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離婚率が高くなっているのは発達か退化か? [変化]

 離婚率が高くなっている。文化が発達すればするほど、高くなる傾向にあるようである。この離婚の増加は、果たして人間が動物として発達していることの裏づけなのか、それとも退化しているのか。
 結論を先に言うと、私はこれは人間力の退化の一つだと考えている。そもそも発達とか退化とは何を元にしているのだろうか。進化の過程で馬は中指一本がだけが発達し、その他は退化していった。特定の目的のために利便性、優位性を増すことを発達と言うのかもしれない。そして、使わなくなってしまい、もともとの働きをさせることが出来なくなることを退化と言うのだろう。岩波の国語辞典によれば「退化②生物体のある器官が不用になったため、働きがにぶり小さくなり、またはなくなること」である。
 人間は、文明の発達によって、文明の利器を作り出してきた。その過程で、人間が動物として生きてきた時に必要であった能力を捨ててきた。それを退化と呼ぶことができるのではないか。衣服を着ることによって暖を取るので、長い体毛は不用になった。無毛の動物も若干いるのが、これは例外であると思われる。本来は哺乳類は夜行性動物であった、昼間は爬虫類のものであった、と読み始めたばかりのリチャード・ドーキンスの『祖先たちの物語』に書かれている。夜行性動物としては、猫がそうであると中学校の時に習った。哺乳類全般としては夜に於ける視力はとても好かったはずなのであるが、進化の過程で昼に活動する昼行性動物と、夜に活動する夜行性動物とに分かれたのだろう。
 人間の退化の例を、思いつくままに挙げると、盲腸がある。直立歩行をすることによって痔を煩う個体が増えた。固いものを噛まなくなったために、下顎が小さくなり、歯列が乱れるようになったり、親知らずが生えてこなくなったりしている。本来人間は多くの能力を持っているが、それらを取捨選択してゆくうちに発達したものと退化したものに分かれたのであろう。オリンピック選手の能力を見れば、それはよく分かる。今すぐに誰にでもできることではないが、一つの種としてその能力だけを鍛え上げてゆけば、人間がどこまで出来るかが推測、想像できる。重量挙げ選手になるためにはそれなりの筋肉の鍛え方がある。同様に長距離走者になるためには、付いてはならない不要な筋肉もありそうだ。そして、鉄腕アトムではあるまいし、あらゆる競技で優勝することはできない。
 「文明人」と「未開人」を比較すると、いくつもの動物的能力が退化していることに気づく。視力。「文明人」は文字を読み、映画やテレビを見るので、視力が衰えている。聴力も、騒音に侵されているので、小さな音を聞き取れない人間も増えている。特にヘッドホンで大音量で聞いている人間は、年をとってからが心配されている。
 そして、反対に人間が他の動物の能力とは違う部分で大きく発達させてきたものがある。それは脳である。脳の中には、過去の蓄積があり、それは増え続け、発展し続けている。
 離婚を、この進化・発達・退化の観点から考えると、そもそもなぜ結婚をするのかと言うことを考えなければならない。なんとなれば、動物たちは結婚などしないからである。子孫を残す為に、少しでも有利な条件の相手を見つけ、生殖するだけである。そして、盛りが付いた時だけ、新しい雌を、雄を求めればよいのである。猫だって、鳥だって、同じ相手と一緒に生活するわけではない。その必要もない。近親結婚を避けるためには、同居せず、離れれば離れるだけ、その危険性をすくなくすることができる。オイデュプス王のように、自分の母を妻としてしまうことは本能的に悪とされているのであろうと思われる。では、なぜ、動物である人間は夫婦になるのか。
 理性を持った生き物として存在したいと考える人間であれば、どうあるべきかと言う観点から答えを出したい。人間は人間社会、文化と言う作り上げられた一定の秩序の中で生きている。最小単位は個である。個の上は家族。共時的には家族は親戚と結びつき、通時的には祖先や子孫に結びつく。この社会を維持したいのだったら、その個々の部品である人間関係は強固であるほど、その社会は安定する。家の柱や梁や根太がしっかりしていなければ家が建たない、立っていられないのと同じ理屈である。そしてこの個々の部品をそのままで維持する為には、負荷が掛かる。北風が吹けば、北側から圧力が掛かり、柱は軋むだろう。しかし、一つの家であれば、その圧力を他の部材が、一部吸収してくれる。そして、人間関係も同様なのだと思う。嫌なことがあれば、関係者で分かち合う。好いことがあっても、それを分かち合う。それが共存共栄の基本である。
 理性を持っていない動物はどのように、不快時に振舞うだろうか。単に、その不快なものから逃避する、より快感を与えてくれるものの方へ逃避するであろう。ここが重要な点である。不快なものに出会ったとき、不快な目にあった時、そのものを如何に克服するか、それを学ぶこと、経験することが何よりも人間の発展にとって必要な要素である。それを避けること、逃げることは弱い部分を弱いままに放置して、結局は退化させてしまうことになる、と思うのである。
 ニートやフリーターの問題が話題になると、彼らは自己責任の下に行動すべきである、と言う主張がしばしばなされる。この問題は今回扱わないが、私見では、ニートやフリーターを作り出したのは近代文明だと思っている。単に個人の問題として等閑視していてよい問題ではない。近代文明が彼らを作り出しているのである、酸性雨や光化学スモッグなどの公害同様に、文化が発達する際の副産物なのだと考えている。この論点はさておき、ニートやフリーターと言う存在は、発展ではなく退化であると考えている。なぜならば、社会の秩序を一つの理想とするならば、社会のためにならない人間の数は少ない方がよいからである。それが増えているならば、人間社会は労働場所の提供能力が退化しているのである。
 そして、やっと結論である。離婚の増加だが、仮令、夫婦相互の了解の下に協議離婚し子供を育てたとしても、それは理想的な社会構造からみれば、家族間と言う社会部品の紐帯が綻んでいることになり、退化傾向の現れに他ならない。これは都会の子供達の運動能力の低下同様、退化の現れである。必要が無い、使いたくない、我慢したくないなどの理由で耐えることを止めてしまうと、その能力は発達しなくなる。楽器の練習など、その最たるものである。繰り返される夫婦喧嘩を乗り越えて添い遂げる夫婦の力、それはお互いの人間性の尊重であり、人格の許容である。
 但し書きが必要なので、補足するが、最初から愛のない結婚は別である。政略結婚、結婚詐欺(近所の男性が被害者になり、土地を慰謝料の代わりとして奪われた)、あるいは性的被害にあった場合など、考慮すべき、憂うべき例外は沢山ある。
 SSCN0171.JPG(大学生の頃、Newsweekの写真を元にクレヨンで描いた絵) 


