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乙女の密告 ― 芥川賞 [評論]

乙女の密告 - 芥川賞作品を読んで 2010-9-27(月)

 angelika2010-9-28.JPG第一印象。この作品は至って映像にしやすい作品である。或いは、映像的な場面を想像しながら赤染晶子氏は書いたのではないかと思った。いくつもの場面が、鮮明に絵として記憶に残る。では、この作品は断然素晴らしいか、と言うと、正直個人的にはそれほど好きではない。自分の趣味には合わない。それでも選ばれる理由は十分にある、しかし、こういう風に主題を選んで行った場合、どれだけの数の作品を書くことができるのだろう、寡作になってしまうのではないか、などとも思う。

 私の読み取った、主題は、他者でありたくないのに他者であることを欲しなければならない人間の苦しみ、悲しみ、不幸。もう一つは、密告、噂、誹謗中傷の実体。姿のない虚像ではあるが、神秘性をもち、裏づけが無いゆえに、亡霊は一人歩きを始め、噂のせせらぎを作り出した人間もその巨人と化した亡霊の絶大な力を止めることが出来なくなる。これらは、奥が深く、更に掘り下げて扱うことができるので、主題としては何度取り扱われてもよいものではある。

 今回、特に興味深かったのは、この作品についての選評である。書いているのは小川洋子、黒井千次、村上龍、池澤夏樹、川上弘美、石原慎太郎、山田詠美、高樹のぶ子、宮本輝である。自分なりの感想を簡単に整理してから、これらの人々の評価を読んだ。誰もが自分なりの読み方、把握、理解をしていて、それをぶつけ合う選考会の様子が想像できて面白い。

 村上龍は、題材そのものが苦手ということの他に、物語の核となる「ユダヤ人問題」の取り上げ方について違和感をもったから、と述べている。池澤は、一個の人格が何者であるかを決めるのは結局のところ本人でしかない。民族は生物学ではなく自覚によってきまる。それを外から決めようとするところからアウシュビッツが始まる、と書いている。川上は、全体にただよう諧謔が、とても好き、・・・・もう少し、「乙女」というものの内実にかんして、深く表現してほしかったというのは、作者の力を評価するがゆえの願いです。

 私はここで石原慎太郎の選評について述べてみたいと思う。彼はこう始めている。小説という商品は商品である限り、あくまで精神を含めてその時代の風俗を踏まえてかからなければ成り立ち得ないものだと思う。この小説に対する考えは、私は支持できない。芸術作品は商品でありえるが、商品であるものは必ずしも芸術作品ではない、からである。また、誰に対して作品は書かれるべきかを考えると、究極的には自分自身のためになのだと私は信じているからである。自分自身を楽しませることのない、自分自身に不真面目な作品など、何の価値もない、それが私の考えである。結果的に他者をも満足させ、他者が喜ぶことは嬉しいことであるが、他者を喜ばせることを第一目標として生み出される作品は、芸術作品ではない。彼はこうも述べている。今日の日本においてアンネなる少女の悲しい生涯がどれほどの絶対性を持つのかは知らぬが、所詮ただ技巧的人工的作品でしかない・・・アクチュアルなものはどこにもない。/日本の現代文学の衰弱を表象する作品の一つとしか思えない。私からすれば、石原氏がどれだけ表面的にこの作品を読んでしまっているか、これで分かると思う。アンネが一つの象徴になっていることを彼は感情的なって無視しているとしか思えない。彼のために一つだけ私が好感を持ったところを挙げておきたい。シリン・ネザマフィ氏の『拍動』は・・・・部分的には、こなれていない表現もあるが、作者が提示している問題は現代における文学にとっての新しい主題ともいえる。日本における現代文学のこれからの一つの方向性を暗示していると思う。この小説が読んでみたくなるばかりか、変化し続けること、常になにか新しいものを求められる芸術の方向性というものについて言及している。

 高樹氏は、生死のかかったアンネの世界に比べて、女の園の出来事が趣味的遊戯的で、違和感がぬぐえなかった、と述べているが、これは随分外れていると思う。それは反対で、日常の一見平和そうな、幸福そうな生活に、悪や非道の萌芽が潜んでいる、鏤められている。だから、このような乙女の園で物語られることに意義があるのだと思う。

 宮本氏は、ついに収容所で死んだ十四歳のアンネの居場所を密告したのが、ほかならぬアンネ自身であったという小説には、私はその造りが正しいか正しくないかの次元とは別の強い抵抗を感じて授賞には賛同しなかった、と書いている。この意見については、私は敢て何も述べない。

 

*今日の絵はバッハマン教授のお気に入りのアンゲリカ人形である。妻に見せたところ、もっとくすんだ色、アンティークドールの方が好いと言われた。
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コメント 10

