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栗の里の愉快な女房 - 鶏になった女房 [栗の里の愉快な女房]

栗の里の愉快な女房 雌鶏になる     2012/7/8   日曜日

 

 もう二週間ばかり前、デイヴィッド・ガーネットの岩波文庫『狐になった奥様』を買い、読んだ。自分の上品な妻が狐に変身し、やがて、自分を覚えていてはくれているが、野生の狐になってしまう。夫の雌狐への愛が悲しく美しい。最初は、カフカの『変身』のような作品なのかと思っていたが、物語の展開は全く異なったものであった。この作品が発表されたのは一九二二年で、その六年前に『変身』が書かれている。十九世紀の世紀末、二十世紀の初頭、生存の不安と科学技術・知識などに対する期待とが入り混じっていたように感じる。ジュール・ヴェルヌが『海底二万マイル』『八十日間世界一周』を書き、H.G.ウェルズが『タイムマシン』『モロー博士の島』『宇宙戦争』を書いた。この『狐になった奥様』もそうした、自由な発想に突き動かされたのではないか。世の中には不思議なことがある訳で、妻が狐になることだって、それほど不思議ではない、よくある話かもしれない、と私は思った。なんとなれば、人間と言う生き物は、結果が生じるまで、結果を断言すること、確実に言い切ることは出来ないからである。結果に対して、理由付けをすることは可能であるが、その理由付けも「現時点で」と言う但し書きが大抵は必要である。

   *     *     *     *     *     *

 前日の金曜日、残業をして最終電車で帰宅した私は、ぐっすりと眠り込んだ。それでも、暫くするとビルの屋上から屋上へ飛び移ったり、巨大な体育館のようながらんどうの建物の天井から、剥き出しのスレートと赤錆の出た鉄枠で作られた壁を、剥がれ落ちる錆で滑り落ちそうになりながら降りてゆく。どうしこんな面倒な状況をわざわざ自分に課してしまうのか分からないが、これは現実ではなく夢であり、こういう夢を見る時は体調が好くないのだ、どの部分の調子が悪いのだろう、胃か、腸か、或いは心臓か、などと冷静を装って分析している自分に気付き目が覚める。

 a stray hen.JPG太陽は真南である。つまり、言うまでもなく昼である。すっかり寝坊をした私は起き上がって洗面所へ行く。と、鏡の前に白色レグホンがいる。盛んに、自分の頭の鶏冠の手入れをしている。あんなものは右に倒れていようが左に倒れていようがどうでもよいではないか。それが存外気になるようである。私が妙な顔、狐につままれたような顔をしていると、「あたしよ、あたし!コケッ!」と言って振り返る。女房殿が得意の腹話術を使って悪戯をしているのだ。腹話術と言えば、去年、布団を使ってやってみせてくれたことがある。前世で私が振ったために入水したと言うおつうがやって来たと言う設定である。仮定の話しであるにも拘らず、布団は無気味に水のしたたる生物のように動くし、恨みの台詞がまるで本物のようで、私は背筋がぞくぞくし、自分の前世を反省しそうになった。本気で後悔し懺悔してもいいと言う気分になった。そして、無気味だからやめるようにと懇願したら、笑いながら止めてくれた。女房殿の特技には他にはパントマイムもあるの。何年か前に、空間の固定はこうやるのだ、と言って、見えない座敷牢に入っていった。入った途端形相が変わり、出せ、出せ、と言って檻の柱を鷲掴みにして大暴れする。近所に声が聞こえるといけないので止めて貰った。斯様に人騒がせな人なのである。それを楽しみにしている、ちょいワルの女優なのである。

 この雌鶏が鏡の前からどこうとしないので、私は風呂場へ移動して洗顔することにした。この雌鶏を床に降ろしでもしたら、小道具に手を触れるな、と言って怒られることを避けるためである。