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mimimomo

おはようございます^^
人間に我慢する力が無くなってきているのは事実だと思います。その観点から言えば確かに離婚は退化ですね。
by mimimomo (2009-02-23 04:37) 

旅爺さん

文明の進歩と共に個人でも好き放題に遊べ、食べられる時代になって、
個人個人が自分を制御できなくなってるのでは?いわゆる贅沢から来てますね。 
by 旅爺さん (2009-02-23 10:09) 

にすけん

 職場でうまくいっていない人の相談に乗ると、離婚までいっていないにしても、家庭内での問題を抱えている場合が少なくありません。
 驚くべきは、自分の家族に対しても普通に話のできない人の多いこと。

 この得体の知れないコミュニケーション不全症はなんなのか、本当に空恐ろしいものを感じますね。
by にすけん (2009-02-23 11:03) 

doudesyo

今晩は。
社会構造(または主義)上の変化ないし歪みと個人の能力や性格の問題など複合的な要素が沢山ありそうで、私には何がなんだか分からないです。^^;
by doudesyo (2009-02-23 17:27) 

くーぷらん

これだけ物資が豊かになれば、無理に家族を演じなくても暮らしていけます。
それが幸福なことか不幸なことかは分かりませんが。
by くーぷらん (2009-02-23 20:36) 