スマイル

こんにちは
まだ読んでいません~
アヨアン・イゴカー さんの記事も参考に
させていただきながら読んでみます♪

絵、可愛く素敵に思います☆
by スマイル (2010-10-03 15:41) 

Enrique

この作品内容は分りませんが,アヨアン・イゴカーさんの絵見て像しています。選評の方が面白いのですね。
絵のほうも,月日が経てばくすんできそうな気もしますが。
by Enrique (2010-10-03 16:44) 

nyankome

これだけ多種多様の選評が出るということはそれだけこの作品のインパクトが大きかったということなのでしょうね。
いつもながら雰囲気のある素敵な絵ですね。
by nyankome (2010-10-04 00:07) 

青い鳥

私は直木賞受賞作品を読みましたが、
芥川賞受賞作品はまだ読んでいません。
でも、読んでみたくなりました。
by 青い鳥 (2010-10-04 11:40) 

大善士

アヨアン・イゴカー さん こんばんは( ^ _ ^ )

nice! & コメント を いつもとても感謝します~

中国佛教和日本佛教渊源深厚。

中国の仏教と日本の仏教の源は深いです。

但是自从到了南宋时期,程朱理学逐渐取代了佛教和道教,成为中国近世八百年的统治思想。到了明清时代,八股取士更是让中国的读书人埋头于四书五经,而不问世事。

しかし南宋の時期まで着いてから、程朱の性理学は次第に仏教と道教に取って代わって、中国の近世の八百年の統治する思想になります。明・清の時代まで着いて、八股文が士を取って更に中国の知識人を四書の五経で没頭させて、世事を問いません。

此后,中国佛教虽然一直在发展,但远没有南北朝时代和隋唐时代那么的深入人心。人们只对功名利禄感兴趣。

それ以後、中国の仏教はずっと発展しますが、しかし遠く南北朝の時代と隋唐時代そんなにの深く人の心に染込むことがありません。人々は功労と名声の利益と官禄に対してただ興味を持つだけ。

总的来说,现在的中国是个没有信仰的国家。

総じて言えば、今の中国は信奉していない国家です。

佛教的繁盛早已是过去的事情了,佛教思想并没有深入老百姓的生活。

仏教の繁栄はとっくに向こうへ行った事で、仏教の思想はべつに民衆の生活に深く入り込みません。

日本佛教很深入老百姓的生活吧,我好想了解。

日本の仏教のとても深い民衆の生活、私はとても理解したいです。
by 大善士 (2010-10-04 23:11) 

yakko

お早うございます。お越し戴きアリガトウございます。
by yakko (2010-10-06 09:47) 

いっぷく

本は未読なのですが、選評は選評をする側の人の本音の場合もあるし
社交辞令的なのもあるのかなと思いますが、
読み手は自分ですから自分の嗜好に合うかどうかになってしまいます。
by いっぷく (2010-10-09 23:24) 

glennmie

さすが石原さんですね!
こういう人の意見が影響力を持つこの国の未来はきっと明るいのでしょう。
私は遠慮したいですが。

by glennmie (2010-10-10 23:17) 

アヨアン・イゴカー

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by アヨアン・イゴカー (2010-10-11 00:33) 

アヨアン・イゴカー

スマイル様
アンゲリカ人形、多少でもお気に召して嬉しいです。
小説は結構絵になると思いました。

Enrique様
小説よりも選評が面白いのではなく、選評にもドラマを見出しました。
私の目から見て、正しく読んでいる作家、そうでない人々がいて、やはり国語の読解に一方的な正答はないのだと思いました。
ちょっとそれますが、国語の授業では、読み方そのものを採点することは、必ずしも正しいことではないだろうと思います。

nyankome様
後世に残るかどうか、それを考えて選出するのは至難の業であることが分かりますね。選者自身が既にゆるぎない判断基準をもっている場合と、作品によって柔軟に判断基準を変えることのできる人とがいるように思いました。

大善士様
仏教のアジアの国々に於ける扱いの相違は、とても興味深いですね。
宗教は、その教義がしっかりと完成されていなかったり、伝達される人々の基盤が出来上がっていないと、導入された国にあるもともとの文化に大きく影響されてしまい、いつか本来の物とは異なるものになってしまうこともあります。

いっぷく様
結局のところ、読み手の嗜好であると思います。

glennmie様
石原氏の意見は、少数派だったようです。
それにしても、繰り返しにはなりますが、

>今日の日本においてアンネなる少女の悲しい生涯がどれほどの絶対性を持つのかは知らぬが、所詮ただ技巧的人工的作品でしかない・・・アクチュアルなものはどこにもない。

この考え方には、私は呆れるばかりでした。彼は歴史から学ぶという学習能力が欠けているのではないかと思いました。
by アヨアン・イゴカー (2010-10-11 00:59) 

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