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北海道の思い出 その18 [北海道の思い出]

 面白い話 

 私たち兄弟は母が読んでくれる童話や物語が大好きだった。「暮らしの手帳」には、藤城清治の影絵による挿し絵、富本一枝の文章で世界の物語が毎月届けられるのだった。それは楽しみだった。民話や伝説や童話。国も朝鮮、中国、ドイツ、愛蘭、北アメリカ、アフリカ、スペイン等多岐に亙っていた。母は大切なものをしっかりと保管する人間なので、北海道から引き上げて来る際に、すべてを持ってきた。現在私の書斎の棚には母の購読していた「暮らしの手帳」が全て置いてある。一九五八年の初春の四三号から一九六〇年秋の五六号まで列挙してみると、『金の小犬と銀の小犬』(アイヌの昔話)、『わら一束で米千俵』(日本昔話)、『鹿からもらったお嫁さん』(朝鮮の民話)、『二匹の狐』(日本の童話)、『ペッピ君とピッペ』(スペインのこぶとり物語)、『青いカラス』(ロシアのお話)、『神さまが腹を立てた話』(世界で一番古い物語の一つ)、『一枚の銀貨』(ケストナーの詩から)、『笛吹きトム』(アイルランドの古い童謡から)、『消えたガチョウ』(幻異志より)、『ツルにもらった袋』(ロシア民謡から)、『銀のかご』(アメリカインディアンに伝わるお話)、『タヌキのかたきうち』(日本昔話)、『かしこいはた織り』(ロシアの民話から)。どれも大変興味深く母が読んでくれるのを聴いた思い出がある。世界で一番古い物語の一つとされている『神さまが腹を立てた話』は、教養文庫『世界最古の物語』(バビロニア・ハッティ・カナアン)H・ガスター著矢島文夫訳にハッティの物語として載っている。この文庫は私が三六歳の時に買ったものであるが、「暮らしの手帳」を見ていてふとどこかで聞いたことのある題名だと思い、確認ができた次第である。ところで、私が社会に出て初めて就職したのは、藤城清治が設立した劇団木馬座だった。既に藤城清治は別の影絵劇団を設立して木馬座にはいなかったのだったが。それでもあの独特の意匠の回転木馬の社章が、私には誇りに感じられたものだ。

  赤い鳥 

 鈴木三重吉が始めた「赤い鳥」が何冊あったのだろうか、家にあった。いろいろな童話があった。恐ろしいもの、悲しいもの、楽しいもの、訳の分からないもの。「赤い鳥」で覚えているのは、次姉が読んでくれた童話赤い鳥 (小峰書店) ¥280.JPGだった。ロボットのようなデブとのっぽの人形が、放浪している話だったような気がするが、内容は覚えていない。兎に角、両親が暗くなる夕方まで帰って来ないので、空腹でもあり淋しくもあった時、次姉が読んでくれた。とても面白い訳ではなく、ないよりましと言う程度の話だったと思う。

 二〇〇一年六月三日、トーマス・ハーディの『帰郷』とベンヤミンの著作集八を返却する序でに麻生図書館で「赤い鳥」を探した。残念ながら、私の探していた小峰書店のものは無かった。もっと簡略された抜粋版で、私の希望には全く沿うものではなかった。我が家の書斎の本棚に一冊だけ『五年生の赤い鳥』を発見したのは幸運であった。表紙や扉、見返しは武井武雄の挿し絵である。目次を見ると何とも錚々たる作家の名前が並んでいる。北原白秋、有島武郎、小川未明、豊島与志雄、西条八十、林芙美子、坪田譲治、芥川龍之介、鈴木三重吉。一房の葡萄、杢平じいさんの死、花と少女、鬼が来た、ろうそくをつぐ話、ハボンスの手品、魔術などどれも印象に残っている。自分の子供の姿をシャボン玉に吹き出して飛ばすハボンス。シャボン玉として空に消えてしまうハボンス。『(ワン)の家』(平方久直作)は、どこの部落を舞台にしているかがよく分からないが、それでも戦前の貧しい部落の生活の一部が明るく客観的に描かれている。自分より金持ちである監督金の息子に諂う王の父親。それでも、それなりに仲良く遊んでいる子供たち。アンペラ小屋に住んでいる王一家。父は監督に頼んで自動車の車体を貰って来る。『飛ぶ教室』の中に出て来る禁煙先生の客車の家とは比較にはならないほど狭いが、それでも楽しさを想像させる