 顔を洗った後、玄関に新聞を取りに行き、その後お湯を沸かす。最近は特に好きでもなくなった紅茶を飲むためである。あぁ、紅茶である。ただの水の方が美味しいと感じる時が多いのだが、つい、昔からの習慣でお湯を沸かしてしまうのである。

一通り新聞に目を通すと、朝食を作ることにする。我が家では、週末は食べたい者が食事を作ると言う不文律が出来上がっている。私がこのところ一寸だけ凝っているのは、インスタントラーメン「栗の里スペシャル」である。インスタントラーメンに具や香辛料をあれこれ入れて「旨いラーメン」に変身させることである。具や香辛料の使用前、使用後では味は雲泥の差がつく。この味の差を極大にすることが、こと料理については無上の喜びなのである。と言いつつ、生麺を買ってきて、出汁も作ると言うほどの真剣さもない、中途半端な一所懸命さ。何だか、自分の生き方のように思われてきて、不愉快に成ってきた!けっ!しかし、案山子、中途半端と言って侮るなかれ。中途半端も奥が深く、真剣に中途半端を貫く、「中途半端道」なるものだってあるのだ、そう信じることにした。

モヤシ、人参、キャベツ、大蒜、青梗菜を油で炒めたものを用意しておく。インスタントラーメンは湯の中に入れ麺をほぐし、粉末の出しを入れ、そこに干し海老、ワカメを入れ、丼に移す。そして炒め物を乗せ、コーンを載せ、胡椒を振りかける。

この出来上がった熱々の特製ラーメンいり丼を、火傷しないようにお盆に載せる。大切な汁を零さないように慎重にゆっくりと歩いて、食卓へ運ぶ。ふうふうしながら食べ始めた時だった。横から突然、嘴が私が箸で引き上げた麺をつつく。チッチチチチ、チッチチチチ、コケッ!と言っている。「熱い、熱い。」と言っているのは好く分かるが、大切な朝食を奪おうとする不届き者に対して黙っているわけにもゆかず「こらっ!何をする!無礼者!」と私。「コケッ?!」と鶏。「人が食べているラーメンに何をするんだ!こいつめ!」雌鶏は如何にも残念そうに「ケーッココ、コーコッコ!」と言う。(そんなに冷たいことを言うんだったら、もういいよ。)私は慌てて言う。「そんなことは言っちゃいないさ。ただ、僕が食べているラーメンを横取りするこたぁないだろう、そういう意味さ。」雌鶏納得顔。「じゃぁ分けてやるからさ、待ってて。」と私は食器棚までゆき、可愛らしい人参と卵の柄のついた鉢を取ってくる。そこにラーメンを少し取って入れる。それを見て雌鶏が不満そうな顔をしているので、ははん、汁も欲しいのだな、と気付いて、散り蓮華で汁を掬い取り分ける。雌鶏もやっと満足そうな顔をしている。と思いきや、私が作業を終了するや否や、彼女は嘴を鉢の中に突っ込んで、食事開始である。不幸なことに、あの鶏の嘴と言うのは、穀物や蚯蚓や芋虫やらをつつくのには適していても、麺のような細長きものに対しては、至って不都合に出来ている。ヘビクイワシなど、よくぞあれだけの細長きものを食料にしているものと感心する。尤も、猛禽たちはつついて食べるのではなく、引き裂いたり、千切ったりして食べるので、感心することもないか。嘴という食器は、種々雑多な形状があり、その餌が鳥同志で出来るだけ重複しないようになっているのだから。

雌鶏は鉢の中から麺を取り出しては、食卓の上でつつき回して細切れにして、破片を飲み込んでいる。あんな食べ方で、味わっていると言えるのか、と言う想いが頭を過ぎる。彼女は彼女で、上手く食べられないので鶏冠に来ているようであった。「あぁ、あぁ、こんなに食い散らかして。」と言うと「コーーーーーッココ!」と口惜しそうに言う。「そうだ、折角だから汁を飲めば?」と提案すると金色の眼を輝かせて、水飲み鳥のような恰好で、飲み始める。如何にも鶏らしく、人間が嗽をする姿勢である。汁が熱いので少し辛そうではあるが、それでもとっても旨そうである。私はこの姿を見て安心した。

