ない気分とか妙に落ち着いた気分とか,そういうのは良く思い出せます。やはりにおいとか情景とかとセットになっているので忘れようが無いのでしょう。
by Enrique (2012-08-15 16:45) 

アヨアン・イゴカー

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皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2012-08-18 21:49) 

アヨアン・イゴカー

sig様
三色旗として捉えたのは後のことで、あの頃は3つのはっと息を飲むような色として記憶しています。兎に角、圧倒的な色の美しさに暫く見とれていました。(寂しかった当時のことも思い出されます。)

katakiyo様
他の場所にも入植したのかもしれませんが、北海道河西郡芽室町上美生近辺に定住した人々は両親ほか世田谷の人々でした。
世田谷と言うバス停が残っているのですね。

yuya様
父方のT叔父は、お洒落だったと思います。奥さんも、ちょっとウエストサイド物語に出てくるナタリー・ウッドににていました。仰る通り、お茶目な人です。昨年末、20年ぶりくらいに皆で会いましたが、ユーモアのセンスが素晴らしく、その場の雰囲気が和らぎました。

青い鳥様
唐松のあの三色は、本物をご覧になったら、やはりきっと感動なさると思います。
私は、自分の能力は、その多くを母方の祖父(鉄道技師)と伯父たち(一人は医者、一人は画家)から受継いでいると思っています。考え方や嗜好が近いからです。勿論、父方の祖父や父や伯父からも受継いでいますが。

Enrique様
祖父は文系出身で、曲面印刷と言う技術の発明者です。小さい頃から、この祖父は偉い人だと聞いていましたので、却って反発していました。それでも祖父の厠のこの自動扉は、如何にも発明家らしいと感じ、この感性に憧れていました。


by アヨアン・イゴカー (2012-08-18 22:03) 

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