 
※写真は、小峰書店発行の『3年生の赤い鳥』価格は¥280.裏表を広げて撮影。

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yuyaさん

童話を読んで聴かせる姿はとても美しいですね。
僕は祖母からイソップ物語などを読んでもらった記憶があります。
それにしても、この表紙絵からはアヨアンさんの世界に近いものを感じました。
by yuyaさん (2012-07-28 20:27) 

Enrique

読み聞かせから始まる豊富な文学体験が今日のアヨアンさんをつくっているのですね。装丁や挿絵も重要なのでしょうね。
ウチは兄姉達は読み聞かせもしてもらっていたのだと思いますが,何分大兄弟(昔はさほどでもなかったですが)の末ですと手が回らなかったのか祖母から昔話を聞いた記憶のみです。読むものが無くなると母親の婦人雑誌から兄姉達の使った教科書やノートなども読んでいました。やはり子供時代の体験は重要なのですね。
by Enrique (2012-07-29 07:40) 

アヨアン・イゴカー

niki様、404様、tochi様、schnitzer様、mimimomo様、moroq様、シラネアオイ様、兎座様、g_g様、kurakichi様、ビタースイート様、風来鶏様、扶侶夢様、doudesyo様、toraneko-tora様、Enrique様、carotte様、moz様、お水番様、ミモザ様、flutist様、ChinchikoPapa様、めもてる様、daimuran様、くらいふ様、ぼんぼちぼちぼち様、macinu様、りんこう様、アリスとテレス様、gigipapa様、orange-beco様、sig様
皆様 nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2012-08-04 13:48) 

アヨアン・イゴカー

yuya様
母からも読んでもらったり、記憶から話してもらったりしましたが、小学校低学年の時に長姉にも読んで貰ったのもとても楽しい記憶として覚えています。『ちびっこカムの冒険』を読んでくれるのをとても楽しみにしていました。

Enrique様
豊富な体験と言われる程の分量ではありませんでしたが、同じ話でも何度も聴いていると、精神的な血になり肉になります。母が『どんぐりと山猫』のなかの「どってこどってこ」と言うリズミカルな表現が好きだと言っていたために、宮沢賢治は最初から大好きでした。youtube作品も考えています。
by アヨアン・イゴカー (2012-08-04 13:56) 

青い鳥

お母様、暮らしの手帖の愛読者でいらしたのですね。
私がこの雑誌を知ったのは小学校6年生の時です。
校長室の掃除をするように言われて校長室へ行った時に
校長先生が「これはなかなかいい本だよ」と見せて下さったのです。
以後、我が家でもその本を定期購読する様になりました。
藤城清治さんの影絵、当時から大好きでした。
それにしても、随分昔の本もしっかりと保管なさっていらっしゃいますね。
書庫をお持ちなのでしょうか?
我が家も本が多いのですが、保管場所が無くて本が部屋を占領しています。
by 青い鳥 (2012-08-05 13:01) 

アヨアン・イゴカー

青い鳥様
残念ながら第一号からではありませんが。
当時はテレビもなく、有線放送か真空管の入ったラジオしかありませんでした。本当に娯楽もなく、教養も身につける手段はありませんでした。何しろ小学校がある町が一里離れていましたから。
書庫はありません。北海道から送って来た時はよかったのですが、その後我が家で預かってから、黴が生えたりした本屋雑誌もあります。一部の本がぼろぼろになってしまって、残念です。
by アヨアン・イゴカー (2012-08-12 22:19) 

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