SAKANAKANE

情報化という観点も見逃せないでしょうね。
昔であれば、離婚を始めネガティブな事は、恥として隠され、公になるのは氷山の一角でしたが、今や離婚の話題などは、テレビ・新聞等のマスコミには事欠かない話題になっていますし、バツイチなんて言葉も流行り、身の周りでもそういった話が沢山聞こえてきます。
こんな事は自分だけが特殊で恥ずかしいのではないのか?という価値観と、いくらでも周りにいて殊更目立つ訳でもないという状況では、当然の如く大きな差が生じて来ると思います。
この理屈は、犯罪やマナー違反にもそのまま当て嵌まるコトで、ひと度乱れ始めると、加速度的に悪化してしまいます。
by SAKANAKANE (2009-02-25 00:14) 

すうちい

しかし、離婚という“憎”が意識から根絶されたとすると、“愛”が薄まりませんかね。うすく長ーい愛。あっ、別に離婚願望はありませんから。^^;
by すうちい (2009-02-25 18:37) 

sig

こんにちは。
人間の進化(退化)と社会の進化(退化)には相関関係があるということを改めて認識させられました。
生物の進化が、生から死への営みの中で次の世代を再生産していく積み重ねなら、「生命のリング」という輪廻観では「進化」=「退化」なのかもしれませんね。そんなことを考えさせられました。
by sig (2009-02-26 15:38) 

zenjimaru

離婚率の上昇は至極単純で女性が高学歴のなると社会に進出します
収入を得て仕事の楽しみなど知ると家事はやりたくないが本音
結婚して共働きしますが、しかし子育てを含め家事は妻の仕事となると
当然女性の不満が出ます
先進国といわれる国で離婚が多い理由は社会保障が充実している事と
高学歴化の背景があるのではないでしょうか
感情的な事は別にして夫妻の仕事を上手く分担する事も大事だと思います
by zenjimaru (2009-02-27 11:10) 

kakasisannpo

退化も進歩も、所詮は人間の決めることであり、地球宇宙の中のほんの些細な事に過ぎないのではないでしょうか?
離婚もいろいろあるのでしょうね。それより前に結婚という形体が必要なのか?
人間以外の動物たちはどうでしょう。結婚という形体をとっているでしょうか?
ましてや、離婚については。



by kakasisannpo (2009-02-27 11:12) 

旅爺さん

おはよう御座いま~す。
当地は雪が降りました、咲きそうな蕾も閉じちゃいますね。
神奈川は・・・・・流石に降らないでしょうね。
by 旅爺さん (2009-02-28 06:53) 

春分

夫婦という仕組みの理由として、以下のような解釈らしいです。
ヒトは脳を発達させて先を予測することで動物としての競争力を持った→
ところがそのため頭が大きくなりすぎて、難産になり、死産を防ぐべく早産
の血筋が残った→ところが早産になると歩けもしない未熟児を暫く抱える
必要が生じた→餌を運んでくれる男親が必要になった→男親をつなぎ止めるために・・・  というような話だそうで。
子供が育ったら別れるとか、子供を育てられるなら分かれるも可能かな。
そもそも完全な一夫一婦制は歴史の中で日の浅い、徹底されない仕組み
でしょう。
フランスなどではシングルマザー率は半数を越えるとか、イギリスでも2割
とか。でもおかげで出生率は上がっているとか。フランスは2を越えたと。
出生率が2を切る社会は、社会として退化しているかも。
ヒトの営みも自然が決める。法律や社会制度も含めて、自然と思います。
でも、以上のことは私としては都合が悪いです。
離婚されたら困るし、悲しいし、もてないので、次はないだろうし。
なんとも、ジレンマです。
by 春分 (2009-02-28 20:02) 

optimist

幸いにも我が家は円満にやっているので、幸せな限りです。
が、ブログに時間が取られ、相方は少々不満な様子・・・。まあそれはともかく、折角縁あって一緒になったのですから、幸せなまま過ごしたいものです。お互いより良い関係にしながら時を紡いでいければ良いのですけど・・・。

by optimist (2009-02-28 23:16) 

アヨアン・イゴカー

mimimomo様、shin様、mitu様、Krause様、旅爺さん様、にすけん様、gyaro様、くらま様、お茶屋様、chibiro様、doudesyo様、lapis様、野うさぎ様、くーぷらん様、achami様、ふじかわ様、デザイン屋様、夢空様、えれあ様、ハギマシコ様、SAKANAKANE様、ChinchikoPapa様、さとふみ様、サチ様、kakasisannpo様、すうちい様、piattopiatto様、sig様、アリスとテレス様、piano様、ラジオパーソナリティ海成様、zenjimaru様、花火師様、イリス様、あんこ様、optimist様、青い鳥様 nice有難うございます。

mimimomo様
私は必ずしも快ならざるものを耐える力、これが人間と言う種が進化の過程で得てきた独特の力ではないかと考えています。負荷の掛かるものはすべてそうだと思います。離婚原因にも認めざるをえないものもあるとは思いますが、安易に離婚することはどうかと、疑問を持ちます。