朝食が終わると片づけを始めた。鶏が食事作法などご存知ないことは百も承知だが、それでも流石に食い散らかされた鉢を見ると改めて呆然とした。鶏にも小笠原流の作法とは言わないが、何か条件反射的な作法もどきのものを躾けるのも一興かと思う。これだけの飛び散り方なので、アクション・ペインティング方式で描いたジャクソン・ポロックも前世はやはり鶏だったのだろうと思う。塵取りと箒で床に落ちたラーメンや野菜やらの破片を取り、テラスへ放り投げておく。こうすれば四十雀やら雀が飛んできて綺麗に片付けてくれるからだ。

食後、久々に映画でも観ようと思い、DVDを出してきて木下恵介監督の『お嬢さん乾杯!』を見始める。この映画は既に五回以上も見ているので、物語はよく分かっているし、台詞だって所々諳んじているくらいだ。ソファに坐ってニヤニヤして見ていたのだが、鶏も私の隣に坐って眺めている。「分かるのかね?」と言うと、まるで馬鹿にしたように「コーケッコックル!」(そりゃ、こっちの台詞!)と言う。そうか、鶏でも分かるのか、この映画は。木下恵介は大したものだ。私が笑うと、彼女もケーコッコ、ケーコッコと笑う。可愛い奴である。

見終わると少し目が疲れてきたので、散歩に行くことにする。私が玄関の扉を閉めようとすると、雌鶏も羽をばたつかせながら慌てて飛び出してくる。はは~ん、こいつ私に付いて来ようと言う了見だな、と思い「出発進行!」と叫ぶ。「コケコッコーーーー!」(Aye, aye, sir!

近所には雑木林があるので、そこまで急ぎ足でゆく。雌鶏は地面を歩いているのだが、私に引き離されると、羽を使って距離を稼ぐのである。「汚いぞ!脚を使え脚を!」と注文をつけると「コケルコケーケヶコッ」(脚短いんだもん)と言う。

雑木林に入ると、私たちはゆっくりと植物を見ながら、野鳥の囀りを聞きながら歩く。とても寛ぐ空間があった。ちょっとした草原で、日光が当たり明るい楕円形の空間である。こんなところで夕方から、人形芝居でも上演したら楽しいかもしれないと思う。私が乾いた草の上に坐っていると、奴さんは土が湿った所へ行って、蚯蚓やら昆虫などを穿り出している。どれだけの収穫があったのかは知らないが。とにかくせわしなく動き回っている。適度な空腹状態にある餌探しは遊びの要素を持っているようだ。鶏ながらまるで子供が楽しそうに遊んでいる姿が重なって見えるのが不思議だ。

暫く遊んでいるのを眺めていたら、体が少し冷えてきたので、隣の町まで足を伸ばし、酒の肴でも買って来ようと思い立ち上がる。鶏は後ろ鶏冠を引かれるかのように、残念そうな顔をして私を見上げる。(もっと遊んでいたいのに!)

それでも私が雑木林の中の小径を歩き始めると急いで付いてくる。坂道を下り、私が少し早足になると、羽を使って飛び上がり先回りして待っている。なかなか隅に置けない。

アスファルト道を歩き始めると、やはり鶏は長距離と歩くのに慣れていないために、お疲れのご様子である。「おい、あんまり遅いとおいてっちゃうぞ!」と言うとケーッコ!(馬鹿!)と叫ぶや飛び上がり、私の肩に止まる。狡い作戦だが、弱き者ゆえ、仕方ない。

こんな調子で、結構楽しい時間を雌鶏と土曜日に過ごしたのであるが、日曜日には雌鶏はどこかへ行ってしまっていた。女房殿に「昨日の雌鶏どうしたの?」と尋ねると「なんのこと?雌鶏?」と怪訝な顔つき。「昨日、家に来た雌鶏、白色レグホンのことさ。」

