北海道の思い出 その19 [北海道の思い出]
母は北海道のこの土地にやって来るまで、丸ノ内の商社に勤めていた。戦前からエレベーターのある、社員食堂も完備しているビルで働いていた。海外との取り引きをしているために語学が堪能な人々が沢山いる華やかな職場である。それが一転して、電気もない、暖房も薪、煮炊きも薪、窓もない竪穴式住居に等しい家で暮らすことになったのである。
ある日、野良仕事をしている時、母は電話の呼び鈴を聞いた。聞き違いではないかと思ったが、どうしても電話の音に聞こえるのである。こんな田舎にどうして電話の呼び出し音がするのだろうと、暫く森の方から聞こえてくる音に耳を澄ませていた。そして、それが赤ゲラが木の幹を突付いている音だと分かった時の感情は複雑だったようだ。文明の利器が幻想であったことの失望感、赤ゲラの素早い首振り運動についての驚き、森の中にある筈もない電話を思い出した自分の滑稽さ、遥かに楽だった都会生活の懐かしさなどが混じっていたようだ。実際に、私も赤ゲラや熊ゲラが木を突つくところは観察したことがあるが、良く覚えていない。寧ろ、最近(二〇〇〇年頃)栗木に啄木鳥が飛来して、朴の木の幹をけたたましく突付いている音に目覚めた時の音の方が鮮明である。とろろろろろろろ・・・・とろろろろろ・・・・と連続的に幹を突付く。朝六時頃、その久々に聞いた突然の音に目を覚ます。私は、まさかこの川崎市栗木で啄木鳥を見ることができるとは思っていなかった。眠い目を開いて朴の木の梢の方を見上げると、嘗て見たことのある啄木鳥が盛んに嘴を幹に打ち付けていた。赤ゲラはこの辺では見たことがないので、恐らく青ゲラではないかと思う。青ゲラは体長十五センチ位になるようで、目測ではその位の大きさではなかっただろうか。この早朝の啄木鳥の話を母にすると、彼女も当然のことながらこの音に気付き、北海道で聞いた、森の電話を思い出していたそうである。
チゴイネルワイゼンこのパブロ・デ・サラサーテの名曲は、私の頭のなかでは夕暮れ色を思い出させる。ロシア民謡の『赤いサラファン』の懐かしい旋律と同様に。大仰な出だし、哀切なチゴイネルの歌、そして愉快な第三部。超絶技巧。ピチカートの軽快な音、太いG線の音。あの天然パーマのかかった蓬髪の、少し眠そうな目付きをした天才バイオリニストが笑いながら自慢そうに弾く姿が想像できる。自分の技術を見せたくて仕方のない少年のような大人を。ブラームスより十一才年下で一八四四年生まれ。ブラームスのバイオリン協奏曲の第二楽章で、自分の出番が待ち遠しくて、手持ち無沙汰にしていた男。
この曲はどのような時に母が掛けてくれたのか覚えていない。レコードを蓄音機に掛けることが出来るのは、農作業に一段落付いた時でなければならない。私の記憶では、農家は一年中働いている。食べるのも仕事、農作業のために過ぎない。昼御飯を食べて少し身体を休めたら、また畑に作業に出るのである。来る日も来る日も農作業。その合間を縫ってのレコード鑑賞。疎開する際に、戦災のために持ち切れなくなった人から貰い受けたレコードだった。母の明治生まれの父可夫(よしお)はなかなかのハイカラさん、伊達者で、庭球をしたりクラシック音楽を聴いたりしていた。それで母も、西洋のクラシック音楽を好む素地が出来上がっていたのである。我家には、頂いた革張りのSPレコード集が十冊近くあった。曲目は、ベートーベンの『月光ソナタ』、ストコフスキー編曲バッハ無伴奏バイオリンのためのパルティータ第一番ロ短調の『サラバンド』『コラール』など、ヴェルディ『椿姫』の乾杯の歌、ムソルグスキー『歌劇ホバンシチーナ』の前奏曲「モスクワ川の夜明け」。シューベルト『野薔薇』。歌姫はリリ・レーマンである。コロンビア・レコード。ヴァルキューレの騎行、フィガロの結婚、水の上に歌へる、等々。尤も、母が知っている曲しか掛けなかったような気もする。他にもロッシーニ『セビリアの理髪師』ルビンシュタイン『天使の夢』、ビュッセルのハープ曲などがあった。
これらのレコードを聴いてどの程度感動したかは覚えていない。が、『ホバンシチーナ』の前奏曲は私の骨の一部になっている。あの透明な、澄み切った音、揺さぶられるほど感動的な旋律。それは、いつも私を浪漫的気分にさせる。北海道から引き上げ後の一九六三年頃、ボリショイサーカスが来日した。私はそれをテレビで見たが、そのサーカス団の中にバラライカ奏者の男性がいた。彼はその哀調のある楽器で、『ホバンシチーナ前奏曲』とカルメンの『ハバネラ』を弾いた。両方とも大変印象深く、私の魂を揺さぶったのだったが、特にムソルグスキーは私を悲しくなるほど高ぶらせた。
ご訪問&niceありがとうございました。
時々覗かせていただきます
by takenoko (2012-08-05 12:43)
「モスクワ川の夜明け」や『野薔薇』、バッハの無伴奏バイオリンのためのパルティータ第一番ロ短調の『サラバンド』や『コラール』!などなど。
体の奥深くにしっかり入り込んでるんでしょうね~!
by 唐糸 (2012-08-06 09:59)
ご訪問&niceありがとうございました。
北海道には広大な土地に青空、そしてあたたかい心の人の音色の印象が残っています・・・(^。^)
by ken (2012-08-06 11:45)
SPレコードの音というのは,その機構のシンプルさにあるのでしょうが,物理的な音質よりも何か力があり,なぜか揺さぶられるものがあります。
北海道の大地で聞かれたSPレコードの音は自然の様々な音の中でとりわけ音楽芸術のエッセンスを聞かれたのでしょうね。
by Enrique (2012-08-07 17:49)
音楽を聴く環境、大事ですね。音楽には美しい静寂が必要だと思います。
ハイカラおじさん、素敵です。
その時代のハイカラなおじさんにお会いしたいと思いました。
by yuyaさん (2012-08-08 19:49)
こんばんは。この思い出を読ませていただくと、このような少年期の環境がどれほど多くのものをアヨアンさんに与えてくれたかが分かるような気がします。
by sig (2012-08-12 19:24)
現在の作曲の才能がこの頃に培われたのでしょうか?
環境が人を育てるのだと感じますね。
by zenjimaru (2012-08-16 09:28)