旅爺さん様
贅沢が出来ている時間など、人類の歴史から見れば、ごく一部、短い時間に過ぎないのではないかと思います。私など、6歳頃まで育った北海道では、贅沢などとんでもなく、変化に乏しい食事をただ食べていた記憶があります。味について云々する水準ではありませんでした。それでも、子供でしたので、楽しかった。

にすけん様
自己⇒家庭⇒自己や家庭の関係する地域社会⇒国⇒世界(⇒宇宙)
部品の完成度が高いほど、機械は順調に作動するのと同じであると思います。部品は歯車であるかもしれませんが、社会の歯車であれと言う意味ではありません。

doudesyo様
確かに、検討すべき要素は数多くあります。短絡的に結論付けるのは賢明ではありません。

くーぷらん様
一定年齢になると結婚することが当然であるように考えられていました。が、動物の生殖を見ていると、ハーレムを形成する場合も数多くあります。ニホンザルもオットセイも、野生馬も。そう考えると、結婚しない個体が多くあるのも自然なのかもしれません。三種類に分類されるかもしれません。一夫多妻の雄とそのハーレムを形成する雌群、はぐれ雄、はぐれ雌。

SAKANAKANE様
ご指摘の通りで、情報過多、ゴシップ報道にも問題があると思います。
流言飛語や一方通行の情報に惑わされないためにも、個の確立が必要だと思われます。

すうちい様
正直、私にも危機はありました。今になって思えば、乗り越えてきて好かったと思っています。
’憎’は意識から根絶される必要はないと思います。憎はしばしば私を訪れます。しかし、’憎’はよくよく考えて見ると、自分の都合である場合が多いのではないでしょうか。
薄く長~い愛、それが一番好いと思います。それが人と言う種の愛の特徴ではないかとも思います。ずっと、熱烈な感情を維持していられることの方が不自然に思われます。

sig様
人間は人間社会を構成していますが、例えばカラスや猿なども彼ら独自の社会を構成しています。そして、人類と言う種の作り出した社会が、これらの社会にも大きな影響を及ぼしている可能性があります。人間社会だけでなく、人間社会に接した猿やカラスの社会も発達(進化)を遂げていると思います。雀などは人間の農耕に依存しているようですから、雀もその社会構造が変わってきている可能性もあるかもしれません。考えるべきことは沢山あります。

zenjimaru様
女性の高学歴化、社会保障の充実度と離婚率との相関関係は、残念ながら分かりません。
”夫妻の仕事を上手く分担する事も大事”その通りだと思います。何はどちらがやるのが常識、と言う考えは正しくないことも多いようです。

kakasisannpo様
まぁ、仙人のようなことを仰る!好いですね、こういう考え方も。そもそも物事に優劣・区別をつける考え方自体が、人間の発想ですね。
人間が一生必死になって走り回っても、所詮お釈迦様の掌の中なのかもしれませぬ。

旅爺さん様
2/27(金)は、神奈川や東京でも霙でした。その寒い中、一時間半以上外を歩き回る羽目になった小生は、すっかり風邪を引いてしまいました。
は、はっくしょ~ん!

春分様
シングルマザー率の高いフランスの話を見て、ふと思いました。雌雄同体の蝸牛を。精子さえあれば、女性は、別段雄を必要としない。両性はお互いに生殖の機能以外に存在意義をみいださなくなる。こうなればれっきとした「退化」でしょうね。何かの記事の題名だけ見ましたが、男の生殖能力がなくなってしまう日が来るようですね。
人間の婚姻には、できるだけ深い意味を感じたいと思っています。

optimist様
そうですね。縁あって一緒になったのですから、それを大切に守ってゆきたいですね。



by アヨアン・イゴカー (2009-03-01 13:56) 

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