「あなたは、鶏すきだからね。ふふふ。」と笑っている。

「鶏って、恩知らずだし。道に迷って帰ってこられなくなっちゃったんじゃないの?」

 

不思議な週末の体験であった。

 ※ココの写真にある白色レグホンは是非、記憶にとどめておいて頂ければと思います。その内にYouTube作品に登場致します。


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コメント 7

Enrique

読ませていただきました。
楽しいファンタジーです。インスタントラーメンの下りが面白いですが,チキンラーメンだったりするとチョット怖いですね。
by Enrique (2012-07-08 17:25) 

yuyaさん

楽しく読ませていただきました。
鶏とのやりとりが面白いですね。^^
なんだか平和で微笑ましくも感じます。
by yuyaさん (2012-07-10 18:11) 

桜貝の想い出

ご無沙汰しておりました。
後ろ鶏冠を引かれるとは、なるほど・・・
とても楽しく読ませていただきました。
心がほんわかしてニッコリと微笑んでしまいますね。
by 桜貝の想い出 (2012-07-10 19:09) 

Kanna

アヨアンさんと奥様(雌鳥)のコンビ、とても息が合っていて良いですね!
奥様の一挙一動が他人事に思えず…ああきっと私も身近な人から見るとこんな風なのだろうな~と、なんだか笑ってしまうような恥ずかしいような、不思議な気持ちがいたしました(笑)
写真、記憶に留めて置きますね、楽しみにしています。
by Kanna (2012-07-14 15:24) 

アヨアン・イゴカー

Rita様、tochi様、Enrique様、404様、アリスとテレス様、miffy様、MIKUKO様、ビタースイート様、mimimomo様、kurakichi様、glennmie様、niki様、海を渡る様、めもてる様、八犬伝様、ChinchikoPapa様、lamer様、flutist様、Mineosaurus様、般若坊様、くーぷらん様、doudesyo様、carotte様、シラネアオイ様、くらま様、SILENT様、旅爺さん様、pi-ro様、zenjimaru様、青い鳥様、りんこう様、gigipapa様、kakasisannpo様、まっちゃん様、えれあ様、山子路爺様、optimist様、Halumi様、いろは様、kohtyan様、siroyagi2様、扶侶夢様、桜貝の想い出様、schnitzer様、krause様、コザクラインコ様、yoku様、兎座様、Country-Boy様、さとふみ様、g_g様、yayu-chang様、夢空様、orange-beco様 皆様nice有難うございます。
by アヨアン・イゴカー (2012-07-15 22:36) 

アヨアン・イゴカー

Enrique様
チキンラーメンのことは、実はちょっと頭を過ぎりました。
私は子供の頃に雄鶏に対するトラウマのようなものが出来たのですが、それでも鶏はまるで生活の一部のように時々話題にしたり、夫婦で物真似したりしています。

yuya様
鶏は人間に限りない優越感を持たせてくれるくらいに阿呆で、記憶力が悪くて恩知らずです。でも、それはとても自然な生き方で、そんな生き方も好きなのです。

桜貝の想い出様
そうなんです、鶏には髪の毛がないものですから、鶏冠になってしまうのです。中学校の頃、母に頼んでチャボを買って貰って、チャボ小屋を作って飼っていました。結局、野良犬にみんな食べられてしまいましたが。

Kanna様
私の妻は、体調がいい時は本当に愉快で陽気なのです。この話を見せたら、早速鶏になって演技を始めていました。
ところで、ここの写真の鶏は、大切な道具なのであります。年内には発表したいと思っています。
by アヨアン・イゴカー (2012-07-15 22:53) 

sig

こんにちは。
息の合った楽しいご家庭の雰囲気を楽しませていただきました。
白色レグホンは奥様の化身なのか、なかなか魅力的なめんどりですね。


by sig (2012-07-30 12:57) 

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